127 ふたつの沢、閉ざす川

文字数 3,025文字

 サジーは宵のうちにハシバミへと報告する。長の家に二人きりだ。

「双子など産むものではないね。親はどちらも守れなかった」
 ハシバミがランプを灯しながら言う。

「見捨てられなかったのだろ。だからハンターに付け込まれた。……とにかくユドノは賢い。人が教わることがあるかもしれないってことだ。それとブナの林で猪の匂いがした。女性だけで行かないほうがいいかもな。……秋になるとみんなあそこに集まってくる。獣も人も」

 サジーとツユクサは女子の話題に積極的に加わらない。サジーの場合は自分の肌の色を気にしているのかと勘ぐったこともあるが、『村にいる女が年上ばかりだからだ。俺はおばさんを好みじゃない』と回答された。一歳ちがうだけなのに。
 ちなみに幼くも大人にも見えるキハルは自分の年を言おうとしなかった。ゴセントは『僕より若いかも』と推測した。サジーは『姫はカツラぐらい』と言い張った。おそらく十六歳と洞察力あるハシバミは読んでいる。知恵あるクロイミは何歳でもいいそうだ。
 ヨツバは自分の年齢を知らないが僕たちの前後だろう。
 そんなことよりもだ。

「ブナ林の件は周知しておこう。……夕方の狩りで親鹿は仕留められなかったの?」

「親が死ねば子どもも死ぬ。子どもが死んでも親は悲しむだけだ」
 サジーが答える。「ユドノが狩りに気がそぞろだった。大物が隠れていると思ったが、ユドノは案内しようとしなかった。それどころか、吠えたハグロを叱った」

 サジーが言うと、犬たちがほんとうに考えを持って行動しているように感じる。
 でもハシバミは現実主義だ。

「あの犬は熊に歯向かって川に落とされた。どんな化け物のもとへも、サジーを連れていくはずだよ」
 言いながら鼻を鳴らす。猪肉を焼く匂いがかすかに漂う。「でも僕だって気になる。明日は二チームで哨戒しよう。ヒイラギとバクラバ。僕とサジーとユドノ……とツヅミグサだ」

「つまりガッサンとハグロは、シロガネとともに母鹿狩りだな」
 サジーがにやりと笑い立ちあがる。「肉を薄く分けるのに苦労しているみたいだが、そろそろハチの巣に向かおうぜ」

 ***

 翌朝は四時に村をでる。カツラが来たがったが、彼には小屋の建築をお願いする。冬までに浴場を作らないとならない。氷を割って体を洗えないと、女子たちから強い要望が来ている。エブラハラの人たちはやけにきれい好きだけど、その方がいいに決まっている。

 まずハシバミたちは対岸にブナ林がある沢にでる。ここの源頭近くから村へと水路をつながらせる。一番の難所である尾根の迂回はヤイチゴが中心に終わらせている。それが開通したら憩いの場である沢がどれくらい涸れるかは、その時まで分からない。
 沢を下流へ進み、ナトハン家につながる川に合流する。対岸とつないだ縄はエブラハラから戻ってくるなりはずした。

 ***

「同じ場所だと意味ない」とヒイラギとバクラバは、裏側の沢を目指していた。みんなを水舟丘陵へと導いてくれた渓流だ。

「若い長は交易に消極的だ」
 ヒイラギが前を行く老いた黒人に言う。「男も女も衣服がぼろ布だ。いまに誰もが毛皮をまとうぞ」

「そのいでたちこそ水舟丘陵の民に似合うかもな」
 バクラバが笑う。歩みはとめない。「しかし理由は分かる。この村をひっそり隠しておきたい」

「……見つかると思うか?」
 ヒイラギはエブラハラの戦士であった男に尋ねる。

 バクラバは立ちどまる。振り返る。

「私は毎朝怯えて目を覚ます。今日こそはクロジソ将軍が現れるのではないか。いまも林の陰からセキチクが村を観察しているのではないか。すでに飛行機がないことに気づているのではないかと」

 ヒイラギも立ちどまる。
「もし攻めてこられたら、どうする?」

「長に聞いたことはある。ハチの巣に籠城して交渉で解決したいそうだ」
 バクラバはかすかに笑ってしまう。経験少ない若者の理想論。「ヒイラギは爆弾の存在を知っているよな」

「ああ。賑やかだったが、あれで死んだ人は少ないと思う。混乱したところを槍で刺された」
「導火線が燃え尽きるまでに投擲しないとならないから、正確に当てられないだけだ。直撃すれば体は二つに別れる。……あれの怖さは建物だけでなく心も削ることだ。おそらくひと晩も閉じこもっていられない」

 それから二人はやけに警戒しながら沢を詰めていく。その日が近づいているのではと疑心になりながら。

「人が通った痕跡はあるが誰のものか分かるはずない」
 ヒイラギが言う。

「セキチクが跡を残すはずない。彼らの痕跡が見つけられたならば、それは想像以上に最悪だ」

 バクラバはそれ以上言うのをためらう。それはすでに偵察を重ねた証拠だから、じきに何十人も押し寄せてくる。村が滅びる直前なんて言えるはずない。

 ***

「ようやくガッサンも川を渡るようになった」

 サジーが服を絞りながら言う。

「そうらしいね。でもサジー、君は一人で川を渡ったんだね。ナトハン家と出くわす可能性があるから禁止したはずだ」

「狩りは臨機応変にやらせてもらう。俺はここを危険だと思わないし、こっち側を知っておくべきだと思う」
 サジーはハシバミへと言い返す。

「ていうかユドノは平気な面だぜ。長がいるからかな」
 ツヅミグサも半裸になり服を絞る。

「昨日は道を下るのを嫌がっていた。俺に下る気がないのにだ。つまり訴えていた」
「だったら少しだけ行ってみよう」
「あいよ」

 ツヅミグサがビニール袋から銃をだす。ゴセントには隠したままの大昔の忌むべき武器。弾はバオチュンファの村で奪ったものがたっぷりある。そうは言ってもライフルと撃ちあう気はない。そもそも試射も手入れもしていない。でも捨てるつもりはない。
 三人は歩きだす。一匹だけ連れてこられたユドノは人間と離れず歩く。道端の匂いをところどころ嗅ぎ、片足を上げずに小便をする。

「相棒。連れだってしようぜ」
 サジーも負けじと用を足す。草むらへと村の男で一番立派なものを向ける。

「ナトハン家と和解できるかな」
 待ちながら、ツヅミグサが言う。

「僕を撃ったからお互いさまと言ってみる?」
 ハシバミが言う。「難しいだろうな」

「こりゃなんだ?」
 サジーがしゃがむ。自然ではないなにかをつまむ。「……親方」

 踏みしだかれて風化し始めていても、ハシバミもそれを知っていた。

「サジー……よく見つけてくれた。ユドノ、連れてきてくれてありがとう」

 煙草の吸殻。
 つまり最悪だ。

 ***

「どこまで進むべきかな」
 ヒイラギが言う。やはりバクラバを頼ってしまう。

「麓まで下る必要はない。代わりに尾根を突きあげてみよう。斥候が拠点にしているかもな、ははは」

 二人は疎林を選び急こう配を登る。沢の音から離れて、小鳥のさえずりだけの世界になる。

「うわ!」

 稜線に若者が一人いた。ヒイラギたちに背を向けて逃げだす。

「待て」とヒイラギが追いかける。
「撃つぞ」とバクラバが言う。銃はない。

 若者は立ちどまる。銃をだすなり振り返る。同時に彼の右腕と左頬を矢が貫く。人の武器の気配に、樹上の鳥が空高く飛び去る。ヒイラギとバクラバは二の矢を放つ。どちらも強い矢で、ひとつは胸当てのつなぎ目に深々と刺さる。もうひとつは頭蓋に浅く突き刺さる。
 抵抗できなくなった若者を、ヒイラギが小刀で楽にする。

 死骸へとバクラバがしゃがむ。何より銃を手にする。それから垂れた腕を持ちあげる。

「エブラハラだ。しかも北地区からだ」

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