094 アイオイ親方と陰麓の黒屍(1)

文字数 2,086文字

 親方が陸将の倉庫を襲撃したあとの話だ。陸将は死んだけど、すぐに後釜が現れた。その新しい長は曹長と呼ばれ、下っ端からのし上がった者だった。そいつは陸将以上に凶暴な男でもあった。その配下はもはや盗賊で、生き延びた村や新しい村を端から襲撃しては滅ぼしていった。
 いよいよ曹長の軍隊が親方の村に近づいた。

「もう争いはごめんだ。みんなで遠くに逃げよう」

 アイオイ親方は村人たちに提案した。

「どこへですか? しかも冬になりますよ。和睦を試みましょう」

 参謀であるミブハヤトルが言い、彼自身が使者となった。
 曹長はなにひとつ話を聞かなかった。ミブハヤトルは捕らえられて、牢屋に入れられた。二日後に処刑すると宣告された。
 アイオイ親方は必ず救いだすと誓った。なので親方の母親とミブハヤトルの妻の助けを借りて――

 ***

「そこはいい。飛ばしてくれ」
 カツラが、物語が乗り移ったような暗い声で言う。

「……唯一楽しいところなのにね。さて、まんまとミブハヤトルを奪い返された曹長は怒り狂った。牢番たち全員を同じ木に吊るすほどだった。そしてまた、生き延びた者同士の(いくさ)が始まった」

 ***

 曹長の兵士たちが親方の村に侵攻を開始した。その頃になると走らないクルマや弾のない銃が増えてきた。それでも兵士たちはどう猛に柵を越えてなだれ込んだ。すると錆びついたと見せかけた車が動きだし、兵士たちは下敷きになった。さらに村内には無数の罠が待ちかまえていた。兵士たちは転がるように逃げだした。村民たちは鬨をあげた。
 だが曹長はあきらめなかった。彼は村を竹の槍だらけの堀で囲んだ。一人も逃がさないためにだ。

 雪が降りだした。村は包囲されたままで真冬を迎えた。もともとわびしい食料は尽きた。それは兵士たちも同じだった。どちらも空腹で痩せ衰えて、凍えて震えた。
 親方は降伏を提案した。

「アイオイとミブハヤトルの一族の首を差しだすこと」
 曹長が条件を伝えた。

「俺とミブハヤトルだけならともかく子や妻の首をさらすわけにはいかない」

 飲めるはずない要求に、親方の悪だくみも尽きてしまった。

「親方たちだって引き渡しません!」

 村人たちはなおも戦おうとしてくれた。そんな中でミブハヤトルが言う。

「春の手前が近づいた。そろそろ流行りだすと思いますよ。あれに襲われたほうが負ける」


 死の病は親方の村で暴れだした。家単位で、砦単位で、死者が毎日現れた。村内は崩壊していった。でも兵士たちはカブが流行る村へとやってこなかった。彼らの任務はいつしか変わった。
 この忌むべき村が滅びるまで、病の者を一人も外へ出すな。



 アイオイ親方は、両親が死んだ子の手を握りながら死体置き場から戻った。この子たちからカブがうつろうが知ったことじゃない。やけっぱちだった。

「ああ、でもデンキ様。私の命と引き換えにみんなを助けてもらえないでしょうか? そりゃ私はちっぽけな人間ですけど、誰よりも強かった父の心を受け継いでいます。この魂と引き換えに、西の王子様に助けを……連中では力にならないか。それこそ陰麓の黒屍とでも取引しないと無理だ」

 言ってから親方の体に悪寒が走った。自分だけを犠牲にするのならば、最悪にして至高の交渉相手だ。しかも彼とはいつでも会える。なぜなら……その時代は、いまよりずっと死が近かったからだ。だから陰麓の黒屍はすぐ隣にいると、誰もが感じていた。

 陰麓の黒屍とは? それは恐怖であり闇そのものだ。終わりなき冬だ。冷酷で無慈悲だから、彼から逃れるのを毎日デンキ様にお願いしないとならない。カブも大雨も戦も、みんな黒屍が仕向けたものだ。しかも彼は名指しで若者を誘う。呼ばれた若者は逃れられない。黒屍の手下となり闇に侍らないとならない。

 陰麓の黒屍の正体とは? まとめて黒く焼け死んだ人々の怨嗟だと言う。いまを必死に生きている人を憎んでいるのだとも言われる。だけど俺たちは分かっている。彼は運命を執行しているだけだ。そうじゃなければ僕たちはとっくに滅んでいたはずだ。
 そうだとしても……誰だって生まれていつか死ぬ。その間に為すべきことを与えられて生まれてきている。それが途中で終わりを告げるのは、やはり黒屍の仕業だ。

 俺たちはいずれ死ぬ。黒屍の意志により死は訪れる。でもそれは公平だ。だから彼を怖れることはあっても忌んではいけない。そんな暇があったら必死に働け。
 そんな感じに、シロギク爺さんの話はいつも説教で終わった。では物語に戻ろうか。


 陰麓の黒屍に助けを求める。アイオイ親方はそれが極めて魅力的に感じてきた。それ以上に恐ろしかった。なので一晩中悩み続けた。そして、ほかに村を救う手立てがないと決断した。
 親方は翌朝ミブハヤトルに打ち明けた。

「俺の命と引き換えにみんなを助けてもらう。俺は陰麓の黒屍のもとへ行く」

 ミブハヤトルはしばらく考えたのちに。

「僕は五十歳を超えたかもしれません。あなたの父親ははるか昔に去り、ともに戦った男たちもみんな行ってしまった。僕だけちょっと長生きしすぎた。だからお供しますよ」

 哀しげに笑いながら答えた。
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