010 山中の古道
文字数 1,671文字
激しい混乱のなか村を抜けだしたことに、全員疲れていた。上士を傷つけたことに罪悪感を感じたかもしれない。村の備品を盗んできたことにもちょっとだけ。
そうは言っても、誰もがホソバウンランには数回殴られた経験がある。他の上士にも自分たちの捕らえたものや育てたものを奪われた経験があるのだから、むしろ、『様を見ろ』のが強かった。この時代の平均的な倫理観だ。
川を下れば下るほど人が生きられる場所から遠ざかる。誰もが知っていたから、十分ほど下ったところで舟は対岸に着く。
追跡を逃れるために舟を流そうと言う意見もあったが、また村で使えるように備えつけの縄で木に縛りつける。それくらいの倫理観はあった。予備の縄は頂戴したけど。
川から離れるだけ離れて、寝場所を確保することにした。先頭はシロガネとカツラ、ハシバミとゴセントが続く。殿でサジーが後方に気を配る。
猛獣なんていないから、怖いのは人。とにかく人。思いつくのは盗賊団。十人以上の男がいれば平気なんて思わないほうがいい。村を襲った一団のように数十人規模なんてざらだ。強いのを仲間にスカウトするために、半数を殺すなんてのもあるかもしれない。
盗賊より怖いのは、よその村に見つかること。物見に見つかってハシバミたちを山賊と勘違いすれば、先手必勝で襲われるかもしれない。自分たちの村でも、交易商人の振りをした盗賊たち十名を先制攻撃したことがある。物見の上士が女と子どもの奴隷を林で発見して、彼女たちの口から聞けたからだ。
そして盗賊は戦いで死ぬか処刑 。この掟の村は多いだろう。
*
「この先にアスファルトと昔の建物がある」
カツラが林の中でハシバミに言う。「雨を避けられて、何より水場がある。ねぐらに使う放浪者は多い。盗賊もだ。素通りしてもいいが、誰かがいればつけ狙われる可能性が残る」
カツラめ。戦いを僕が仕切ったことに難癖をつけたかったくせに、無意識に状況報告してきた。
「ここはまだライデンボクの縄張り だ」
シロガネも立ち止まる。「上士が物見をする範囲を抜けたい。辛いがもう少し進みたい。だが十分ほど休憩しよう」
ランプの灯を頼りに先頭を歩くのは疲れるに決まっている。しかも気を張りながらだ。
「二人ともありがとう。その建物に人がいないか僕が見てくる」ハシバミが言う。「いなければそこで休もう。誰か一緒に来てくれないか」
そう言ってハシバミはシロガネからランプを借りる。踏み跡を一分ほど歩いて藪をかき分けたら目の前がひろがった。崖かと思ったが、アスファルトの道だった。この道は雨期に鉄砲水の通路になるようで樹木は少ない。荒廃しているだけだ。
その先の密林に廃墟があった。看板が生き延びている。ド、?、イ、ブ、イ……。
ハシバミは勉強が好きだったので、平仮名とカタカナをしっかり読めた。背後を振りかえるとツヅミグサがいた。
「肩の矢傷はどう?」
「かすめただけ。大げさに叫んで恥ずかしかった。そのお詫びに志願した」
「だとしても傷口を洗っておけよ。――僕は一人だけの放浪者の振りをして、あの建物に行く。敵がいたら当然逃げるけど、僕に何かあっても一人で助けに来るなよ。みんなを集めろ」
そう言うと、ハシバミはアスファルトの残骸を横断する。他にも建物があったみたいだが、それらは林に飲み込まれている。シダとかツタとかにだ。
「誰かいるか? 返事がなければ入らせてもらう。僕の背後には百人の仲間がいる。その偵察だ」
こんなはったりを口にする方がそれらしい。しばらくしても静かなままだ。誰かいたとしても一人相手に怯える程度の者だろう。
ハシバミは口笛を吹く。ツヅミグサの影が道をよこぎる。こいつは足が速くて敏捷。
「君は勇気のかたまりだな」
ツヅミグサは感嘆の目をハシバミに向けていた。「みんなのために命をかけてくれた。まるで物語の親方みたいだった」
「アイオイ親方の話かい? 僕なんか子分にさえしてもらえないよ」
子供の頃から聞かされた昔話の主人公にたとえられて、ハシバミはこそばゆくなってしまった。悪い気はしなかった。
そうは言っても、誰もがホソバウンランには数回殴られた経験がある。他の上士にも自分たちの捕らえたものや育てたものを奪われた経験があるのだから、むしろ、『様を見ろ』のが強かった。この時代の平均的な倫理観だ。
川を下れば下るほど人が生きられる場所から遠ざかる。誰もが知っていたから、十分ほど下ったところで舟は対岸に着く。
追跡を逃れるために舟を流そうと言う意見もあったが、また村で使えるように備えつけの縄で木に縛りつける。それくらいの倫理観はあった。予備の縄は頂戴したけど。
川から離れるだけ離れて、寝場所を確保することにした。先頭はシロガネとカツラ、ハシバミとゴセントが続く。殿でサジーが後方に気を配る。
猛獣なんていないから、怖いのは人。とにかく人。思いつくのは盗賊団。十人以上の男がいれば平気なんて思わないほうがいい。村を襲った一団のように数十人規模なんてざらだ。強いのを仲間にスカウトするために、半数を殺すなんてのもあるかもしれない。
盗賊より怖いのは、よその村に見つかること。物見に見つかってハシバミたちを山賊と勘違いすれば、先手必勝で襲われるかもしれない。自分たちの村でも、交易商人の振りをした盗賊たち十名を先制攻撃したことがある。物見の上士が女と子どもの奴隷を林で発見して、彼女たちの口から聞けたからだ。
そして盗賊は戦いで死ぬか
*
「この先にアスファルトと昔の建物がある」
カツラが林の中でハシバミに言う。「雨を避けられて、何より水場がある。ねぐらに使う放浪者は多い。盗賊もだ。素通りしてもいいが、誰かがいればつけ狙われる可能性が残る」
カツラめ。戦いを僕が仕切ったことに難癖をつけたかったくせに、無意識に状況報告してきた。
「ここはまだライデンボクの
シロガネも立ち止まる。「上士が物見をする範囲を抜けたい。辛いがもう少し進みたい。だが十分ほど休憩しよう」
ランプの灯を頼りに先頭を歩くのは疲れるに決まっている。しかも気を張りながらだ。
「二人ともありがとう。その建物に人がいないか僕が見てくる」ハシバミが言う。「いなければそこで休もう。誰か一緒に来てくれないか」
そう言ってハシバミはシロガネからランプを借りる。踏み跡を一分ほど歩いて藪をかき分けたら目の前がひろがった。崖かと思ったが、アスファルトの道だった。この道は雨期に鉄砲水の通路になるようで樹木は少ない。荒廃しているだけだ。
その先の密林に廃墟があった。看板が生き延びている。ド、?、イ、ブ、イ……。
ハシバミは勉強が好きだったので、平仮名とカタカナをしっかり読めた。背後を振りかえるとツヅミグサがいた。
「肩の矢傷はどう?」
「かすめただけ。大げさに叫んで恥ずかしかった。そのお詫びに志願した」
「だとしても傷口を洗っておけよ。――僕は一人だけの放浪者の振りをして、あの建物に行く。敵がいたら当然逃げるけど、僕に何かあっても一人で助けに来るなよ。みんなを集めろ」
そう言うと、ハシバミはアスファルトの残骸を横断する。他にも建物があったみたいだが、それらは林に飲み込まれている。シダとかツタとかにだ。
「誰かいるか? 返事がなければ入らせてもらう。僕の背後には百人の仲間がいる。その偵察だ」
こんなはったりを口にする方がそれらしい。しばらくしても静かなままだ。誰かいたとしても一人相手に怯える程度の者だろう。
ハシバミは口笛を吹く。ツヅミグサの影が道をよこぎる。こいつは足が速くて敏捷。
「君は勇気のかたまりだな」
ツヅミグサは感嘆の目をハシバミに向けていた。「みんなのために命をかけてくれた。まるで物語の親方みたいだった」
「アイオイ親方の話かい? 僕なんか子分にさえしてもらえないよ」
子供の頃から聞かされた昔話の主人公にたとえられて、ハシバミはこそばゆくなってしまった。悪い気はしなかった。