120 川下り

文字数 3,545文字

 シロガネは砦の五人とセキチクから銃を押収してコウリンに預ける。束縛する縄はないけど殺しなどしない。砦を燃やしたいけどそれも叶わない。

「私たちを追ってきたら、跡形もなく消し去られる」

 シロガネは天を指さす。砦を守る男たちがうなずく。セキチクも形だけうなずく。

 ずぶ濡れの男たちはびしょ濡れの女たちから塩と油が入ったペットボトルを受け取る。二十二人が峠を越える。九十九折れを下りだす。長が待つ舟を目指す。
 豪雨のさなか、またミカヅキは見えなくなる。

「クロイミ、ブルーミー、ゴセントを先行させた」
 殿のシロガネが大声で伝える。「血が雨で流されているが、カツラの怪我はひどくないか?」

「平気じゃないが、みんな傷だらけだ」

 泥の道を駆け下りるので、誰もが転びまくる。

「クロイミまで急げ、クロイミまで急げ」

 シロガネがみんなを叱咤して振り返る。追手は現れない。

 *

「ここで山道を離れて。すぐ下にアスファルトの道がある」
 クロイミが女たちを誘導していた。「カツラ、よくやったけど怪我している?」

「会う奴会う奴同じことばかり聞くな。俺とシロガネが最後尾だ……ん?」

 ミカヅキが現れた。カツラたちの後方を威嚇するように飛ぶ。すぐに高い空へ戻る。

「……将軍たちは追ってきているみたいだな。たいした連中だ」

 雨の低空を飛ぶことを知らないカツラは、敵の男たちの勇気だけを称える。

「ミカヅキが人を攻撃しないのにも勘付くだろうね。押収した銃は?」
 クロイミが歩きながら聞く。

「ゴセントが受け取った。川に捨てると言っていたよお」

 コウリンの言葉にクロイミが愕然とする。

「ブルーミーまで急げ、ブルーミーまで急げ」
 シロガネがまた叫ぶ。

 *

 崩落したトンネルの入り口が見えた。再び山道に合流する地点でブルーミーがいた。彼は白目に見えるほどに怯えていた。

「林からでてきた斥候らしきと目が合った。そいつは何もせずに去ったけど、別の道から先回りされたかもしれない。……絶対に撃たれると思った。でも銃をださなかった」

「ブルーミーのお喋りが始まりそうで逃げたのだろ。どうにもならないから進むだけだ」
 カツラが言う。

「敵が前にいるならば、私が先頭になろう」
 シロガネが駆けだす。

「たいしたシロガネさんだ」

 カツラも追いかける。女たちを追い越す。
 雨と風が狂ったほどになっていく。登り返すとダム湖を見おろせた。あとは川へと下るだけだ。

 ***

 川沿いの一本道。ここだけは避けて通れない。
 ここでジライヤを待つ。小刀をくわえたパセルは、若いミズナラの樹上で決意する。屈強な若者たちが後から後から現れるとは思わなかった。でも奴らの目的が分かった。


 愚かな雄どもが雌を求めて無茶をした。浅はかな女どもが男の誘いに乗って危険に飛び込んだ。


 長女の腹にいる孫に、いつか面白おかしく話してあげたい物語だ。でもこれはエブラハラへの復讐譚だ。そして私は大団円を阻止する立場だ。
 ここから道へ飛び降りてジライヤの首に刃を突き落とす。盗賊の村の子どもだったころから旅人へと慣れた作業だ。失敗するはずない。私は若者たちに見せしめのように殺されても、それで我々エブラハラの勝利だ。オオネグサのかたきも討てる。

「降りてこい。これは毒矢だ」

 パセルは声を聞いた。自分へと弓を引く若者を見た。
 背後から射たれなかったのなら従うしかない。でも囚われるわけにはいかない。家族へと――見ることがなくなった孫へと累を及ぼすわけにはいかない。

 パセルは飛び降りる。小刀を振り上げる。雄叫びをあげてハシバミへと向かう。

 ***

 川は増水していた。ミカヅキが再び現れる。荒れた空を懸命に飛んでいるように、さすがに誰もが感じられた。だが必死なのは俺たちもだ。私たちもだ。

「ここから降りる」

 髪がべったり張りついたゴセントが川原へと娘たちを誘導する。

「魔法を使わなくても舟が流れそうだな」シロガネの問いに。

「どうだろう。いまだこの川は流れが緩いし幅も狭い」ベロニカが答える。

「将軍たちは先回りしすぎたな。飛行機に邪魔されない場所で俺らを攻撃するつもりでだ、ははは……」

 カツラは笑った拍子によろめいてしまう。ごまかすために、道へ張りだしたミズナラの木に寄りかかる。

「彼らはすぐに戻ってくるよ。見下ろされる僕らは無防備すぎる。銃どころか弓でも倒される」
 クロイミが楽観論を戒める。

「こっちだ。どんどん乗れ」

 ハシバミの声がした。縄で結ばれた二艘。彼は一人で林から引きずりだしていた。
 それを見て女たちは雨の中を立ちすくむ。

「これは舟と呼びません。筏です」
「これに乗るなんて無理です。転覆するかもしれない」

 まだ名を知らない女性たちが悲鳴のような声を上げる。

「僕たちを信じろ」

 ついさきほど一人で済ませたことをおくびにださず、ハシバミが言う。ライデンボクに鍛えられた僕たちはこれくらいの増水を平気な顔で泳がないとならないし、()だって操れる。落ちても拾ってやる。

「いいえ。これは座礁します。身動きできなくなり将軍に捕らえられます」

 ハシバミがまだ名前を知らないセーナが、きっぱり言う。芯が強そうな人だと感じる。ふいにちょっと小柄で泥だらけの女の子を愛おしく感じる。抱きしめたくさえなる。誰もが僕たちを信じてここまでやってきた。生まれた村を奪われ、不自由な村に囚われ、新たな村を求めて戦った(・・・)人たち。

「大丈夫だよ。いまから魔法が起きるから」

 ハシバミがセーナの手を取る。女たちが舟に乗る。男たちも乗りこむ。
 銃声がした。バランスの悪い舟の上で、女たちが身を伏せる。男たちも真似て伏せる。

「将軍だ」女が悲鳴を上げる。

「出航する。カツラも乗れ」

 一艘の綱をハシバミがはずす。もう一艘もツヅミグサがはずす。
 二艘の筏が流れだす。
 将軍が見おろしていた。

 ***

「我々はこの川で水運できないことを知っている。増水しようともだ」
 将軍が配下の者へ叫ぶ。「道は川に沿っている。追え、追うのだ。座礁してすぐに捕らえられる。銃を撃ち、矢を放て。あの飛行機は人を襲えない!」

 後発隊も合流した。エブラハラの軍隊は総勢四十名を越える。

 ***

 どっちが上かもわからない。だって雨は下からも降ってくるし。分かっている、もっと高度を下げないと……。キハルは舟が頼りなく川に浮かんだのを見おろした。

「残存エネルギーは36%。なので30は放出できる。そして私はひと足先に水舟丘陵へ帰還する。30しかぶっ放せないけど勘弁してね」

 キハルはミカヅキを上流へと低く飛ばす。ワイパーが壊れそう。機体が揺れすぎて縦に一回転しそう。すぐに湖が見えた。水を堰き止めた巨大な遺跡。そこへと追突する勢いのまま低く飛ぶ。

「おじいちゃん見ていてよ。これは収穫祭の終わりでなく、始まりを告げる狼煙だからね」

 キハルが操縦桿の両脇につけられたボタンを同時に押す。リミッターが解除される。さらに深く押し込む。



 この島に昔あった国。そのお家芸たる奇襲。雲の上からいきなり現れる有人飛行機たちが敵基地を焼き尽くす。その作戦が日の目を見ることはなかったけど。



 百年以上存在し続けたダムへと、百年を経て初めて最大出力のレーザー砲が発射される。ミカヅキに蓄えられた太陽の力が、厚み七メートルのコンクリートを突き抜ける。裂け目を築く。

 ハシバミたちに幸運だったのは、ダムが決壊しなかったこと。でも3メートルの亀裂からの放水が、川の水量を急激に増やしていく。

「流れが速まったぞ」
 棹を操るツヅミグサが叫ぶ。

「腕の見せ所だ」
 もう一艘を操るハシバミが答える。

「これくらい楽勝」
 やはり棹を持つ弟が笑う。

「やれやれ。安全に頼むわ。この上は滑りまくるからな」
 狭くてごつごつした乗り心地の筏で、カツラは横になろうとしてあきらめる。肩の痛みは麻痺してくれない。
「一艘に十人もいたら混みすぎだ。……キハルは合わせて三十人と言ったよな。怖い怖い」

 英雄の傷をみんなが思いだすのは、もう少し後だ。……取っ組み合いでハシバミにたやすく押さえこまれたパセル群長が、拘束から抜けだせるのはさらに後だ。

 風雨はピークに達した。二艘の筏は横になったり逆さになったり下っていく。女たちがそのたびに悲鳴を上げる。自然と、男たちは落ちぬようにと女を抱える。女たちの汗や泥は雨と水しぶきに流されていく。

 濡れそぼったクロジソ将軍はアスファルトの痕跡から、遠ざかる筏を眺めていた。ここはダム湖に堰き止められている。あのダムは百年を耐えた。これしきの嵐で崩壊するはずない。なのに川はあふれそうだ。
 もはや追いつけるはずがない。

 狭く頼りない二艘の筏の二十三人。悲鳴はまだまだ笑いに変わらない。



第Ⅲ章完
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