083 危険を好める者などいない
文字数 2,199文字
ハグロとユドノは役割を果たし、ナトハン家の男たちの注意力を削いでくれた。レッドリバーの末裔は狂ったほどに吠えて、ついに紐を引きちぎる。
「モガミ戻れ!」
男が番犬に命じる声が聞こえた。怒声は遠ざかる。
しめしめ。
騒ぎに乗じてカツラは闇に紛れ村をでようとする。上弦の月明かり。振り向くと、ヨツバとニシツゲしかいなかった。
「ここからは歩いてね」
すぐに子どもを抱えたクロイミが合流する。冷酷なのは脳みそだけだから、いざとなれば見捨てられない。
「ありがとう。お話にでてくる人みたい」
ヨツバが言う。クロイミは聞いていない。槍を握りなおし、後方にだけ注意を向ける。
怯えきったホシグサとローリーが後に続く。藪に入るなりローリーが転ぶ。
「お前らはかなりうるさいぞ」
ツヅミグサがやってきた。「連中の一人は犬を追った。もう一人は鳥小屋の番をしている。コウリンたちはハシバミのもとへ向かわせた」
圧倒的一番にうるさい飼い犬の鳴き声はなおも絶えない。犬を巻き込んだ作戦はここまでうまくいっている。問題は人だ。
「やっぱり嫌だ」
地面にしゃがんだままのローリーが見上げる。「捕まったら殺される。いまならば鞭で叩かれるだけだ。……大長 に助けを求めよう。盗賊ですと叫べば、僕たちは赦される」
「ふざけないで」
ヨツバが小声で叱責する。「彼は置いていきましょう」
「ほら、かわいい子が怒っているぞ。立ちなって」
ツヅミグサが明るい声でローリーの肩を握る。
ハグロとユドノが戻ってきた。そのままカツラたちを追い越し沢を目指す。
「ついてこない奴は置いていく」
カツラが言い捨てて先頭を行く。
ヨツバとニシツゲが続く。
クロイミとホシグサも続く。
子どもが一人泣きだす。
「ほら、立ちな」
ツヅミグサはなおもローリーを引っ張ろうとしていた。
「ツヅミグサ」カツラが斧を握ったまま振り返る。「死にたくなかったら置いていけ」
「でも――」
「言われたとおりにしろ」
モガミと呼ばれた番犬の吠え声が近づく。あの犬はユドノたちと大きさが違いすぎだ。連中が尻尾を巻いて逃げるのは当然だけど、あの馬鹿犬は俺たち人間様を縄張り荒らしだと思っている。カツラはそう判断する。
斧を持って後方へ戻る。飛び出てきたモガミと出くわす――。獣の本能。大型犬はきびすを返す。吠え声は小さくなる。
「けっ、弱虫め。死なずに済んだな」
カツラはまた先頭に立つ。
「お願いだから泣かないで」
ホシグサ自身も泣きながら子どもの口をふさぐ。
「歩かせろ」
カツラは低い声で言う。もう振り向かなかった。沢の音は近い。
***
ヤブカを十匹以上潰しながら、ハシバミは仲間を待った。
「デブとガリは?」
暗闇からカツラの巨体が現れた。長刀よりも恐ろしげな武器を持っている。
「なにも持ち帰るなよ。ここには僕と犬たちがいる。コウリンとベロニカには退路を確認させている」
カツラに続いてヨツバ、子どもを抱えた男、クロイミ、ツヅミグサが現れた。
「ホシグサは? もう一人の子は?」
ハシバミの問いに。
「あなたが長か? 俺はニシツゲ。妻と息子のニシキギははぐれたようだ。連れてくるのでアオタケをお願いする」
そう言うと抱いていた子をヨツバに渡す。
「置いてきたのか?」
ハシバミがクロイミに言う。
「はぐれたって聞いただろ。子どもが泣いて犬が吠えて弱虫が座りこむ。手に負えなくなる寸前だった」
カツラが腹立たしげに答える。
「ニシツゲ、戻るのは危険すぎる」
クロイミがランプを灯しながら言う。
「妻のが危険だ。殺されはしないだろう。だが酷い仕打ちを受ける。ニシキギはそれを見せられる」
ハシバミは、この人だけを戻せば二度と会うことはないと感じた。妻子の代わりに殺される。ナトハン家は新たな奴隷を仕入れに行く。
ヨツバは意見を述べない。歯を食いしばり僕たちの判断を待っている。
「怪我人もなくみんなを救えた。カツラの統率のおかげに決まっている」
ハシバミはまず仏頂面の大男をたてる。「でも、もう少し頑張ってほしい。みんなを率いて最初の崩落地の手前まで戻ってくれ。そして、その斧は置いていけ」
「ハシバミよお、これは戦利品だ」
「僕たちは盗っ人でない。ナトハン家に返しにいくから僕に寄こせ」
そこにいる全員から不穏な空気が漂った。ハシバミは続ける。
「そのついでに僕とツヅミグサは、ニシツゲと一緒に残された三人を連れてくる。ニシツゲ行こう。ツヅミグサよろしく」
ニシツゲが「おお」と返事する。ハシバミとともにランプを持たず藪へ消える。
「どうしたものかな」
ツヅミグサがカツラに尋ねる。長を引き留めてくれと心で念じながら。
「お前が指名されたのは色男だからじゃない。一番はしこいからだ。付き合ってやるしかないだろ。……坊主の名前はアカタケだっけ?」
「アオタケ。僕も戻りたい。弟と母さんを救いたい」
なるほどなとカツラは思う。兄が弟を置いていけるはずない。ハシバミが危険に飛びこむのは、こいつの弟のためだ。
「それは強い大人の仕事だ。そして強い子どもは大人に従うことができる。さあ行こう。色男はこれを忘れるな」
ツヅミグサと斧を置いて五人が沢を下る。犬たちが先導する。
ツヅミグサは片手だと重すぎる斧を手に、みんなと反対側へと顔を向ける。
「くそう。いつか今夜の出来事を物語にしてやるからな」
彼が手にする灯は再びナトハン家を目ざす。
「モガミ戻れ!」
男が番犬に命じる声が聞こえた。怒声は遠ざかる。
しめしめ。
騒ぎに乗じてカツラは闇に紛れ村をでようとする。上弦の月明かり。振り向くと、ヨツバとニシツゲしかいなかった。
「ここからは歩いてね」
すぐに子どもを抱えたクロイミが合流する。冷酷なのは脳みそだけだから、いざとなれば見捨てられない。
「ありがとう。お話にでてくる人みたい」
ヨツバが言う。クロイミは聞いていない。槍を握りなおし、後方にだけ注意を向ける。
怯えきったホシグサとローリーが後に続く。藪に入るなりローリーが転ぶ。
「お前らはかなりうるさいぞ」
ツヅミグサがやってきた。「連中の一人は犬を追った。もう一人は鳥小屋の番をしている。コウリンたちはハシバミのもとへ向かわせた」
圧倒的一番にうるさい飼い犬の鳴き声はなおも絶えない。犬を巻き込んだ作戦はここまでうまくいっている。問題は人だ。
「やっぱり嫌だ」
地面にしゃがんだままのローリーが見上げる。「捕まったら殺される。いまならば鞭で叩かれるだけだ。……
「ふざけないで」
ヨツバが小声で叱責する。「彼は置いていきましょう」
「ほら、かわいい子が怒っているぞ。立ちなって」
ツヅミグサが明るい声でローリーの肩を握る。
ハグロとユドノが戻ってきた。そのままカツラたちを追い越し沢を目指す。
「ついてこない奴は置いていく」
カツラが言い捨てて先頭を行く。
ヨツバとニシツゲが続く。
クロイミとホシグサも続く。
子どもが一人泣きだす。
「ほら、立ちな」
ツヅミグサはなおもローリーを引っ張ろうとしていた。
「ツヅミグサ」カツラが斧を握ったまま振り返る。「死にたくなかったら置いていけ」
「でも――」
「言われたとおりにしろ」
モガミと呼ばれた番犬の吠え声が近づく。あの犬はユドノたちと大きさが違いすぎだ。連中が尻尾を巻いて逃げるのは当然だけど、あの馬鹿犬は俺たち人間様を縄張り荒らしだと思っている。カツラはそう判断する。
斧を持って後方へ戻る。飛び出てきたモガミと出くわす――。獣の本能。大型犬はきびすを返す。吠え声は小さくなる。
「けっ、弱虫め。死なずに済んだな」
カツラはまた先頭に立つ。
「お願いだから泣かないで」
ホシグサ自身も泣きながら子どもの口をふさぐ。
「歩かせろ」
カツラは低い声で言う。もう振り向かなかった。沢の音は近い。
***
ヤブカを十匹以上潰しながら、ハシバミは仲間を待った。
「デブとガリは?」
暗闇からカツラの巨体が現れた。長刀よりも恐ろしげな武器を持っている。
「なにも持ち帰るなよ。ここには僕と犬たちがいる。コウリンとベロニカには退路を確認させている」
カツラに続いてヨツバ、子どもを抱えた男、クロイミ、ツヅミグサが現れた。
「ホシグサは? もう一人の子は?」
ハシバミの問いに。
「あなたが長か? 俺はニシツゲ。妻と息子のニシキギははぐれたようだ。連れてくるのでアオタケをお願いする」
そう言うと抱いていた子をヨツバに渡す。
「置いてきたのか?」
ハシバミがクロイミに言う。
「はぐれたって聞いただろ。子どもが泣いて犬が吠えて弱虫が座りこむ。手に負えなくなる寸前だった」
カツラが腹立たしげに答える。
「ニシツゲ、戻るのは危険すぎる」
クロイミがランプを灯しながら言う。
「妻のが危険だ。殺されはしないだろう。だが酷い仕打ちを受ける。ニシキギはそれを見せられる」
ハシバミは、この人だけを戻せば二度と会うことはないと感じた。妻子の代わりに殺される。ナトハン家は新たな奴隷を仕入れに行く。
ヨツバは意見を述べない。歯を食いしばり僕たちの判断を待っている。
「怪我人もなくみんなを救えた。カツラの統率のおかげに決まっている」
ハシバミはまず仏頂面の大男をたてる。「でも、もう少し頑張ってほしい。みんなを率いて最初の崩落地の手前まで戻ってくれ。そして、その斧は置いていけ」
「ハシバミよお、これは戦利品だ」
「僕たちは盗っ人でない。ナトハン家に返しにいくから僕に寄こせ」
そこにいる全員から不穏な空気が漂った。ハシバミは続ける。
「そのついでに僕とツヅミグサは、ニシツゲと一緒に残された三人を連れてくる。ニシツゲ行こう。ツヅミグサよろしく」
ニシツゲが「おお」と返事する。ハシバミとともにランプを持たず藪へ消える。
「どうしたものかな」
ツヅミグサがカツラに尋ねる。長を引き留めてくれと心で念じながら。
「お前が指名されたのは色男だからじゃない。一番はしこいからだ。付き合ってやるしかないだろ。……坊主の名前はアカタケだっけ?」
「アオタケ。僕も戻りたい。弟と母さんを救いたい」
なるほどなとカツラは思う。兄が弟を置いていけるはずない。ハシバミが危険に飛びこむのは、こいつの弟のためだ。
「それは強い大人の仕事だ。そして強い子どもは大人に従うことができる。さあ行こう。色男はこれを忘れるな」
ツヅミグサと斧を置いて五人が沢を下る。犬たちが先導する。
ツヅミグサは片手だと重すぎる斧を手に、みんなと反対側へと顔を向ける。
「くそう。いつか今夜の出来事を物語にしてやるからな」
彼が手にする灯は再びナトハン家を目ざす。