064 水舟丘陵の民

文字数 1,781文字

 ヒイラギの話の途中から雨が落ちだしていた。避難するほどではない。コウリンが足した生木が焚き火の中でぱちぱち音を立てる。その音だけの静寂。犬たちは人を見ている。

 村に帰りたいと言いだすかなと、ハシバミは思っていた。でも誰も口にださない。……生き延びた人のなかに親がいるかも。あの子は森に隠れて見つからないままかも。胸の内で都合よく物語を作るだけだった。

「今日の遅れは明日取りもどそう。掘っ立て小屋でいいから建て始めたい」

 ハシバミが宴の終わりを宣言する。
 見張りと片づけを残して、九人がハチの巣に入る。

 部屋の中でハシバミはヒイラギの傷をランプで照らしてみる。……誰かに昼間頼んだよな。ツヅミグサにだ。あの野郎。

「僕はツヅミグサにあなたの傷を看るように頼んであった。でも、あいつは暑さで投げだしたようだ」

「でも知っているかな――」ブルーミーが口を開く。

「ここで冗談はやめろ」

「冗談であるものか」
 ブルーミーの声色が変わった。鍛えられた戦士の声だ。「僕が言いたかったのは、あの女たらしはお頭の傷をしっかり看た。お頭が焼酎を拒んだ。傷口にかけるのは勿体ない、飲ませてくれってね」

「はは。ブルーミー。冗談になっているぞ」
 ヒイラギが笑う。「ブルーミーの言うとおり、私は怖くて拒否した。でも長が心配するのならば、ぜひ治療してもらおう。それとブルーミーよ、私はお頭でない。頭はハシバミだ」

「いえいえ、お頭はお頭だけですよ。丘の村でも別に頭領がいたではないですか。ハシバミ親方配下のお頭が、ヒイラギお頭ですって」

 犬の噛み傷の消毒で悲鳴をこらえるお頭(・・)を、ブルーミーは冗談で励ました。ハシバミはシロガネに呼ばれたので、治療をブルーミーと交代する。焼酎は残り少ない。川から流れてこないかな。

 *

「犬たちが立ち去ろうとしない。牛が怯えているし、夜間に外へ出るのを躊躇する者も現れる」

 雨の夜だから見えないけど、おそらくシロガネはしかめ面だろう。さすがにハチの巣で用を済ます人間は、ヒイラギ以外に現れないだろうけど。

「そら豆をくれた村の真似だよ。犬は人に従う。その通りじゃないかな?」
「従えるのはいいが、飯の食い扶持が減るだけだと思うが……。これはどちらの考えだ?」
「ゴセントでもクロイミでもない。犬たちと僕の思いつきだ」
「長じきじきか。では私が犬の守り役になろう。さっそく躾けてやる」

 シロガネがロウソクと槍を持って、犬たちのもとへ歩く。

「おいハシバミ。こいつら立ちあがって尻尾を振るぞ。私が狩りに招待したと勘違いしている」
 シロガネの楽しそうな声がした。



 じきに三匹は名前をつけられる。この地域に伝承され続ける大切な名を授けられる。雄の秋田犬の末裔にはガッサン。雄の柴犬の末裔にはハグロ。雌の紀州犬の末裔はユドノと呼ばれることになる。

 ***

「朝飯を待っているみたい。どうするの?」
 犬が苦手らしいクロイミから朝早々に言われる。

「腹が減れば自分で探しにいくさ。戻らなければそれもよし」
 早速当番を志願したブルーミーが言う。

「シロガネが狩りに連れていきたいと言っていた。サジーと相談するだろう」
 ハシバミはそう答えて「スープにするとさらに匂うね。香りの強い野草があればな」

 朝食当番の三人はエントランスの屋根の下で鍋をぐつぐつ煮込む。今日はゴセントとツユクサに野草を採ってもらおう。すでに麦はない。そろそろ塩も尽きる。

「狩りもいいけど哨戒もすべきだね。交流が欲しい。僕たちは干し肉を特産にするとか」

「クロイミの言う通りだと分かっている。でも見当つかないよな」
 ハシバミが味見をしたあとに言う。「犬は鼻がいいよね。鳥は空から見れる。僕たちにはどちらもない。あてもなく煙か畑を探さないとならない」

 それと干し肉か……。クロイミの頭脳でも、僕らがそれ以外に産みだせるものを見つけられないようだ。

「アイオイ親方の物語であったよね。親方が動物を使う話。ハシバミ親方も犬だけでなく鳥も子分にすれば、あの親方の子分になれる。子分の子分だ」
「ニワトリは欲しいな。ブルーミーの言う鳥は別物だと分かるよ。……動物の話は聞いたことないかも。ハシバミは?」

「僕も知らない。だったら朝食が終わったら聞きたいな。さあみんなを呼ぼう」

 ハシバミが呼子笛を二度鳴らす。スープの出来は微妙だから、物語で誤魔化そう。
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