093 人の作りし器

文字数 3,135文字

 一世紀前の車道を覆う茂みには、人が行き来した跡が明瞭に残っている。それは奥深い山へと続いていた。たしかにヒイラギの言ったように街道と呼べるかも。でも人と出くわさない。
 エブラハラを目指す武装した十一人の男。僕ならば彼らが通り過ぎるまで林で息を殺す。

「ここから先がヒイラギの嫌いな土地だ。トンネルなどが現れる。ちなみに左に曲がれば、さらに大嫌いな、キハルに騙されてさ迷った山中だ」

 小休止で、シロガネがハシバミ兄弟へと告げる。

「どう思う?」ハシバミは弟に聞く。

「迷う必要はない。進むしかないよ」
 ゴセントが言う。「でも偵察は必要かな。ハシバミは駄目だよ。僕が誰かと」

「いや。カツラに頼もう。もし彼らと遭遇したならば、いきなり始めてもらう」
「……なるほどね。やっぱり僕のお兄ちゃんは怖いな」

 ハシバミは後方へと歩く。肩には弓。リュックサックには依然使用されていない銃が一丁ある。残りはツヅミグサと、留守中の長であるヒイラギに持たせている。近ごろは錆びた匂いがする。もはやはったり以外に使うことはないだろう。

 最近のカツラは臆病風に当てられたようだった。むすっとして、時にはおどおどして、人がそばにいない牛みたいだった。
 カツラとハシバミとクロイミの話を、ブルーミーがたまたま(・・・・)耳に入れたことがあるらしい。

 *

『戦いならば大丈夫だが……やはりこれは俺じゃない誰かに頼むべきだ』
 カツラが言ったそうだ。

『これができるのはカツラしかいない』
『クロイミの言うとおりさ。君だからすべてを任せるんだよ』

『……ブルーミーが聞いているぞ。俺は仕事に戻る』

 カツラはむっつりとその場を去ったそうだ。

 *

「親方、何の用だ?」

 しんがりに座っていたカツラが露骨に警戒の目を向けてきた。

「もしかすると将軍の配下がいるかもしれない。なんて呼ばれていたっけな――大哨戒って奴だ。探ってきてほしい」
「湖へ一人きりの放浪者の振りしていけばいいのだろ」

 カツラが長刀と小荷物だけ持って踏み跡に入る……シロガネが最後尾まで“ハシバミ詣で”に追ってきた。

「ハシバミ、ここはもうクロシソ将軍の土地なのは分かっているか」
「もちろん」
「ここからちょっと足を伸ばせば、私たちの村など容易に見つけられる。それに、飛行機が空を飛んでいるのにも気づいているだろう。将軍にも報告が届いているはずだ」

「そうだと思うよ」ハシバミはその話題を打ち切る。

 長の孫娘が飛行機とともに消えた。それがエブラハラ近郊を蠅のようにまとわりついていたら、空の民の村こそ問い詰められるに決まっている。やさしく聞きだすなんてしないだろう。
 キハルと初めて会ったとき、彼女は『村は滅びる』と嗚咽した。でも、その件をハシバミは以後話題にしない。クロイミやカツラだってドライだ。だから、いまのキハルがどう考えているかは分からない……まだシロガネはハシバミのコメントを待っていた。やれやれ。

「クロイミが言ったように、将来の危険に対処するための遠征でもある。僕たちにしても砦を避ければ――ツユクサどうした?」
「もうカツラが戻ってきた」

 わざわざ報告されるまでもなく、大男が不機嫌に現れた。

「ミカヅキが着陸しているのが見えた。カラスが休んでいるならば安全だろう」

 カツラは手短に伝えるなり大荷物を背負う。一人で歩きだす。

 ***

 踏み跡のさきに巨大人工建造物の廃墟が見えた。このダムはテロのターゲットにならず、文明末期に開門したうえで放棄されたので崩落は少なかった。その水門も百年の時間で流木などで狭まり、激しくない流れを下流へ供給している。そんな偶然が重なって、尋常でない大雨の際にも決壊を免れてきた。

 その一角を滑走路としてキハルは降りたっていた。両脇は湖もしくはコンクリートの絶壁。勇気の裏付けになる操縦術がなければできない芸当だ。

「ヒイラギはみんなが戻ってこないと思っている」

 何食わぬ顔のキハルが猫を抱えながら言う。顔を覆うマスクは脱ぎ、サングラスだけをかけている。愛らしい瞳が隠されると大人びてきれいに見える。

「そりゃ日帰りは無理さ。ここから僕たちの進路はどこにある?」
「教えたとおり。あの山を越える」

 キハルが北を指さす。ここから全容が見えるはずないけど、秋田犬の末裔の名前の所縁(ゆかり)となった独立峰がそびえている。

「山頂に雪はちょっとだからたぶん(・・・)登れる。そこを越えれば将軍に見つからずエブラハラへとたぶん(・・・)たどり着く」
「それは何度も聞いた。べつの道は見つからなかったってことだね」

 念押ししながら、ハシバミはゴセントを見る。

「長が不安げな顔をしてはいけない。たぶんじゃなくあの山が導いてくれるよ」
 弟はやけに自信ありげだ。

「分かったよ。今日はここで休むことにして、食料を調達しよう。ええと、キハルとは次に会えるかな」
「着陸できそうなポイントはあるけど、みんな次第。出発までは一緒にいてあげる」

「村に戻れよ。サジーよりヒイラギより、みんなは姫がいるのに安心する」
 カツラが背を向けたままで言う。

 *

「これは人が作った湖だ。何のために水を溜めるのかな? 川に水が溢れるから?」
 クロイミはみんなと違う地点へ考えが流れる癖がある。「この巨大な遺跡はなおも自然に埋まらない。ハイウェイにしてもそうだった。ホテルより大きそうな建物を、盆地でいくつも遠くに見かけたよね」

「うん。盗賊たちの根城になっていそうだから近寄らなかった」
「人の作りし強固なものを破壊できるのは、人の作りしものだけかな」

 話が難しくなりそうだ。ハシバミは「そうかもね」と適当に相槌して逃げる。


 ダムの管理事務所はまだ骨組みが残っていた。最近人が現れた痕跡もある。かすんでない血の跡もある。
 釣り竿は村に残る人のために置いてきた。鹿など獲れるわけないので、夕食は自己責任で銘々が済ますことにした。
 虫系が駄目なハシバミに、ベロニカが捕らえた蛇を半分恵んでくれた。香りの強い野草をスパイスに調理済の奴。予想外にうまかった。沢蟹を五匹捕まえていたので、しっかり焼いた二匹をベロニカに譲る。シロガネが褌だけになって、湿地みたいな沼に潜りオオナマズを捕らえた。泥くさくてもそれだけで四人分だ。そこでもまたベロニカが(マムシ)を捕まえた。
 ベロニカこそ蛇捕り名人だ。サジーがいたらそう笑っただろうな。


 ハシバミは暗くなりだした頃にみんなを集める。焚き火を囲む。

「これからどんどん暑くなる。そしてお約束の土砂降りだ」

 おどけて言いながら火に照らされる仲間を見渡す。誰もが逞しいと率直に感じた。ヒイラギはエブラハラの男たちのが優れていると言ったけど、それこそ囚われたゆえに感じただけだ。この頼もしい奴らをさらに勇気づけるには――

「ツヅミグサ、お話をしてくれよ」
 アコンが回答を口にする。

「いいねぇ」ブルーミーが笑う。「僕なんかせがまれない」

「面白いのがいいな」ツユクサも微笑む。

「はいはい」とツヅミグサが座ったままで言う。「『アイオイ親方と海の中の舟』でどうかな?」

「空の民に招待される話がいいなあ」
 コウリンが呑気に言って肘を枕にする。

「それじゃない奴がいい」

 カツラがふいに口にする。遠征が始まってから、彼はほとんど無口だったから、誰もが大男を見た。

「俺が聞きたいのはただ一つ。『アイオイ親方と陰麓の黒屍』」

 誰もが居心地の悪さを感じ、背後の暗闇を覗いたりした。

「……カツラ、それはうまくないと思う」
「俺にだって選ぶ権利はある」

 カツラが歯をむき出す。ハシバミがそれ以上言い返さなかったので、しばらく沈黙がひろがった。夏の虫が鳴いている。藪蚊がうっとうしい。

「じゃあ話すよ」

 ツヅミグサがやや沈んだ口調で語り始める。
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