111 雷雲遠からず
文字数 2,789文字
「飛行機が地面に降りた。偵察を強行するからジライヤもこれを持て。手入れは行き届いている」
パセルが銃口をおのれに向けて、カツラへ渡そうとする。
「俺は撃ち方を習っていない」
カツラは受け取らない。俺は裏切り者だから受け取れない。彼らを傷つける事態になったとしても、その時は背中の長刀で済ます。
「暴発にびびっているのか?」
オオネグサが敵意ある笑みを漏らす。「あの娘はどこの班だ? ジライヤは女と喋るためにエブラハラに現れたのか?」
カツラの頭に小狡 い考えが浮かんだ。
「言っていいことと悪いことがある」
カツラはオオネグサの前に立ち塞がる。「俺に銃が不要な理由を教えてやる」
右手をねじりあげられて、オオネグサが悲鳴を上げる。麻織りの胸もとがはだけて、裸体に巻いたホルダー(ペットボトルと獣革で加工してあった)に収めた拳銃がちらり見えた。
「やめろ、馬鹿たれ」
パセルが怒鳴る。「たしかにジライヤは力がある。体もどっしりしている。だが、それだけでは足りない。その上の立場になり、みんなを率いるならばな」
「わかったよ。俺はすぐに頭に血がのぼってしまう」
カツラは演技を続けたままで手を離す。「オオネグサ悪かった。俺はお前が好きだぜ。女よりもな、ははは」
「やめてくれよ」
オオネグサが腕をさすりながら愛想笑いを浮かべる。
「銃を持つ者の喧嘩はご法度だから目立つ場所でするな。飛行機は低空から侵入してハイウェイに降りたようだが、外にいたものが音で気付けた。だが気付いてない振りを続けるため警報は鳴らさない。急ぐぞ」
パセルが先導するように歩きだす。
「警報?」
「爆弾を打ち上げる。空で破裂した音で非常事態が中央にも伝わるが、暴発の危険は銃と比べ物にならない。武器として敵地に運び使用できるのはまだ先だ」
厄介な代物だが、聞きなおすことはそっちでなかった。
「ハイウェイはどこにある?」
カツラは横に並び、キハルのうしろ姿を見る。離れたとは言えない。
「山中から海へ続く森に覆われているが、近い場所だとここから十分ほどの距離だ。……鋼の遺物が相手だ。ジライヤが正解かもな」
パセルが構えたままの銃をおろす。歩みのペースを緩める。
「群長。さきほどの娘が林に入ろうとしています。逃走を企てているのでは?」
同行していた男の一人が言う。
「髪が長くないか。だったら重大な規律違反だ」
パセルも注意を向けてしまった。
「そんなことはなかった。五日ぐらい洗ってなさそうな頭だった」
カツラはそこだけ事実を述べる。
「あっちに逃げ場はないが……ジライヤは何を話していた?」
悪知恵よ降りてこいとカツラは祈る。
「たいした話はしていない。何歳だ? どこの出身だ? 生娘か? それくらい……。そわそわしていたな。糞か小便をしたいのに、男が後から後から現れて我慢できないのかもな」
嘘が上手になってきたなとカツラは思う。次の一言で悪知恵は完成だ。
「念のため俺が娘を追うよ。……オオネグサさんよお、今度でいいから銃の撃ち方を教えてくれ」
カツラはにやりと笑いかけ、みなから離れる。咎める者はいなかった。
*
若い防風林は幅狭く、そこを抜けると高架のハイウェイが見えた。キハルが脱兎のごとく駆けていく。
「大丈夫そうだな。見つけられなかった振りをしよう」
カツラは林からでない。
二十分ほどしてミカヅキが空に戻るのを見届ける。どんよりした曇り空。風が西から吹いてくる。
***
エブラハラの男といえども飛行機を恐れるに決まっていた。パセルの一団が一番乗りで、それすらハイウェイへ近づくのを躊躇した足取りだった。
結局、黒い飛行機が飛んだのを中央に報告するだけで終わった。林に消えた娘のことは聞かれなかったので、カツラから告げることもなかった。
二度通用するとは思わない。キハルにしてもたぶん そう思っているだろう。
*
正午を知らせる半鐘が遠くで聞こえた。
「鳥が現れたそうですね」
昼休憩でツユミに聞かれる。水車小屋には彼女と親友のセーナだけがいた。
「また夕方現れる。そしたら始まりだ」
カツラが外に気を配りながら言う。「連れていけるのは十八人に増えた。時間はないけど人選してほしい。……塩だけ盗んでくれ。油も欲しいけど、塩はたっぷり欲しい」
「私たちは数枚の着替えしか荷物がありません。塩は海から作られる。厨房からいくらでも持ちだせます」
セーナが答える。「でも時間がなさすぎる。明日の朝にしませんか」
「セーナ、時間がないからこそ今夜決行だよ。それよりジライヤ、肝心な逃亡先を聞いていませんでした」
「峠の砦だ」
「……そこは、その名のとおりの場所です」
「攻め落とすわけじゃない。そこを目指して君たちはひたすら走れ。俺はバクラバを連れて追いかける。すぐに追いつき追い越す」
「私たちに追いつけるのはジライヤだけではない。……セキチク群長がやってきます。あの人を知っているでしょうね」
「セキチクは俺に苦戦する。何より黒い鳥に勝ちようがない。心配するな、うまくいくことだけを考えろ」
任務に忠実で堅物のパセルですら、地に降りた鳥に近づかなかった。カツラは小屋の外を眺めて、にやりとする。
「オオネグサが来た。あいつが僻 むから、ここから先は四人で仲よく話そう」
「私はあの男が嫌いです」
ツユミがきっぱり言う。セーナとともに小屋をでていく。
***
時間はゆっくり確実に流れていく。雲の向こうの太陽が傾いていくのを見ると、カツラは後悔を覚える。
「だが引き返せない」
五時を知らせる鐘が近くで聞こえた。
高い空を飛ぶミカヅキを見かけて覚悟する。あの鳥はじきに降りてくる。混乱を引き起こす。
あぜ道でツユミとセーナとすれ違ったが、互いに顔を合わせない。
カツラは便所に行くついでに、宿舎を覗く。
「どうしましたか?」
バクラバを警護する男が不審がる。カツラと同年代の二人。
「こいつも見納めになりそうだからな」
カツラは頑張って残酷な笑みを浮かべる。
その時は手加減せずに頭を殴り蹴る。でも刀は使わない。……囚われた男が加勢してくれたら二対二なのにな。
*
夕方、ミカヅキが低く飛ぶ。犬の吠え声。何も知らない娘たちの笑い声。
農作業を終えた女性たちが戻ってくる。最年長の一団が固まっていた。カツラは数える。一人二人三人……十一人か。イラクサもいる。
ツユミがカツラへとかすかにうなずく。
ミカヅキがさらに低く飛ぶ。犬の吠え声。何も知らない男たちの不安げな顔。
「いよいよか。始まるぞ」
おのれを鼓舞する。
まだ犬が吠えている。エブラハラ で珍しいな。ここだと犬は食料――
「ジライヤだったかな」
背後から声かけられる。「話したいことがいくつかある」
振り返ると、お供を引き連れたクロジソ将軍が、空を見上げて立っていた。利発そうな白色の中型犬がカツラへと吠え続ける。
パセルが銃口をおのれに向けて、カツラへ渡そうとする。
「俺は撃ち方を習っていない」
カツラは受け取らない。俺は裏切り者だから受け取れない。彼らを傷つける事態になったとしても、その時は背中の長刀で済ます。
「暴発にびびっているのか?」
オオネグサが敵意ある笑みを漏らす。「あの娘はどこの班だ? ジライヤは女と喋るためにエブラハラに現れたのか?」
カツラの頭に
「言っていいことと悪いことがある」
カツラはオオネグサの前に立ち塞がる。「俺に銃が不要な理由を教えてやる」
右手をねじりあげられて、オオネグサが悲鳴を上げる。麻織りの胸もとがはだけて、裸体に巻いたホルダー(ペットボトルと獣革で加工してあった)に収めた拳銃がちらり見えた。
「やめろ、馬鹿たれ」
パセルが怒鳴る。「たしかにジライヤは力がある。体もどっしりしている。だが、それだけでは足りない。その上の立場になり、みんなを率いるならばな」
「わかったよ。俺はすぐに頭に血がのぼってしまう」
カツラは演技を続けたままで手を離す。「オオネグサ悪かった。俺はお前が好きだぜ。女よりもな、ははは」
「やめてくれよ」
オオネグサが腕をさすりながら愛想笑いを浮かべる。
「銃を持つ者の喧嘩はご法度だから目立つ場所でするな。飛行機は低空から侵入してハイウェイに降りたようだが、外にいたものが音で気付けた。だが気付いてない振りを続けるため警報は鳴らさない。急ぐぞ」
パセルが先導するように歩きだす。
「警報?」
「爆弾を打ち上げる。空で破裂した音で非常事態が中央にも伝わるが、暴発の危険は銃と比べ物にならない。武器として敵地に運び使用できるのはまだ先だ」
厄介な代物だが、聞きなおすことはそっちでなかった。
「ハイウェイはどこにある?」
カツラは横に並び、キハルのうしろ姿を見る。離れたとは言えない。
「山中から海へ続く森に覆われているが、近い場所だとここから十分ほどの距離だ。……鋼の遺物が相手だ。ジライヤが正解かもな」
パセルが構えたままの銃をおろす。歩みのペースを緩める。
「群長。さきほどの娘が林に入ろうとしています。逃走を企てているのでは?」
同行していた男の一人が言う。
「髪が長くないか。だったら重大な規律違反だ」
パセルも注意を向けてしまった。
「そんなことはなかった。五日ぐらい洗ってなさそうな頭だった」
カツラはそこだけ事実を述べる。
「あっちに逃げ場はないが……ジライヤは何を話していた?」
悪知恵よ降りてこいとカツラは祈る。
「たいした話はしていない。何歳だ? どこの出身だ? 生娘か? それくらい……。そわそわしていたな。糞か小便をしたいのに、男が後から後から現れて我慢できないのかもな」
嘘が上手になってきたなとカツラは思う。次の一言で悪知恵は完成だ。
「念のため俺が娘を追うよ。……オオネグサさんよお、今度でいいから銃の撃ち方を教えてくれ」
カツラはにやりと笑いかけ、みなから離れる。咎める者はいなかった。
*
若い防風林は幅狭く、そこを抜けると高架のハイウェイが見えた。キハルが脱兎のごとく駆けていく。
「大丈夫そうだな。見つけられなかった振りをしよう」
カツラは林からでない。
二十分ほどしてミカヅキが空に戻るのを見届ける。どんよりした曇り空。風が西から吹いてくる。
***
エブラハラの男といえども飛行機を恐れるに決まっていた。パセルの一団が一番乗りで、それすらハイウェイへ近づくのを躊躇した足取りだった。
結局、黒い飛行機が飛んだのを中央に報告するだけで終わった。林に消えた娘のことは聞かれなかったので、カツラから告げることもなかった。
二度通用するとは思わない。キハルにしても
*
正午を知らせる半鐘が遠くで聞こえた。
「鳥が現れたそうですね」
昼休憩でツユミに聞かれる。水車小屋には彼女と親友のセーナだけがいた。
「また夕方現れる。そしたら始まりだ」
カツラが外に気を配りながら言う。「連れていけるのは十八人に増えた。時間はないけど人選してほしい。……塩だけ盗んでくれ。油も欲しいけど、塩はたっぷり欲しい」
「私たちは数枚の着替えしか荷物がありません。塩は海から作られる。厨房からいくらでも持ちだせます」
セーナが答える。「でも時間がなさすぎる。明日の朝にしませんか」
「セーナ、時間がないからこそ今夜決行だよ。それよりジライヤ、肝心な逃亡先を聞いていませんでした」
「峠の砦だ」
「……そこは、その名のとおりの場所です」
「攻め落とすわけじゃない。そこを目指して君たちはひたすら走れ。俺はバクラバを連れて追いかける。すぐに追いつき追い越す」
「私たちに追いつけるのはジライヤだけではない。……セキチク群長がやってきます。あの人を知っているでしょうね」
「セキチクは俺に苦戦する。何より黒い鳥に勝ちようがない。心配するな、うまくいくことだけを考えろ」
任務に忠実で堅物のパセルですら、地に降りた鳥に近づかなかった。カツラは小屋の外を眺めて、にやりとする。
「オオネグサが来た。あいつが
「私はあの男が嫌いです」
ツユミがきっぱり言う。セーナとともに小屋をでていく。
***
時間はゆっくり確実に流れていく。雲の向こうの太陽が傾いていくのを見ると、カツラは後悔を覚える。
「だが引き返せない」
五時を知らせる鐘が近くで聞こえた。
高い空を飛ぶミカヅキを見かけて覚悟する。あの鳥はじきに降りてくる。混乱を引き起こす。
あぜ道でツユミとセーナとすれ違ったが、互いに顔を合わせない。
カツラは便所に行くついでに、宿舎を覗く。
「どうしましたか?」
バクラバを警護する男が不審がる。カツラと同年代の二人。
「こいつも見納めになりそうだからな」
カツラは頑張って残酷な笑みを浮かべる。
その時は手加減せずに頭を殴り蹴る。でも刀は使わない。……囚われた男が加勢してくれたら二対二なのにな。
*
夕方、ミカヅキが低く飛ぶ。犬の吠え声。何も知らない娘たちの笑い声。
農作業を終えた女性たちが戻ってくる。最年長の一団が固まっていた。カツラは数える。一人二人三人……十一人か。イラクサもいる。
ツユミがカツラへとかすかにうなずく。
ミカヅキがさらに低く飛ぶ。犬の吠え声。何も知らない男たちの不安げな顔。
「いよいよか。始まるぞ」
おのれを鼓舞する。
まだ犬が吠えている。
「ジライヤだったかな」
背後から声かけられる。「話したいことがいくつかある」
振り返ると、お供を引き連れたクロジソ将軍が、空を見上げて立っていた。利発そうな白色の中型犬がカツラへと吠え続ける。