108 密会
文字数 3,119文字
「火のもとよし! 火のもとよし! ……ランプを消すのを忘れないでください。それではおやすみなさい」
指さし確認を済ませた少女二名が立ち去る。
一人だけになったカツラは大根のしっぽをかじりながら待つ。勝手口が開いた。
「本来ならば現れません。そしたら呼びにきたあの子の責任になるかもしれない」
ツユミが厨房から声かけてくる。「それを考えてならば、あなたは卑怯者ですね。……あなたにとって残念なことに、私はまだ若年組ですのでクロジソ将軍の定めた 掟に守られています。あなたに従う必要はありません」
「君に手出しするはずない。だから怯えずにこっちへ来いよ」
「その必要はありません。あなたのランプはこちらに置いておきます。あの子は言いつけを守り、私をここに呼びました。では、ごきげんよう」
嫌味たらしい言葉を残して、提灯の灯りが立ち去ろうとする。
「まったくもう」
カツラが立ち上がる。ずんずんと厨房に向かう。床がきしむ。
背後から肩をつかまれ、ツユミがびくりと縮こまる。
「今から俺は大事な話をする。だから悲鳴をあげるな。……君は四人の男と会っている。将軍と同じ肌の若者、黒い肌の若者、それと黄色い肌の親父が二人」
カツラは彼女の耳もとでささやくように言う。「逃げるならば今しかないと、君が教えた。だから四人は脱出できた」
「……何故それを知っているの?」
勝手口に手を当てたままツユミも潜めた声で言う。
「彼らは俺と同じ村だ。四人とも無事に戻ってきた。そして教えてくれた。エブラハラにはきれいな女性がいっぱいいる。なのに彼女たちは絶望している」
灯ったままのランプへと羽虫が舞う。
ツユミが肩にあるカツラの手をはらう。振り返り、大男を見上げる。
「あなたの部屋は個室ですよね? だったら私を招いてください。密かに話しあうべきかも」
「何もないぜ。でもノミも南京虫もいなさそうだ」
カツラがランプを持ち自室へと向かう。
ツユミが食堂のランプと提灯を消す。火のもとよし、とつぶやいたあとにカツラを追う。
***
彼女は板張りの床に直接正座する。カツラはその向かいで胡坐をかく。ランプが二人の影を天井に映す。
「四人が逃げた件は、かん口令が敷かれています。それでも隠せるはずがない」
狭い部屋でツユミが言う。「逃亡を許したムシナシ群長は降格して北部に移動したみたい。砦の責任者であるイワチャ群長が追って返り討ちにあったようです。事実ですか?」
「戦ってはいない。そいつらはトンネルで埋もれた」
「トンネル?」
「俺もよく知らない」
そこまで話して、カツラはより小声になるためにツユミへと顔を寄せる。
「将軍みたいに白い肌で強そうで抜けていそうな奴がいただろ? シロガネという名だ。その善良な男は、またもエブラハラのすぐそばまで来ている。
そいつだけじゃない。俺たちの長もいる。俺以外で十人もだ。みんな賢くてタフで若い。俺がここから女の子をいっぱい連れてくるのを待っている」
「……危険すぎる」
ツユミの端正な顔が床に置いたランプに照らされる。「何のためですか?」
「これは危険じゃない。俺たちの仲間には予言者がいる。そいつのおかげで、俺たちは一人も抜けることなく新しい村を築けた。そいつが危険じゃないと言っているから危険じゃない」
そこでカツラがふっと笑みを漏らす。
「何のために来たかというとな、俺たちの長の言葉を借りると、女子たちにモテモテになるためだ」
ツユミの真顔はしばらくランプに照らされたままだったが、やはり息を漏らすように笑う。
「どうやればここから抜けられるの?」
「鳥に頼る」
それしか言えない。作戦の詳細はまだ教えない。露見しても俺以外に危害を向かわせない。
廊下を歩く音がして、二人はしばらく黙りこむ。
「あまり長く話せないな。――俺を信じてもらえるか?」
「もちろん信じます」
ツユミがあまりに即答するので、カツラは逆に戸惑ってしまった。
「俺はパセルのスパイかもしれないぜ」
「それは違うと分かります。なぜなら、あなたは未来を知る友だちの話をしたからです」
ツユミが強い目になる。
「幼い私もごくたまに起きることが分かりました。生まれ育った村が将軍に襲われるのを感じました。父親だけが信じてくれましたけど、あまりに非力でした。……いまの私はあなたから何も感じない。でも信じることはできます」
「ありがとよ」
カツラは深く考えない。ひとまず安堵だけする。「では俺を手伝ってくれ。まずは信じられる友だちを……班の者を説得してくれ」
「それは……」
ツユミが目を逸らす。
当然だ。悪事を善行と思い込むのと、善行かもしれない悪事に加担するのは訳が違う。
蚊がうっとうしい。ヤモリが壁に張りついている。雨はなぜ降らない……。カツラはじっと彼女の決断を待つ。
ふいにツユミがおのれの体を両手で抱く。震えだす。
「逃走は成功する。将軍の歯ぎしりが聞こえる……」
うつむいたままでつぶやきだす。
「靄で見えないのはその後。混乱と恐怖。人人人、外にも内にも人人人……。またも長はいなくなる。人がクルマに乗っている?
ああ私は愚かになってしまったかも。こんな話は夏の夕暮れに子どもたちに話すようなおとぎ話。そう、子どもたちに……。
もう昔のように見えなくなった。未来は夜霧に包まれた林の先にしか見えない」
「それじゃゴセントに会えよ。さっき言っていた見える 奴だ。まさに今みたいな喋り方をしていた。つまりだ、俺はツユミを信じられる。君を弟くんぐらいに信用できる。だから質問に答えてくれ。仲間を集えるか?」
それでもツユミは返答しない。カツラはさらに告げる。
「俺はツユミだけを逃がさない。若い子をできたら十人連れていきたい」
そうすればキハルとヨツバを足せば、若い男と同数の十二人だ。ヒイラギとヤイチゴの再婚相手は近くの村で健全に見つけてもらおう。
ツユミはまだ目を逸らしたままでつぶやく。
「あの家族の話を聞いていますか? その下を毎日歩かされた私は、勇気も希望も萎えています。力になれそうもありません。それにバクラバを見ましたよね?」
「もちろん。誰だって捕まった際の仕打ちが怖い。それを忘れさせないための見せしめだ。でもな、こんなところに――」
「それだけではありません。エブラハラはクロジソ将軍の完全なる独裁です。あの方はある意味偉大なのでしょう。力ある男たちは喜んで彼にひれ伏している。将軍の目となり耳となり、私たちを監視している。彼らは強いだけでなく抜け目ない」
「それだったら心配するな。俺の仲間のがずっとずっと抜け目ないし、アイオイ親方よりも度胸がある」
また沈黙が流れる。ヤモリが天井で揺れる影に近づいていく。こいつらは守り神だから食うなと言われている。でもエブラハラ の守り神――。
「分かりました。協力します」
ツユミが初めてまともにカツラに目を向ける。「ただし誘うのは若年組の最年長からだけです。残った若い子たちが咎められることはないし、拒んだ者が咎められても自身の選んだ道ですから。
でもイラクサも誘わないとならない。中央区から来た彼女は真面目で正義感もあるけど、鼻柱も自己主張も強く……男たちを舐めている。つまり媚びている。災いをもたらすかもしれないけど、同じ班なので誘わないわけにはいかない。さもないと彼女が責任を取らされる。バクラバ以上の仕打ちを受けるかも」
「人を選ぶのはツユミに任せる。でもやっぱり十人ぐらいまでだ。それ以上は置いていかないとならない。舟に乗りきれないからな」
「舟?」
「ああ。川を下る舟だ」
カツラは直前まで見ることないけど、仲間たちが築いている。将軍から逃げるための舟だ。
指さし確認を済ませた少女二名が立ち去る。
一人だけになったカツラは大根のしっぽをかじりながら待つ。勝手口が開いた。
「本来ならば現れません。そしたら呼びにきたあの子の責任になるかもしれない」
ツユミが厨房から声かけてくる。「それを考えてならば、あなたは卑怯者ですね。……あなたにとって残念なことに、私はまだ若年組ですので
「君に手出しするはずない。だから怯えずにこっちへ来いよ」
「その必要はありません。あなたのランプはこちらに置いておきます。あの子は言いつけを守り、私をここに呼びました。では、ごきげんよう」
嫌味たらしい言葉を残して、提灯の灯りが立ち去ろうとする。
「まったくもう」
カツラが立ち上がる。ずんずんと厨房に向かう。床がきしむ。
背後から肩をつかまれ、ツユミがびくりと縮こまる。
「今から俺は大事な話をする。だから悲鳴をあげるな。……君は四人の男と会っている。将軍と同じ肌の若者、黒い肌の若者、それと黄色い肌の親父が二人」
カツラは彼女の耳もとでささやくように言う。「逃げるならば今しかないと、君が教えた。だから四人は脱出できた」
「……何故それを知っているの?」
勝手口に手を当てたままツユミも潜めた声で言う。
「彼らは俺と同じ村だ。四人とも無事に戻ってきた。そして教えてくれた。エブラハラにはきれいな女性がいっぱいいる。なのに彼女たちは絶望している」
灯ったままのランプへと羽虫が舞う。
ツユミが肩にあるカツラの手をはらう。振り返り、大男を見上げる。
「あなたの部屋は個室ですよね? だったら私を招いてください。密かに話しあうべきかも」
「何もないぜ。でもノミも南京虫もいなさそうだ」
カツラがランプを持ち自室へと向かう。
ツユミが食堂のランプと提灯を消す。火のもとよし、とつぶやいたあとにカツラを追う。
***
彼女は板張りの床に直接正座する。カツラはその向かいで胡坐をかく。ランプが二人の影を天井に映す。
「四人が逃げた件は、かん口令が敷かれています。それでも隠せるはずがない」
狭い部屋でツユミが言う。「逃亡を許したムシナシ群長は降格して北部に移動したみたい。砦の責任者であるイワチャ群長が追って返り討ちにあったようです。事実ですか?」
「戦ってはいない。そいつらはトンネルで埋もれた」
「トンネル?」
「俺もよく知らない」
そこまで話して、カツラはより小声になるためにツユミへと顔を寄せる。
「将軍みたいに白い肌で強そうで抜けていそうな奴がいただろ? シロガネという名だ。その善良な男は、またもエブラハラのすぐそばまで来ている。
そいつだけじゃない。俺たちの長もいる。俺以外で十人もだ。みんな賢くてタフで若い。俺がここから女の子をいっぱい連れてくるのを待っている」
「……危険すぎる」
ツユミの端正な顔が床に置いたランプに照らされる。「何のためですか?」
「これは危険じゃない。俺たちの仲間には予言者がいる。そいつのおかげで、俺たちは一人も抜けることなく新しい村を築けた。そいつが危険じゃないと言っているから危険じゃない」
そこでカツラがふっと笑みを漏らす。
「何のために来たかというとな、俺たちの長の言葉を借りると、女子たちにモテモテになるためだ」
ツユミの真顔はしばらくランプに照らされたままだったが、やはり息を漏らすように笑う。
「どうやればここから抜けられるの?」
「鳥に頼る」
それしか言えない。作戦の詳細はまだ教えない。露見しても俺以外に危害を向かわせない。
廊下を歩く音がして、二人はしばらく黙りこむ。
「あまり長く話せないな。――俺を信じてもらえるか?」
「もちろん信じます」
ツユミがあまりに即答するので、カツラは逆に戸惑ってしまった。
「俺はパセルのスパイかもしれないぜ」
「それは違うと分かります。なぜなら、あなたは未来を知る友だちの話をしたからです」
ツユミが強い目になる。
「幼い私もごくたまに起きることが分かりました。生まれ育った村が将軍に襲われるのを感じました。父親だけが信じてくれましたけど、あまりに非力でした。……いまの私はあなたから何も感じない。でも信じることはできます」
「ありがとよ」
カツラは深く考えない。ひとまず安堵だけする。「では俺を手伝ってくれ。まずは信じられる友だちを……班の者を説得してくれ」
「それは……」
ツユミが目を逸らす。
当然だ。悪事を善行と思い込むのと、善行かもしれない悪事に加担するのは訳が違う。
蚊がうっとうしい。ヤモリが壁に張りついている。雨はなぜ降らない……。カツラはじっと彼女の決断を待つ。
ふいにツユミがおのれの体を両手で抱く。震えだす。
「逃走は成功する。将軍の歯ぎしりが聞こえる……」
うつむいたままでつぶやきだす。
「靄で見えないのはその後。混乱と恐怖。人人人、外にも内にも人人人……。またも長はいなくなる。人がクルマに乗っている?
ああ私は愚かになってしまったかも。こんな話は夏の夕暮れに子どもたちに話すようなおとぎ話。そう、子どもたちに……。
もう昔のように見えなくなった。未来は夜霧に包まれた林の先にしか見えない」
「それじゃゴセントに会えよ。さっき言っていた
それでもツユミは返答しない。カツラはさらに告げる。
「俺はツユミだけを逃がさない。若い子をできたら十人連れていきたい」
そうすればキハルとヨツバを足せば、若い男と同数の十二人だ。ヒイラギとヤイチゴの再婚相手は近くの村で健全に見つけてもらおう。
ツユミはまだ目を逸らしたままでつぶやく。
「あの家族の話を聞いていますか? その下を毎日歩かされた私は、勇気も希望も萎えています。力になれそうもありません。それにバクラバを見ましたよね?」
「もちろん。誰だって捕まった際の仕打ちが怖い。それを忘れさせないための見せしめだ。でもな、こんなところに――」
「それだけではありません。エブラハラはクロジソ将軍の完全なる独裁です。あの方はある意味偉大なのでしょう。力ある男たちは喜んで彼にひれ伏している。将軍の目となり耳となり、私たちを監視している。彼らは強いだけでなく抜け目ない」
「それだったら心配するな。俺の仲間のがずっとずっと抜け目ないし、アイオイ親方よりも度胸がある」
また沈黙が流れる。ヤモリが天井で揺れる影に近づいていく。こいつらは守り神だから食うなと言われている。でも
「分かりました。協力します」
ツユミが初めてまともにカツラに目を向ける。「ただし誘うのは若年組の最年長からだけです。残った若い子たちが咎められることはないし、拒んだ者が咎められても自身の選んだ道ですから。
でもイラクサも誘わないとならない。中央区から来た彼女は真面目で正義感もあるけど、鼻柱も自己主張も強く……男たちを舐めている。つまり媚びている。災いをもたらすかもしれないけど、同じ班なので誘わないわけにはいかない。さもないと彼女が責任を取らされる。バクラバ以上の仕打ちを受けるかも」
「人を選ぶのはツユミに任せる。でもやっぱり十人ぐらいまでだ。それ以上は置いていかないとならない。舟に乗りきれないからな」
「舟?」
「ああ。川を下る舟だ」
カツラは直前まで見ることないけど、仲間たちが築いている。将軍から逃げるための舟だ。