091 丘陵の弱者たち

文字数 3,574文字

「僕が囮になる。君はみんなを守ってくれ。そう言って俺たちの長は危険を恐れず、ナトハン家へと向かっていった。銃弾が降りそそぐ中を駆け抜けた」

 クロイミに頼まれて、ツヅミグサは誇張した冒険譚を村人たちに何度も語った。それを聞きカツラなど涙を流した。彼の話し上手を知った子どもたちに別の話もせがまれた。

 ***

 その朝は小雨だった。川の見張り役のツユクサとベロニカは、ハシバミとゴセントが対岸に現れたのを見た。
 ハシバミは縄に頼らず泳いで渡った。陸に上がった彼は片足をやや引きずっていた。

「よく戻ってきてくれた」

 村に入るなりサジーに肩を強く叩かれてよろめいてしまう。

「サジーこそな。僕は……ち、ちょっと」

 みんなが駆けよってきてもみくちゃにされた。ヨツバとホシグサとキハルが心配そうに離れて見ている。


「回復早々にひどい奴らだ。僕を物見やぐらに登らせてくれないか。村を眺めたい」

 歩くたびに足が痛む。階段を登るとなおさらだ。ハシバミは顔にはださない。屋上にはヤイチゴとニシツゲがいた。彼らは歓待に加わるのを遠慮していた。

「俺たちはあなたに心から感謝している」ニシツゲが手を突きだしてくる。

「この村はいかがかな」ハシバミは握りかえして尋ねる。

「思い浮かべた数倍も素晴らしい村だ。ナトハン家が手出しできるはずない。だが想像していたよりも村は未完成だ。俺も妻も子供たちも、ここが育つのを手助けさせてもらう。とりわけ俺は、誰よりも村のために働いてみせる」

「私も違う村の出自だとニシツゲに教えた」
 その隣でヤイチゴが言う。「恥ずかしい話だが私は昨日まで寝こんでいた。見舞いに行けず申し訳なかった」

「僕こそ看病できずにごめん」
 ハシバミは茶目っ気に笑ったあとに「エブラハラをどう感じた?」

「思いだしたくもない。あそこは限られた者が恩恵を受けるだけだ。女性たちに生気を感じられなかった。この数日、私はうなされていただろう。夢で奴隷になれと笑われて、見せしめに……。あそこから逃げだしたいものはたっぷりといる。そんな土地と関わるべきではない」

「ありがとう。参考にするよ」

 ハシバミはそう言ってから、雨靄に煙る水舟丘陵を眺めた。たしかに立ちあがったばかりの赤ん坊だな。

 ***

 その日の夕暮れ、みんなは早めに仕事を切り上げた。味の薄い川魚と蛙と山菜の料理。十八人は談笑しながら食べる。クロイミとキハルだけがいない。

「迷惑をかけて悪かった」
 一段落したところでハシバミが口を開く。「カブを怖れない夕餉は賑やかだ。夏場はこれでいいと思う。そして僕はこの村をもっと賑やかにしたい」

「そりゃ簡単だ」
 ブルーミーが笑う。「もう一度エブラハラに行けばいい。この村へとたっぷり追いかけてくるだろうね」

「さすがはブルーミーだ。半分だけ正解だ」
 ハシバミも笑い返す。「男たちには追わせない。女性を連れてくるだけだ」

 戸惑うようなささやきが方々から聞こえた。

「どうやって?」
 誰よりも先にベロニカが暗い目を向ける。

「それはクロイミの頭の中にある。さきほど僕はちょっとだけ聞いた。危険だけどうまくいきそうだ」

「中身を教えないのか」
 その隣に座るアコンがぼそりと言う。

「その時が来るまでね。そしてその時とは、村をでてエブラハラを見おろしたときだ」

 不平めいた呟きが聞こえる。

「親方。それには何人必要なんだ?」
 ニシキギを抱っこしたツヅミグサが尋ねる。「そこの話は聞いている。俺たち全員でかかっても無理だと思うけどな」

「戦うはずないだろ。でも帰り道が心配だ。なので人数は揃えたい」

「親方。だとしても……」
 ツユクサは勇気を振り絞っても言葉が続かなかった。

「ハシバミ」
 代わりにヒイラギが口を開く。
「私も新参者だ。君の意見に従うと決めていたんだよ。繰り返しになるが馬鹿げている。私たちがエブラハラに向かったのは偵察のためだったな。
私たちは男たちが携帯する銃を見た。田園を見た。そこでまわる水車を見た。統制のとれた者たち……軍隊を見た。砦も見た。伝令の見事さも見た。
女性がいるまえで失礼かもしれないが、若い君たちが異性を欲するのは理解する。だがエブラハラには近寄るな。その呆れた思いつきを捨てろ。嫁が欲しいなら近くの村と真面目な交流を地道に重ねろ。
これは、身を挺して任務を果たした私たちを愚弄することになるぞ」

 年長者の露骨な意見は、最初は沈黙をもたらした。そうだよなと、同調する空気が漂いだす。

「これは将軍への復讐を兼ねている」
 ハシバミが静かに言う。「ヤイチゴの村。キハルの村。そして僕たちが生まれた村。これは弱者によるささやかな復讐だ」

 明け透けなヒイラギの言葉こそ真実だと分かっている。だからこそ大義名分を口にする。

「私の村の仕返しなど不要だ」
 ヤイチゴが大声で返す。「ゴセント君の考えを聞きたい」

「僕は兄と一緒に行く」
 カツラの隣に座る弟が即答する。「兄の考えが正しい方向に導いていると感じるからだ。それはこの丘だけの話じゃない。でも、その先に靄が立ち込めたなら、すぐにみんなに伝える」

「そして僕はそれを尊重する」
 ハシバミが一同を見回す。今度こそは尊重する。

 みなが黙りこむ。いきなりカツラがすぐ隣で笑いだす。

「どうせ俺は行くものだとハシバミは思っているのだろ。その通りだ。キハルも飛ぶに決まっている。行くのは行きたい奴だけでいい。弱虫は居残れ」

「もちろん村にも残ってもらうよ。それこそ大事な任務だ」
 ハシバミが慌てて告げる。「ナトハン家から合流した人たちに来てもらうわけにはいかない。最初に行った四人にもさすがに頼めない」

「私は行く。再びエブラハラへ向かおう」
 シロガネが立ち上がる。「クロジソ将軍への復讐と聞いたならば背を向けられない」

「ぼ、僕も行く」
 ツユクサも立ち上がる。「僕はハシバミとともに行く。なぜなら……と、とにかく行きます」

 そこでクロイミがハチの巣へと入ってきた。ハシバミとシロガネの間に座る。ヨツバが器に料理を盛り、焚き火を囲む円を半周して、クロイミのもとにたどり着く。

「ありがとう。それとハシバミ。キハルが呼んでいる」
 申し訳なさそうな顔で告げる。

「ははは。長を呼びつけられるのはお姫様だけだ」
 ブルーミーが楽しげに笑う。「僕もエブラハラに同行させてもらう。ヒイラギお頭の意見こそ正しいかもしれないけど、僕たちの長はハシバミだ。彼の背中に従わせてもらいます。……お頭、呆れた目を向けないでくださいよ。この作戦が失敗に終わったら、僕はクロジソ将軍の前でうさぎの真似してちんちんしますよ。その間にみんなは逃げる。ははは」

 ブルーミーはみんなを勇気づけようとしている。ハシバミは心で感謝した。

「僕はキハルの家に行ってくるから、クロイミは志願者をまとめてくれ。無理強いはしない。カツラも一緒に来てくれ」
「用を足してからな。話が長くて漏れそうだ」

 ***

 まだ薄暗い。誰も見ていないのでハシバミはおもいきり足を引きずる。顔をしかめる。
 ヨツバとの同居を拒んだわがままキハルの家では、ガラスを三方に細工した器にロウソクが四つも灯されていて、外より明るかった。トモが腐りかけたネズミを食べている。じっと見てくるので、ハシバミは「いらないよ」と手で素振りする。それでも置いて隅に行ってしまった。

「クロイミとは二度と喋りたくない」

 キハルはむくれていた。論理的なクロイミと感覚的なキハルの相性はよくないようだ。

「でも手伝ってくれるのだろ?」

「飛べる限りはね」
 キハルが不安と安堵が混ざった顔を向ける。「教えないけどミカヅキにはひとつだけ弱点がある。今回が終わったら、それを直せるパーツを探してみる。西にも大きな町があるらしいから、そこまで飛んでみたい。……もしかしたら末裔が本当にいるかもしれないし」

「キハルの好きにしていい。でもミカヅキが遺物になっても村に残ってほしい」
「ほかに行き場所ないよ。……クロジソ将軍への復讐か。うまくいくのかな?」

「おいおい。若い男女がネズミの死骸を挟んで見つめあうなよ。ヒイラギに説教されるぜ」
 カツラがやってきた。どかっと座り、ろうそくの灯りが揺れる。「で、俺に何の用事だ?」

「僕とカツラ抜きで決断してもらいたかったんだよ。――ヒイラギには僕がいない間は長になってもらう。サジーは連れていかない。強いのも残しておかないとね。あとは来たくない奴は来させない」

「みんな志願するに決まっているさ」
 カツラが二人へと歯を剥きだす。「ミカヅキのレーザー砲を見たいに決まっている」

「クロイミに頼まれたこと、どうして分かるの?」
 キハルが驚いた顔をしたあとに、おなじく歯を見せて笑う。「やるとしても脅しだけだからね。将軍の尻になら当ててやってもいいけど」



 第Ⅱ章完
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