078 ナトハン家
文字数 1,882文字
「休憩が長すぎないか?」
男の声も聞こえた。
ヨツバが口に指を縦に当てたあとに。
「ニシキギとアオタケが戻ってこないので探していました。どうぞ許可してください」
「だめだ。晴れた日は畑を耕せ」
ハシバミは弓を構える。ヨツバが首を横に振る。
「いま戻ります。倍働きます」
ホシグサが悲鳴のように言う。
男が近づく気配はなかった。
「私たち四人は、それぞれ子どもの頃にここへ売られました。奴隷として扱われています」
ヨツバが小声で言う。
「なぜ逃げない?」
ハシバミの問いに。
「逃げられないと何度も聞かされています。実際に脱走を企てた者が一人殺されました。ローリーもひどい目に遭わされました。彼は盗みを働かなかったので、命を残してもらえました」
ハシバミはあらためて二人を見る。ヨツバは僕たちと同じぐらいの年齢、ホシグサはちょっとだけ年上のようだ。服装はそこまで汚れていない。痩せすぎてもいない。盗賊の村の子どもたちのが惨めだった。……ベロニカやアコンのがみすぼらしかった。
「何度も嘘ついてしまったけど、本当の僕は放浪者でない。僕たちの村はすぐ近くにある。君たちが来たら住人として公平に扱う。このまま連れていってもいい」
ハシバミの言葉に二人は互いの顔を見合わせる。
「ローリーとニシツゲを置いていけない」
ヨツバが答える。
「でも六人一緒ならば、連れだしてください」
ホシグサが続ける。「私とニシツゲは夫婦です。ヨツバとローリーはそのような関係ではありません。……長は厳格なので、誰もナトハン家の男に卑しい行為をされていません」
ハシバミは考えるまでもなかった。彼女たちはここを抜けだし、僕らの村に合流したいと言う。拒む理由はない。でも平和に進むとは思えない。
「ナトハン家の構成は?」
「長とその妻――彼女は老いて虚ろです。その息子が二人。長男には妻がいて、子どもが二人います」
男は三人だけか。ならば威圧的にでれる。
「彼らは銃を持っているか?」
「はい」
ヨツバがきっぱりと言う。「長が猟銃を持っています。百年を過ぎてもナトハン家に受け継がれてきたものです。彼は弾も無尽蔵に受け継いでいます」
ハシバミはライフルをまだ知らない。拳銃の怖さだけを知っていた。それでも力づくの交渉は瞬時に脳裏から消し去った。
「僕の名前はハシバミ。生まれたての村の長だ」
「あなたが長?」
「若すぎるだろ? なぜならば若者だらけだからさ。村人は十五人。でも女性は一人だけ。だから彼女は威張っている」
ハシバミは安心させるように笑みを浮かべる。二人の顔色からその効果がうかがえたが、疑念も湧いていた。
「盗賊なんかじゃない。畑はないけど真面目な山の民だ。それで、もし僕たちが迎えに来たら、夜に逃げだせるか?」
ハシバミの問いに二人は考える。
「怪しまれるからホシグサは戻って」
ヨツバが告げる。彼女が藪の小道に消えるのを見送った後に、
「ナトハン家と私たちは別の家に住んでいます。私たちの住みかを鳥小屋と間違えるかもしれないけど、母屋と間違えることはありません。厠の隣です」
見つからずに逃げられるという意味か。かすかに笑えるヨツバは強いなと感じる。村の力になってくれそうだ。
「また仲間とともに来る。彼らに僕らのことがばれないようにね」
「分かりました。ハシバミ様」
ヨツバが答える。「ほかの二人も同意するに決まっています。私たちは牛のように使われていますから。私も畑に戻ります。子どもたちを帰らせてください」
「僕らの村に本物の牛がいるよ」
牛より僕たちのが働き者だ、とは言わない。「すぐに会えるさ」
ハシバミは沢を戻る。林の奥から犬の鳴き声が聞こえた。……番犬か。厄介だな。
***
「ニシキギとアオタケだね。僕は君たちのお母さんとヨツバに会ってきた」
川原に戻ったハシバミは子どもたちに言う。「君たちもナトハン家を逃げだしたいか?」
子どもたちは返事をしなかった。
「まあいいや。お母さんが帰ってこいと言っていた。僕たちに会ったことは絶対にナトハン家に言わないこと。その子どもたちにもだ」
「ダフには言うものか。でもルミはやさしい」
「ジングウおじさんもやさしい」
予想外の返事が戻ってきた。さすがは子どもだ。
「その二人にも言わないように。さもないと、お母さんもヨツバも銃で撃ち殺される」
分かったとうなずき、子どもたちは沢へと戻っていく。
「なにがあったの?」ツユクサが尋ねてくる。
「帰り道で教えてあげる。さあ戻ろう。忙しくなるぞ。途中にクレソンの群落があったよね。お土産にしよう」
ハシバミは興奮を抑えながら帰路につく。
男の声も聞こえた。
ヨツバが口に指を縦に当てたあとに。
「ニシキギとアオタケが戻ってこないので探していました。どうぞ許可してください」
「だめだ。晴れた日は畑を耕せ」
ハシバミは弓を構える。ヨツバが首を横に振る。
「いま戻ります。倍働きます」
ホシグサが悲鳴のように言う。
男が近づく気配はなかった。
「私たち四人は、それぞれ子どもの頃にここへ売られました。奴隷として扱われています」
ヨツバが小声で言う。
「なぜ逃げない?」
ハシバミの問いに。
「逃げられないと何度も聞かされています。実際に脱走を企てた者が一人殺されました。ローリーもひどい目に遭わされました。彼は盗みを働かなかったので、命を残してもらえました」
ハシバミはあらためて二人を見る。ヨツバは僕たちと同じぐらいの年齢、ホシグサはちょっとだけ年上のようだ。服装はそこまで汚れていない。痩せすぎてもいない。盗賊の村の子どもたちのが惨めだった。……ベロニカやアコンのがみすぼらしかった。
「何度も嘘ついてしまったけど、本当の僕は放浪者でない。僕たちの村はすぐ近くにある。君たちが来たら住人として公平に扱う。このまま連れていってもいい」
ハシバミの言葉に二人は互いの顔を見合わせる。
「ローリーとニシツゲを置いていけない」
ヨツバが答える。
「でも六人一緒ならば、連れだしてください」
ホシグサが続ける。「私とニシツゲは夫婦です。ヨツバとローリーはそのような関係ではありません。……長は厳格なので、誰もナトハン家の男に卑しい行為をされていません」
ハシバミは考えるまでもなかった。彼女たちはここを抜けだし、僕らの村に合流したいと言う。拒む理由はない。でも平和に進むとは思えない。
「ナトハン家の構成は?」
「長とその妻――彼女は老いて虚ろです。その息子が二人。長男には妻がいて、子どもが二人います」
男は三人だけか。ならば威圧的にでれる。
「彼らは銃を持っているか?」
「はい」
ヨツバがきっぱりと言う。「長が猟銃を持っています。百年を過ぎてもナトハン家に受け継がれてきたものです。彼は弾も無尽蔵に受け継いでいます」
ハシバミはライフルをまだ知らない。拳銃の怖さだけを知っていた。それでも力づくの交渉は瞬時に脳裏から消し去った。
「僕の名前はハシバミ。生まれたての村の長だ」
「あなたが長?」
「若すぎるだろ? なぜならば若者だらけだからさ。村人は十五人。でも女性は一人だけ。だから彼女は威張っている」
ハシバミは安心させるように笑みを浮かべる。二人の顔色からその効果がうかがえたが、疑念も湧いていた。
「盗賊なんかじゃない。畑はないけど真面目な山の民だ。それで、もし僕たちが迎えに来たら、夜に逃げだせるか?」
ハシバミの問いに二人は考える。
「怪しまれるからホシグサは戻って」
ヨツバが告げる。彼女が藪の小道に消えるのを見送った後に、
「ナトハン家と私たちは別の家に住んでいます。私たちの住みかを鳥小屋と間違えるかもしれないけど、母屋と間違えることはありません。厠の隣です」
見つからずに逃げられるという意味か。かすかに笑えるヨツバは強いなと感じる。村の力になってくれそうだ。
「また仲間とともに来る。彼らに僕らのことがばれないようにね」
「分かりました。ハシバミ様」
ヨツバが答える。「ほかの二人も同意するに決まっています。私たちは牛のように使われていますから。私も畑に戻ります。子どもたちを帰らせてください」
「僕らの村に本物の牛がいるよ」
牛より僕たちのが働き者だ、とは言わない。「すぐに会えるさ」
ハシバミは沢を戻る。林の奥から犬の鳴き声が聞こえた。……番犬か。厄介だな。
***
「ニシキギとアオタケだね。僕は君たちのお母さんとヨツバに会ってきた」
川原に戻ったハシバミは子どもたちに言う。「君たちもナトハン家を逃げだしたいか?」
子どもたちは返事をしなかった。
「まあいいや。お母さんが帰ってこいと言っていた。僕たちに会ったことは絶対にナトハン家に言わないこと。その子どもたちにもだ」
「ダフには言うものか。でもルミはやさしい」
「ジングウおじさんもやさしい」
予想外の返事が戻ってきた。さすがは子どもだ。
「その二人にも言わないように。さもないと、お母さんもヨツバも銃で撃ち殺される」
分かったとうなずき、子どもたちは沢へと戻っていく。
「なにがあったの?」ツユクサが尋ねてくる。
「帰り道で教えてあげる。さあ戻ろう。忙しくなるぞ。途中にクレソンの群落があったよね。お土産にしよう」
ハシバミは興奮を抑えながら帰路につく。