089 あぜ道

文字数 3,066文字

 セキチク群長を先頭に、私たちは大きなあぜ道を歩かされた。背後には男が二人だけだが逃げようがない。武器以外は没収されなかった。替えの草鞋と褌をさすがに取り上げない。

「あれを見たことあるかい?」

 セキチク群長が指さしたのは、木で作られた巨大なタイヤだった。ゆっくりと回転していた。

「水車だよ。あれも文明だ。ようやく俺たちは、遺物にかじりつき獣みたいに過ごした時代から抜けだそうとしている。将軍のおかげでね」

 それが何に使われるのか興味は湧かなかった。その中で、女性が二人作業していた。

「ツユミ若年長に尋ねる。ムシナシ群長はどこだ」
 セキチク群長がその一人に声かけた。

「水田の補修箇所を巡回しています」

 ツユミと呼ばれた女性が背筋を伸ばして答えた。その人の黒髪は、エブラハラの他の女性と同様に肩までの長さだった。臙脂色に染めた木綿の上着を帯で締めて、濃紺のショートパンツはおそらく麻製だった。彼女は若くて背高くて美人だった……。
 じろじろ見たわけではないぞ。ただ、娘たちをちょっと思いだしてしまった。年齢が全然ちがうのにな。

「それは知っている。こいつらを彼のもとへ運んでくれ。後ろからの流れ弾に当たりたくなければ暴れさせるなよ」

 そう言うとセキチク群長だけが去っていった。もはや私たちを一瞥しなかった。男二人がこめかみに指を当てて見送った。

「ツユミは相変わらずきれいだな。やらせろよ」
「いよいよ十八。どこぞのエロオヤジにもらわれる前にな」

 群長がいなくなるなり男たちが下卑な言葉を口にした。

「彼らは新入りよね? ムシナシさんに何の用? あの人は慣れない仕事で目が回っている」
 ツユミは戯言の相手をせずに言った。

「捕囚だよ。セキチクさんがムシナシ殿にこいつらの処遇を押しつけた。あの群長はぶっ倒れるかもな」

 ツユミはふっと笑いを漏らし、ついてきてと私たちに言った。数メートル距離を開けて男たちも続いた。振り向くと、なおも手に銃があった。

 メダカやコブナが泳ぐ用水路が縦横に巡らされていた。ここまで整備されたらよほどの大雨だろうと流されそうもなかった。田園で働く女たちは、しばし手を休めて私たちを見送った。男は少ない。見張り番と年老いた者ぐらいだった。

「女だらけでしょ。この町の男は徴兵されて死ぬ。上士は複数妻を持てるけど、彼らが町にいる時間は少ない。そのまま帰ってこないことも多いって」
 ツユミが私の横に並んで言った。

「私たちは奴隷にされるのか」

「私が知るはずない。でも」
 ツユミが小声になった。「逃げたいならば今しかないよ。ムシナシは群長にしては賢くない」

 用水路のせせらぎでかき消されるほどの声だった。

「君たちはここでの生活に満足しているのか」
 ツユミの言葉が聞こえなかったヤイチゴが背後から尋ねた。

「ここは安全。飢えることは少ない」
 ツユミはひそめたままの声で私に言う。「だけど人として生活できない。……十八歳までの若年部は女だけなの。みんなは愛する人と出会いたい、愛されたいと思っている。恥ずかしい夢想家ばかり。……私たちだって逃げだしたいけど力がない。でもあなたたちは成功する可能性がある」
 
「よく聞こえぬが、どうやらここは歪んでいるな」
 ヤイチゴが声をひそめず言う。「どんなに大きくてもそんな場所はいずれ――」

 いきなり背後の男が笛を鳴らして、私もツユミもびくりとした。

「ここだ、ここだ!」と男が遠くへと手を振った。それから私たちへ「あそこにいるのがムシナシさんの配下だ。俺たちの役目も終わりだ」

 私たちは槍と弓を持つ男六人に引き渡された。ツユミたちは来た道を戻っていった。男の下卑た笑いが聞こえた。

 *

「女が余っているなんてまさに楽園だな。行ってみたいと思わないけど」
「カツラならば即座に上士になれるかもな。配下に兵士が数名つくようだ。さらに彼らを統率する者の肩書が群長だろう」

「けっ。お喋りにも飽きただろ。急ごうぜ」
「残念だが、いまの私はこれ以上早く歩めない。なのでもう少し聞いてくれ。――カツラもよく例えられるが、ぎょろ目で深い褐色肌のムシナシ群長こそ牛のような大男だった」

「さっきから、出会ったものいずれも物語にでてきそうな奴ばかりだ」
「だが事実だよ。それがエブラハラの怖さだ。でもムシナシは忙しそうだった」

 *

 私たちはしばらく待たされた。その間に、地図を見ながら頭を抱えるムシナシ群長を観察した。彼と取っ組み合いになっても、サジーとシロガネ二人がかりでも勝てそうになかった。でも部下に対して良心的で、真面目そうで、ちょっと頭が悪そうで、能力以上の仕事に困っていた。
 ようやく私たちに顔を向けた。

「セキチクが私に? ……そうだな、モガミ川上流に舟を十ぐらい運ばないとならなかったな。君たちにはそれを手伝ってもらおう。真面目にやってくれたのならば、私の配下に迎えてもいいぞ」

 そう言って、また地図に目を落とした。
 そのとき私に、アイオイ親方の悪だくみが舞い降りた。

「話が違います。私たちはすぐに群長のもとで戦う(・・)はずです」

 それを聞いて、ムシナシ群長が私たちを見た。サジーを見て、シロガネの肌で目がとまった。

「そうかもしれないな。セキチクは平時は適当だ」
「それと、セキチク群長の配下が伝え忘れたことを、私が口にしてよろしいでしょうか」
「もちろんだとも」
「将軍がムシナシ群長にすぐに戻れと仰っていました」

 ムシナシは配下二人を連れて去っていった。

「私たちは田園をしっかりと見る必要がある」
 彼らが見えなくなるなり、私は残る男たちに言った。「彼の肌を見ろ。この方は将軍の知縁だ」

 男たちは私の群長への堂々とした応対を見ていた。私たちは男二人とともにその場を離れた。田園を離れて、詰所を避けて、山際を目ざした。

「そちらには何もありません」

 男の一人が言った。それでも私たちは林へと向かった。

「そちらは禁止されています。もう戻らないとならない」

 そして四対二の格闘が始まった。彼らは奇襲を受けた。彼らは銃を持っていなかった。彼らは弱くはなかったが、笛をか細く鳴らしただけだった。

 私はとどめを刺そうとした。だがサジーが拒んだ。英雄の息子と揉める時間はない。私たちは弓と槍を奪うだけで林へと逃げた。



 私たちはひたすら走った。峠の砦が見えた。

「将軍からの使命を受けている。急いでいる」

 シロガネに言わせた。またも彼らは我々を見送るだけだった。


 ひたすら歩き続けた。しかしトンネルで後方に複数のランプが見えた。なんて奴らだ。じきに追いつかれる。

 でも私たちにはデンキ様の加護があった。アイオイ親方の手助けだったかもしれない。……彼らにとっては、陰麓からのささやきだっただろう。

 きな臭い匂いとともにトンネルの上が崩れだした。私たちの背後でだ。奴らがそれ以上追えるはずなかった。出口はすぐそこだった。

 *

「ヤイチゴは三人に必死でついてきた。鍛えられてもいないのにたいした根性だ。だがしばらくは回復しないだろう。サジーも怪我を負った。シロガネが一番強靭だった。彼が三人を導いてくれた。
そして私たちは水舟丘陵に戻れた。しかしさらに深い悲しみが待っていた」

「決めつけるなよ」

 最後の崩落地でカツラがヒイラギに手を貸しながら言う。追跡してきたのが事実ならば、それこそ侮りがたい一団だ。いまはそれどころではない。

「みんな行くなら僕も長を探すよ」

 カツラもヒイラギも拒否できるはずなく、そこからコウリンも付き従う。
 ミカヅキが上空を何度も旋回する。
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