115 嵐の前のディストピア

文字数 2,440文字

「あれは怨霊ではないかもな」

 カツラは上官であるパセルに答える。

「気が触れたのではないか?」
 パセルは怯えにも似た目をカツラに向けていた。「将軍に報告しないとならない。ジライヤも一緒に行くぞ……いや。お前は監視を続けてくれ。とくに年長の娘たちをだ」

「分かった」そのつもりだったとは言わない。

「これを預ける。空に向けて撃つだけで誰もがひれ伏す。私は手入れを重ねている。暴発を恐れるな」

 パセル群長が蓑に手を差しこむなり銃を取りだす。カツラへと押しつけて営舎へ戻っていく。

「だったら俺は女の園に行ってみるぜ」

 カツラは途中までパセルの背を追う。右手の銃がずっしり重い。引き金を引くだけで弾はでるのか? 撃つことはないにしても。

 *

 宿舎は早朝で慌ただしかった。ツユミたちと偶然出会える幸運には恵まれなかった。バクラバもいなかった。……すれ違う人の目線が気になる。原因であるむき出しの銃をしまいたいがホルダーがない。仕方なく腕ごと懐に入れる。

「ここの便所は男も使えるのか?」

 十五歳ぐらいの娘たちに尋ねる。

「見たことありません」とけたけた笑われる。「一人を抜かせばですね。黒い捕囚が今まさにいますよ」

 便所は木材で厳重に囲まれていた。屋根との境に換気用にたっぷりと隙間がある。
 ただ一つの入り口の前でパシャたちが見張りをしていた。

「いまは使用できません。そもそも男性は――」
「漏れそうなんだよ」

 カツラはパシャを押しのけて中に入る。中は仕切りをされておらず、穴がいくつも掘ってあった。エブラハラ中の蠅が集まっているようだった。
 辟易とする糞尿の匂いのなかに、バクラバだけがいた。

「こ、ここで処刑か。ひどすぎる」

 銃を懐中からだしたカツラに怯える。

「静かにしろ。そしてよく聞け」
 カツラがそばに寄る。「これはデンキ様と陰麓の黒屍に誓って本当だ。俺はエブラハラの敵だ。それを知っているのは君以外には数人の女性だけだ。再び空に飛行機が現れたとき、俺たちは逃げだす。それにあなたも連れていく。そのときに、この銃を操るのはあなただ。覚悟しておけよ」

 カツラは返事もきかずに外へ出る。

「男便所のが臭いとか言わないだろな?」見張りの一人は笑うだけだけど。

「上官殿は私の権威を無視されますね」
 パシャが怒りの目を向けてくる。「秩序を崩す振る舞いです。報告させてもらいます」

 カツラは答えずに立ち去る。もう一人が愉快そうになだめる気配がした。
 曲がったところで女子たちが十人ぐらい縦に並んでいた。紙を握っている。順番待ちの行列か。

「もう少し待ってやれよ。あの爺さんがここで用を足すことはもうないからな」

 *

 朝になろうと暗いままの空。
 オオネグサがわざわざ営舎にホルダーを取りに戻り、備品として渡してくれた。カツラは簡単に礼を告げて田園に向かう……。銃は魔物だな。携帯すると今さらながらエブラハラの男になった気分だ。
 ツユミたちは朝食前の作業を忙しくこなしていた。互いにちらりと目を合わせる。互いにちいさくうなずきあう。

 ***

 山腹へのアスファルトの痕跡は植物に飲み込まれていた。参拝で賑わった休息所も。
 ハシバミたちは、雌の紀州犬の名の由来となった地を拠点としていた。大鳥居がなおも残っている。ここから山頂までは、あと数日も続けばしっかりした踏み跡ができそうだ。もちろん今日が最後に決まっている。

「頂上は風が強い。ミカヅキが木の葉みたいになったらしい」

 神社の跡地まで降りてきたブルーミーが言う。
 最前線のハシバミたちと滑走路がある山頂までは六人が駅伝みたいに繋いできた。鍛えられた若者たちでも片道一時間半かかる。登りだと二時間だ。

「今日、今から決行すると、カツラがキハルに合図を送ったのだね」
 ハシバミは念押しする。「では僕たちは砦の上まで移動しよう。ツユクサは登り返してくれ。声かけたら順次引き返して僕たちへ合流するように」

「任せて」とツユクサが槍を杖にして踏み跡を登っていく。

「あの二人がどうやって意思疎通したか知らないが」
 シロガネがしつこいブヨを追い払いながら言う。「じきにミカヅキがエブラハラを空から脅す。その混乱に乗じてカツラたちが逃げだす」

「いいかいハシバミ親方」
 この数日に山腹を何往復もした――作戦の全責任を背負ったクロイミが緊張した顔を向ける。
「今回の逃亡は隠密である必要ない。速さだけが大事だ。だから砦が立ち塞がる道を使う。そこもミカヅキに脅してもらう。……あくまでも脅しだ。抵抗されたら僕たちが銃を持つ相手と戦う。苦戦しようがミカヅキは援護してくれない。レーザー砲へのエネルギーはたっぷりと残しておかないとならないからだ」

「うん。飛行機に怯えて無抵抗なんて楽観はしないよ。その後も追跡が続くと覚悟している。だから速度が大事。舟までは女子たちに死ぬ気で走ってもらう」

「失敗すればたくさんの人が死ぬ」
 ゴセントが兄の隣に来る。「ハシバミは出発すべきだ。その足だと時間が読めないだろ」

「……それだけど、やはり僕は残りたいな。一緒に戦って一緒に逃げたい」

「ゴセントの言うとおりだよ。それに船番こそ大任だ」
 クロイミが同意するはずない。「長がエブラハラに捕まるなんて避けなければならないし、舟をつなぐ縄を切るのも大事な仕事だ」

「誰にでもできるだろ。でも君たちに従うよ。……でもだよ、カツラが逃げだせなかったら、僕が迎えにいく。それは誰も妨げられない」

 ハシバミが足を引きずり仲間たちと別れる。その場にいたゴセント、クロイミ、シロガネ、ブルーミーは砦へと向かう。
 森の上では風が唸りだした。小雨が降りだした。雷さえも鳴った。

「これは祭りだな」
 先頭のブルーミーが振り向いて笑う。強がりの笑み。「嵐の中の祭りだ。男と女が濡れながら踊りだす」

「そんなもので済んだらいいがな。いいか、誰一人怯えないでほしい」
 シロガネが立ち止まったブルーミーの肩を叩き追い越す。「こんな祭りは金輪際ごめんだ」
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