107 エブラハラの南端

文字数 2,454文字

「君はここでの暮らしに満足しているのか?」

 カツラは竹製の器に入った水を飲みながら、マヨラナへと尋ねる。

「どうだろうな。夏場は平和でつまらないし、なんにしろ人手不足だ。奴隷をもっとかき集めないと、俺たちの生活はよくならない」
「生活?」
「ああ。若い俺らに畑をさせないなら夏でも遠征すべきだと思う。秋ならばなおさらだ。その村の畑を俺らが収穫してやれる」

 にやりと笑いやがった。
 この盗賊野郎めと、カツラは心で罵り席を立つ。
 ここは理想郷への途上らしい。でもたどり着けるはずない。

 ***

 見張りは暇だが、カツラもほかの男から見張られている。娘たちの手伝いなどできないし、働きたければ奴隷になれと言われるかもしれない。冗談でなく、そんな空気が漂っている。
 黙々と働く女性たち。ちらちらと男を見る女たち。見張る兵士たち。屈んだ女たちの腰に卑猥な目を向ける男たち。
 エブラハラは歪んでいる。


「ここは隅っこだよな」
 カツラはパセル群長に尋ねる。

「うむ。エブラハラは四地区に分かれている。ここ南と、北と中央。それと沿岸だ。南地区は中央の次に発展している。中央寄りの高台には大規模な養豚所と養鶏所もある。開墾中の北地区はここと逆に男だらけだ。あっちは(使役用の)牛が多い」

「沿岸ってのは海につながっているのだろ?」

「港がある。魚と塩と交易の拠点だ。漕ぎ手と合わせて六十人乗れるでかい舟もあるが、それぐらいだと文明ではないらしい。裏切った島を滅ぼせるぐらいではな。
中央区こそがエブラハラのど真ん中だ。紙、縫製、鉄、煙草、銃弾……まさに文明の中心だ。そこは年配の女性が多く働く。俺の三人の妻もそこの工場で働いている。だが将軍が頻繁に来られるように、南地区こそ重要だ。この田園こそがユートピアの象徴だよ」

「いずれジライヤは北が任地になるだろうな。男(の奴隷)を抑えるには、強面(こわもて)の荒くれ者が必要だ」
 オオネグサに言われる。

「俺はここが気にいったのにな」

 カツラは田んぼの娘へとわざと下卑な目を向ける。そんなところに送られたら作戦は大失敗だ。

 ***

 夕方、セキチク群長が五名の男を連れて戻ってきた。カツラはパセル群長とともに出迎える。二人の会話を聞く限りは、ハシバミたちは見つかってないようだ。

「山の向こうには行かないのか? 俺はあっちを少しは知っている」
 カツラが何気に尋ねる。

「俺もちょっとは(・・・・・)知っている」
 セキチクが答える。「俺は不穏を感じている。暑いうちに峠の向こうへ大哨戒をすべきだと進言する。文明に不要な地であろうとだ」

「不穏どころかあっちには何もないぜ」
 カツラが話ついでみたいに言う。

「だが黒い飛行機は山の向こうから飛んでくる」
 パセルが答える。

「あの島の生き残りが、村を滅ぼされた復讐を狙っているのかもしれない。……あれは文明じゃない。呪われた遺物だ」
 セキチクも言う。

「島?」
「すまない。機密だった」

 セキチクが言う。その件は打ち切りみたいだ。

「おっかないのが飛んでたなんて知らなかった」
 カツラがわざとらしく空を見まわす。「夕方近いが、まだ見張りを続けるのか?」

「警備をだろ。もちろん厳重にな」
 セキチクが笑う。「そうは言っても俺たちの人数だって限られている。逃げられても夜のあいだは追えない。なので連座制にしている。脱走者がでた班は他の者にも重い罰を与える。お互いを見張らせる」

「なるほどね」

 班という奴をまとめて連れだせばいいってわけだな。

 ***

「腕が熱を持っているから早めに休みたい」
「そりゃそうだ。寝こむ奴もいる」

 カツラは刺青を理由に自室へ戻る。夕飯を我慢して、考えを整理する。

 俺の役割は女の子たち(の志願者)をみんなのもとに連れていくこと。決行の時間と場所はキハルと連絡をとりあうことになっている。そこから先はハシバミや秀才君に任せる。それでも問題が山積みだ。

 難敵はパセルとオオネグサ。でもこの二人と離れる時間は多い。その瞬間をつけば、さらに空からミカヅキが脅してくれたら、田園から逃げるのは難しくなさそうだ。飛行機に女子たちも腰を抜かしそうだが、そしたら尻を蹴とばすしかないな。
 ほんとうの難題は追跡されること。セキチク群長をはじめとした屈強な男たちから、どれだけ距離を開けられるかだ。どっちにしろミカヅキが空から脅せば、将軍でさえお漏らししながら逃げ帰るだろうけど。
 つまりだ、この作戦は俺より誰よりキハルにかかっているってわけだ。

 そのキハルとの連絡こそが問題だ。お姫様は何とかなると言っていたけど、あの子の言葉を鵜呑みにしたのは間違いだったかも。この点をクロイミも危惧していたが、今さらどうにもならない。ハシバミの言うとおり、やっぱり図太い俺にしかできない仕事だ。
 連絡が取れぬうちに北への異動が決まったら、俺一人で逃げだすだけだ。これは決定。誰にも文句を言わせない。俺が奴隷の男たちを鞭で打てるはずない……。

 鞭打たれている男がいた。サジーと同じ肌の年老いた男――バクラバだ。
 彼も水舟丘陵へ連れていく。これも決定だけど……若年組宿舎に見張り付きで縛られている男を逃がす。至難過ぎるな。クロイミがいたら十通りの理屈を並べて却下されただろう。でもここには俺しかいない。だからあの男も連れ帰る。
 どうやるかは、今夜じっくり考えよう。

 ***

 考えがまとまる前にカツラは寝てしまい、空腹で目が覚めた。まだ宵の口だ。ランプを取りに一階へ向かうと、食堂に女性たちだけがいた。……配膳係は若年組でも小さい娘たちがやるようだな。

「残り物はあるか?」
「い、いいえ、申し訳ございません。でも、ご用意しましょうか?」

「いいのか? それじゃあ二人前ぐらい――」
 カツラは嬉しそうに言いかけるけど「やっぱりいいや。代わりにツユミを呼んできてくれ。今朝水車小屋で会った男が待っているとな。一人だけで来させるんだぞ」

 十二三歳の女の子が一人、「は、はい」とうなずく。カツラはランプを渡して食堂の椅子に座って待つ。
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