045 オンコの木
文字数 2,138文字
「戦いや病で村の人口が減った。それは嘘で、実際は山で奴隷……。そうだとしても、なぜこの村に見張りがいない?」
クロイミが尋ねる。
「害されぬために、それほどまでに従順だった。そもそも村人など逃げだしてもかまわない。鉱山の麓の村が滅びようが知ったことじゃない。必要なのは硫黄だけ。
奴隷に反乱されぬために十人は固まっている。それにだ、不測の事態が起きれば、村に残された者は率先して十人のために動く。今回のようにね。だから心配していない。
……村に残りたい。居させてくれ。彼らは君たちのその言葉を待っていた。聞けたのなら、喜んで山へと報告に行っただろう。彼らは罪悪感をうわべだけでも消せる。なにしろ君たちが望んだのだから」
語り終えたゴセントがぐったりと座りこむ。
ハシバミはクロイミを見る。怯えた目でゴセントを見ていた彼は、ハシバミの目線に気づく。
「あり得るよ。辻褄が合う気がする」
何度もうなずく。「機先を制してうわずっていた。ここは抜け殻みたいな村だった」
ハシバミは芸術品を思いだす。抵抗せずに嘆くだけの象徴……。
ここから立ち去らないと。逃げださないと。……カツラを置いて?
そのカツラはゴセントのもとへ這っていた。
「弟くん、俺は生きている。これからも生きたいが……俺はどうしたらいい?」
「どうするって?」ゴセントが答える。「行くんだよ。すぐに。君も一緒に」
……そういうことか。カツラを見捨てない。そのためにカツラを歩かせる。逃げるためじゃない。生きるために。
「どこへ?」瀕死のはずのカツラがなおも尋ねる。
「丘陵へ」ハシバミが答える。「最初から目指していた場所」
水に浮かぶ小舟のようにおとなしくてか弱そうな丘。だけど台風にすら負けぬ逞しい土地。そこは主が現れるのを待っている。
水船丘陵。たどり着けたならば、そう名付けよう。
「旅だつ準備を始める。一時間後だ」
ハシバミはみんなへと宣言する。
「銃はもらっていくよ。牛もね」ツヅミグサが男たちに言う。
「荷物全てもだ」サジーが白い歯を向ける。「命と引き換えにな」
「聞かされている。達者でな」
男が腫れた顔にあきらめの笑みを浮かばせる。「俺たちより多少は長生きしやがれ」
男たちは生かされるか、村に来た痕跡ごと消されるか。それはこの村が決めることだ。
「カツラは歩けないよ。無理だよ」ツユクサがハシバミに進言する。
「俺は歩ける。だが出発までは休ませろ」カツラはそのままそこで横になる。
***
荷を牛たちに背負わせる。それでも十一人の荷物は左程減らない。カツラは背中に長刀だけ。血のにじみは少ない。ぎらぎらした目で槍を杖に歩く。その目力に牛がおびえて従う。
「こいつらに乗るのを試してみないか。馬という生き物には乗れたと聞く」
シロガネがカツラに言う。
「けっこう」とカツラが答える。よろよろとした足取り。脂汗。狂気じみた眼差し。
「休み休みいこう。食料を餞別でもらえた し」
ツヅミグサが言う。
*
「ハシバミ、人が追ってきた。男だ」
村はずれに差しかかったところで、しんがりのベロニカが叫んだ。
「一人だけだと?」
なおもカツラは長刀を背からおろす。
その男は必死に駈けすぎて、途中で転んだりした。それでもすぐに立ちあがり、また駆け下りる。
「様子がおかしいな。……村からカブがでたのか?」
サジーが荷物を背負ったまま槍を構える。
「いや。山から将軍の手下が……。どうする?」
クロイミが隣にやってくる。
「どちらでもないと思う。急いでいるだけだ」
誰よりも視力がよいハシバミが答える。彼は僕たちに追いつきたいだけだ。
「……ヤイチゴか」
牛の手綱を持ったツヅミグサも男の正体に気づいた。
ヤイチゴは身構える若者達の前で息を整える。卑下しきった面 でみんなを見る。やがて覚悟したようにハシバミの前へと進む。おおきい体を惨めたらしく小さくしている。
「ハシバミ……、私も連れていってほしい」
なんの荷物も持たないままで言う。
ハシバミは返事をしない。
「私たちを騙そうとした者を、なんで仲間に加える必要がある」
シロガネが厳しい声で告げる。槍を向ける。
「私も連れていってくれ」
ヤイチゴはもう一度言う。
「……あなたは不要だ」
答えようとしないハシバミの代わりに、またシロガネが告げる。「ファウメイ=ツィングだっけ? あの妻とここで過ごせ」
「彼女はすでに私の妻ではない」
ヤイチゴが声を絞りだす。「奴らが村に来た日から……。彼女は私を蔑んでいる。私など夫でない」
十人はその言葉を噛みしめる。弱者が弱者に寄り添う。
ハシバミは噛みしめない。温情と非情は紙一重。僕は誰よりも強くあれ。だけどオンコの木を見上げる。
この村が滅んだとしても、この木は大きく育ち続けるのだろうか。……自分は人を殺した。なのに罪悪感が湧いてこない。いつか感じられるだろうか。その前に殺されるだろうか。病で死ぬだろうか。
「もう何も言わなくていい」
ハシバミは向きを戻す。牛を引いて先頭で歩きだす。「新しい村を大きくするには、あなたも必要かもしれない」
十二人は林に消える。カラスが飛んできてオンコの木にとまる。緑色の葉たちが太陽に立ち向かっている。その木だけが彼らを見送った。
第Ⅰ章完
クロイミが尋ねる。
「害されぬために、それほどまでに従順だった。そもそも村人など逃げだしてもかまわない。鉱山の麓の村が滅びようが知ったことじゃない。必要なのは硫黄だけ。
奴隷に反乱されぬために十人は固まっている。それにだ、不測の事態が起きれば、村に残された者は率先して十人のために動く。今回のようにね。だから心配していない。
……村に残りたい。居させてくれ。彼らは君たちのその言葉を待っていた。聞けたのなら、喜んで山へと報告に行っただろう。彼らは罪悪感をうわべだけでも消せる。なにしろ君たちが望んだのだから」
語り終えたゴセントがぐったりと座りこむ。
ハシバミはクロイミを見る。怯えた目でゴセントを見ていた彼は、ハシバミの目線に気づく。
「あり得るよ。辻褄が合う気がする」
何度もうなずく。「機先を制してうわずっていた。ここは抜け殻みたいな村だった」
ハシバミは芸術品を思いだす。抵抗せずに嘆くだけの象徴……。
ここから立ち去らないと。逃げださないと。……カツラを置いて?
そのカツラはゴセントのもとへ這っていた。
「弟くん、俺は生きている。これからも生きたいが……俺はどうしたらいい?」
「どうするって?」ゴセントが答える。「行くんだよ。すぐに。君も一緒に」
……そういうことか。カツラを見捨てない。そのためにカツラを歩かせる。逃げるためじゃない。生きるために。
「どこへ?」瀕死のはずのカツラがなおも尋ねる。
「丘陵へ」ハシバミが答える。「最初から目指していた場所」
水に浮かぶ小舟のようにおとなしくてか弱そうな丘。だけど台風にすら負けぬ逞しい土地。そこは主が現れるのを待っている。
水船丘陵。たどり着けたならば、そう名付けよう。
「旅だつ準備を始める。一時間後だ」
ハシバミはみんなへと宣言する。
「銃はもらっていくよ。牛もね」ツヅミグサが男たちに言う。
「荷物全てもだ」サジーが白い歯を向ける。「命と引き換えにな」
「聞かされている。達者でな」
男が腫れた顔にあきらめの笑みを浮かばせる。「俺たちより多少は長生きしやがれ」
男たちは生かされるか、村に来た痕跡ごと消されるか。それはこの村が決めることだ。
「カツラは歩けないよ。無理だよ」ツユクサがハシバミに進言する。
「俺は歩ける。だが出発までは休ませろ」カツラはそのままそこで横になる。
***
荷を牛たちに背負わせる。それでも十一人の荷物は左程減らない。カツラは背中に長刀だけ。血のにじみは少ない。ぎらぎらした目で槍を杖に歩く。その目力に牛がおびえて従う。
「こいつらに乗るのを試してみないか。馬という生き物には乗れたと聞く」
シロガネがカツラに言う。
「けっこう」とカツラが答える。よろよろとした足取り。脂汗。狂気じみた眼差し。
「休み休みいこう。食料を餞別で
ツヅミグサが言う。
*
「ハシバミ、人が追ってきた。男だ」
村はずれに差しかかったところで、しんがりのベロニカが叫んだ。
「一人だけだと?」
なおもカツラは長刀を背からおろす。
その男は必死に駈けすぎて、途中で転んだりした。それでもすぐに立ちあがり、また駆け下りる。
「様子がおかしいな。……村からカブがでたのか?」
サジーが荷物を背負ったまま槍を構える。
「いや。山から将軍の手下が……。どうする?」
クロイミが隣にやってくる。
「どちらでもないと思う。急いでいるだけだ」
誰よりも視力がよいハシバミが答える。彼は僕たちに追いつきたいだけだ。
「……ヤイチゴか」
牛の手綱を持ったツヅミグサも男の正体に気づいた。
ヤイチゴは身構える若者達の前で息を整える。卑下しきった
「ハシバミ……、私も連れていってほしい」
なんの荷物も持たないままで言う。
ハシバミは返事をしない。
「私たちを騙そうとした者を、なんで仲間に加える必要がある」
シロガネが厳しい声で告げる。槍を向ける。
「私も連れていってくれ」
ヤイチゴはもう一度言う。
「……あなたは不要だ」
答えようとしないハシバミの代わりに、またシロガネが告げる。「ファウメイ=ツィングだっけ? あの妻とここで過ごせ」
「彼女はすでに私の妻ではない」
ヤイチゴが声を絞りだす。「奴らが村に来た日から……。彼女は私を蔑んでいる。私など夫でない」
十人はその言葉を噛みしめる。弱者が弱者に寄り添う。
ハシバミは噛みしめない。温情と非情は紙一重。僕は誰よりも強くあれ。だけどオンコの木を見上げる。
この村が滅んだとしても、この木は大きく育ち続けるのだろうか。……自分は人を殺した。なのに罪悪感が湧いてこない。いつか感じられるだろうか。その前に殺されるだろうか。病で死ぬだろうか。
「もう何も言わなくていい」
ハシバミは向きを戻す。牛を引いて先頭で歩きだす。「新しい村を大きくするには、あなたも必要かもしれない」
十二人は林に消える。カラスが飛んできてオンコの木にとまる。緑色の葉たちが太陽に立ち向かっている。その木だけが彼らを見送った。
第Ⅰ章完