090 丘のふもとで

文字数 3,417文字

「三人も来てくれた、助かった……。ハシバミは生きている」
 駆けおりてきたツヅミグサが手を膝に当てながら告げる。「でも足を撃たれて出血している。ゴセントとクロイミが彼のもとにいる」

「ほら見ろ。あいつが簡単に死ぬはずない。そして見つけた以上は死なせない。案内しろ」

 カツラが喘ぐツヅミグサを引きずる。

「事実ならばこれ以上に良い話はない。だがナトハン家の動向は?」
 ヒイラギが言う。

「あれが怖いんじゃね。雛が巣から落ちたカラスみたいだもの」

 汗だくのツヅミグサが空を指さす。
 漆黒のソーラープレーンが再び低空を飛んできた。

「生きているって! 長は生きている!」
 コウリンが懸命にミカヅキへと手を振る。

 *

 ナトハン家の男たちは川岸の藪から観察していた。ツヅミグサの言うとおり、ミカヅキを畏れていた。彼らの目には暗黒に見える機体がひときわ低く飛んでくる。
 そのくちばしを開く。
 アスファルトの痕跡へと水平に青白い巨大な光を放たれた。その後には何もなくなった。また飛んできて、山際の路肩へと燃える光を照射する。今度は林の端が消えた。また戻ってきた。道に転がりおちた倒木を照らす。それは光に飲み込まれ燃え尽きる。即席の荒れた滑走路が完成する。
 ナトハン家の男たちは震えながら逃げ帰る。

 空の軽騎兵による山間部での命知らずな曲芸飛行は続く。それは五度目のチャレンジで、巣を狙う蛇に立ち向かう親鳥のように、あり得ぬ勇気を絞りだす――
 原子力爆撃機(空の化け物)をねぐらにしたカラスたちは、パイロットへの負荷と引き替えに飛び立てて、羽根を休められる。ミカヅキは崖すれすれにタイヤを軋ませて、突然死のごとく停止する。

「降りれたならば飛びたてる。トモはここにいて」

 顔を覆うマスクを脱ぎ落とし、キハルはコクピットから飛び降りる。数歩でうずくまり、箱を抱えたまま焦げた地面に片手をつく。油汗とよだれと涙が顎から垂れて、蒸発する。靴は分厚いはずなのに足の裏に熱を感じる。
 すべての内臓が裏返しになったかも。胃も子宮も、もう飛ばないでと哀願してくる。それでも最後の空の民は立ちあがる。焼けて刺激臭がしだした手袋をはずす。道端で燃えている枝を折る。

「タイヤも傷んだだろうな。仕方ないか」

 *

「いまの音はなに?」

 ハシバミは目を開ける。楡の木が見おろしていた。クロイミ、カツラ、ツヅミグサ、コウリン、ヒイラギ、弟も彼を囲んでいた。

「キハルだろ。ランウェイを作ると言っていた」
 カツラが安堵した面で答える。

「ここへはゴセントが連れてきてくれた。そして僕たちが君を丘の上へと運ぶ」
 クロイミがハシバミの肩を起こす。

「まだ歩きたくないな」
 ハシバミが青い顔で言う。

「帰らないとダメだよ。みんなが長を待っている」
 ゴセントが言う。

「分かったよ。……ヒイラギがいる。僕は混乱しているのかな」

 カツラがハシバミを背負う。道なき道をゆっくり進む。六人がかりで沢を抜けるとキハルが焚き火をこしらえていた。

「水を飲ませてあげた? まだだって? 男が六人もいてクロイミ頑張ってよ。カツラ降ろしてあげて」

 キハルはペットボトルで口をゆすいで吐きだす。また水を頬張るなり、長の両頬を両手で押さえて口移しする。ハシバミはむせて「自分で飲める」と顔を逸らす。

「さすがだね。だったら耐えられる」

 キハルは手のひらで口をぬぐい、焚き火へとしゃがむ。

「ミカヅキに乗せることはできないけどキューキューキットがある」
 刃渡り15センチメートルのナイフを火であぶりながら口早に言う。「昔の弾ならば錆びそうなのが残っているよね。私が取りだす。将軍の子分が倒したイノシシで練習済だから心配しないで」

 ハシバミが悲鳴を上げて気絶する。アルコールを流しこまれて悲鳴を上げて目を覚ます。焼いた針のステープラーを押しつけられて、また気を失う。

「色々と隠し持っていたんだな」
「当然でしょ。トモが待っているからミカヅキに戻る。そのまま村へ帰ってみんなに教える」

 カツラへぞんざいに答えてキハルが立ち上がる。道を下っていく。木靴が地面を叩く軽快な音色が遠ざかる。
 再びカツラがハシバミを背負う。しばらくしてミカヅキが追い越す。

 *

「私もここに残らせてくれ。長の警護というよりは疲れ果てた」

 キハルがいた古い家でヒイラギが横になる。
 ハシバミはまた眠っている。ゴセントとツヅミグサも残る。他の者は村へと帰る。

 ***

 ハシバミは村落跡で三日間過ごした。ゴセントが常に傍らにいてくれた。水や食料を運んでくれた。ハシバミの傷口は悪化しなかった。
 二人ともナトハン家で起きたことを口にしなかった。

「僕はまだ子供だった。だから自尊心が増長した。そして、これからはゴセントの忠告に従う」
 それでもハシバミは言った。

「そんなことを言えるハシバミは誰よりも大人さ。それと、あまり信じられても困る」

 弟は笑みを返して太ももの包帯を締めなおす。

 *

 村人は代わる代わる見舞いに来た。その日はヒイラギとクロイミがやってきた。ヒイラギはエブラハラで起きたことを伝えるためにだ。
 ハシバミは上半身を起こして聞けるようになった。

「トンネルが崩れた……。偶然過ぎないかな」
 横で聞いていたゴセントが言う。

「でも事実だ。そしてそれ以上の追跡を不可能にした。私はね、君たちがデンキ様の恩寵を受けていると思う。しかしそれは、君たちが強い意志を持っているからだ」

「誰も失わなくてよかった。ヒイラギのおかげに決まっている」
 黙って聞いていたハシバミが口にする。「エブラハラが危険であることを知れた。……ナトハン家の件は愚行だった。そうそう、ヨツバたちはどうしている?」

「五人には建てた家を与えた。最初からの住民はハチの巣で雑魚寝。変わった村だね」
 クロイミが答える。「僕たちにはない知識を持っている。間違いなく村の力になってくれる」

「だったら僕の怪我も少しは役に立ったんだ。――ナトハン家とはしばらく交渉しないでおこう。彼らから尋ねてきたら友好的に接する。いまさらだけどね」

 笑みを浮かべるハシバミに三人がうなずく。ハシバミはしばらく間を置いて告げる。

「もう一度だけやってみよう。エブラハラから女性を奪う。僕らには奴らにそれをする理由がある」

「ふざけるな! 私の話を聞いていなかったのか」
 ヒイラギが口泡を飛ばしながら叫んだ。「危険という言葉では表せない。愚の骨頂だ。なんのためだ? 女が欲しいからか?」

「そうだよ。村を作るために欲しい。僕たちの奥さんをだ。彼女たちもそれを望んでいるのだろ? ならば男がやらねばならない」

「できるはずない」ヒイラギが首を振る。

 あなたはエブラハラの怖さを知っていた。それなのに偵察に(おもむ)けた。あなたを僕らが引き継ぎ、その延長線上の行為をする。
 それに、僕はまだ恐ろしいユートピアをこの目で見ていない。だから怖さを知らない。だから臆せずに挑める。

 そんなご託を並べる必要はない。ひと言を告げればいい。

「だから策略を使う」

「若すぎる親方よ。あなたは見ていないからだ。彼らは野蛮ではない。統制された一団だ。賢い奴らも見かけた。率直に言って、個々の力でも私たちより秀でていると感じた」

「策略は」
 もはやハシバミはクロイミを見つめる。「エブラハラから女性たちを連れてくる。もちろん希望者だけ。そして追跡を()く。さらには二度と見つからないようにする。それを考えるのは、もちろん君の仕事だ」

「難問だね」
 クロイミは考えることなく言う。「それよりハシバミは聞く相手を間違えている。僕はゴセントの意見を知りたい」

「この件に関してはだ、弟よりも私を尊重しろ。私が命を賭して目にしてきたのだぞ。君はとてつもない愚行に導いている。この村を滅ぼそうとしている」

 ヒイラギはついに立ち上がってしまった。

「ヒイラギの意見こそ正しいよ」
 ゴセントが言う。「でも、どうしてかな。僕はうまくいきそうな気がする。やらなければならないとさえ感じる。だとしても、みんなと話し合ってからだ」

「分かった。つまり僕は村に戻る必要がある」
 ハシバミが弟へと言う。「ちょっと歩いてみよう。そういえばずっと雨が降っていないか?」

「君が寝ていた二日のうち一日は土砂降りだったよ」
 クロイミが答える。「動くのならば腕を貸す――。うわ、ハグロか。びっくりさせるなよ。お前たちも長の見舞いに来たんだ。ははは」
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