056 ハチの巣
文字数 2,050文字
「飯は人数分しかない。ハヤと山菜を黒くて甘い粉(極めて変色した砂糖のこと)で煮込んでみたが……、我慢して食べてくれ」
焚き火にかけてあった鍋から、サジーがスープを食器によそってくれた。金属のスプーン付きだ。
「サジーありがとう。今夜はあの二人の分はいらない。おそらくカツラも付き合うんじゃないのかな。――肩の傷を見せて」
黒人大男の化膿はおさまっていた。これならよほど運が悪くない限り悪化しないだろう。それこそ陰麓の黒屍に呼ばれない限り。
「ハシバミ、何があったのだ? 他の者はいないのか?」
誰もが口数が少ないなかで、シロガネが炎の向こうから尋ねる。
「何も聞いていない。ヒイラギさんは心が半分どこかへ行ったようだった。ブルーミーという奴も喋りたくないみたい」
ゴセントの予言が当たったと、みんなは覚悟している。身寄りがないのはハシバミ兄弟、カツラ、コウリンぐらいで、ほかは家族を残してきた。急すぎて挨拶もせずに別れた友だちや、心の奥で意識していた女子も村に残っていた。
不安と罪悪感。やがてそれぞれは建物へと消える。ヒイラギたちは食堂の隅で寝ていた。二人は一晩中うなされて、悲鳴を上げた。みな眠れずに率先して夜番をした。
ハシバミはゴセントと二人で裏側の番をする。焚き火もランプもないままの暗闇。
「村は滅んだと思う」
弟の影がぼそりと言う。「嘆くのは仕方ないけど引きずらないように。ハシバミがみんなの手本になって欲しい。そうでないと、気づけたのに無力だった僕が押し潰される」
「みんなは強いよ」
ハシバミは弟の肩を叩く。
獣の匂いがまた漂った。牛が怯えた鳴き声をだす。人にすがる声。
***
翌日は朝から夏を思わせる辟易とした暑さだった。ツヅミグサとツユクサが池で水浴びしていた。ハシバミは情け容赦なくみんなを開墾作業に駆り立てる。
あの二人はまだ眠っている。まだ起こさない。みんなは二人の話題をあえて避ける。
ハシバミはヤイチゴに罠の作り方を尋ねる。針金は倉庫で眠っていた。
「これは細くて柔らかいな。その逆が大事なんだ」
ヤイチゴが針金を手にして言う。「太くないと逃げられる。固くないと獲物に巻きつかない。両方が揃えばイノシシさえ逃げられない。作り方だけ教えよう」
ヤイチゴが針金をしごきだす。
「ちょっと待って。おーい、クロイミ。ツヅミグサを呼んでここに来てくれ」
賢い奴と器用な奴が知っておく必要がある。
ツヅミグサは便所の穴掘りをしていたので、ハシバミが交代する。気温はどんどんあがっていく。
***
「そこだと近すぎないか? 匂いが建物まで漂ってきそうだ」
昼休憩でシロガネに見おろされる。
「私が場所を決めたのだが、変更してもいい」
トラップ作りを教え終えて伐採作業に戻ったヤイチゴが言う。なんであれ便所の穴はもう1メートルも掘ってしまった。
「まだ畑がないから肥やしにはできない。寝場所に近いほうが便利だよ。満タンになったら埋めればいい」
ハシバミはそう言うと穴からよじ登る。「建物、廃墟、寝場所。ここにも名前を付けてやろう。あの建物がホテルと呼ばれていたのは昔の名称かな?」
「そうだと思うが、忌むべき場所を連想してしまう」
忌むべき場所の下に十一人を押し込んだヤイチゴが答える。「これは平たいくせに部屋がいくつもある。“ハチの巣”なんてどうだろう?」
居合わせた若者は微妙な顔をしたが、年長の顔を立てる意味もあり同意する。クラブハウスにつけられた詩的でも実用的でもない名称はあっという間に定着していく。
「ヒイラギさんは多少回復したかな?」
ハシバミはツユクサに尋ねる。この子に水と山菜たっぷりスープを運ばせた。
「ブルーミーさん……ブルーミーだけ起きていた。スープの具がなんだかと面白くないことを言った。お礼も言っていた。ヒイラギは汗をかいて寝ていた」
ツユクサが真っ先に呼び捨てにしだす。
「自分たちから動くまでそっとしておこう。えーと。ヤイチゴ、罠は使えそうかな?」
「この針金だからな。だが暑い盛りだし林に出かけてみようか? 仕掛ける場所を伝えたい。……明日死ぬかもしれないから伝承する。それこそ大事だよ」
温度計があったならば木陰でも37℃を示しただろう。まだ灼熱もどきに体が慣れていない。炎天下では仕事できない。
「そうしよう。みんなは休憩していいけど、ヒイラギたちには近づかないように。コウとリンの食料だけは忘れないようにね。池のカエルはまだ獲らない。増えるまで待とう。クサイチゴも今年は終わり。ちょっと食べすぎたけど。大事なのは、少数で動く場合は武器を持つこと」
「ハシバミ、君こそ常に持つべきだよ」
ゴセントから弓と矢筒を渡される。
「私も罠を見てみたい。武器を持ってくるから待ってくれ」
シロガネがハチの巣へと駆ける。
「俺も行く。昨夜寝すぎたからな、昼寝までしたら、また牛と間違えられる」
カツラが再び携帯しだした長刀を背負う。もう槍を杖にしない。
ヤイチゴを先頭に四人はブナ林へと降りる。
焚き火にかけてあった鍋から、サジーがスープを食器によそってくれた。金属のスプーン付きだ。
「サジーありがとう。今夜はあの二人の分はいらない。おそらくカツラも付き合うんじゃないのかな。――肩の傷を見せて」
黒人大男の化膿はおさまっていた。これならよほど運が悪くない限り悪化しないだろう。それこそ陰麓の黒屍に呼ばれない限り。
「ハシバミ、何があったのだ? 他の者はいないのか?」
誰もが口数が少ないなかで、シロガネが炎の向こうから尋ねる。
「何も聞いていない。ヒイラギさんは心が半分どこかへ行ったようだった。ブルーミーという奴も喋りたくないみたい」
ゴセントの予言が当たったと、みんなは覚悟している。身寄りがないのはハシバミ兄弟、カツラ、コウリンぐらいで、ほかは家族を残してきた。急すぎて挨拶もせずに別れた友だちや、心の奥で意識していた女子も村に残っていた。
不安と罪悪感。やがてそれぞれは建物へと消える。ヒイラギたちは食堂の隅で寝ていた。二人は一晩中うなされて、悲鳴を上げた。みな眠れずに率先して夜番をした。
ハシバミはゴセントと二人で裏側の番をする。焚き火もランプもないままの暗闇。
「村は滅んだと思う」
弟の影がぼそりと言う。「嘆くのは仕方ないけど引きずらないように。ハシバミがみんなの手本になって欲しい。そうでないと、気づけたのに無力だった僕が押し潰される」
「みんなは強いよ」
ハシバミは弟の肩を叩く。
獣の匂いがまた漂った。牛が怯えた鳴き声をだす。人にすがる声。
***
翌日は朝から夏を思わせる辟易とした暑さだった。ツヅミグサとツユクサが池で水浴びしていた。ハシバミは情け容赦なくみんなを開墾作業に駆り立てる。
あの二人はまだ眠っている。まだ起こさない。みんなは二人の話題をあえて避ける。
ハシバミはヤイチゴに罠の作り方を尋ねる。針金は倉庫で眠っていた。
「これは細くて柔らかいな。その逆が大事なんだ」
ヤイチゴが針金を手にして言う。「太くないと逃げられる。固くないと獲物に巻きつかない。両方が揃えばイノシシさえ逃げられない。作り方だけ教えよう」
ヤイチゴが針金をしごきだす。
「ちょっと待って。おーい、クロイミ。ツヅミグサを呼んでここに来てくれ」
賢い奴と器用な奴が知っておく必要がある。
ツヅミグサは便所の穴掘りをしていたので、ハシバミが交代する。気温はどんどんあがっていく。
***
「そこだと近すぎないか? 匂いが建物まで漂ってきそうだ」
昼休憩でシロガネに見おろされる。
「私が場所を決めたのだが、変更してもいい」
トラップ作りを教え終えて伐採作業に戻ったヤイチゴが言う。なんであれ便所の穴はもう1メートルも掘ってしまった。
「まだ畑がないから肥やしにはできない。寝場所に近いほうが便利だよ。満タンになったら埋めればいい」
ハシバミはそう言うと穴からよじ登る。「建物、廃墟、寝場所。ここにも名前を付けてやろう。あの建物がホテルと呼ばれていたのは昔の名称かな?」
「そうだと思うが、忌むべき場所を連想してしまう」
忌むべき場所の下に十一人を押し込んだヤイチゴが答える。「これは平たいくせに部屋がいくつもある。“ハチの巣”なんてどうだろう?」
居合わせた若者は微妙な顔をしたが、年長の顔を立てる意味もあり同意する。クラブハウスにつけられた詩的でも実用的でもない名称はあっという間に定着していく。
「ヒイラギさんは多少回復したかな?」
ハシバミはツユクサに尋ねる。この子に水と山菜たっぷりスープを運ばせた。
「ブルーミーさん……ブルーミーだけ起きていた。スープの具がなんだかと面白くないことを言った。お礼も言っていた。ヒイラギは汗をかいて寝ていた」
ツユクサが真っ先に呼び捨てにしだす。
「自分たちから動くまでそっとしておこう。えーと。ヤイチゴ、罠は使えそうかな?」
「この針金だからな。だが暑い盛りだし林に出かけてみようか? 仕掛ける場所を伝えたい。……明日死ぬかもしれないから伝承する。それこそ大事だよ」
温度計があったならば木陰でも37℃を示しただろう。まだ灼熱もどきに体が慣れていない。炎天下では仕事できない。
「そうしよう。みんなは休憩していいけど、ヒイラギたちには近づかないように。コウとリンの食料だけは忘れないようにね。池のカエルはまだ獲らない。増えるまで待とう。クサイチゴも今年は終わり。ちょっと食べすぎたけど。大事なのは、少数で動く場合は武器を持つこと」
「ハシバミ、君こそ常に持つべきだよ」
ゴセントから弓と矢筒を渡される。
「私も罠を見てみたい。武器を持ってくるから待ってくれ」
シロガネがハチの巣へと駆ける。
「俺も行く。昨夜寝すぎたからな、昼寝までしたら、また牛と間違えられる」
カツラが再び携帯しだした長刀を背負う。もう槍を杖にしない。
ヤイチゴを先頭に四人はブナ林へと降りる。