119 峠

文字数 3,703文字

 湿気を避けて、エブラハラで生産された火薬の半分が峠の弾薬庫に保管されていた。それが近辺の林ごと吹き飛んだ。

 砦には、つい先日まで十三人が詰めていた。でもカツラと遭遇したおかげで九人に減ってしまった。そのうちの二名が一報を持って中央へ赴き、その翌日にはノボロ副長も将軍へと報告に向かった。南地区で合流した四人は、昼までには峠に戻る手筈だった。
 人員が足りていれば、エブラハラからの狼煙である花火を見落とさなかったかもしれない。そうしたら二重のゲートは閉ざされて、路上にはガラスの破片がたっぷりと撒かれただろう。草鞋をずたずたにするほどにだ。

 砦の五人は、キハルがしでかした大爆発を、アオイ群長を倒した敵の襲撃と判断した。それは間違いではなかった。五人は砦に閉じ籠ることにした。強大な敵に素通りされても仕方ない。

「女どもが逃げだしている。敵を恐れるな。耐えれば将軍がやってくる」

 ずぶ濡れのセキチクが幽鬼の面で現れる。指揮を始める。五人は再び銃と槍を持つ。仲間が追っていることを考慮して破片は撒かなかった。

 セキチクは無理やり思い込む。飛行機が味方など嘘っぱちだ。弾薬庫は陸から襲われた。もし徹底的に攻撃する意思があればこの砦もなくなっている。敵は圧倒できるほどの兵力ではない。
 だけど敵の目的が見えない。それが不気味だ。娘たちの逃走の手助け? そんな愚行に命を張る奴はいない。それ以外が考えられない。

 *** 

 傾斜がきつくなり、また昔の道を離れて九十九折れの山道が始まった。バクラバが言うには、次にアスファルトと合流すればそのすぐ上が峠らしい。

「道が封鎖されているかもしれません。そうなると近寄るのは危険ですが、私は裏道を知っています」

 頼りになり過ぎる捕囚だ。彼を解放して正解だったかもしれない。
 風が樹木を揺らす。女たちは喘ぎながら登る。あっという間に追いついたカツラが先頭を進む。
 稜線が近づいている。倒れたガードレールが見えた。もうすぐだ。
 甲高い悲鳴が聞こえた。

「ジライヤさん、追手です!」
 距離を開けて二番手を進むセーナが叫んだ。「将軍だそうです」

 あの爆発に気づいているよな。何が起きたか悟っているよな。
 それでも追ってくるのかよ。クロイミの脳みそが考えるより、ツヅミグサの物語のような勇敢な男が多すぎる。

「俺の本当の名はカツラだ。進め進め。じきに下り坂だ。砦の手前で待機していろ」

 むき出しの長刀。肩を負傷した大男は来た道を駆け下りる。疲れて怯えたびしょ濡れの女たちと次々すれ違う。
 見晴らしのよい一角からバクラバが見おろしていた。

「何人?」カツラも隣に立つ。

「八人ほどだが、将軍、ノボロほか有能な者だらけです。さらにはクマツヅラがいる。あいつはタフで姑息で惨忍です」
 バクラバが下へと銃を向ける。「じきに姿を現します。賭けてもいい、先頭は将軍でしょう。だが、あの者でも文明には勝てまい」

 父親よりも年長者による敬語が鬱陶しくなってきた。指摘するのは舟に乗ってからだ。

「撃つべきじゃない。俺たちには雌ガラスがついている」
 カツラはそれこそを告げる。

 俺たちは人殺しじゃない。俺とハシバミは殺しているけど、待ち伏せて敵を殺すなどしない。
 バクラバは表情を消した顔でカツラを見ていたが、「威嚇射撃はしましょう」と空へと弾を放つ。

 ほぼ同時に。
 雨に濡れた迷彩服。クロジソ将軍の巨体が現れる。

 ***

 アコンが合流した。コウリンはまだだけど八人は路上に立つ。林にあった建造物が消滅している。煙も炎もすでにない。雨だけが叩きつける。
 砦は怯えたように静かだ。

「ははは、ほんとかよ」

 ツヅミグサがやけくそみたいに笑う。
 女たちが道を登ってきた。ふらふらになりながら一人二人と現れる。
 あと少しで下り坂。ここから先は彼女たちの力になってやる。
 でもタイミングを計ったように、砦から武装した男たちが四人現れる。

「出迎えるのは私たちだ」
 シロガネが槍を構える。

「奴らは銃を持っている」
 弓を持ったクロイミが押し止める。

「関係ない。勇気を見せるときだ」
 シロガネがクロイミの手を振り払う。

「手を上げろ」
 男の声がした。

 反対側の森から現れた男たちが銃を向けていた。
 挟撃された。シロガネはその一人を知っている。セキチクだ。

「勇気を見せるのはもう少しあとにすべきだよ」
 ゴセントがつぶやく。「ここじゃない。あとで必要になる」

 ***

 将軍とクマツヅラは鉄の帽子をかぶっていた。さらにはクルマのドアを盾にしている。あんな重いものを持って登ってきたのか。将軍は俺よりも牛だ。

「銃弾は貫通できる。だが無いよりはずっとマシです」

 バクラバが教えてくれる。俺たちには何もない。

「バクラバとジライヤ。貴様たちが赦されることはない」
 クロジソの声は静かなのに雨音に負けず響く。「ここで処刑する。そして女たちを連れて帰る。彼女たちは首謀者以外を罰せない」

「俺たちも銃を持っている。処刑じゃない。殺し合いになるぜ。しかもだな」
 カツラは将軍たちへと短銃を向ける。「レーザー砲を知っているか? 骨も残らず焼き尽くされるぞ」

 将軍も理解している。だから距離を開けているのだ。風雨はさらに強まっている。持久戦はどちらに有利になる?
 俺の大嵐じゃないか。考えろよ……。
 すべてを照らす光が起きた。続いて轟音。
 キハルが起こした光じゃない。単なる本物の雷だ。それでも誰もがちびっただろう。俺もバクラバも女たちもエブラハラの戦士も、クロジソ将軍以外は。
 そういやミカヅキはどこに行った?

「私は過去を知らない。でもこの風雨だ。もはや飛行機が飛べると思えない。そして砦はセキチクが指示しているだろう。お前たちは孤立無援で挟み撃ちだ」
 将軍が登ってきた。なんていう勇気だ。「構えで分かる。ジライヤは銃を撃ったことがない。素手での戦いに付き合ってもいいぞ」

 ***

 キハルは雲の上に避難していた。漆黒の機体を太陽が照らしている。ここは日差しが熱いのに寒い。覆面をしてないから、年ごろの私がまたも日に焼ける。
 酸素がないから呼吸は浅く。絶対に寝ないこと。……地上では身だしなみに気をつかうこと。だけどだよ。

「何があっても雲には戻らない。地面には帰らない」

 発達しきった化け物低気圧に突入すれば、ミカヅキは風と雷に蹂躙されて墜落する。そうに決まっている。
 でもエネルギーは44%。

「あいつらは絶対に分かるはずない。私がどれだけ優しくて命知らずだったかなんて」

 どっちに転がろうが、誰にも知られることはない。雲の上は私しかいない。鳥さえもいないのだから。
 キハルはサングラスを外す。操縦桿をおろす。地獄の海原のような渦巻く黒雲に突入する。またトモが爪をたててキハルの胸にしがみつく。

 ***

「本当に殴りあうのか? 面白いじゃねえか」
 カツラが邪悪ですらある笑みを浮かべる。

「クマツヅラは銃を捨てると言っていません。それに将軍は熊よりも強い。あなただろうと、あの男に素手で殴り殺される」
 バクラバは短銃を構えたままだ。「将軍よ覚えているか? 私は銃の名手だ。あなたの指図に従い、この距離で何人も撃ち、終わらせてきた」

「バクラバよ、ならばライフルと戦え」
 将軍が片手を上げる。

 銃声が響いた。カツラもバクラバも縮こまる。
 将軍の背後の一人が長い筒をカツラたちへと向けていた。あれがハシバミの太ももを傷つけた猟銃って奴……。顔の横の枝が吹っ飛んだ。同時に銃声。カツラたちはしゃがみこんでしまう。

「散弾です。弾は少ないはず」

 バクラバが冷静に教えてくれる。頼りになるけど銃弾は純粋に怖い。

「続けえ!」

 援護を受けながら将軍が駆けあがってきた。素晴らしい戦士じゃないか。でも俺だって熊を倒した。ハシバミとシロガネと三人がかりだろうとだ。
 覚悟を決めろ。刹那の接近戦で決着させる。
 カツラは銃を地面に置き、長刀の柄を両手で握る。岩影から躍り出る。
 だけど将軍は立ちどまる。空を見て林へと飛びこむ。

 ***

 あの甲高い(うめ)き声が雨雲から聞こえてきた。知らぬ者たちは不安げに見上げる。

「逃げるがいい。誰もが燃やされる」

 シロガネのつぶやきとともに、黒い悪魔が雷雨を引き連れて現れる。悪魔が陰麓の光を起こす。遠くの森が吹っ飛ぶ。
 女たちが悲鳴を上げてへたり込む。砦の男たちも水たまりへ腰を抜かす。

「立て、立て! 将軍は逃げた。将軍は逃げた!」

 長刀だけを持つカツラが半裸の黒人の男とともにやってきた。娘たちの尻を端から蹴とばして立たせる。

「全員揃ったよお」

 コウリンが呆然とするセキチクの首に槍を当てていた。








 将軍が陽動する隙に裏切り者へと忍び寄り処刑する手はずだった。魔物が空に現れなければ。
 森に潜んだままパセル群長は考える。

 将軍はあきらめない。将軍は即座に体勢を整える。将軍は飛行機よりも恐ろしい。

 ならば単身で追うだけだ。山猫のごとき暗殺者を続けてやる。私が消すのはただ一人でいいのだから。
 銃を持たぬパセルは、小刀を手に隠された小道を進む。じきに下り坂となる。
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