100 分水嶺

文字数 2,689文字

 雨が降りそうもないので十一人はテントを立てずに地面にごろ寝。夜半を過ぎたら予想以上に凍えたけど、平地より蚊が少なくて、むしろ快適だった。


「ハシバミ親方は大丈夫なの?」
 翌朝ツユクサに声かけられる。

「何が?」
「歩き方がおかしい。片足を引きずっている」

 隠し忘れたと心で舌を打つ。

「問題ないよ。ブルーミーとクロイミを呼んできて」
「任せて」

 ツユクサが沢へと向かう。ハシバミは無理した歩きをしようとしてあきらめる。片意地を張るには疲れすぎた。それに、これから先は、長が足を痛めようがそれこそ問題ない。大事なのは一人だけ。

 ゴセントがカツラを連れてきた。クロイミたちの到着を待って、ハシバミたち五人は登り返す。キハルがミカヅキの横で屈伸運動をしているのが見えた。

 ***

「キハルも沢に降りるか、池(池塘のこと)で水浴びすべきじゃないか?」
 カツラが単刀直入に言う。

「そんなに匂う? トモのおしっこのせいじゃないかな」

 薄い服だけのキハルが自分の脇とかを嗅いだあとに、枝に刺した冷えたイワナに食らいつく。

「ははは、猫の小便より臭いものはないからね。あるとすれば」
「ブルーミーうるさい。さきに言っておくけど、ミカヅキをいままでみたいに飛ばさない」

「いまさら困る。キハルの援護を計算に入れている」
 ハシバミが慌てて告げる。

「長、やめてよ、怒らないでよ」
 キハルが顔を逸らす。「ミカヅキだって弱点があると何度も言ったよね。……昨日の夕方チェックしたんだ。それが致命的になってきたかも。それで私が死ぬことはたぶん(・・・)ないけど、二度と飛べなくなる」

「そうだね。これ以上あれに頼るべきではない。さらに靄が立ち去るだろう」
 反遺物派のゴセントがきっぱり言い、ついでにフライトスーツを渡す。「ツユクサが(浅い池塘に浸けて草鞋のまま足踏みで)洗ってくれた。必ずお礼を言いな」

「小さいシャーマンは生意気だ」
 キハルがぼそっと言い「あいにくだけどまだまだ飛んでやる。脚を直したらさらに飛ぶ。親方の太ももより先に直してやる」

「やっぱりタイヤか。それで今後だけど――」クロイミは切り出すけど。

「あんたは話しかけないで」キハルはそっぽを向く。

今後だけど(・・・・・)、そうやって話がすぐに飛ぶから進まない。君の説明はいつも足りないから、ここで実際に眺めながら、北と南の長所短所を具体的に教えてほしい」
「それが人に頼む態度?」

 やれやれ。

「僕たちは別件を考える。その間に二人で話し合ってくれ。……僕はキハルに感謝している。君も、僕たちでなければどうなっていたかを考える日があってもいいと思う。みんな行こう」

 ハシバミは残りの三人をうながし、山頂を目指す。

 *

 四人は並んでエブラハラを見おろす。

「あの二人だと喧嘩して終わりだぜ」
 カツラが言う。

「そうでもない。……ヒイラギやシロガネが向かったエブラハラは平野の左のはずれ、つまり最南端。ここから見て、まさに真正面だと思う。そこにツユミという女性がいる」
 ハシバミが見おろしたまま言う。

「女性は他にもいっぱいだって。ヒイラギお頭が困るほどにだ……あれ、クロイミがもう来たぞ」
 ブルーミーが広い鞍部へと顔を向ける。


「僕にすべて任せるって。彼女は服ごと水浴びするってさ」
 クロイミが四人と横一列に並ぶ。「キハルが飛べなくなっても、しばらくはお姫様として扱ってあげよう。……ハシバミはさっきみたいに脅しを口にすべきではない。君は、自分で思っているよりはるかに、人に怖く見られている、かも」

「それより進路は決まったのかよ」
 カツラが焦れたように言う。

「進む道はひとつしかないだろ。二人に考えてもらったのは退路だよ」
 ハシバミが言う。「女の子をたっぷり連れての帰り道。将軍の子分が追ってこれない道」

「そんなのがあるの?」
 ブルーミーが黒目を左右させる。「というか、あらためて口にすると大胆不敵な試みだ」

「僕もそう思うけど可能性はある。舟だ」
 クロイミが一歩前にでて、四人へと顔を向ける。「舟を作り運ぶ。将軍のやり口を真似させてもらう。北へ行くと大きな川がある。安全に運航できそうだけど、ご覧の通りにその川はエブラハラの真ん中を迷路みたいに抜けて海にでる」

 モガミ川と呼ばれるらしい(キハルが知っていた)。平野で幾筋に別れた流れが造ったデルタ地帯周辺には、さすがに畑は見当たらない。緑よりも茶色が目立つ。

「途中で降りるのはどうかな」
 ゴセントが尋ねる。

「それもキハルに聞いた。この山から北に下る川が大きな川と合流する。そこまで舟を使ってもかなりの時間と距離が稼げるだろう。そこから上流に向かうと例の盆地にでるようだ。今度はそこを縦断しないとならない。将軍の土地ではないが僕たちの土地でもない」

「僕たちだけでも二日はかかるってことか。女性がいるならば、その間に追いつかれる」
 ハシバミが腕を組む。

「うん。だからもう一つの道を逃げるしかない。そこは将軍の土地だけどね。昨日までいた湖だ」

「クロイミよお。たしかにあそこから川が始まっていたぜ。しかも俺達の住んでいた方向へだ」
 カツラが呆れたように言う。「だけどな、あの川は狭いし水量もない。舟など浮かばない」

「ははは、湖ほど水があったら良かったのにね」
 ブルーミーがおどける。

「そうなんだ。ブルーミーの言うとおりだよ。なにも今ある川を下る必要はない。――これはまだ彼女に確認していないけど、任せると言った以上は有無を言わせない」
 クロイミが策略を語りだす。







「クロイミこそミブハヤトルだ。ハシバミそれで行こう」

 ゴセントが真っ先に同意する。それどころかうずうずしだしている。

「三つの策略が揃った訳だな。では始めよう」
 ハシバミは芝居がかったほどにうなずき、カツラへと顔を向ける。「ここから君がすべてだよ。君だけがすべてだ。僕たちは君からの指図を待つ。それまでは、この山で舟を作る。運んで、あとは隠れている」

 髪がこんもり盛りあがった大男が、一瞬ためらいを見せた。でも一瞬だった。
 カツラがハシバミの目を見据える。

「今ここで始めていいか? 俺は待つのが嫌いなんだ」
「僕たちはすでにカツラにすべてを任せている。最善と感じたように動いてほしい」

 二人がしばし見つめ合う。

「分かった」とカツラが握ったこぶしをハシバミの前に差しだす。
「頼んだよ」とハシバミが自分の拳を当てる。

「ではいずれ」

 カツラがぼろ布みたいな袋と長刀だけを背負い、ハイマツの中を西へと下りる。笹原を抜けて林に姿を見えなくなるまで、四人はずっと見送った。
 その先ではエブラハラが朝を終えていた。
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