140 終戦

文字数 2,761文字

 はるか昔にパンクしたままのタイヤで勾配を駆けおりた大型四駆車は、将軍以外にも四人を跳ね飛ばし、ツヅミグサの運転で林に消えた。
 木に衝突してとまっても、エブラハラの男たちは誰も追ってこなかった。自分たちを襲ったクルマは、飛行機と同様に恐怖そのものだった。


 この村は、大昔の遺物をよみがえらせる。
 獣のような声がした。
 ジライヤより大男の長がいる。


 男たちは恐慌の手前だった。

「逃げるな、戦うぞ」

 邪鬼のようにクロジソ将軍が狭い堀からでてくる。血まみれで片腕をぶら下げている。屈強な男もそこまでだった。
 将軍は座り込む。ナンバー2であるクマツヅラは堀に浮かんだまま。

「撤退しろ」
 将軍がセキチク群長に命ずる。「ラン群長でなく、貴様にエブラハラを任せる」

「ここで態勢を整えます」
 セキチクが言う。

「私は将軍を守ります」
 ノボロが言う。

 勇猛な二人は将軍を見捨てなかった。その巨体を林へ引きずる。でも逃亡する者が現れだす。

 ***

 朝が訪れてから四時間後――突入から二時間後の八時過ぎ。水舟丘陵に威嚇の銃声が響く。

「ピストルで戦うつもりでないだろうな」

 ジングウが離れた位置から猟銃を向ける。

「降伏してくれ。誰ひとり処刑しない」
 弓を渡されたハシバミが隣で告げる。「その意味を将軍は分かっていますよね」

 敵に援軍が現れた。決定的だ。残った男たちが武装解除しだす。

「戦え」
「俺たちはエブラハラの男だろ」

 そんな二人の群長の声は届かなくなった。
 再度の威嚇射撃。将軍が指図し、セキチクとノボロも武器を落とす。ツヅミグサとクロイミが林から出てくる。押収した銃を堀へ投げる。

 ハチの巣に閉じこもった人と牛と犬が、一日ぶりに外で深呼吸する。女たちは縛られた将軍やノボロたちを見る。クマツヅラの死骸は見えぬ場所に片付けられていた。


 なおもパセル群長は森に潜んでいた。
 ……偉大なる将軍が囚われた。どうやら私たちは敗れたようだ。私はどうすればいい? 決まっている。バクラバかジライヤを殺す。そして自分も殺される。
 なのに犬がやってきた。樹上のパセルへと、紀州犬の末裔とアイヌ犬の末裔が並んで吠える。

「ザオウ。お前が裏切るとはな」

 パセルはおかしくてどうでもよくなった。近づいてきた若者たちへ容易に武装解除する。
 拘束されて将軍の隣に転がされる。

「ジライヤは男だ。水に流してやれ」

 満身創痍の将軍がそんなことを言うので、パセルはなおさらおかしくなる。

「承知しました。では私が孫に物語することをお許しください」

 将軍もかすかに笑う。私たちは負けたかもしれないが敗者ではない。

 *

「将軍を尊重します」
 虎毛の猫を抱えたハシバミが告げる。「新しい村の話をもう一度考えてください」

 あの若者が長だったのか。あの時、なぜ見抜けなかった。……見抜けるはずない。長が単身で現れるはずない。若すぎて無鉄砲だとしてもだ。
 この若者は誰よりも懸命だった。私よりはるかに。それが勝負の峰だった。

 囚われのクロシソ将軍はうなずく。傷の手当てを受ける。

 *

「私を信じてくれるでしょうか?」
「あなたはこの村の民だろ。その言葉づかいはやめてくれ。……兄はいない。ルミがいる」

 そこの奴隷であったニシツゲは不安げだが、ナトハン家へと報告に向かう。
 ジングウはまだ水舟丘陵に残る。もう少し見届ける。今日の日でなくても、いつかヨツバに告げたい。ナトハン家に戻ってくれと。奴隷としてでなく大切なものとして。


『弾はいずれ尽きる。その銃も遺物になる。でも人と人のつながりは、互いを信じて尊重するならば、尽きるはずないと思う』

 あの若者は必死に歩きながら言った。

『そうかもな』とジングウは簡潔に答えた。それぞれの未来のためには、その考えこそ必要だと分かっていたから。


 ヨツバがジングウに気づいた。いまはまだ会釈だけをかわす。

 *

 ハチの巣の食堂は、えも言われぬ匂いが立ちこもっていた。ハシバミはそこを訪れる。ツユミがサムズアップした。セーナがハシバミを見つめる。その目に涙が溜まりだす。
 彼女を抱きしめたい。彼女に抱きしめてもらいたい。でもカツラがちょうど目を覚ました。

 ハシバミも最愛の女性へと親指を立てるだけにする。最愛の友へと歩む。

「ハシバミよお、ひどい面だな。誰にやられた?」
 ツユクサに肩を縫われたカツラが蒼い顔で言う。

「エブラハラじゃない人に。でも和解した……たぶん出来る」
 それからハシバミは、友を誇らしげに見る。「やりとげたな。将軍は降伏した」

「あいつは卑怯者ではなかった。そのように扱ってくれ」

 カツラはまっさきにそんなことを言うので、ハシバミはこの大男こそを抱きしめたくなる。

「もちろんさ。敬意をもって接している。ナトハン家から来た男もだ」
「ナトハン家? 俺が気絶しているあいだに何が起きたんだ?」
「たくさん。でもカツラに次いで活躍したのは、ツヅミグサとクロイミだ。二人はクルマを動かした」

 カツラはきょとんとしたあとに。

「はは、エネルギーの油がなくても動かせるってキハルが言っていたものな。ブレーキだっけ? メンテナンスの練習にそれを破壊したとも言ったな。お姫様と賢いクロイミと生意気なツヅミグサがいればどんな魔法も起こせる」

「それに強いカツラもいれば、この村は無敵さ」

 そこで会話が止まり、二人はちょっと見つめ合う。同時に照れたように笑う。

「俺もクルマに乗るぞ。秀才くんと色男だけなんてずるすぎるからな」
 カツラが立ち上がろうとする。

「まだ休むべきだと思うけどな」
 ハシバミは言うけど。

「二人で向かうべきよ」
 ツユミが笑う。
「私が営舎で話したのを思いださない? クルマに人が乗っていると。私は旦那とクロイミを予言したと思ったけど、違うかも。――この村の英雄であり友である二人が、最後の輝きを見せた遺物の上で互いを称える。さあ、すぐに向かって」

「そうするに決まっているさ」

 カツラが立ちあがる。ハシバミが支える。坂の上に運ばないとクルマは再び動かない。二人がそれを知ってまたも照れ笑いするのはもう少し後だ。

「おいおい、村一番にべっぴんなユドノが見ず知らずと仲良くやっているぞ」
 カツラが笑う。

「射止めた雄を褒めてやろう」
 ハシバミも笑う。

 ガッサンとハグロは残念だけど、男が女を求めるのは自然だ。逆だって然りだ。そんなのは文明じゃないかもしれないけど、だとしても心深く結び合う二人こそが、その時間こそが、一番ありふれた楽園だ。それを求めた者たちのひとつの結果だ。

「なあカツラ、そうだよな」
「あん? 聞いてなかったが長のおっしゃるとおりだろ。たぶんだけどな」

 ほら見ろ。一番に最高の奴が同意してくれた。とにかく言えるのは。

「僕たちは屈しなかった」
「ああ。これからもな」
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