039 附子
文字数 2,096文字
音に続いて、温泉に似た腐った匂いが漂う。
男が藪から立ちあがる。横たわるカツラへ手にするものを向ける。
また轟音と煙。カツラがぴくりとする。そして刺激する腐臭。
銃? 銃だ!
失われたはずの、昔話にでてくる武具。ハシバミの脳は音におののきながらも判断する。ゴセントならしっかりと状況判断できるかもしれない。でも弟はへたりこんでいた。カツラは倒れたままだ。背中から血がにじみだしている。男が鼻血を腕でぬぐう――。
戦わないと殺される。殺さないと殺される。
確実に殺さないと。
ハシバミは肩にかけた弓を下ろす。矢筒から一本を抜く。後ほど判別できるように赤く染められた羽根。矢尻には溝がある。矢筒にぶら下げられたプラスチック容器を回して開ける。ハシバミだけがもつトリカブトの毒。そこに矢尻を差しこむ。
父と過ごした最後の正月休みに、リュックサックとともに密やかに渡された残酷な武器。口外禁止の作り方も聞いた。これは腹におさめるべき獲物には用いない。敵にだけ使う。ゆえに上士だろうとなかろうと、分別ある弓の名手しか所有を許されない。ゆえに、若すぎるハシバミが持っているのを知らない者のが多かった。
先端に黒ずむ粘液をつけた矢を咥えながら容器を閉める。一連の動作に八秒を要しただけだった。
その時間は致命的で、男は弓矢に気づく。すかさず小さいのに恐るべきものを向ける。カチャと音だけがした。カチャ、カチャ。
「……やめておけ。これは鉄砲だ。お前がかまえた瞬間に、鉛の玉を撃つ。お前の心臓にな」
男は金属でできた小物をハシバミに向けたままだ。小さい筒の黒い穴。
「ゴセント逃げろ」ハシバミは言う。「カツラを連れて逃げろ」
村は騒ぎだしただろうか。
ハシバミは弓を下ろす。
男は笑う。
「ハシバ……撃てよ」カツラが地面でうめくように言う。「こいつは……撃てるならとっくにお前も……」
それを聞き、男が手にした銃をおろす。
「おーい、みんな来い! いいか、仲間も銃を持っている。本当はだな、銃は連続で永久に 弾を撃てる。降参しないと皆殺しだ」
この声が村まで聞こえるはずがない。でも雷のごとき銃声は届いている。
降伏しても殺される。
利己的な生存本能がささやいた。
ハシバミは再度弓をあげる。大きすぎる獲物。集中する時間などいらない。構えると同時に矢を放つ。毒に冒された傷口を作るだけでいいのに、それは男の喉に突き刺さる。
「ゴセント村に戻れ!」ハシバミはまた矢をつがえる。「みんなを集めろ!」
無毒である二本目は男の心臓にあたり、地面に落ちる。なにかを着こんでいる。
「ひー、ひゅー」
だけど男にとって一本目がすでに致命傷だ。口から血の泡を垂らしながら気道に刺さった矢を抜こうとする。動けなくなるのに十分、死ぬには三十分以上かかる。とどめを刺してくれるものがいなければ。
「ゴセント立て!」
ハシバミは槍を両手で持つ。男へと走る。
男が涙目でハシバミを見る。地面に落とした銃を拾おうとする。その脇腹に深々と突き刺す。男は仰向けに倒れる。
ハシバミは男の肩を踏み、首から矢を乱暴に抜く。茂みへと投げる。男が横になり嘔吐する。
ハシバミはむき出しの首へとどめを刺す。
ゴセントがようやく立ちあがる。瞳孔がひろがっている。村へと走っていく。
ハシバミはカツラのもとに行く。上士の服へと血がどんどん滲む。
「カツラ」と声をかける。気を失っている。
ハシバミは傷口を探る。脇腹を貫通していた。血があふれている。長刀を包むための布を押し当てる。
「カツラ」また声をかける。返事はない。
「なにが起きた?」
クロイミが来てくれた。すぐに状況を察する。「ツヅミグサ、薬と水だよ。きれいな布も。ツユクサのがまだ残っているはず」
駆け下りてきたツヅミグサが返事もせずに村へと戻る。槍を持つサジーとすれ違う。
「歓迎の宴、解散したか?」
「とっくにな。半鐘が聞こえて、誰もが青い顔で逃げだした。子どもは泣きだした」
ハシバミの問いにサジーが答える。横たわるカツラを見下ろす。
「君たちにカツラを任せていいかい?」
ハシバミは立ち上がる。「こいつの仲間が二人いる。村人はたっぷりいる。戦いが始まる」
「そうすべきだね」クロイミは青ざめている。「あの二人は温泉に行った。あの雷みたいな音は、沢にかき消されたと思う」
裸になっているならばこのうえない僥倖だ。
「この野郎」
サジーが骸の尻を蹴る。「ゴセントから聞いたが、これが銃か?」
「ひ、拾うなよ。仕組みが分かるまで触っちゃ駄目だよ」
クロイミが怯えたように言う。「カツラの傷口を洗おう。サジー、水はたっぷり必要だ」
サジーはハシバミを見る。
「クロイミが水を手配しろ。サジーはカツラを守れ」
ハシバミは指示して、自分は村へと向かう。丘を駆け上がる。
あの二人も銃を持っていると言った。連続で撃てるとも言っていた。永久というのははったりだとしても、ハシバミにも銃口を向けたのだから、嘘ではないはずだ。そんなのと戦えば雷鳴のたびに仲間が倒れる。
村は身をひそめているように静かだ。何もなかったかのように静かなままだ。
男が藪から立ちあがる。横たわるカツラへ手にするものを向ける。
また轟音と煙。カツラがぴくりとする。そして刺激する腐臭。
銃? 銃だ!
失われたはずの、昔話にでてくる武具。ハシバミの脳は音におののきながらも判断する。ゴセントならしっかりと状況判断できるかもしれない。でも弟はへたりこんでいた。カツラは倒れたままだ。背中から血がにじみだしている。男が鼻血を腕でぬぐう――。
戦わないと殺される。殺さないと殺される。
確実に殺さないと。
ハシバミは肩にかけた弓を下ろす。矢筒から一本を抜く。後ほど判別できるように赤く染められた羽根。矢尻には溝がある。矢筒にぶら下げられたプラスチック容器を回して開ける。ハシバミだけがもつトリカブトの毒。そこに矢尻を差しこむ。
父と過ごした最後の正月休みに、リュックサックとともに密やかに渡された残酷な武器。口外禁止の作り方も聞いた。これは腹におさめるべき獲物には用いない。敵にだけ使う。ゆえに上士だろうとなかろうと、分別ある弓の名手しか所有を許されない。ゆえに、若すぎるハシバミが持っているのを知らない者のが多かった。
先端に黒ずむ粘液をつけた矢を咥えながら容器を閉める。一連の動作に八秒を要しただけだった。
その時間は致命的で、男は弓矢に気づく。すかさず小さいのに恐るべきものを向ける。カチャと音だけがした。カチャ、カチャ。
「……やめておけ。これは鉄砲だ。お前がかまえた瞬間に、鉛の玉を撃つ。お前の心臓にな」
男は金属でできた小物をハシバミに向けたままだ。小さい筒の黒い穴。
「ゴセント逃げろ」ハシバミは言う。「カツラを連れて逃げろ」
村は騒ぎだしただろうか。
ハシバミは弓を下ろす。
男は笑う。
「ハシバ……撃てよ」カツラが地面でうめくように言う。「こいつは……撃てるならとっくにお前も……」
それを聞き、男が手にした銃をおろす。
「おーい、みんな来い! いいか、仲間も銃を持っている。本当はだな、銃は連続で
この声が村まで聞こえるはずがない。でも雷のごとき銃声は届いている。
降伏しても殺される。
利己的な生存本能がささやいた。
ハシバミは再度弓をあげる。大きすぎる獲物。集中する時間などいらない。構えると同時に矢を放つ。毒に冒された傷口を作るだけでいいのに、それは男の喉に突き刺さる。
「ゴセント村に戻れ!」ハシバミはまた矢をつがえる。「みんなを集めろ!」
無毒である二本目は男の心臓にあたり、地面に落ちる。なにかを着こんでいる。
「ひー、ひゅー」
だけど男にとって一本目がすでに致命傷だ。口から血の泡を垂らしながら気道に刺さった矢を抜こうとする。動けなくなるのに十分、死ぬには三十分以上かかる。とどめを刺してくれるものがいなければ。
「ゴセント立て!」
ハシバミは槍を両手で持つ。男へと走る。
男が涙目でハシバミを見る。地面に落とした銃を拾おうとする。その脇腹に深々と突き刺す。男は仰向けに倒れる。
ハシバミは男の肩を踏み、首から矢を乱暴に抜く。茂みへと投げる。男が横になり嘔吐する。
ハシバミはむき出しの首へとどめを刺す。
ゴセントがようやく立ちあがる。瞳孔がひろがっている。村へと走っていく。
ハシバミはカツラのもとに行く。上士の服へと血がどんどん滲む。
「カツラ」と声をかける。気を失っている。
ハシバミは傷口を探る。脇腹を貫通していた。血があふれている。長刀を包むための布を押し当てる。
「カツラ」また声をかける。返事はない。
「なにが起きた?」
クロイミが来てくれた。すぐに状況を察する。「ツヅミグサ、薬と水だよ。きれいな布も。ツユクサのがまだ残っているはず」
駆け下りてきたツヅミグサが返事もせずに村へと戻る。槍を持つサジーとすれ違う。
「歓迎の宴、解散したか?」
「とっくにな。半鐘が聞こえて、誰もが青い顔で逃げだした。子どもは泣きだした」
ハシバミの問いにサジーが答える。横たわるカツラを見下ろす。
「君たちにカツラを任せていいかい?」
ハシバミは立ち上がる。「こいつの仲間が二人いる。村人はたっぷりいる。戦いが始まる」
「そうすべきだね」クロイミは青ざめている。「あの二人は温泉に行った。あの雷みたいな音は、沢にかき消されたと思う」
裸になっているならばこのうえない僥倖だ。
「この野郎」
サジーが骸の尻を蹴る。「ゴセントから聞いたが、これが銃か?」
「ひ、拾うなよ。仕組みが分かるまで触っちゃ駄目だよ」
クロイミが怯えたように言う。「カツラの傷口を洗おう。サジー、水はたっぷり必要だ」
サジーはハシバミを見る。
「クロイミが水を手配しろ。サジーはカツラを守れ」
ハシバミは指示して、自分は村へと向かう。丘を駆け上がる。
あの二人も銃を持っていると言った。連続で撃てるとも言っていた。永久というのははったりだとしても、ハシバミにも銃口を向けたのだから、嘘ではないはずだ。そんなのと戦えば雷鳴のたびに仲間が倒れる。
村は身をひそめているように静かだ。何もなかったかのように静かなままだ。