092 遠征
文字数 2,006文字
第Ⅲ章 エブラハラ
梅雨末期の恐るべき線上降水帯は、今年も東北地方日本海側を避けてくれた。九州地方の火山灰をたっぷりと海に流した。
その日は曇り空だった。
ハシバミが村に戻ってから十日後、彼らは水舟丘陵を旅立つ。一行は十一人。梅雨になる前にライデンボクの村を飛びでたメンバーから、サジーが抜けてブルーミーが加わった。荷物は多くない。それぞれのものは着替えと水筒と武器ぐらいで、全体の装備もテントと伐採用具程度だった。それらを力自慢が背負った。
みんなが緊張した顔だった。この遠征に意味があるだろうかと、なおも不審な面だった。
ここまでハシバミは咎めることも鼓舞することもしなかった。彼自身も同じ思いだったから。でもヒイラギが言ったように、若い男が女性を求めるのは当然だ。だから格好つけずに心のうちをはっきり口にしよう。
「キハルもヨツバもいなくなったから聞いてくれ」
ハシバミは川を渡ったところでちょっとした演説をする。「エブラハラでは、たくさんの女の子が僕たちを待っている。そこから救い出してくれる僕たちをだ。そりゃ危険だし怖い。でもひとつだけ言えるのは、成功すればモテモテだ」
その場では追従笑いしか起きなかったけど、この言葉は十一人の心にじわじわと沁みていく。乗り越えなければならない苦難のたびに思いだすこととなる。
「たぶん僕たちの村もいずれ将軍に見つかるだろう。奴らに飲み込まれる前に、村を少しでも大きくしないとね。そのための遠征だよ」
クロイミが補足する。
「僕たちには空の民がついている。僕たちこそアイオイ親方だ」
ハシバミが簡潔に締めくくる。
ゴセントはツユクサとじゃれている。その態度こそがメンバーを安堵させた。小柄でぼさぼさ頭の彼とその兄が、ここまで導いてくれたと分かっていたから。彼が危険を感じないのならば、僕たちは平和のままだ。
「うらやましい。私も若くて臆病でなければ、この冒険に参加していた」
見送りのために対岸まで渡ってくれたヒイラギが、おどけたように言う。彼はもうなにも意見しないけど、誰にも聞こえぬ場所でハシバミとクロイミにだけ告げる。
「危険を甘く見るな。キハルとの連携を怠るな。……遠征が成功した暁には、ハシバミが空の娘を嫁にしろ。あの村でツユミとか美人をたっぷり見かけた。だが長が責任もって姫に嫁いでもらえ。それで丸く収まる」
ヒイラギがまた川を泳ぎ、村へと去っていく。犬たちは柵で囲まれた一角に閉じこめられているので、興奮すべき狩りと勘違いしようが現れなかった。
「キハルの相手はカツラでいいよ。クロイミでもいいけど相性悪すぎる」
ハシバミが苦笑いする。
「そうだと思うけど……長には言っておくべきかな」
クロイミが周囲を見渡したあとにさらに小声になる。「ハシバミが戻った夜に、僕とキハルだけで作戦を練ったよね。あの子は堪え性がなく、人の話をしっかりと聞けない」
「覚えているよ。それでクロイミが僕を代わりに呼んだ」
「ちょっと違う。あの時も、またキハルが感情的に騒ぎだしたから、僕も頭に来て少しだけきつい言葉をかけてしまった。
『お姫様なんて呼ばれているけど、ミカヅキに乗れるだけだ。それ以外は髪をとかすこともできないくせに』とか『ずっと女性が一人だけでちやほやされてきたけど、もっときれいな人が来たから、今後は比較されてああ大変だ』とかね」
「クロイミ……。それはきつすぎると思う」
的確であるにしても。
「言ってから後悔した。キハルは僕に飛びかかってきた。ライデンボクの村で鍛錬を受けた僕にだよ。身に沁みついた動きのままに彼女の両手を片手で抑えて、残った手で首を掴んでやったけど……首がやけに細くて……変な気持ちが起きてきて」
「長。まだ出発しないのか?」
半裸のツヅミグサが声かける。
「だいじな話をしている」
ハシバミはそう言って、興味本位丸出しの顔を参謀に向ける。「変な気持ちが起きてどうした? ここまで来たら全部話せよ」
「それくらいと言えばそれくらい。首から手をどかした。キハルが目をつぶったから思わずキスしちゃって、胸も触って、そしたらキハルが『私はクロイミが一番好き。頭よくて、やさしくないのにやさしい。しかも強かった』って抱きついてくるから、彼女の服を脱がして僕も脱いだら、トモが腐ったネズミを二人の真横に落とした。僕が我に返って服を着だしたら、キハルが大騒ぎしたから逃げだした。
……以後は彼女と二人きりで話をしていない」
「元気のでる話をありがとう。強い二人でお似合いだと思うよ」
ハシバミはにやにやしながら立ちあがる。これでお姫様を押しつけられずに済む。そりゃかわいいけど僕にはもったいない、ってことにしておこう。
そのままの笑みでみんなを見まわす。
「出発しよう。先頭はシロガネとツヅミグサ。カツラは僕と一緒に後衛だ」
「ああ」と仏頂面な大男が立ち上がる。十一人が歩きはじめる。
梅雨末期の恐るべき線上降水帯は、今年も東北地方日本海側を避けてくれた。九州地方の火山灰をたっぷりと海に流した。
その日は曇り空だった。
ハシバミが村に戻ってから十日後、彼らは水舟丘陵を旅立つ。一行は十一人。梅雨になる前にライデンボクの村を飛びでたメンバーから、サジーが抜けてブルーミーが加わった。荷物は多くない。それぞれのものは着替えと水筒と武器ぐらいで、全体の装備もテントと伐採用具程度だった。それらを力自慢が背負った。
みんなが緊張した顔だった。この遠征に意味があるだろうかと、なおも不審な面だった。
ここまでハシバミは咎めることも鼓舞することもしなかった。彼自身も同じ思いだったから。でもヒイラギが言ったように、若い男が女性を求めるのは当然だ。だから格好つけずに心のうちをはっきり口にしよう。
「キハルもヨツバもいなくなったから聞いてくれ」
ハシバミは川を渡ったところでちょっとした演説をする。「エブラハラでは、たくさんの女の子が僕たちを待っている。そこから救い出してくれる僕たちをだ。そりゃ危険だし怖い。でもひとつだけ言えるのは、成功すればモテモテだ」
その場では追従笑いしか起きなかったけど、この言葉は十一人の心にじわじわと沁みていく。乗り越えなければならない苦難のたびに思いだすこととなる。
「たぶん僕たちの村もいずれ将軍に見つかるだろう。奴らに飲み込まれる前に、村を少しでも大きくしないとね。そのための遠征だよ」
クロイミが補足する。
「僕たちには空の民がついている。僕たちこそアイオイ親方だ」
ハシバミが簡潔に締めくくる。
ゴセントはツユクサとじゃれている。その態度こそがメンバーを安堵させた。小柄でぼさぼさ頭の彼とその兄が、ここまで導いてくれたと分かっていたから。彼が危険を感じないのならば、僕たちは平和のままだ。
「うらやましい。私も若くて臆病でなければ、この冒険に参加していた」
見送りのために対岸まで渡ってくれたヒイラギが、おどけたように言う。彼はもうなにも意見しないけど、誰にも聞こえぬ場所でハシバミとクロイミにだけ告げる。
「危険を甘く見るな。キハルとの連携を怠るな。……遠征が成功した暁には、ハシバミが空の娘を嫁にしろ。あの村でツユミとか美人をたっぷり見かけた。だが長が責任もって姫に嫁いでもらえ。それで丸く収まる」
ヒイラギがまた川を泳ぎ、村へと去っていく。犬たちは柵で囲まれた一角に閉じこめられているので、興奮すべき狩りと勘違いしようが現れなかった。
「キハルの相手はカツラでいいよ。クロイミでもいいけど相性悪すぎる」
ハシバミが苦笑いする。
「そうだと思うけど……長には言っておくべきかな」
クロイミが周囲を見渡したあとにさらに小声になる。「ハシバミが戻った夜に、僕とキハルだけで作戦を練ったよね。あの子は堪え性がなく、人の話をしっかりと聞けない」
「覚えているよ。それでクロイミが僕を代わりに呼んだ」
「ちょっと違う。あの時も、またキハルが感情的に騒ぎだしたから、僕も頭に来て少しだけきつい言葉をかけてしまった。
『お姫様なんて呼ばれているけど、ミカヅキに乗れるだけだ。それ以外は髪をとかすこともできないくせに』とか『ずっと女性が一人だけでちやほやされてきたけど、もっときれいな人が来たから、今後は比較されてああ大変だ』とかね」
「クロイミ……。それはきつすぎると思う」
的確であるにしても。
「言ってから後悔した。キハルは僕に飛びかかってきた。ライデンボクの村で鍛錬を受けた僕にだよ。身に沁みついた動きのままに彼女の両手を片手で抑えて、残った手で首を掴んでやったけど……首がやけに細くて……変な気持ちが起きてきて」
「長。まだ出発しないのか?」
半裸のツヅミグサが声かける。
「だいじな話をしている」
ハシバミはそう言って、興味本位丸出しの顔を参謀に向ける。「変な気持ちが起きてどうした? ここまで来たら全部話せよ」
「それくらいと言えばそれくらい。首から手をどかした。キハルが目をつぶったから思わずキスしちゃって、胸も触って、そしたらキハルが『私はクロイミが一番好き。頭よくて、やさしくないのにやさしい。しかも強かった』って抱きついてくるから、彼女の服を脱がして僕も脱いだら、トモが腐ったネズミを二人の真横に落とした。僕が我に返って服を着だしたら、キハルが大騒ぎしたから逃げだした。
……以後は彼女と二人きりで話をしていない」
「元気のでる話をありがとう。強い二人でお似合いだと思うよ」
ハシバミはにやにやしながら立ちあがる。これでお姫様を押しつけられずに済む。そりゃかわいいけど僕にはもったいない、ってことにしておこう。
そのままの笑みでみんなを見まわす。
「出発しよう。先頭はシロガネとツヅミグサ。カツラは僕と一緒に後衛だ」
「ああ」と仏頂面な大男が立ち上がる。十一人が歩きはじめる。