118 落雷
文字数 3,031文字
十三人はアスファルトの痕跡を離れる。それでもなおも整備された道。
しかしのろすぎる。
カツラはパシャを倒してから始めて不安を感じた。峠までどれくらいか知らないが、この速度だと間違いなく追いつかれる。コウリンでも追いつける。
ミカヅキはどこだ? 俺の伝言は――突き上げた腕は伝わらなかったか? 違う。林の俺たちを見つけられないだけだ。……もしくはエブラハラを単独で攻撃してくれている。そしたら奴らは俺たちを追うどころではない。
だがそれはない。ゴセントみたいなツユミが言っていた。ミカヅキは雌ガラスだ。
俺だから分かる。キハルは誰よりも強い。ハシバミぐらい強い。でもヒイラギが言ったように戦士じゃない。空で途方に暮れている可能性さえある。
汗と雨と涙。女たちは泣きながら登っている。俺の使命は這いつくばらせてでも進ませる。
みんなびしょ濡れだ。塩も溶けただろうか。油も流れただろうか。必要なのは命だけ。
だから急いでくれ。いくら俺でも十一人を引きずれない。……荒れた呼吸に合わせて肩がずきずきする。どれくらい出血しただろう。だけど腕はまだ動く。
背後で銃声がした。その音に気づいた者は立ちどまる。
「女っこは走れ! これを持っていけ」
すれ違った女に刀を包んでいた布を押しつける。男二人だけが残る。
バクラバが木を遮蔽物にして銃を構える。カツラもその隣で右手に長刀を持ち左手に銃を持つ。
「ジライヤ、これは何事だ」
やはりセキチク群長がやってきた。俺たち同様にびしょ濡れ。配下は一人だけだと?
「女を傷つける気はないようです。私たちだけと対峙するための威嚇射撃です」
バクラバが息を整えながら言う。
「群長、戻ってくれ。戦いたくない」
カツラが雨音に負けぬほどに怒鳴る。勇気も能力もあるセキチクが敵であることが残念だ。
「砦の存在を知らないのか? 挟み撃ちだ。しかも本隊がじきに来る」
セキチクが銃を構えながら岩陰にしゃがむ。「降参すべきだぞジライヤ。肩の傷がひどいじゃないか」
ツヅミグサみたいによく通る声。何よりハシバミみたいに目がいい奴だ。つまり弓の名手だろう。ならば銃も。
「あんたこそ飛行機を知らないのか? あれは俺たちの仲間だ」
カツラの叫びにセキチクが笑う。
「そうだと思うよ。でも飛ぶだけでないのか? つつかれても痛くなさそうだ」
本当の勇気を持つ男に、はったりは通用しない。
バクラバが手にする銃からかちりと音がした。
「私はオオネグサを殺したばかりだ。そして二度とあなたに捕まる気はない」
老兵の宣言に、双方の空気が変わったと感じる。
セキチクはパセルの副官の死を知らなかった。知った以上は俺たちに報いを与える。ひりつくほどの殺し合いの空気に化した。でも殺したくない。
「峠までどれくらいだ?」
カツラはバクラバに聞く。
「おそらく女の足でも三十分」
バクラバは正面から目を逸らさず答える。
それが短いのか長いのかも分からない。ハシバミたちが砦を占拠したのかも分からない。どっちにしろ銃に背中を向けて歩けない。なんであろうと殺したくなんかないし殺されたくない。……この大騒ぎを、ハシバミがうまいこと言ったよな。弱者によるささやかな復讐。
ざけんな。俺は誰よりも強い。将軍よりハシバミより強い。
「戦うぞ」カツラは決断する。
「となると極めて不利ですね。セキチクは戦う必要がない。将軍たちの到着を待てばいい。もしくは私たちの捨て鉢な突撃をです」
なんでそんなに冷静にいられるのだ。十九の俺もあと二十年生きられたならば同様になれるのか?
「だったら俺のも弾がでるようにしてくれ」
銃で戦いたくないなんて矜持は……俺だけの命じゃない。バクラバに手渡す。
「……安全装置がはずれていましたよ。これを胸もとに入れていたのですか」
銃はすぐに戻される。そのままセキチクと向かい合う。何メートル離れている? 俺らはハシバミみたいに距離を精密に把握できない。それに合わせて加減などできるものか……。老兵は覚悟の目でカツラを見つめていた。
「三数えたら突撃します。援護してくだ――」
背後で落雷の音が聞こえた。
***
「コウリンとアコンがまだだ。だが始めるべきだ。ミカヅキも待たない」
砦襲撃の責任者であるシロガネがみなに言う。
クロイミは考える。僕たちは七人。砦の者は増えているはずないから五人。数的有利は二人だけ。向こうは銃を持っている。だけどこの雨だ。奇襲は成功する。それでも五人を倒すのに数人の犠牲は覚悟しないとならない。
戦わずに降伏させるが最善。それしかないのに時間がない。でもキハルのせいではない。彼女の責任には絶対にしないし、誰にもさせない。
「ゴセントはどう思う?」
ツユクサが尋ねる。
「なにも見えないよ。……見えるのは靄の向こうでハシバミが待っている」
肝心なときに役に立たないシャーマンだ。
「もう少しだけ二人を待とう。倍近い人数が欲しい」
クロイミはシロガネに言う。それだったら先制攻撃で二人倒せば九人対三人で三倍だ。残った将軍の配下が降伏する可能性が高くなる。
しかしなぜにコウリンを最後の伝令にしたのだよ。その任務はツヅミグサだろ――。
砦方面からとてつもない落雷が響いた。
***
エブラハラでカツラを探すのはあきらめた。山中の神社の跡地にもハシバミたちはいなかった。
私は何をすべきか? キハルは考える。
もしかしたら作戦は大失敗に終わり私だけが生き延びている? いやいやデブのコウリンはまだ山の中だ。私があいつを見つけられないように、他の奴らも見つけられないだけだ。嵐と樹木のせいだ。
だったら私がするのは、砦への脅しだ。カツラは勝手に始めたのだから、私も勝手に始めてやる。……嵐で閉じこもった連中でも気づけるように、ちょっとだけきつく脅すべきかな。
しかし揺れる揺れる。縦にも横にも好き放題にされる。でも私は四歳のときから叩きこまれている。吐いて漏らすだけ。絶対に気を失わない。
人がいなさそうな場所は……離れた位置にある四角い小さい建物。あれの屋根を吹っ飛ばそう。
ミカヅキはノスリのように急降下する。はるか昔、母に抱えられて合わせた照準。自分の指先のような照準。揺れようが何だろうが口ずさめ。
「ママいまだよ」
ミカヅキの先端から出力をミニマムに絞ったレーザー砲が弾薬庫へと発射される。
アイオイ親方がしでかすような大爆発が発生した。
***
その音にシロガネが決断する。
「何が起きたか知らない。だがキハルだ。向かおう」
勇猛で一直線な男が駆けだす。ぬかるんだ傾斜を滑るように降りていく。六人が後を追う。
***
こんな音は滅多に聞けない。セキチクは身を晒して呆然としている。バクラバもだが。
「セキチクさんよお、いまのは飛行機の仕業だ。砦がつつかれたぜ」
カツラが心の底から笑う。はったりが間に合った。「戻って将軍に伝えな。命を大事にしろとな」
「逃げるぞ」
セキチクがきびすを返す。配下とともに山道を下る。
「もう心配事はない」
カツラはバクラバの肩を叩き登り返す。
*
「誰も置いていかない。だから立ってよ、立て!」
爆音に座りこんだ女たちをツユミが必死に奮わせていた。雨に張り付いた衣服。でも鬼気迫る顔。綺麗でも淫靡でもない。カツラでさえちょっと怖気づいた。
「お前はこのまま報告しろ」
そう言うと、セキチクは単身ですぐに登りかえす。森に隠された小道を進む。
しかしのろすぎる。
カツラはパシャを倒してから始めて不安を感じた。峠までどれくらいか知らないが、この速度だと間違いなく追いつかれる。コウリンでも追いつける。
ミカヅキはどこだ? 俺の伝言は――突き上げた腕は伝わらなかったか? 違う。林の俺たちを見つけられないだけだ。……もしくはエブラハラを単独で攻撃してくれている。そしたら奴らは俺たちを追うどころではない。
だがそれはない。ゴセントみたいなツユミが言っていた。ミカヅキは雌ガラスだ。
俺だから分かる。キハルは誰よりも強い。ハシバミぐらい強い。でもヒイラギが言ったように戦士じゃない。空で途方に暮れている可能性さえある。
汗と雨と涙。女たちは泣きながら登っている。俺の使命は這いつくばらせてでも進ませる。
みんなびしょ濡れだ。塩も溶けただろうか。油も流れただろうか。必要なのは命だけ。
だから急いでくれ。いくら俺でも十一人を引きずれない。……荒れた呼吸に合わせて肩がずきずきする。どれくらい出血しただろう。だけど腕はまだ動く。
背後で銃声がした。その音に気づいた者は立ちどまる。
「女っこは走れ! これを持っていけ」
すれ違った女に刀を包んでいた布を押しつける。男二人だけが残る。
バクラバが木を遮蔽物にして銃を構える。カツラもその隣で右手に長刀を持ち左手に銃を持つ。
「ジライヤ、これは何事だ」
やはりセキチク群長がやってきた。俺たち同様にびしょ濡れ。配下は一人だけだと?
「女を傷つける気はないようです。私たちだけと対峙するための威嚇射撃です」
バクラバが息を整えながら言う。
「群長、戻ってくれ。戦いたくない」
カツラが雨音に負けぬほどに怒鳴る。勇気も能力もあるセキチクが敵であることが残念だ。
「砦の存在を知らないのか? 挟み撃ちだ。しかも本隊がじきに来る」
セキチクが銃を構えながら岩陰にしゃがむ。「降参すべきだぞジライヤ。肩の傷がひどいじゃないか」
ツヅミグサみたいによく通る声。何よりハシバミみたいに目がいい奴だ。つまり弓の名手だろう。ならば銃も。
「あんたこそ飛行機を知らないのか? あれは俺たちの仲間だ」
カツラの叫びにセキチクが笑う。
「そうだと思うよ。でも飛ぶだけでないのか? つつかれても痛くなさそうだ」
本当の勇気を持つ男に、はったりは通用しない。
バクラバが手にする銃からかちりと音がした。
「私はオオネグサを殺したばかりだ。そして二度とあなたに捕まる気はない」
老兵の宣言に、双方の空気が変わったと感じる。
セキチクはパセルの副官の死を知らなかった。知った以上は俺たちに報いを与える。ひりつくほどの殺し合いの空気に化した。でも殺したくない。
「峠までどれくらいだ?」
カツラはバクラバに聞く。
「おそらく女の足でも三十分」
バクラバは正面から目を逸らさず答える。
それが短いのか長いのかも分からない。ハシバミたちが砦を占拠したのかも分からない。どっちにしろ銃に背中を向けて歩けない。なんであろうと殺したくなんかないし殺されたくない。……この大騒ぎを、ハシバミがうまいこと言ったよな。弱者によるささやかな復讐。
ざけんな。俺は誰よりも強い。将軍よりハシバミより強い。
「戦うぞ」カツラは決断する。
「となると極めて不利ですね。セキチクは戦う必要がない。将軍たちの到着を待てばいい。もしくは私たちの捨て鉢な突撃をです」
なんでそんなに冷静にいられるのだ。十九の俺もあと二十年生きられたならば同様になれるのか?
「だったら俺のも弾がでるようにしてくれ」
銃で戦いたくないなんて矜持は……俺だけの命じゃない。バクラバに手渡す。
「……安全装置がはずれていましたよ。これを胸もとに入れていたのですか」
銃はすぐに戻される。そのままセキチクと向かい合う。何メートル離れている? 俺らはハシバミみたいに距離を精密に把握できない。それに合わせて加減などできるものか……。老兵は覚悟の目でカツラを見つめていた。
「三数えたら突撃します。援護してくだ――」
背後で落雷の音が聞こえた。
***
「コウリンとアコンがまだだ。だが始めるべきだ。ミカヅキも待たない」
砦襲撃の責任者であるシロガネがみなに言う。
クロイミは考える。僕たちは七人。砦の者は増えているはずないから五人。数的有利は二人だけ。向こうは銃を持っている。だけどこの雨だ。奇襲は成功する。それでも五人を倒すのに数人の犠牲は覚悟しないとならない。
戦わずに降伏させるが最善。それしかないのに時間がない。でもキハルのせいではない。彼女の責任には絶対にしないし、誰にもさせない。
「ゴセントはどう思う?」
ツユクサが尋ねる。
「なにも見えないよ。……見えるのは靄の向こうでハシバミが待っている」
肝心なときに役に立たないシャーマンだ。
「もう少しだけ二人を待とう。倍近い人数が欲しい」
クロイミはシロガネに言う。それだったら先制攻撃で二人倒せば九人対三人で三倍だ。残った将軍の配下が降伏する可能性が高くなる。
しかしなぜにコウリンを最後の伝令にしたのだよ。その任務はツヅミグサだろ――。
砦方面からとてつもない落雷が響いた。
***
エブラハラでカツラを探すのはあきらめた。山中の神社の跡地にもハシバミたちはいなかった。
私は何をすべきか? キハルは考える。
もしかしたら作戦は大失敗に終わり私だけが生き延びている? いやいやデブのコウリンはまだ山の中だ。私があいつを見つけられないように、他の奴らも見つけられないだけだ。嵐と樹木のせいだ。
だったら私がするのは、砦への脅しだ。カツラは勝手に始めたのだから、私も勝手に始めてやる。……嵐で閉じこもった連中でも気づけるように、ちょっとだけきつく脅すべきかな。
しかし揺れる揺れる。縦にも横にも好き放題にされる。でも私は四歳のときから叩きこまれている。吐いて漏らすだけ。絶対に気を失わない。
人がいなさそうな場所は……離れた位置にある四角い小さい建物。あれの屋根を吹っ飛ばそう。
ミカヅキはノスリのように急降下する。はるか昔、母に抱えられて合わせた照準。自分の指先のような照準。揺れようが何だろうが口ずさめ。
「ママいまだよ」
ミカヅキの先端から出力をミニマムに絞ったレーザー砲が弾薬庫へと発射される。
アイオイ親方がしでかすような大爆発が発生した。
***
その音にシロガネが決断する。
「何が起きたか知らない。だがキハルだ。向かおう」
勇猛で一直線な男が駆けだす。ぬかるんだ傾斜を滑るように降りていく。六人が後を追う。
***
こんな音は滅多に聞けない。セキチクは身を晒して呆然としている。バクラバもだが。
「セキチクさんよお、いまのは飛行機の仕業だ。砦がつつかれたぜ」
カツラが心の底から笑う。はったりが間に合った。「戻って将軍に伝えな。命を大事にしろとな」
「逃げるぞ」
セキチクがきびすを返す。配下とともに山道を下る。
「もう心配事はない」
カツラはバクラバの肩を叩き登り返す。
*
「誰も置いていかない。だから立ってよ、立て!」
爆音に座りこんだ女たちをツユミが必死に奮わせていた。雨に張り付いた衣服。でも鬼気迫る顔。綺麗でも淫靡でもない。カツラでさえちょっと怖気づいた。
「お前はこのまま報告しろ」
そう言うと、セキチクは単身ですぐに登りかえす。森に隠された小道を進む。