116 低気圧到達
文字数 3,054文字
朝食が終わると若年組の娘たちは田園に再び出向く。二十分の一の数もいない男たちも監視のために後を追う。
違和感のもとは、雨仕度した者が少ないこと。女性は皆無だ。それもエブラハラの風土なのだろう。いまの俺らの村も似たようなものだ。
ツユミたち最年長の一部は、本来は水車小屋で粉引き作業を主にしていた。力は必要だけど泥や虫に穢 されず、休もうと思えば休める屋内での作業を、今日は二歳下の一団に譲る。その権限が彼女たちにある。
十八歳の女たちは、南はずれに近い稲田での雑草刈りをそぞろに始める。カツラはその監視……新しい顔がある……のに十一人しかいない。一人増えて一人減った。
「ジライヤ」
パセル群長が真剣な顔でやってきた。蓑を脱いでいる。お供は薄手の簑を着込んだ三名。田園監視でなく北地区そのものを巡察する、つまり手強い連中だ。
「銃か? 一発も撃ってないぜ、ははは」返さない訳にはいかないだろう。
「まだ持っていろ」
パセルが顔を寄せる。小声になる。「イラクサを連行した。将軍じきじきに尋問する」
「へえ、それはどういうことだ?」
俺は冷静だ。いかなる感情も現していない。
「あの娘が私の蓑を馬鹿にしたあとの言葉を忘れたか? 天気も悪いし今日の作業は打ち切りだ。ジライヤは最年長の娘どもを宿舎に連れていき閉じこめろ。オオネグサと一緒に見張れ。
いいか、抵抗されたら痛い目に遭わせろ。新参で優しいジライヤが、彼女たちの一番人気みたいだな。そいつに銃尻で殴られたら目が覚めるだろ」
「女を叩くのは苦手だが任務ならば仕方ないな。オオネグサ殿はどこだ?」
「作業中止を伝えて回っている。だが、事をしでかすとしたらツユミたちだ。おそらく将軍が宿舎に赴き彼女たちからも話を聞くだろう」
パセルは去ったが、三人の男が残っている。強そうな奴と賢そうな奴と不屈そうなオヤジ。いまここで逃げだしても誰一人助からない。彼女たちを恐慌に陥らすわけにもいかない。
「今日は中止だ…………農作業だけがな」
カツラは女たちの最後尾をいく。彼女たちは追いつめられた小動物のように怯えを垂れ流して歩く。セーナは露骨に青ざめている。ほかの女はいまにもへたり込みそうだ。
「心配するなと伝言しろ」
ただ一人背筋を伸ばして歩くツユミに小声で伝える。「すぐにおっぱじめるぞ」
戦いに女は計算に入れない。だが一対三では勝てない。一対一、もしくは二対二になった時点でおっぱじめる。
空にミカヅキはまだ見かけない。
***
一度のフライトで心身ともにへとへとになってしまう。キハルは村の夢を見ていた。広場も家も畑もランウェイもそのままで、人は誰もいなかった。キハルは泣かない。憎しみを燃やす。
風防を叩く音に彼女は目を覚ます。汗と雨でずぶ濡れのコウリンがのぞいていた。ロックをはずして持ちあげる。霧雨が飛びこむ。
「下からの伝言。みんなは砦に向かった。僕も向かうよお」
コウリンはそれだけ言って、どたどたと駆け下りていく。キハルは大きくあくびをする。
「トモごめん、いままでは茶番だった。助けてもらった恩返しを始めるよ。えーと、エネルギー残量は65パーセント。昨日曇っていたのが痛いけど充分充分……。タイヤ君も頑張ろうね」
キハルは風防をおろす。ベルトをして猫を膝に乗せれば、勝手にスーツの胸の隙間に飛び込んでくれる。今日は覆面は不要だ。サングラスを頭にかける。
激しい揺れ。三秒後に時速百四十キロメートルに達して空に浮かぶ。これぐらいでは嘔吐しない。黒雲が出迎える。キハルは突風に揺らされながらエブラハラを見おろす。まさに嵐が始まる。
「みんなは飛べないから何も知らない。低空を、しかもこんな中を飛ぶのがどれだけ危険か知るはずない」
キハルはつぶやく。「でもトモは心配しなくていいからね。私は二度と落ちない」
***
祭りが始まろうとしている。
瞬く間に土砂降りとなる。四人の男と十一人の女はびしょ濡れだ。
「俺たちは居残りがいないか歩いてくる。お前ならひとりだけでも、これくらいの女の相手をできそうだからな」
「昼だろうが夜だろうがな」
宿舎前で男たちがにやりと笑う。
「おっかないが頑張るさ」カツラも笑い返す。
ハシバミよお、確信した。デンキ様もアイオイ親方も俺たちの味方だ。
雨仕度のないカツラに任せて男たちが去っていく。とてつもない悪運だ。そして開いたままの玄関にはバクラバと護衛の二人。
カツラは空を見る。ミカヅキはいない。
カツラはツユミを見る。青ざめた顔。でも強い眼差しでうなずき返してくる。
カツラだけが宿舎へと歩きだす。女たちが散る。隠した荷物を取りにいく。
カツラが玄関に入り、後ろ手で引き戸を閉める。半裸のバクラバが顔を上げる。
両脇の護衛の一人の名前は知らない。でも好きになれるほどいい奴だ。パシャだって真面目でからかいたいほどかわいい奴だ。『上官殿、冗談はやめてください。任務に戻りましょう』そんな反応が想像できる。だとしても。
「何があったか聞いているか?」
カツラは平然と近づく。
「雨天中止か」
名前を知らない気の良い護衛がくすりと笑う。
「これくらいの降りでですか?」
そう言ってパシャが閉まった戸へ顔を向ける。
カツラはバクラバの両腕に巻きついた鎖を見る。手加減したのかな? 昨日までより弛 んでいる。つまり、あれは武器になる。バクラバの戸惑いの目が獣じみた。
カツラは何気にパシャの背後へまわる。……パセルはこれで殴れと言ったよな。だから、パシャの後頭部に銃尻を思いきり振り下ろす。
「う……」パシャが崩れ落ちる。
「抵抗するな」
カツラがもう一人の男へと銃を向ける。
「な、なぜ?」
男が困惑の顔で手を上げる。誘われたかのように囚人へと後ずさる。
バクラバが背後から男の首へと鎖を巻く。
「ぬあ!」
パシャがカツラの足をつかんだ。強い心の野郎だ。カツラはパシャの背中へと体重を乗せた肘を落とす。
「うっ」
パシャが肺から音を漏らす。バクラバは必死に男の首を絞めている。男はあがいている。懐から銃をだしたけど、急に力をなくしてそれを落とす。それはうずくまるパシャの前に落ちる。
「バクラバ殺すな!」カツラが叫ぶ。
銃に手を伸ばすパシャの頭を蹴る。避けやがった。こいつら鍛えられて――。
パシャが銃をつかむなりカツラへと向ける。
カツラは躊躇なく頭を再度蹴る。同時に銃声。
左肩に痛みが走った。
パシャはもう動かない。もう一人も動かない。でも殺していない。
この身勝手な逃亡で誰も殺さない。殺したくない。
宿舎から誰も顔をださない。玄関から誰も入ってこない。
「行くぞ!」
バクラバの手首に巻かれた鎖を力任せに引きちぎる。撃たれた肩が疼 く。半裸のままの黒人男にパセルから預かった銃を握らせる。自分は自分を撃ったパシャの銃を拾う。
玄関を開けるとツユミがいた。
「準備完了です」
「分かっ――」
後から後から……。
いぶかしげな顔でオオネグサがやってきた。その背後には女性が十名。全員がずぶ濡れ。オオネグサは解放されたバクラバに気づく。片手を懐に入れながら呼子笛をくわえて、銃声とともに倒れる――
たった一日ちょっと。でもな。しょっちゅう並んで歩いた男の眉間に穴が開いたのが見えた。
「笛よりうるさかったですね。急ぎましょう」
銃をおろしたバクラバが言う。
「そうだな」
カツラは肩を押さえながら言う。手が血で濡れていこうが、もう引き返せない。ツユミに続いて、オオネグサの骸 をまたぐ。
違和感のもとは、雨仕度した者が少ないこと。女性は皆無だ。それもエブラハラの風土なのだろう。いまの俺らの村も似たようなものだ。
ツユミたち最年長の一部は、本来は水車小屋で粉引き作業を主にしていた。力は必要だけど泥や虫に
十八歳の女たちは、南はずれに近い稲田での雑草刈りをそぞろに始める。カツラはその監視……新しい顔がある……のに十一人しかいない。一人増えて一人減った。
「ジライヤ」
パセル群長が真剣な顔でやってきた。蓑を脱いでいる。お供は薄手の簑を着込んだ三名。田園監視でなく北地区そのものを巡察する、つまり手強い連中だ。
「銃か? 一発も撃ってないぜ、ははは」返さない訳にはいかないだろう。
「まだ持っていろ」
パセルが顔を寄せる。小声になる。「イラクサを連行した。将軍じきじきに尋問する」
「へえ、それはどういうことだ?」
俺は冷静だ。いかなる感情も現していない。
「あの娘が私の蓑を馬鹿にしたあとの言葉を忘れたか? 天気も悪いし今日の作業は打ち切りだ。ジライヤは最年長の娘どもを宿舎に連れていき閉じこめろ。オオネグサと一緒に見張れ。
いいか、抵抗されたら痛い目に遭わせろ。新参で優しいジライヤが、彼女たちの一番人気みたいだな。そいつに銃尻で殴られたら目が覚めるだろ」
「女を叩くのは苦手だが任務ならば仕方ないな。オオネグサ殿はどこだ?」
「作業中止を伝えて回っている。だが、事をしでかすとしたらツユミたちだ。おそらく将軍が宿舎に赴き彼女たちからも話を聞くだろう」
パセルは去ったが、三人の男が残っている。強そうな奴と賢そうな奴と不屈そうなオヤジ。いまここで逃げだしても誰一人助からない。彼女たちを恐慌に陥らすわけにもいかない。
「今日は中止だ…………農作業だけがな」
カツラは女たちの最後尾をいく。彼女たちは追いつめられた小動物のように怯えを垂れ流して歩く。セーナは露骨に青ざめている。ほかの女はいまにもへたり込みそうだ。
「心配するなと伝言しろ」
ただ一人背筋を伸ばして歩くツユミに小声で伝える。「すぐにおっぱじめるぞ」
戦いに女は計算に入れない。だが一対三では勝てない。一対一、もしくは二対二になった時点でおっぱじめる。
空にミカヅキはまだ見かけない。
***
一度のフライトで心身ともにへとへとになってしまう。キハルは村の夢を見ていた。広場も家も畑もランウェイもそのままで、人は誰もいなかった。キハルは泣かない。憎しみを燃やす。
風防を叩く音に彼女は目を覚ます。汗と雨でずぶ濡れのコウリンがのぞいていた。ロックをはずして持ちあげる。霧雨が飛びこむ。
「下からの伝言。みんなは砦に向かった。僕も向かうよお」
コウリンはそれだけ言って、どたどたと駆け下りていく。キハルは大きくあくびをする。
「トモごめん、いままでは茶番だった。助けてもらった恩返しを始めるよ。えーと、エネルギー残量は65パーセント。昨日曇っていたのが痛いけど充分充分……。タイヤ君も頑張ろうね」
キハルは風防をおろす。ベルトをして猫を膝に乗せれば、勝手にスーツの胸の隙間に飛び込んでくれる。今日は覆面は不要だ。サングラスを頭にかける。
激しい揺れ。三秒後に時速百四十キロメートルに達して空に浮かぶ。これぐらいでは嘔吐しない。黒雲が出迎える。キハルは突風に揺らされながらエブラハラを見おろす。まさに嵐が始まる。
「みんなは飛べないから何も知らない。低空を、しかもこんな中を飛ぶのがどれだけ危険か知るはずない」
キハルはつぶやく。「でもトモは心配しなくていいからね。私は二度と落ちない」
***
祭りが始まろうとしている。
瞬く間に土砂降りとなる。四人の男と十一人の女はびしょ濡れだ。
「俺たちは居残りがいないか歩いてくる。お前ならひとりだけでも、これくらいの女の相手をできそうだからな」
「昼だろうが夜だろうがな」
宿舎前で男たちがにやりと笑う。
「おっかないが頑張るさ」カツラも笑い返す。
ハシバミよお、確信した。デンキ様もアイオイ親方も俺たちの味方だ。
雨仕度のないカツラに任せて男たちが去っていく。とてつもない悪運だ。そして開いたままの玄関にはバクラバと護衛の二人。
カツラは空を見る。ミカヅキはいない。
カツラはツユミを見る。青ざめた顔。でも強い眼差しでうなずき返してくる。
カツラだけが宿舎へと歩きだす。女たちが散る。隠した荷物を取りにいく。
カツラが玄関に入り、後ろ手で引き戸を閉める。半裸のバクラバが顔を上げる。
両脇の護衛の一人の名前は知らない。でも好きになれるほどいい奴だ。パシャだって真面目でからかいたいほどかわいい奴だ。『上官殿、冗談はやめてください。任務に戻りましょう』そんな反応が想像できる。だとしても。
「何があったか聞いているか?」
カツラは平然と近づく。
「雨天中止か」
名前を知らない気の良い護衛がくすりと笑う。
「これくらいの降りでですか?」
そう言ってパシャが閉まった戸へ顔を向ける。
カツラはバクラバの両腕に巻きついた鎖を見る。手加減したのかな? 昨日までより
カツラは何気にパシャの背後へまわる。……パセルはこれで殴れと言ったよな。だから、パシャの後頭部に銃尻を思いきり振り下ろす。
「う……」パシャが崩れ落ちる。
「抵抗するな」
カツラがもう一人の男へと銃を向ける。
「な、なぜ?」
男が困惑の顔で手を上げる。誘われたかのように囚人へと後ずさる。
バクラバが背後から男の首へと鎖を巻く。
「ぬあ!」
パシャがカツラの足をつかんだ。強い心の野郎だ。カツラはパシャの背中へと体重を乗せた肘を落とす。
「うっ」
パシャが肺から音を漏らす。バクラバは必死に男の首を絞めている。男はあがいている。懐から銃をだしたけど、急に力をなくしてそれを落とす。それはうずくまるパシャの前に落ちる。
「バクラバ殺すな!」カツラが叫ぶ。
銃に手を伸ばすパシャの頭を蹴る。避けやがった。こいつら鍛えられて――。
パシャが銃をつかむなりカツラへと向ける。
カツラは躊躇なく頭を再度蹴る。同時に銃声。
左肩に痛みが走った。
パシャはもう動かない。もう一人も動かない。でも殺していない。
この身勝手な逃亡で誰も殺さない。殺したくない。
宿舎から誰も顔をださない。玄関から誰も入ってこない。
「行くぞ!」
バクラバの手首に巻かれた鎖を力任せに引きちぎる。撃たれた肩が
玄関を開けるとツユミがいた。
「準備完了です」
「分かっ――」
後から後から……。
いぶかしげな顔でオオネグサがやってきた。その背後には女性が十名。全員がずぶ濡れ。オオネグサは解放されたバクラバに気づく。片手を懐に入れながら呼子笛をくわえて、銃声とともに倒れる――
たった一日ちょっと。でもな。しょっちゅう並んで歩いた男の眉間に穴が開いたのが見えた。
「笛よりうるさかったですね。急ぎましょう」
銃をおろしたバクラバが言う。
「そうだな」
カツラは肩を押さえながら言う。手が血で濡れていこうが、もう引き返せない。ツユミに続いて、オオネグサの