141 六か月後
文字数 2,258文字
エブラハラによる水舟丘陵への襲撃から半年が過ぎた。二月半ばの厳冬期だ。丘陵の村は雪に閉ざされていた。
多くの人間は冬に怯える。デンキ様に見捨てられるまえの、昔の人はどうだったかは知らない。いまは餓死凍死病死戦死……いずれもがすぐ横にいる。陰麓の黒屍は冬こそを重宝している。
でも水舟丘陵は最初の冬を乗り越えようとしていた。
***
その日は温かく優しい日差しに包まれて、雪かきされた物見やぐらに、ハシバミ、ゴセント、ヒイラギ、シロガネ、ノボロの五人がいた。
投降した者たちの何人かは、人質として水舟丘陵に残された。クロイミによる寛大な策略。彼らには村人と同等の権利が与えられた。すぐに頼りにされだした。自由な捕囚が気のいい若者たちを貶 められない。エブラハラの男たちがともに育む若い村を、将軍が二度も襲えない。
時速25キロメートルで向かってくる2.2トンの重量を受けとめられなかったクロジソ将軍は、この時代では回復不可能なほどに骨折した。それでも配下の力によりエブラハラへと戻れた。……北区が不穏との噂を聞く。しばらくは帝国の立て直しに尽力せざるを得ないだろう。
急激に老けだした将軍は、文明の復活でなく、その記憶の伝承に力を注ぎだす。その担い手になる若者を求めて、クロイミが招待された。彼は炯眼の老人に弟子入りしてしまい、冬になるまで戻ってこなかった。いずれエブラハラと水舟丘陵の対等な交易が始まる。
キハルはまだ帰ってこない。
水舟丘陵はナトハン家とも対等に付き合いだしている。先住者として敬意をもって接している。来年には芋畑が水舟丘陵に作られる。麦畑も。稲作はまだ先だ。
冬の手前に、ナトハン家の娘が水舟丘陵を訪問してくれた。大きくなったら母と一緒にこの丘で過ごしたいそうだ。大歓迎に決まっている。ライフルを受け継いだジングウが同意したらだけど。
ゴセントはあれ以降静かになった。精神世界の深みに入ったようだ。でもやることはちゃんとしていて、エブラハラから来た年上の娘と仲良くやっている。
その兄にいたっては、もうじき父親だ。セーナとハシバミは今年十九歳の父と母になる。アコン夫婦の子も同じころに生まれそうだ。これからたっぷりと、水舟丘陵に赤ちゃんが現れるだろう。……エブラハラ婦人団の最古参が若い村の手助けをしたいらしい。(女衆の)反対意見を抑えつけて僕が迎えにいってもいい。
春になるとエブラハラは盆地へ進出する。セキチクを指導者に開拓事業が始まる。帝国と丘陵の若い村の真ん中にちっぽけな村が現れる。後ろ盾はたっぷりだ。盗賊に襲えるはずない。
どの村も、今年はカブが大流行しない。死者も極めて少ない。来年以降は分からない。
傷だらけのカツラは今年二十歳になる。古強者みたいな貫録で、あいにくまだ伴侶がいない。
「俺が一番貧乏くじだ」とぼやく。
「すぐに素敵な奥さんがやってくるよ」
ハシバミが笑う。そうに決まっている。
*
換気のために物見やぐらへの入口が開けられた。ブルーミーの冗談と女たち数名の笑い声が届く。
ハチの巣には、いつも村人たちが全員でないにしろ集まっていた。みんなが接して冬を過ごしてきた。ツユクサの笑い声も聞こえる。トモは薪ストーブ前の特等席で昼寝だろう。
雪の中を四匹の犬が戻ってきた。尾を振っている。ツヅミグサやサジーたちの狩りは成功したみたいだ。コウリンやベロニカの干し肉作りも忙しくなるだろうな。
機織りの音に誘われたみたいに、外に作られた牛舎でコウとリンがモーと鳴く。ミカヅキの音はまだ聞こえないけど、滑走路の雪かきだけは怠らない。
「そうそう。雪どけの際に水路があふれるかもとヤイチゴが危惧していた」
シロガネが言う。「ハシバミ、どうするのだ?」
「その時に考えよう。クロイミがね」
楽観的に進めよう。
冬なのに、いまのところ死者はいない。これこそ奇跡だ。……いつまでもこの奇跡が続けばいいのにな。長であるハシバミは切に願う。
村はこれからどうなるのだろう。ハシバミは思う。喜びと同じぐらい苦難はやってくる。でも僕たちは歩き続ける……。僕たちがエブラハラとナトハン家を変えた。僕たちは変わっていない。自負していいかもな。
それでも僕たちがユートピアを築くなんて無理だろう。これからも必死に生きていくだけだ。近隣とも同じ村の中でも、いがみ合ったりするだろう。
それこそ当然に決まっている。でも……いずれ、僕とセーナの子どもたちの子どもたちが、そのまた子どもたちでもいいから、楽園を作ってくれたら嬉しいな。僕らの親だって、その親だって、それを望んでいただろうから。
「ハシバミ、今夜も晴れそうだね」
ゴセントがふいに兄へと声かける。「冬の星座がたっぷり見えそうだ」
「そうだね」と弟に返事して「キハルはどこにいるかな」
「僕が知るはずない」
ゴセントはぶっきらぼうに言った後に、しばらくして付け足す。
「雪解けとともに帰ってくる。もう羽ばたけないけど、力になる人々を連れてくる。……何よりも危険なものに乗ってきたから、誰よりもたやすく騎乗して信奉された。そう、お姫様は善良なる馬賊を引き連れて戻ってくる」
「へえ、それは楽しみだ」
ハシバミは半信半疑で笑う。弟のご神託は何度も現実になったけど、さすがに馬はないだろ。見たこともないし。
まあクルマよりはあり得るかな。……飛行機よりも。
「昔々、若者がいた。弱いけど強くて、決してへこたれない若者たちだった」
ハチの巣ではツヅミグサの物語が始まった。
多くの人間は冬に怯える。デンキ様に見捨てられるまえの、昔の人はどうだったかは知らない。いまは餓死凍死病死戦死……いずれもがすぐ横にいる。陰麓の黒屍は冬こそを重宝している。
でも水舟丘陵は最初の冬を乗り越えようとしていた。
***
その日は温かく優しい日差しに包まれて、雪かきされた物見やぐらに、ハシバミ、ゴセント、ヒイラギ、シロガネ、ノボロの五人がいた。
投降した者たちの何人かは、人質として水舟丘陵に残された。クロイミによる寛大な策略。彼らには村人と同等の権利が与えられた。すぐに頼りにされだした。自由な捕囚が気のいい若者たちを
時速25キロメートルで向かってくる2.2トンの重量を受けとめられなかったクロジソ将軍は、この時代では回復不可能なほどに骨折した。それでも配下の力によりエブラハラへと戻れた。……北区が不穏との噂を聞く。しばらくは帝国の立て直しに尽力せざるを得ないだろう。
急激に老けだした将軍は、文明の復活でなく、その記憶の伝承に力を注ぎだす。その担い手になる若者を求めて、クロイミが招待された。彼は炯眼の老人に弟子入りしてしまい、冬になるまで戻ってこなかった。いずれエブラハラと水舟丘陵の対等な交易が始まる。
キハルはまだ帰ってこない。
水舟丘陵はナトハン家とも対等に付き合いだしている。先住者として敬意をもって接している。来年には芋畑が水舟丘陵に作られる。麦畑も。稲作はまだ先だ。
冬の手前に、ナトハン家の娘が水舟丘陵を訪問してくれた。大きくなったら母と一緒にこの丘で過ごしたいそうだ。大歓迎に決まっている。ライフルを受け継いだジングウが同意したらだけど。
ゴセントはあれ以降静かになった。精神世界の深みに入ったようだ。でもやることはちゃんとしていて、エブラハラから来た年上の娘と仲良くやっている。
その兄にいたっては、もうじき父親だ。セーナとハシバミは今年十九歳の父と母になる。アコン夫婦の子も同じころに生まれそうだ。これからたっぷりと、水舟丘陵に赤ちゃんが現れるだろう。……エブラハラ婦人団の最古参が若い村の手助けをしたいらしい。(女衆の)反対意見を抑えつけて僕が迎えにいってもいい。
春になるとエブラハラは盆地へ進出する。セキチクを指導者に開拓事業が始まる。帝国と丘陵の若い村の真ん中にちっぽけな村が現れる。後ろ盾はたっぷりだ。盗賊に襲えるはずない。
どの村も、今年はカブが大流行しない。死者も極めて少ない。来年以降は分からない。
傷だらけのカツラは今年二十歳になる。古強者みたいな貫録で、あいにくまだ伴侶がいない。
「俺が一番貧乏くじだ」とぼやく。
「すぐに素敵な奥さんがやってくるよ」
ハシバミが笑う。そうに決まっている。
*
換気のために物見やぐらへの入口が開けられた。ブルーミーの冗談と女たち数名の笑い声が届く。
ハチの巣には、いつも村人たちが全員でないにしろ集まっていた。みんなが接して冬を過ごしてきた。ツユクサの笑い声も聞こえる。トモは薪ストーブ前の特等席で昼寝だろう。
雪の中を四匹の犬が戻ってきた。尾を振っている。ツヅミグサやサジーたちの狩りは成功したみたいだ。コウリンやベロニカの干し肉作りも忙しくなるだろうな。
機織りの音に誘われたみたいに、外に作られた牛舎でコウとリンがモーと鳴く。ミカヅキの音はまだ聞こえないけど、滑走路の雪かきだけは怠らない。
「そうそう。雪どけの際に水路があふれるかもとヤイチゴが危惧していた」
シロガネが言う。「ハシバミ、どうするのだ?」
「その時に考えよう。クロイミがね」
楽観的に進めよう。
冬なのに、いまのところ死者はいない。これこそ奇跡だ。……いつまでもこの奇跡が続けばいいのにな。長であるハシバミは切に願う。
村はこれからどうなるのだろう。ハシバミは思う。喜びと同じぐらい苦難はやってくる。でも僕たちは歩き続ける……。僕たちがエブラハラとナトハン家を変えた。僕たちは変わっていない。自負していいかもな。
それでも僕たちがユートピアを築くなんて無理だろう。これからも必死に生きていくだけだ。近隣とも同じ村の中でも、いがみ合ったりするだろう。
それこそ当然に決まっている。でも……いずれ、僕とセーナの子どもたちの子どもたちが、そのまた子どもたちでもいいから、楽園を作ってくれたら嬉しいな。僕らの親だって、その親だって、それを望んでいただろうから。
「ハシバミ、今夜も晴れそうだね」
ゴセントがふいに兄へと声かける。「冬の星座がたっぷり見えそうだ」
「そうだね」と弟に返事して「キハルはどこにいるかな」
「僕が知るはずない」
ゴセントはぶっきらぼうに言った後に、しばらくして付け足す。
「雪解けとともに帰ってくる。もう羽ばたけないけど、力になる人々を連れてくる。……何よりも危険なものに乗ってきたから、誰よりもたやすく騎乗して信奉された。そう、お姫様は善良なる馬賊を引き連れて戻ってくる」
「へえ、それは楽しみだ」
ハシバミは半信半疑で笑う。弟のご神託は何度も現実になったけど、さすがに馬はないだろ。見たこともないし。
まあクルマよりはあり得るかな。……飛行機よりも。
「昔々、若者がいた。弱いけど強くて、決してへこたれない若者たちだった」
ハチの巣ではツヅミグサの物語が始まった。