103 身中の牛

文字数 3,067文字

 カツラはパセル群長に連れられて田園に入る。……なるほどな。ヒイラギが腰を抜かすはずだ。ここは梅雨でも流されないのか。ここだと米が食えるのか。米の酒も飲めるのか。

「これを見ると、誰もが同じ顔をする」
 パセルが誇らしげに言う。「そしてジライヤ殿にはここの見張りを頼むことになる」

 デンキ様の思し召しかよ! 願ってもないじゃないか。

「俺は戦うためにエブラハラに来た。立ったまま昼寝するためじゃない」
 これくらいは言っておくべきだろう。

「夏に遠征するはずない。秋冬に探り春に出かける。遅くとも梅雨前には済ます」
 パセルが襲撃を他人事みたいに答える。

 おっしゃるとおり、裏山で十六歳の俺が六歳上のいわゆる未亡人さんとよろしくやったあの村は、梅雨の直前に襲われた。なんて言えるはずない。
 パセル群長は続ける。

「見張りとは警備。大事な仕事だ。それに、もっと過酷な警備だってある。鉱山、油や塩の精製工場、占領地域の警備。それらは北地区の荒くれ者どもが任務につく。
将軍はジライヤをまず試すだろうから、遠方に送らない。そして最近は、将軍はここ南地区に来られることが多い。ここで不穏なことが続いたからだ」

「見張りというからには、逃げようとする者が多いのか?」
 カツラは大事な大事な話題に戻す。

「少なくはない。でもじきに気づくだろうが、田園の働き手の多くは若い女性だ」
「奴隷か?」
「その言い方は好きではないし、彼女たちは違う。女の奴隷はエブラハラにほぼ存在しない」
「そうは言っても連れてこられた連中だろ?」
「だが、ここで産まれたものと均等に扱われる。南地区や中央区ではな。……彼女たちこそ一番に不平不満を抱えているが、それこそ若い女性だから仕方ないことだ。それでも彼女たちが逃げることはない。なんでか分かるか?」

「逃げても捕まるからだろ」カツラが素気なく答える。

「そりゃそうだ。でも一番の理由はエブラハラこそ安全だからだ。ここにいる限りは彼女たちは守られる。……逃げだすのは男だ。家族を連れて逃げる、女をたらしこんで逃げる、単独でも逃げる。そして捕らえられて見せしめとなる」

 それを聞いて、カツラは吊るされた家族の話を思いだす。ヒイラギたちが見てから半月以上は過ぎたから、さすがに会わずに済むだろう。

「しかし年ごろの女は若い男同様に野放図だ。男をたぶらかし逃げだす可能性はある。そのための監視でもある」
 パセルが、カツラに言い聞かせるかのように付け足す。

 働く女性たちはちらちらとカツラたちを見る。会釈する者もいる。やっぱり男と違うな。もんぺ服は赤色や黄色。太ももだした作業着も水色や桃色。しかも俺らが生まれた村より仕立てがいい。髪だって整えている。
 カツラはハシバミの『モテモテだ』を思いだす。でも、この子たちを誘えば手を取り逃げだしてくれるのだろうか。女子たちの顔つきは、ヒイラギやヤイチゴが言うほど、どんよりしていない。遠くで笑い声が聞こえたりもする。

「群長。巡回が完了しました。問題はございませんでした」

 反対側から男が三人やってきた。カツラを一瞥する。

「ご苦労。紹介しよう。この牛みたいな男はジライヤ。いきなり上士だ。―――こちらの色男はオオネグサ副長だ。オオネグサにもジライヤ殿の教育をお願いしよう」

 カツラはオオネグサ副群長を観察する。俺ぐらい若いけど抜け目なさそうだ。黄色い肌のツヅミグサだな。だがハシバミではない。

「分かりました。三十分の休憩の後に夕刻まで見張り。付き合ってもらうよ」

 オオネグサがカツラへ快活に笑う。

 ***

 二人からエブラハラの掟や仕来(しきた)りを教えてもらう。平時と遠征時では違うらしい。
 平時の掟は厳格だがありふれたものだった。窃盗や喧嘩や女性を襲うことは禁止。いずれも基本は死罪だそうだ。ライデンボクの村も同様だ、喧嘩両死罪以外は。

 水舟丘陵にもいずれ掟が必要になるのだろうか。俺は今のままでも……野郎だけでも楽しいけど、そうはいかなくなるよな。ハシバミの先見の明に従うだけだ。
 女の子たちを連れて帰れば、おそらく俺が一番モテモテだろう。……ここで女っこをたっぷり見て言えるのは、やっぱりキハルはかわいかったかも。でも長に譲ろう。強いもの同士でくっつけばいい。

 しかし田んぼでせっせと働くこの娘たちは、ほんとうに一緒に逃げだすのだろうか? ここから逃げきれるのだろうか?
 村人に対して見張り役は少ない。ここから抜けだすのは簡単だろう。俺だけならば。

「ジライヤは飲めるくちだよな?」
「もちろんだ」
「パセル殿に従い、俺もジライヤを呼び捨てさせてもらう。だから俺もオオネグサと呼んでくれ」

 パセルもオオネグサもいい奴だな。根が純粋なカツラはそう感じてしまう。彼らが有能な男であることは疑いようもなく、それでいてカツラを尊重してくれる。ただ一人で生き長らえた男(法螺だけど)として尊敬すら感じられた。

「十八歳までは若年会として集団生活している」
 オオネグサが教える。

「女もか?」
 カツラが尋ねる。ライデンボクの村では若衆は男だけだった。女は嫁ぐまで生家で過ごした。

「ああ。ただし地区単位だ。男は中央地区に集められる。……若年の娘に手をだすなよ。同意(・・)でなければ重罪だからな」
 オオネグサがくすくす笑う。やっぱりこいつはいい奴だ。
「南地区の若年会の宿舎のひとつはだな、俺たち未婚組の営舎と向かい合っている。監視のためだけど、交流のためでもある……。無理やりは駄目だからな」

「俺は盗賊ではなかった。念押しされなくても大丈夫。それより夕飯は?」
「若年会の食事当番が営舎に運んでくれるが、いまから俺たちは女子の園に用事がある。ジライヤも手伝ってくれ」

 ジライヤことカツラは、オオネグサ他三人の兵士とともに、夕暮れのあぜ道を山際の村落目ざして歩く。

「三人とも銃を持っているのか?」
「もちろんだ。ジライヤもすぐに持たされる。そしたら手入れを教えてやるよ」
「俺は不要だな。この刀だけあればいい」
「ははは、そういう奴も一定数いる。でも長生きできるはずない。――暴発は怖いけど、手入れを怠らないことだ。遠征の際も、大哨戒のときも」

 そうそう。それを聞いておかないといけなかった。

「大哨戒って何だ?」初耳のように尋ねる。

「平時の偵察活動だよ。つまり真夏だろうとするうえに、演習を兼ねることもある。ジライヤは将軍に同行することになるだろうな」
「それはどのくらいの範囲を――」
「到着した。ここが俺たちの営舎だ。部屋はたっぷりと空いている」

 オオネグサが指さした建物は木造二階建てだった。ライデンボクの村の若衆宿舎の三倍はある。……遺物ではないよな。これも文明か。
 道端には明るいうちからかがり火があった。オオネグサが立ちどまり、くわえた紙を炎に近づける。

「煙草だ。肺を鍛える。ジライヤも欲しいか?」
 口から煙をだしながら言う。

「いいのか?」

 カツラは渡された一本に見真似で火をつけて、口にくわえる。思いきりむせる。
 オオネグサたちが大笑いする。予測していたようだ

「慣れるとくせになる。……そして若年組の宿舎があれだ」

 オオネグサが、ここよりも低い場所にある巨大な建造物を煙草で指し示す。四階建てのそれは遺物を利用していた。流れのはやい整備された小川が横を流れている。

「あそこで共同生活する娘たちは百五十名。圧倒されるけど行こうか。俺たちを待っている奴がいるからね」

 オオネグサを先頭に四人は横並びでそこへと歩く。十代前半の女の子たちとすれ違い会釈される。
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