067 隔離された崖の向こう
文字数 1,983文字
昔は『降れば土砂降り』という諺があったが、これはもはや適切ではない。この時代には、『ひとつの雲は豪雨のもと』の言い回しがふさわしい。太陽が懐かしくなる季節が近づいていた。
三日続いた雨がやんだ朝早く、カツラとシロガネは哨戒に出かけた。崩落によって分断された車道の先への迂回ルートの開拓。古い村落は物見やぐらから飛んでいけそうな距離なのに、まだたどり着いていない。
二人の荷物は武器と水筒であるペットボトルだけ。
みんなの服装は日増しにぼろ布と化して、白色やオレンジ色のタオルが継ぎはぎされている。昔の人間が見れば斬新な民族衣装と勘違いされそうだが、この二人は比較的まともなままだ。さすがは冬場に女衆が丹念に仕立てた上士団の作業衣だけある。
「こいつら狩りと勘違いしている」
シロガネが振り向いて苦笑いする。
ハグロ、ガッサン、ユドノが後をついて来た。
「何かを見つけても静かに教えろよ」
カツラが声かける。
二人と三匹は崩落地の手前でアスファルトを離れる。ひと塊のブナ林に入る。生き残りの林は空気が違う。東から差し込む木漏れ日も違う。柴犬の末裔であるハグロが、ネズミの気配をカツラへと吠えて伝える。カツラは相手にせず林を抜ける。
川岸の崖にぶつかる。対岸は崩落の核心部だ。川へと滝が出来ている。その川は連日の雨で濁流だ。でも彼らの目には渡渉可能の範囲内だ。
「これ以上増水の恐れはないだろう。降りられる地点を探そう」
シロガネが言う。
二人は崖に沿って下っていく。
「ここはどうだ?」
「もっと安全でないとダメだ。だいたい向かいが崩れている」
「シロガネは慎重だ」
さらに十分ほど下った地点で、二人は腰上まで濡らして川を渉る。本当は泳ぎたいけど、二人は張り合って歩いて渡る。
雌の紀州犬の末裔のユドノだけがついてきた。犬かきしながら流されたあとに対岸を駆けて現れる。体を震わせて水しぶきを飛ばし、カツラとシロガネを待つ。
「女の子は強いな」カツラが笑う。
二人は藪の崖を突き上げて、ガードレールをまたぐ。
「ここまで来たならがんばれ」
シロガネがユドノを抱き上げてアスファルトの跡地に降ろす。
集落が見えて、二人は武器を手にする。
***
山村の名残りは樹木に覆われていた。数十年は人が訪れた気配はなさそうに見える。
クワの実があった。カツラが木登りして枝ごと落とす。
「低い位置の実が食べられてないか?」
「猿だろ」
「猿ならば高いところも食べる」
シロガネの言葉にカツラが長刀をしまう。代わりに弓を持つ。
点在する廃墟。ほとんどが崩壊している。二人は一棟を探ってみる。はるか昔に荒らされた形跡……に混じって最近荒らした痕跡があった。
「どうする?」カツラが言う。
「ひと通りは見ておきたい」
シロガネの返事にカツラがうなずく。
危険なのは分かっているが、二人ともライデンボクの村の上士の生き残りだ。それに、ここまでの旅で重要な働きをしてきたが、決定的なことをしていない。危険を冒しながらみんなを導いてきたのはハシバミだった。
エリートであった誇りにかけて、『人がいた痕跡があった』なんて言葉だけ持ち帰れない。十二人の痕跡を追い続けたブルーミーの、格好の笑いのネタになりそうだ。
ふいにユドノが吠えながら駆けだす。二人は弓を構えてゆっくりと追う。
藪と化した民家の庭から虎毛の猫が飛びでてきた。素早く走り抜け、剪定されずに10メートルを超えた梅の木へと逃げる。その下でユドノが吠える。
「ついてきたご褒美に射ってやりたいが、ハシバミじゃないと無理だな」
樹上へと構えたシロガネが弓を降ろす。
「あいつが射ると毛皮を寄こせと騒ぎだす」
カツラが木の幹に飛びつきよじ登る。「俺とユドノで半分ずつだ」
民家から何かが倒れる音がした。
ユドノがシロガネの背後で小さく吠える。カツラが木から飛び降りる。長刀を覆う布をはずす。
「人か?」シロガネが言う。
「違うよな。猫か? 猿か? 朝飯か?」
カツラが獰猛に笑う。「援護しろ」
獲物をあぶりだすために、カツラがはるか昔に破壊された玄関へと歩く。ユドノが追い越す。
「シロガネ……。猿じゃなさそうだ。この足跡は人だな」
「出てこい! 私たちは十人で探索している」
シロガネがはったりに色をつけるために笛を鳴らす。紀州犬の末裔が低くうなる。一室へと二人を向かわせようとしている。
何十年分の埃の上の靴跡は小さいものと猫のものだけ。そうだとしても、閉じたドアを前にして、逃げるべきかとシロガネは考える。逃げ帰っても恥ずかしくない。
ユドノがなおもうなる。ふいに振り返り、二人の顔つらを見上げた。
カツラが舌を打つ。
「お前こそ吠えるだけだろ。俺のが意気地がある」
カツラがドアを蹴倒す。同時に転がりこむ。その背後でシロガネが弓を引く。
女の子が一人、銃を向けていた。
三日続いた雨がやんだ朝早く、カツラとシロガネは哨戒に出かけた。崩落によって分断された車道の先への迂回ルートの開拓。古い村落は物見やぐらから飛んでいけそうな距離なのに、まだたどり着いていない。
二人の荷物は武器と水筒であるペットボトルだけ。
みんなの服装は日増しにぼろ布と化して、白色やオレンジ色のタオルが継ぎはぎされている。昔の人間が見れば斬新な民族衣装と勘違いされそうだが、この二人は比較的まともなままだ。さすがは冬場に女衆が丹念に仕立てた上士団の作業衣だけある。
「こいつら狩りと勘違いしている」
シロガネが振り向いて苦笑いする。
ハグロ、ガッサン、ユドノが後をついて来た。
「何かを見つけても静かに教えろよ」
カツラが声かける。
二人と三匹は崩落地の手前でアスファルトを離れる。ひと塊のブナ林に入る。生き残りの林は空気が違う。東から差し込む木漏れ日も違う。柴犬の末裔であるハグロが、ネズミの気配をカツラへと吠えて伝える。カツラは相手にせず林を抜ける。
川岸の崖にぶつかる。対岸は崩落の核心部だ。川へと滝が出来ている。その川は連日の雨で濁流だ。でも彼らの目には渡渉可能の範囲内だ。
「これ以上増水の恐れはないだろう。降りられる地点を探そう」
シロガネが言う。
二人は崖に沿って下っていく。
「ここはどうだ?」
「もっと安全でないとダメだ。だいたい向かいが崩れている」
「シロガネは慎重だ」
さらに十分ほど下った地点で、二人は腰上まで濡らして川を渉る。本当は泳ぎたいけど、二人は張り合って歩いて渡る。
雌の紀州犬の末裔のユドノだけがついてきた。犬かきしながら流されたあとに対岸を駆けて現れる。体を震わせて水しぶきを飛ばし、カツラとシロガネを待つ。
「女の子は強いな」カツラが笑う。
二人は藪の崖を突き上げて、ガードレールをまたぐ。
「ここまで来たならがんばれ」
シロガネがユドノを抱き上げてアスファルトの跡地に降ろす。
集落が見えて、二人は武器を手にする。
***
山村の名残りは樹木に覆われていた。数十年は人が訪れた気配はなさそうに見える。
クワの実があった。カツラが木登りして枝ごと落とす。
「低い位置の実が食べられてないか?」
「猿だろ」
「猿ならば高いところも食べる」
シロガネの言葉にカツラが長刀をしまう。代わりに弓を持つ。
点在する廃墟。ほとんどが崩壊している。二人は一棟を探ってみる。はるか昔に荒らされた形跡……に混じって最近荒らした痕跡があった。
「どうする?」カツラが言う。
「ひと通りは見ておきたい」
シロガネの返事にカツラがうなずく。
危険なのは分かっているが、二人ともライデンボクの村の上士の生き残りだ。それに、ここまでの旅で重要な働きをしてきたが、決定的なことをしていない。危険を冒しながらみんなを導いてきたのはハシバミだった。
エリートであった誇りにかけて、『人がいた痕跡があった』なんて言葉だけ持ち帰れない。十二人の痕跡を追い続けたブルーミーの、格好の笑いのネタになりそうだ。
ふいにユドノが吠えながら駆けだす。二人は弓を構えてゆっくりと追う。
藪と化した民家の庭から虎毛の猫が飛びでてきた。素早く走り抜け、剪定されずに10メートルを超えた梅の木へと逃げる。その下でユドノが吠える。
「ついてきたご褒美に射ってやりたいが、ハシバミじゃないと無理だな」
樹上へと構えたシロガネが弓を降ろす。
「あいつが射ると毛皮を寄こせと騒ぎだす」
カツラが木の幹に飛びつきよじ登る。「俺とユドノで半分ずつだ」
民家から何かが倒れる音がした。
ユドノがシロガネの背後で小さく吠える。カツラが木から飛び降りる。長刀を覆う布をはずす。
「人か?」シロガネが言う。
「違うよな。猫か? 猿か? 朝飯か?」
カツラが獰猛に笑う。「援護しろ」
獲物をあぶりだすために、カツラがはるか昔に破壊された玄関へと歩く。ユドノが追い越す。
「シロガネ……。猿じゃなさそうだ。この足跡は人だな」
「出てこい! 私たちは十人で探索している」
シロガネがはったりに色をつけるために笛を鳴らす。紀州犬の末裔が低くうなる。一室へと二人を向かわせようとしている。
何十年分の埃の上の靴跡は小さいものと猫のものだけ。そうだとしても、閉じたドアを前にして、逃げるべきかとシロガネは考える。逃げ帰っても恥ずかしくない。
ユドノがなおもうなる。ふいに振り返り、二人の顔つらを見上げた。
カツラが舌を打つ。
「お前こそ吠えるだけだろ。俺のが意気地がある」
カツラがドアを蹴倒す。同時に転がりこむ。その背後でシロガネが弓を引く。
女の子が一人、銃を向けていた。