133 アイオイ親方の言付け

文字数 2,672文字

 クマツヅラが提言した火攻めは却下した。理由は外から燃やすのが困難だから。火矢だけでは無理だ。松明を持って近づけば、敵は屋上から矢と銃弾を降らすだろう。

「夜になったら銃を撃て。爆弾も破裂させろ」
 クロジソ将軍が指図を始める。「当てる必要はない。何度か集中して響かせろ。奴らを一睡もさせるな。怯えさせろ。そして静かな夜明けを迎えさせる。緊張が途切れるのは六時ぐらいだろう。……奴らは裏口へと誘っている。あえてそちらをノボロ群長(昇格した)に攻めてもらう。囮になってくれ。私は正門を突き破る」

 ***

 夜が来た。男女各六人が四方の見張りに立つ。物見やぐらには二人。セーナも志願したから食堂にいない。
 銃声がこたえる。牛が怯える。犬が怯える。人も怯える。
 爆音。漂う硫黄の匂い。牛がパニックを起こす。コウリンが懸命になだめる。女たちがすすり泣く。

「奴らは手こずっている。弾はハチの巣の中まで届かない」

 暗闇のなか、ハシバミがみんなに聞こえる声で言う。

「いや。これはまずいよ。心を削る作戦だよ」
 クロイミはハシバミにだけ聞かせる。「おそらく朝まで続く。そして夜明けとともに襲うつもりだ」

「だったら明け方神経を集中すればいい。俺は寝るぜ」
 カツラが聞き耳を立てていやがった。でかい影が寝ころぶ。

 静寂が続く。と見せかけて爆音。銃声。

「私たちは殺されにきた。それか、生きたままで村に連れ返されて――」
 ヒスイという名の子が誰にともなく訴える。

「黙るべき」
 ツユミが大声をだす。「男たちが守ってくれる。安心しなさい」

「任せろよ」寝転ぶカツラが答える。

 カツラは朝を待っている。戦いを待ち望んでいる。
 そして、多くの冒険を先頭で切り抜けた彼こそを、誰もが信頼している。銃声をかき消すほどに安心をもたらせてくれる。ハシバミは妬みにも似た感情を持つ。

「君にすべてを任せるよ」

 それでも長であるハシバミはそう告げる。座り込む人々のあいだを縫って、物見やぐらへと昇る。

 *

 天の川だ。水舟丘陵を空へと運んでくれればいいのに。
 
「長か?」バリケードからサジーの声がした。「いまのところ灯りは近づかない(火攻めのこと)。ここには銃が届かない。ゆっくり見張りができる」

「届くよ。だから気をつけな」

 そう言って、ハシバミは年下である黒い肌の大男の隣に座る。……明るくておだやかで率直で実直なサジー。利口ぶった僕は、彼をどこに連れてきたのだろう。
 仲間を殺された。女を連れ去られた。そりゃエブラハラの連中が怒るのは無理ない。でも僕らだって生まれ故郷を滅ぼされた。お互い様じゃないか。そして村をでた十一人こそが必死だったから、いつしか仲間は倍以上になった。僕たちにお似合いの、真面目でかわいくて強い女の子がたっぷりいる。
 将軍の爪にかかって、こんなで終わるわけにはいかない。

「ゴセントも見張りだよね」ハシバミがサジーに尋ねる。

「そうだったのか? 俺一人だと思っていたぜ」
 サジーがおどける。「小さくて見失ったかな? 冗談だ、疲れて寝ているのだろ」

「探してくるよ」

 ハシバミは腰を落としたまま反対側へと歩む。
 か細い月が浮かんでいる。あの月の舟は川を渡ったあとなのか、いまからなのか、どっちだろう。
 弟の影もうずくまって空を見上げていた。

「こっちに敵が現れなくてよかったよ。君は見張りが大事じゃないと思うんだ」
 ハシバミは無頓着な振りをして隣に座る。

「うん。音を聞いている」
「銃声? いまは聞こえない」
「うん。でももっと大事な音を聞こうとしている。僕だけが聞こえる音。なのに聞こえない」

 その声が眠たげになる。弟はハシバミに寄りかかる。

「ようやくだ。僕が授かる言霊より強い……。みんなを助ける音。忌むすべき音。頼ってはいけない音……頼るのは人。誰よりも強い心よ気づけ。
寒い……寒い暗い、誰もいない…………痛い、歩けない、でも歩かないと、追ってくる。……みんなが待っている」

「ゴセント大丈夫か。僕なら横にいる」
 ハシバミは弟の肩をつかむ。

「うわおおおおおお!」

 いきなりゴセントが絶叫した。それは人の声ではなかった。

「ご主人はさすがだ。俺が捕らえてやる。俺はモガミと呼ばれる。この群れの四番目に強い雄だ。ルミを守る役目だ。さあ俺を放て。逃げた奴らも捕まえてやる。あの雌犬とチビ犬を喰いちぎってやる。はやく俺を離せよ、うおおおおおお!!!!!」

「ゴセント静かにしてくれ、みんなが怯える、静かにしろ」
 ハシバミが肩を揺する。

「この声はなんだ? 獣か? なんなんだ?」
 カツラが長刀をむき出しにして登ってきた。

「ゴセントが……いつもの奴だ」

 ハシバミは弟を抱える。そうだよ、これは、ゴセントの神託だ。

「見つけたぞ…………一人仕留めたぞ。長兄はそいつを捕らえろ。私も向か……」

 ゴセントの意識がなくなる。でも弟の小柄で骨ばった体を抱くと……汗と垢の匂いを嗅ぐと――



 離れなきゃ。ここから離れないといけない。捕まってもすぐには殺されない。みんなの村へと案内させられる。途中で力尽きて捨てられる。
 侮った。銃弾はあの距離にも届いたんだ。父の弓でも無理だ……



 弟の心は僕だ。僕が僕へと伝えたがっている。忌むべき武器。恥ずべき手段……。

「カツラ、弟を下に運んでくれないか」
 ハシバミは言う。「そしてツヅミグサとクロイミを呼んでくれ。……いや、一緒に行こう」

 ***

「作戦を立てた」
 ハシバミが牛舎である浴場の入り口で二人に伝える。
「成功すれば奴らは混乱に陥る。エブラハラに逃げ帰る。でも説明している時間はない。
僕たち三人は、すぐに裏口から脱出する。川を渡りキハルがいた村跡を過ぎる。敵と遭遇しても戦わない。ひたすら先を目指す」

「でもハシバミ――」と言いかけたクロイミを無視して、

「僕らが戻るまで耐えてくれ」
 ハシバミは弟を抱えたままのカツラへと命ずる。「僕がいないあいだは、君が水舟丘陵だ。僕が戻るまで屈服するな。仲間を誰一人傷つけさせるな。これはアイオイ親方の悪だくみだ。僕へと言付けしてくれた」

「しかし、君はどこへ行くのだ?」カツラの問いに、

「ナトハン家。もう一度奪いにいく。さあ、飛びだすぞ。あとは脇目も振らずに駆けるんだ」



 裏口が開く。堀へと丸太の橋を架ける。灯すことなく、ハシバミが足を引きずり必死に走る。クロイミとツヅミグサが追いかける。橋は即座に戻される。戸が閉ざされる。
 犬が吠える。三人は坂を下る。追手は現れない。ようやく笛が聞こえた。ハシバミたちは沢をまたぎブナ林へと転がりこむ。
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