098 ニアミス
文字数 2,180文字
カツラが自信を持って宣言したとおり、アスファルトに人の気配はなかった。
「明かりは五個あった。犬もいたはずだ。……あいつらはどこへ消えた?」
ハシバミは茂みに身を隠しながら聞く。
「たしかに五人だったと思う。だが犬は見かけなかった」
カツラが立ち上がろうとする。
「まだ座っていろ」
ハシバミはきつい口調になる。「カツラの先ほどの態度に、僕は頭に来ている。あれは必要なかった。君を失うほうがずっと痛手だ」
「反省しているから、ぐちぐち怒らないでくれ」
カツラが座りなおす。「でも、あの行為は必要だった。勇気を絞りだす儀式みたいなものだった。……もう大丈夫だ。俺は本来の俺に戻った。カツラ様に戻れたよ」
「これから先はすべて君にかかっている。それを忘れないでくれよ。……あの銃声と悲鳴は何だった?」
「誰にも言うなよ」
カツラが小声になる。「この周辺は明るいうちに確認済だから、湖の縁がコンクリートで歩きやすいのは知っていた。俺は灯りを消してそっちから回りこもうとした。奴らも同じことを考えていた。出逢ってお互いに腰を抜かしかけた。
奴らの先頭は銃を構えて歩いていやがった。それだから、あの時よりもずっとずっと近くで雷が鳴った。でも貫く衝撃は現れなかった」
「僕も撃たれたから知っている。慌ててはずしたのだな」
「それならば二発目で俺は黒屍の子分になっていたよ。先頭の奴は右手を左手で握りながらわめきだした。たぶん暴発って奴だ。……ハシバミ。俺たちはデンキ様に照らされているかもな。冗談抜きでだ」
「そうだとしても、まだ四人いるだろ」
「ここから先こそ誰にも言うな。俺はまたも撃たれて頭に血が上ってしまった。端からぶん殴りはるか下の湖へと投げてやった。
俺は黒屍の使者だ。銃など効かない。そう叫びながらだ。……俺は奴らの真っただ中に飛び込んだ。連中は相討ちを恐れて撃てなかったかもしれない」
五人を相手に白兵戦で無傷だと? デンキ様の恩恵なんかじゃない。こいつはほんとうに黒屍の家来かも。
「一人ぐらい死んだかもしれないが安全になった。とにかくだ、もう銃で狙われる恐れはない」
カツラが立ちあがり告げる。
一人ぐらい生きているかもな。ハシバミはそんな回答はせずに。
「安全を確認した。みんなも来てくれ」
背後に潜む九人に声かける。
「早朝から動くべきだ。エブラハラから一歩でも離れるべきだ」
シロガネが分かりきったことを口にする。
「シロガネの言うとおりだ。見張りはツヅミグサ、クロイミ、アコン、ブルーミーの四人から……ブルーミーは明日頑張ってもらうから除外、朝までぐっすり寝てくれ。僕とカツラも除外。ゴセントは矢の掃除を手伝って」
ハシバミが道に腰をおろして告げる。ヤブカがたっぷりと襲ってきた。
***
翌朝。腕時計の短い針が四に達する前から、ハシバミはシロガネとブルーミーと行動する。ランプはひとつだけ。油はとぼしい。村も僕たちも。
「五人が峠から下りてきたで間違いない。新しい足跡はない」
ブルーミーが踏み跡を至近で照らしながら断言する。「空を飛べない限りはね。ああ、カラスに乗ったお姫様は今いずこ。……ヨツバさんはまだ寝ているだろうか。僕もナトハン家に向かっていたら彼女の眼差しは多少は僕に」
「次は登山道の開拓だ。静かにやろう」
「それもブルーミーの役割だ。真面目にやれよ」
減らず口が生真面目な二人の神経を逆なでしていた。
地面に這いつくばっていたブルーミーが起きあがる。陽が差し込む直前の山側の斜面を一望したあとに歩きだす。ランプをシロガネに渡す。
「沢を選ぶか尾根を選ぶか。責任重大だ。沢は登りやすくても行く手を遮られる可能性が高い。かといって尾根は茨と蜂とダニだらけ」
ブルーミーが小刀をくわえて藪へと入る。「正直に言うと踏み跡もたどらない登山は無謀と思う。何度か引き返す覚悟をすべきだね」
「それが嫌だから、僕たちはブルーミーに委ねるんだ。数日前の僕らの痕跡を追えた狩人にね」
「そういうことだ。さあ元気を出してくれ」
「ナメクジよりは頑張るよ。いやナメクジのが頑張っているな。彼らは足がないのにね」
「ならば僕はカタツムリになる。重たい荷物を背負ってやるよ」
「ははは、ハシバミも面白いことを言う。ブルーミーよりもだ」
やがてブルーミーは沢を詰めようと決断する。明るくなると同時に、彼を先頭に十一人が登り始める。朝飯なんてほとんどの者が食べずに出発だ。
通過困難な箇所に当たれば、例によって尾根へと突き上げるだろう。デンキ様に照らされた十一人は、いずれ過去の登山ルートにぶち当たり山頂へと導かれる。
***
小鳥が朝の挨拶を終えた。
ハシバミたちが山へと消えた三十分後に、砦から降りてきた一団がダム湖に現れた。先遣隊と合流できずに不審がる。十名ほどのグループの痕跡は見つけたが、争いの形跡は無し。彼らは、沢経由で山を目ざす常識外で無謀な痕跡を見つけることはできなかった。ダム湖の縁に浮かんだ複数の死骸も。
狩りの本能がでてしまい狐を追いゴセントたちに見つけられた犬は、エブラハラの者たちが立ち去ってもずっと潜んでいた。その犬は静まりかえったダム湖湖畔で飼い主の口笛を聞く。尾を振り喜々と駆けだす。ハシバミが心で想像したように、数十メートル下のダムに投げられた者たちで一人だけ生きていた。
「明かりは五個あった。犬もいたはずだ。……あいつらはどこへ消えた?」
ハシバミは茂みに身を隠しながら聞く。
「たしかに五人だったと思う。だが犬は見かけなかった」
カツラが立ち上がろうとする。
「まだ座っていろ」
ハシバミはきつい口調になる。「カツラの先ほどの態度に、僕は頭に来ている。あれは必要なかった。君を失うほうがずっと痛手だ」
「反省しているから、ぐちぐち怒らないでくれ」
カツラが座りなおす。「でも、あの行為は必要だった。勇気を絞りだす儀式みたいなものだった。……もう大丈夫だ。俺は本来の俺に戻った。カツラ様に戻れたよ」
「これから先はすべて君にかかっている。それを忘れないでくれよ。……あの銃声と悲鳴は何だった?」
「誰にも言うなよ」
カツラが小声になる。「この周辺は明るいうちに確認済だから、湖の縁がコンクリートで歩きやすいのは知っていた。俺は灯りを消してそっちから回りこもうとした。奴らも同じことを考えていた。出逢ってお互いに腰を抜かしかけた。
奴らの先頭は銃を構えて歩いていやがった。それだから、あの時よりもずっとずっと近くで雷が鳴った。でも貫く衝撃は現れなかった」
「僕も撃たれたから知っている。慌ててはずしたのだな」
「それならば二発目で俺は黒屍の子分になっていたよ。先頭の奴は右手を左手で握りながらわめきだした。たぶん暴発って奴だ。……ハシバミ。俺たちはデンキ様に照らされているかもな。冗談抜きでだ」
「そうだとしても、まだ四人いるだろ」
「ここから先こそ誰にも言うな。俺はまたも撃たれて頭に血が上ってしまった。端からぶん殴りはるか下の湖へと投げてやった。
俺は黒屍の使者だ。銃など効かない。そう叫びながらだ。……俺は奴らの真っただ中に飛び込んだ。連中は相討ちを恐れて撃てなかったかもしれない」
五人を相手に白兵戦で無傷だと? デンキ様の恩恵なんかじゃない。こいつはほんとうに黒屍の家来かも。
「一人ぐらい死んだかもしれないが安全になった。とにかくだ、もう銃で狙われる恐れはない」
カツラが立ちあがり告げる。
一人ぐらい生きているかもな。ハシバミはそんな回答はせずに。
「安全を確認した。みんなも来てくれ」
背後に潜む九人に声かける。
「早朝から動くべきだ。エブラハラから一歩でも離れるべきだ」
シロガネが分かりきったことを口にする。
「シロガネの言うとおりだ。見張りはツヅミグサ、クロイミ、アコン、ブルーミーの四人から……ブルーミーは明日頑張ってもらうから除外、朝までぐっすり寝てくれ。僕とカツラも除外。ゴセントは矢の掃除を手伝って」
ハシバミが道に腰をおろして告げる。ヤブカがたっぷりと襲ってきた。
***
翌朝。腕時計の短い針が四に達する前から、ハシバミはシロガネとブルーミーと行動する。ランプはひとつだけ。油はとぼしい。村も僕たちも。
「五人が峠から下りてきたで間違いない。新しい足跡はない」
ブルーミーが踏み跡を至近で照らしながら断言する。「空を飛べない限りはね。ああ、カラスに乗ったお姫様は今いずこ。……ヨツバさんはまだ寝ているだろうか。僕もナトハン家に向かっていたら彼女の眼差しは多少は僕に」
「次は登山道の開拓だ。静かにやろう」
「それもブルーミーの役割だ。真面目にやれよ」
減らず口が生真面目な二人の神経を逆なでしていた。
地面に這いつくばっていたブルーミーが起きあがる。陽が差し込む直前の山側の斜面を一望したあとに歩きだす。ランプをシロガネに渡す。
「沢を選ぶか尾根を選ぶか。責任重大だ。沢は登りやすくても行く手を遮られる可能性が高い。かといって尾根は茨と蜂とダニだらけ」
ブルーミーが小刀をくわえて藪へと入る。「正直に言うと踏み跡もたどらない登山は無謀と思う。何度か引き返す覚悟をすべきだね」
「それが嫌だから、僕たちはブルーミーに委ねるんだ。数日前の僕らの痕跡を追えた狩人にね」
「そういうことだ。さあ元気を出してくれ」
「ナメクジよりは頑張るよ。いやナメクジのが頑張っているな。彼らは足がないのにね」
「ならば僕はカタツムリになる。重たい荷物を背負ってやるよ」
「ははは、ハシバミも面白いことを言う。ブルーミーよりもだ」
やがてブルーミーは沢を詰めようと決断する。明るくなると同時に、彼を先頭に十一人が登り始める。朝飯なんてほとんどの者が食べずに出発だ。
通過困難な箇所に当たれば、例によって尾根へと突き上げるだろう。デンキ様に照らされた十一人は、いずれ過去の登山ルートにぶち当たり山頂へと導かれる。
***
小鳥が朝の挨拶を終えた。
ハシバミたちが山へと消えた三十分後に、砦から降りてきた一団がダム湖に現れた。先遣隊と合流できずに不審がる。十名ほどのグループの痕跡は見つけたが、争いの形跡は無し。彼らは、沢経由で山を目ざす常識外で無謀な痕跡を見つけることはできなかった。ダム湖の縁に浮かんだ複数の死骸も。
狩りの本能がでてしまい狐を追いゴセントたちに見つけられた犬は、エブラハラの者たちが立ち去ってもずっと潜んでいた。その犬は静まりかえったダム湖湖畔で飼い主の口笛を聞く。尾を振り喜々と駆けだす。ハシバミが心で想像したように、数十メートル下のダムに投げられた者たちで一人だけ生きていた。