129 遠征前夜

文字数 2,634文字

 二艘の筏が川を流れていくとともに、クロジソ将軍の権威も多少力を失った。彼は飛行機に恐れることなく、むしろ出し抜いたのにだ。
 彼は空から見えない林の道に陣を敷き、ジライヤたちの到着を待った。彼らが川を下るとの報告を受けても焦りなどしなかった。ここは水かさが増えない。すぐに立ち往生するか、足掻いて沈むはずだった。
 水量がほどよく筏たちを流していくのを、将軍は茫然自失と見送った。
 すぐに立ち直る。

 まずはダムを見た。この局地的な決壊は偶然でない。飛行機の仕業だ。百年前に失われた文明が空を飛び、弾薬庫を爆破して分厚いコンクリートを割った。恐るべき力だ。その源は太陽だろう。
 おそらく人の叡智の頂点。エブラハラがたどりつけるはずない。百年かかっても。
 なのに人が死んでいない。あの飛行機は人を傷つけるのを恐れていたかのように……。空の民の島を滅ぼした沿岸区の群長の報告によると、最後の飛行機は長の孫娘が操縦を誤り海に墜落したらしい。それが嘘ならば、あの飛行機は臆病な雛鳥だ。

 娘たちが逃亡した翌日、クロジソは信頼できる知恵を持つユキマチ老人に相談した。

「今回の件。誰もがじきに忘れます。団結をもたらす笑い話になるかもしれません」
 老人は聞き取りづらい声で語る。
「とは言っても田園の維持こそが大事。それは秩序。逃れた首謀者はツユミという娘だそうですね。統制のために、その子の家族を仕立てましょう。そしてクマツヅラに誰もが震えるような見せしめをさせましょう」

 クロジソはうなずくが、さすがにそこまでやる気はない。この老人の短所は、机上だけに存在できる理屈を現実世界に持ち込む。私はあくどい為政者ではない。あくまでも将軍だ。罪なき者を罪人の親にして殺せない。
 ユキマチ老人は話を続ける。

「大哨戒は冬まで我慢しなさい。そこで、大男の村が見つかれば滅ぼせばいいし、見つからなければそれでよし」

「残念だが、ご老体のその考えに賛同できない。冬までにエブラハラの者たちは二度目三度目の逃走を企てるかもしれない」

「そのための締め付けに、偽りの晒し首です。……文明を取りもどすために、すべきことを誤らぬように。それは茨をつかみ歩む道ですぞ」

「連中の逃げた方向は分かっている。二十人が移動した。見つけられる可能性はある」

「我慢は大事です。……火薬が作れても大筒は作れない。鉄は溶かせても鋭利な刃さえ作れない。文明の復活はなおも歪んだままです。小物の群れに構うべきではありません」

 クロジソは尊敬する者の言葉に従う。腹の奥が茹であがっていようが従う。

「それよりも」とユキマチ老人が地図に目をおろす。「北地区をあの男に任せすぎでは?」

 小柄で青い目のラン群長のことだ。奴は部下を数名焼き殺されただけで、巨大な村を消滅させた。エブラハラの力になる数百の人を失った。
 あの男は合理的だ。計算ずくで残虐になれる。だけど文明の復活でなく領土の拡大こそを望んでいそうだ。
 やがて叛旗を翻しそうな者を自分の手の届かない場所に置いてはいけない。しかし開拓途上の北部を任せる者がほかにいない。

 私の高望みにかなう人材が足りない。ひと月前だったら、図体だけのジライヤなど即座に処刑して紛れ込ませなかった。いまとなったら、敵に情けをかけられたパセルを処分することもできない。……南でのいざこざを早く終わらせたい。そしたら北だ。

 エブラハラに落ち着かない空気が漂う。自分を見る目が変わったとクロジソ将軍は思う。カリスマ性が失せたと感じる。三日後にセキチク群長が帰還するまでは。


「ほぼ特定しました」

 川で配下を一人失ったセキチクが報告する。
 将軍はずっと南地区にいた。詰所で地図を広げる。
 夏の昼間。外でセミが鳴く。狭い部屋に汗と熱気が籠る。

「カントリークラブ……。それが何か私も知りませんが」
 中央区から呼ばれたユキマチが地図の字を解読する。クロジソ将軍を見上げる。「潜めた村を築くとしたらこの周辺が第一候補。だが冬まで待つべきです」

「私は将軍だ」

 クロシソのその一言を聞き、ユキマチ老人はもうなにも言わない。

「私に行かせてください」
 パセル群長が必死に懇願する。

「いえいえ、セキチク殿でさえ敵と遭遇していますよね。だから無理せずに戻ってきた。そのように今回は、少人数かつ細心な注意と、なにより覚悟が必要です。なので私にやらせてください」

 チームでただ一人生き延びた若いノボロが言う。囚われて生き延びたパセルを遠回しに非難している。

 将軍は二人とも偵察に向かわせる。
 パセルは盆地から――ハシバミたちがコンテナトラックの橋を渡り水舟丘陵へと向かったルートを探る。
 ノボロは道の痕跡から――途中でナトハン家がひそむ、ハシバミたちがエブラハラを目指したルートを探る。

 どちらも五日後に帰ってくる。

「橋のない川の向こうに広い道がありました。間違いなく村がありますが、犬が吠えて近づけませんでした。ザオウぐらい利口な奴です」
 ノボロが報告する。

「人が通った痕跡がありましたが、飼い犬らしきが来て近づけませんでした。でも、その先に村があるのは間違いございません。おそらくジライヤはそこにいます」
 パセルも報告する。

 つまりユキマチ老人の推測通りゴルフ場だかの跡地にある。

「二十日後だ。その間に準備を進めろ」
 将軍が居あわせた者どもに告げる。
「クマツヅラは総勢百名召集しろ。屈強な隊を作れ。ラン群長にたっぷりと協力させろ。
セキチクとノボロは拠点を作り見張りを続けさせろ。
パセルは兵站の手配だ。百人が一週間行動する。その分の食料と弾の両方だ。それもランに協力させろ。
ユキマチ殿は策を練ってくれ。あなたの危惧が霧散する策をだ。
いいか、二十日後だからな。その時にみなを率いるのは私だ」

 男たちがうなずく。動きだす。

「ユートピアが文明を得る遠回りになりますな。だが仕方なし。あなた様の指図に修正があるとしたら」
 ユキマチ老人がもごもごと告げる。「兵は北部の荒くれ者だけを使いましょう。だが、あの男は呼ばない。配下だけです」

 なるほどと将軍は思う。奴に従う男たちを削る。ジライヤたちを滅ぼしたら、そのまま中央に組み込んでもいい。

「いずれにしろ、これからの二十日間に飛行機を見かけなければ恐れは無くなります」
「なぜだ?」
「文明を取り戻せぬ者どもが、いつまでも過去の遺物を飛ばせるはずがありません」

 老人はそう言うと、歯が残らぬ口を開けて笑う。
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