138 気の毒に思う
文字数 2,149文字
「親方だと?」クマツヅラが将軍の背後に後ずさった。
クロジソ将軍も誰もが、ジライヤこそがこの村の長だと思い込んでいた。……歯を食いしばる大男の面を見れば、嘘でないと分かる。だとすると、この大男より強いものがいるかもしれない。年老いた長であるはずない。それだとしたら、この村は若すぎる。
この村と同じくらい若くて逞しい長が、いまこの時も息をひそめている。エブラハラの男たちを見つめている――。
クロジソはカツラに背を向ける。
「好きにすればいい。この砦は屋上に行けるようだな。私はそれにも興味がある」
囲む男たちを残して引きあげる。
将軍が負けた……と、エブラハラの男たちの心が伝わる。
だが仕方ない。実際に私は敗れた。負けはしない戦いに敗れた。クマツヅラの仕業で。
そういうことにさせてくれ。私は誇り高い将軍だから。
「好きにするさ。俺はここにいる。いつでも続きをしてやる」
カツラは戸に寄りかかるように座りこむ。
もはやこの大男を処刑できない。配下の目を気にしてではない。勝者を敗者が罰せられるはずない。それだけのことだ。
将軍は通路にでると、少年が床に座っていた。小柄な体で長い髪。大きな瞳。一瞬女性かと思ったが、男であるのは間違いない。みんなに見捨てられて……なぜこんなところにいるのだろう。その子は、寝ぼけたように呆けていた。それよりも、この子は……
はるか昔の小雨の匂い。草葉の匂い。父の匂い。母の匂い。……弟の匂い。幼いままで微笑む弟。
将軍は彼を見ると、とっくに忘れたことを思いだしてしまった。
そんなものは即座にかき消す。
「取り残された子どもが目を覚ましたようですね」
後を追ってきたクマツヅラが言う。
「誰でも分かる。そいつの処遇はお前に任せる。ノボロは私とともに外へ来い」
「屋上へ行くのでは?」
「その息子を処分したら貴様一人で行けばいい」
将軍たちはクマツヅラを置いて裏口から去っていく。クマツヅラの周囲に男たちは近寄らない。彼と小柄な青年だけになる。
「処分だと? ここで? 私が?」
クマツヅラは安全装置の外れたままの銃を見る。「誰かここへ来い」
男たちに命じる。エブラハラで将軍に次ぐ地位である私が言うのに、誰も近づかない。関わることを卑しむようにだ。
名誉もない糞みたいな仕事だ。私への仕打ちだ。残虐なクマツヅラでもやりきれない思いがした。でも従わなければ、将軍はさらにひどい仕打ちを私に与えるだろう。クマツヅラは長い髪で大きな瞳の青年へと銃口を向ける。
その子は心配そうな目で彼を見つめていた。自分の背後を見つめられているようで、クマツヅラまで不安になり振り向いてしまう。
「気の毒に思うよ。でも因果は続かない。……僕らは、故郷と家族を奪われた彼女たちが逃げるのを手伝っただけだ。なのに君たちは命を奪おうとした。それでも因果は続かない。気の毒だけどね」
青年がクマツヅラの背中に言う。
クマツヅラは無理やり笑みを浮かべて顔を前に戻す。奴隷を処刑する際に、何度も呪詛を聞かされている。クマツヅラはそれをたやすく笑い飛ばして、彼らを陰麓に送りこんできた。
「なぜに気の毒だ。お前たちこそお気の毒に見えるがな」
「なぜって?」大きな瞳が告げる。「そりゃ君たちのが僕たちよりはるかに死が近いから。それをあなたたちに教えるために僕はここへ残った。心から気の毒に思う」
その声に、クマツヅラは亡霊を感じた。エブラハラが築いた屍を感じた。自分に向けられた怨嗟を感じた。
この小柄で無力な敵にとてつもない恐怖を感じた。しかも、この子は真っ黒な瞳で、なおも私を見ている。私の背後を見ている。私の背後にひろがる闇に気づかされてしまう。
「私に関わるな!」
クマツヅラは引き金を引くこともできずに悲鳴を上げる。配下をかき分け、百年以上前からの建造物から逃げだそうとする。
架けられた丸太を踏み外し、竹製の鋭い罠が仕掛けられた堀へと仰向けで大の字に落ちる。
クマツヅラの悲鳴と悲惨な死が、エブラハラの男たちに恐慌を与えた。
***
建物から逃げだしてくる部下たちをクロジソ将軍は見た。
「クマツヅラ殿が狂乱して自死した」
「獣の姿をした人が現れた」
「飛行機がやってくる」
「将軍よりもでかい鬼のような長がいる」
将軍は首を横に振る。超常的な存在に混乱した配下へと威厳が失せた声をかける。
「冷静になれ。落ち着くのだ。さあ砦を落とすぞ。私が先頭で行こう」
この戦いを終わらせよう。強引に攻めて、双方にたっぷりと死人をだして終わらせよう。我々の敗戦だ。だが負けを知らない将軍などいない。私はさらに強くなれる――。
またも男たちの悲鳴が聞こえた。
「クルマだ! 逃げろ!」
クロジソ将軍は見た。林から飛び出てくる過去の遺物を。
あり得ない。
逃げる訳にはいかない。
「まやかしだ。立ち向かえ!」
クロジソ将軍は進路を塞ぐように、クルマの前へと出る。銃弾が尽きるまで浴びせる。
それでも窓ガラスもドアもない大型四駆車は潰れたタイヤのままで、なかで屈んでいる人が傷つけられることなく、惰性で緩やかな坂を下ってくる。
将軍は直前で避けようとするけど、操縦されたクルマはその方角へ軋 むように曲がる。将軍は無様にも背中から堀へ弾かれる。
クロジソ将軍も誰もが、ジライヤこそがこの村の長だと思い込んでいた。……歯を食いしばる大男の面を見れば、嘘でないと分かる。だとすると、この大男より強いものがいるかもしれない。年老いた長であるはずない。それだとしたら、この村は若すぎる。
この村と同じくらい若くて逞しい長が、いまこの時も息をひそめている。エブラハラの男たちを見つめている――。
クロジソはカツラに背を向ける。
「好きにすればいい。この砦は屋上に行けるようだな。私はそれにも興味がある」
囲む男たちを残して引きあげる。
将軍が負けた……と、エブラハラの男たちの心が伝わる。
だが仕方ない。実際に私は敗れた。負けはしない戦いに敗れた。クマツヅラの仕業で。
そういうことにさせてくれ。私は誇り高い将軍だから。
「好きにするさ。俺はここにいる。いつでも続きをしてやる」
カツラは戸に寄りかかるように座りこむ。
もはやこの大男を処刑できない。配下の目を気にしてではない。勝者を敗者が罰せられるはずない。それだけのことだ。
将軍は通路にでると、少年が床に座っていた。小柄な体で長い髪。大きな瞳。一瞬女性かと思ったが、男であるのは間違いない。みんなに見捨てられて……なぜこんなところにいるのだろう。その子は、寝ぼけたように呆けていた。それよりも、この子は……
はるか昔の小雨の匂い。草葉の匂い。父の匂い。母の匂い。……弟の匂い。幼いままで微笑む弟。
将軍は彼を見ると、とっくに忘れたことを思いだしてしまった。
そんなものは即座にかき消す。
「取り残された子どもが目を覚ましたようですね」
後を追ってきたクマツヅラが言う。
「誰でも分かる。そいつの処遇はお前に任せる。ノボロは私とともに外へ来い」
「屋上へ行くのでは?」
「その息子を処分したら貴様一人で行けばいい」
将軍たちはクマツヅラを置いて裏口から去っていく。クマツヅラの周囲に男たちは近寄らない。彼と小柄な青年だけになる。
「処分だと? ここで? 私が?」
クマツヅラは安全装置の外れたままの銃を見る。「誰かここへ来い」
男たちに命じる。エブラハラで将軍に次ぐ地位である私が言うのに、誰も近づかない。関わることを卑しむようにだ。
名誉もない糞みたいな仕事だ。私への仕打ちだ。残虐なクマツヅラでもやりきれない思いがした。でも従わなければ、将軍はさらにひどい仕打ちを私に与えるだろう。クマツヅラは長い髪で大きな瞳の青年へと銃口を向ける。
その子は心配そうな目で彼を見つめていた。自分の背後を見つめられているようで、クマツヅラまで不安になり振り向いてしまう。
「気の毒に思うよ。でも因果は続かない。……僕らは、故郷と家族を奪われた彼女たちが逃げるのを手伝っただけだ。なのに君たちは命を奪おうとした。それでも因果は続かない。気の毒だけどね」
青年がクマツヅラの背中に言う。
クマツヅラは無理やり笑みを浮かべて顔を前に戻す。奴隷を処刑する際に、何度も呪詛を聞かされている。クマツヅラはそれをたやすく笑い飛ばして、彼らを陰麓に送りこんできた。
「なぜに気の毒だ。お前たちこそお気の毒に見えるがな」
「なぜって?」大きな瞳が告げる。「そりゃ君たちのが僕たちよりはるかに死が近いから。それをあなたたちに教えるために僕はここへ残った。心から気の毒に思う」
その声に、クマツヅラは亡霊を感じた。エブラハラが築いた屍を感じた。自分に向けられた怨嗟を感じた。
この小柄で無力な敵にとてつもない恐怖を感じた。しかも、この子は真っ黒な瞳で、なおも私を見ている。私の背後を見ている。私の背後にひろがる闇に気づかされてしまう。
「私に関わるな!」
クマツヅラは引き金を引くこともできずに悲鳴を上げる。配下をかき分け、百年以上前からの建造物から逃げだそうとする。
架けられた丸太を踏み外し、竹製の鋭い罠が仕掛けられた堀へと仰向けで大の字に落ちる。
クマツヅラの悲鳴と悲惨な死が、エブラハラの男たちに恐慌を与えた。
***
建物から逃げだしてくる部下たちをクロジソ将軍は見た。
「クマツヅラ殿が狂乱して自死した」
「獣の姿をした人が現れた」
「飛行機がやってくる」
「将軍よりもでかい鬼のような長がいる」
将軍は首を横に振る。超常的な存在に混乱した配下へと威厳が失せた声をかける。
「冷静になれ。落ち着くのだ。さあ砦を落とすぞ。私が先頭で行こう」
この戦いを終わらせよう。強引に攻めて、双方にたっぷりと死人をだして終わらせよう。我々の敗戦だ。だが負けを知らない将軍などいない。私はさらに強くなれる――。
またも男たちの悲鳴が聞こえた。
「クルマだ! 逃げろ!」
クロジソ将軍は見た。林から飛び出てくる過去の遺物を。
あり得ない。
逃げる訳にはいかない。
「まやかしだ。立ち向かえ!」
クロジソ将軍は進路を塞ぐように、クルマの前へと出る。銃弾が尽きるまで浴びせる。
それでも窓ガラスもドアもない大型四駆車は潰れたタイヤのままで、なかで屈んでいる人が傷つけられることなく、惰性で緩やかな坂を下ってくる。
将軍は直前で避けようとするけど、操縦されたクルマはその方角へ