124 追跡者
文字数 3,368文字
セキチクは信頼できる配下を五人連れてハシバミたちを追った。アスファルトの痕跡をひたすら下る。堰堤の手前で川を離れるが、彼は左岸を選んだ。痕跡は皆無でしばらくして川を渡りなおす。強行軍に二人が脱落した。……盆地にでてしまった。どこでも歩ける平坦な地で足跡を見つけるなど奇跡でも無理だ。
そうだとしても見つけるまでエブラハラには帰らない。
セキチクの強い意志とハンターである勘が、彼をハシバミたちと巡り合わせたのかもしれない。その時、バクラバが放った銃声をかすかに聞こえる距離まで近づけていた。
逃亡者どもが盆地に居残るはずない。だからセキチクたちは上流を泳いで渡る。……あの渡渉ポイントは流されても誰かが直す。エブラハラが直したこともある。あそこで待ち伏せよう。
大正解だった。
身を隠す高木はない。背の低い藪を挟んだ四人対四人。だけど銃に不慣れなジライヤ。触ったこともないだろうツユミともう一人の若者。対等に戦えるのはバクラバだけ。
思わぬ僥倖に昂ったセキチクはそう判断してしまった。
「抵抗するな」
セキチクたちは当然のように銃を向ける。ジライヤとバクラバのどちらかは、足を引きずった若者とともに殺すしかない。エブラハラに連れて帰るのは女と……肩を怪我したジライヤにするか。
「それは私のセリフだ」
バクラバは臆するどころかセキチクへと銃口を向けた。この男は厄介なほどに銃の名手だ。あと数歩近づけば、眉間に照準を合わせられる。だとしても四対一。囲めば終わりだ。
「こいつらはエブラハラだな」
足を引きずった男がバクラバに尋ねる。「将軍か?」
「違います。彼はセキチクです」
「クロジソより足が速いようだな。お疲れさんだ」
カツラが不敵に笑う。でも長刀を背中からおろさない。銃相手に戦うつもりはないようだ。
そりゃそうだ。僕もまだ弓を構えるべきじゃない。はったりの錆びた銃も刺激させるだけ。向けるのは言葉だけだ。
「セキチク、君はたいした奴みたいだな。でも知らないことも多いだろうから教えてやる。――硫黄の山から三人ほど帰ってこないだろ? そして、なぜか僕たちも銃に慣れている」
それはジライヤから聞いていた。しかも峠で何丁も奪われている。
そんなセキチクの動揺が見てとれた。
「あなたたちが彼らを?」
何も知らないバクラバまでもが反応する。事実は後で知らせよう。
「だからどうした。ジライヤを引き渡せ。主犯であるツユミを渡せ」
セキチクは言ったあとに目を泳がせる。心で舌を打つ。
アコンとゴセントとツユクサが土手へと登ってきた。アコンは長の前へと小走りし、セキチクたちへ槍を構える。
「群長。私たち女には羽根が生えています」
ツユミがカツラの背後から落ち着いた声で告げる。「ほら、黒い鳥が来ますよ」
セキチクたちは不安げに空を見上げてしまった。続いてツユミの背後へ目を向ける。クロイミが女子四人とともに現れた。彼らを見て、彼女らは悲鳴を上げてクロイミに殺到してしがみつく。
「あなたの話は馬鹿げている。なんで数で圧倒しているのに従わないとならない」
ハシバミは空を指さす。「しかも銃よりも怖いものがある」
口だけで距離は縮めない。銃口が正直に怖い。おそらくミカヅキは現れない。太ももの傷がひりひり痛む。
「俺たちの丘は沢と川に挟まれていてさあ」
さらにはツヅミグサが女の子と談笑しながら現れる。こいつは闖入者にまだ気づかない。
思慮なき行為をしたとセキチクは後悔した。
連中は川を下って散り散りになったと、きわめて常識的な判断をしてしまい、敵の数を過小評価してしまった。警戒もせず、かたまることなく三々五々に現れると思わなかった。
「俺たちは先遣隊だ。本隊が来るまえに女を置いて逃げろ。それしかお前たちが生き延びる道はない」
セキチクは銃をおろさない。おろせない。
「銃は忌むべきものだよ。それを川に捨てて去りな」
なにも手にせぬゴセントが、ハシバミの盾となる半裸のアコンの隣に並ぶ。「なぜならば、あなたはまだ死ぬべきではない」
おおきな黒い瞳の小柄な子がまっすぐに見つめてくる――。セキチクは誰よりも恐怖を感じて後ずさってしまう。石につまずき尻餅をつく。
「何事だ? ……その人は群長」
シロガネやコウリンたちも登ってきた。これで女子を加えれば、二十人対四人。シロガネとブルーミーは調練を重ねた動きで、セキチクたちを挟むようにじわじわと移動する。
それでもセキチクは立ちあがる。銃をバクラバだけに向ける。
「親方。私たちが勝ちます」バクラバが振り向かずに告げる。「ならば一人残らず殺さないとならない。エブラハラに帰らせてはいけない。将軍に報告させてはいけない」
言われるまでもない。いまから血みどろの戦いになる。僕たちは女の子を半日で三人も失った。死はすぐ横に侍っている。
……でも、生まれた村から逃げだした男たちは、いまもなお全員が生きている。そいつらに殺し合いをさせるというのか。見るからに有能で人好きさせるセキチクと命を奪いあわせるのか。
誰もが彼の次なる言葉を待っていた。敵である者たちも。
「四人は川に飛び込め」
ハシバミは最大限の譲歩をする。「エブラハラの男はそれぐらいで死なないよな」
「休戦か? 受けいれてやる」
セキチクは安堵を見せぬように努力する。銃をおろして川へと向かう。三人の男も続く。
バクラバが小さく首を横に振った。それでも。
「私が見届けましょう。争いを避けたいならば銃は没収できません。……これは私に不要みたいですね」
彼はそう言って、自分が持つ拳銃をハシバミに突きだす。強い男のささやかな反抗と服従。
「僕とシロガネも見送る。ツヅミグサとブルーミーはあの沢への道を探ってくれ。他は彼女たちを守れ」
ハシバミは受け取った銃をツヅミグサに渡す。代わりに肩から弓をおろす。
*
「これもモガミ川だ。盆地を縦断して海につながる」
セキチクがズボンを脱ぎ上着と褌だけになる。銃をビニールにしまい胸に縛りつける。
「この川で俺たちが死んでもエブラハラまで流してくれる」
「あなたはそこの生まれなのか?」ハシバミは矢を向けたまま尋ねる。
「いや。生まれた村など思いだしたくもない」
戦いに敗れた男が流れに飛びこむ。
……一人が言っていた。
『俺たちの丘は沢と川に挟まれていて』
さらには。
『あの沢への道を――』
リーダーらしき若者の何気ない一言。その丘は遠くない。それを知れただけで充分だ。セキチクの胸中は負け惜しみだけではない。
残りの三人もセキチクの後を追い濁流に身を任せる。
ハシバミとバクラバは土手へと戻る。
***
知らぬ間に空は晴れていた。でも夕闇に翳りだしそうだ。
灌木の藪。乾燥した道。西の太陽。濡れた衣服は着たままで乾いていく。二十人はアスファルトの痕跡を行く。コンテナトラックを伝わってたどり着いた懐かしき場所まで戻ってきた。女子はへとへとだけど、もう少しだけ歩いてもらう。
高台に登るとサジーとヤイチゴがいた。捕らえた鹿を引きずっていた。
「ああハシバミ親方。私たちは狩りの途中でした。ここで会えたのは、導き以外の何物でもない」
涙でくしゃくしゃのヤイチゴは感極まっている。「おお、エブラハラからやってきた乙女の方々。この人数に行き届きます、ぜひ獲れたての鹿をお食べください。……水舟丘陵はすぐそこだが夜が来ます。明日の朝、私たちは歓迎します」
「そういうことだ。見たところ、知っている顔を誰一人置き忘れてこなかったな」
バクラバより真っ黒な顔のサジーがハシバミの肩を叩く。「俺は村に報告へ走る。さばくのはそこの大男に任せるぜ」
サジーは白い歯を浮かべながら、カツラの右肩も叩く。
「これとこれも持っていてくれよお」
カツラの絶叫と悶絶が収まったあとに、コウリンがサジーへとお宝の詰まったペットボトルを背負い籠ごと渡す。
「塩がぎっしり。油もたっぷり。どちらも水と混ざったけどお、それぞれ三本あるよ」
「彼女たちからのお土産」
ハシバミはそう言って、ようやく岩へと腰をおろす。夜が近い。焚き火を起こして、捌きながら焼いていくか。テントは筏と一緒に流されたから、今夜は女の子たちも地面で寝てもらう。
強い人ばかりだから大丈夫だよね。雨はあがったし。
そうだとしても見つけるまでエブラハラには帰らない。
セキチクの強い意志とハンターである勘が、彼をハシバミたちと巡り合わせたのかもしれない。その時、バクラバが放った銃声をかすかに聞こえる距離まで近づけていた。
逃亡者どもが盆地に居残るはずない。だからセキチクたちは上流を泳いで渡る。……あの渡渉ポイントは流されても誰かが直す。エブラハラが直したこともある。あそこで待ち伏せよう。
大正解だった。
身を隠す高木はない。背の低い藪を挟んだ四人対四人。だけど銃に不慣れなジライヤ。触ったこともないだろうツユミともう一人の若者。対等に戦えるのはバクラバだけ。
思わぬ僥倖に昂ったセキチクはそう判断してしまった。
「抵抗するな」
セキチクたちは当然のように銃を向ける。ジライヤとバクラバのどちらかは、足を引きずった若者とともに殺すしかない。エブラハラに連れて帰るのは女と……肩を怪我したジライヤにするか。
「それは私のセリフだ」
バクラバは臆するどころかセキチクへと銃口を向けた。この男は厄介なほどに銃の名手だ。あと数歩近づけば、眉間に照準を合わせられる。だとしても四対一。囲めば終わりだ。
「こいつらはエブラハラだな」
足を引きずった男がバクラバに尋ねる。「将軍か?」
「違います。彼はセキチクです」
「クロジソより足が速いようだな。お疲れさんだ」
カツラが不敵に笑う。でも長刀を背中からおろさない。銃相手に戦うつもりはないようだ。
そりゃそうだ。僕もまだ弓を構えるべきじゃない。はったりの錆びた銃も刺激させるだけ。向けるのは言葉だけだ。
「セキチク、君はたいした奴みたいだな。でも知らないことも多いだろうから教えてやる。――硫黄の山から三人ほど帰ってこないだろ? そして、なぜか僕たちも銃に慣れている」
それはジライヤから聞いていた。しかも峠で何丁も奪われている。
そんなセキチクの動揺が見てとれた。
「あなたたちが彼らを?」
何も知らないバクラバまでもが反応する。事実は後で知らせよう。
「だからどうした。ジライヤを引き渡せ。主犯であるツユミを渡せ」
セキチクは言ったあとに目を泳がせる。心で舌を打つ。
アコンとゴセントとツユクサが土手へと登ってきた。アコンは長の前へと小走りし、セキチクたちへ槍を構える。
「群長。私たち女には羽根が生えています」
ツユミがカツラの背後から落ち着いた声で告げる。「ほら、黒い鳥が来ますよ」
セキチクたちは不安げに空を見上げてしまった。続いてツユミの背後へ目を向ける。クロイミが女子四人とともに現れた。彼らを見て、彼女らは悲鳴を上げてクロイミに殺到してしがみつく。
「あなたの話は馬鹿げている。なんで数で圧倒しているのに従わないとならない」
ハシバミは空を指さす。「しかも銃よりも怖いものがある」
口だけで距離は縮めない。銃口が正直に怖い。おそらくミカヅキは現れない。太ももの傷がひりひり痛む。
「俺たちの丘は沢と川に挟まれていてさあ」
さらにはツヅミグサが女の子と談笑しながら現れる。こいつは闖入者にまだ気づかない。
思慮なき行為をしたとセキチクは後悔した。
連中は川を下って散り散りになったと、きわめて常識的な判断をしてしまい、敵の数を過小評価してしまった。警戒もせず、かたまることなく三々五々に現れると思わなかった。
「俺たちは先遣隊だ。本隊が来るまえに女を置いて逃げろ。それしかお前たちが生き延びる道はない」
セキチクは銃をおろさない。おろせない。
「銃は忌むべきものだよ。それを川に捨てて去りな」
なにも手にせぬゴセントが、ハシバミの盾となる半裸のアコンの隣に並ぶ。「なぜならば、あなたはまだ死ぬべきではない」
おおきな黒い瞳の小柄な子がまっすぐに見つめてくる――。セキチクは誰よりも恐怖を感じて後ずさってしまう。石につまずき尻餅をつく。
「何事だ? ……その人は群長」
シロガネやコウリンたちも登ってきた。これで女子を加えれば、二十人対四人。シロガネとブルーミーは調練を重ねた動きで、セキチクたちを挟むようにじわじわと移動する。
それでもセキチクは立ちあがる。銃をバクラバだけに向ける。
「親方。私たちが勝ちます」バクラバが振り向かずに告げる。「ならば一人残らず殺さないとならない。エブラハラに帰らせてはいけない。将軍に報告させてはいけない」
言われるまでもない。いまから血みどろの戦いになる。僕たちは女の子を半日で三人も失った。死はすぐ横に侍っている。
……でも、生まれた村から逃げだした男たちは、いまもなお全員が生きている。そいつらに殺し合いをさせるというのか。見るからに有能で人好きさせるセキチクと命を奪いあわせるのか。
誰もが彼の次なる言葉を待っていた。敵である者たちも。
「四人は川に飛び込め」
ハシバミは最大限の譲歩をする。「エブラハラの男はそれぐらいで死なないよな」
「休戦か? 受けいれてやる」
セキチクは安堵を見せぬように努力する。銃をおろして川へと向かう。三人の男も続く。
バクラバが小さく首を横に振った。それでも。
「私が見届けましょう。争いを避けたいならば銃は没収できません。……これは私に不要みたいですね」
彼はそう言って、自分が持つ拳銃をハシバミに突きだす。強い男のささやかな反抗と服従。
「僕とシロガネも見送る。ツヅミグサとブルーミーはあの沢への道を探ってくれ。他は彼女たちを守れ」
ハシバミは受け取った銃をツヅミグサに渡す。代わりに肩から弓をおろす。
*
「これもモガミ川だ。盆地を縦断して海につながる」
セキチクがズボンを脱ぎ上着と褌だけになる。銃をビニールにしまい胸に縛りつける。
「この川で俺たちが死んでもエブラハラまで流してくれる」
「あなたはそこの生まれなのか?」ハシバミは矢を向けたまま尋ねる。
「いや。生まれた村など思いだしたくもない」
戦いに敗れた男が流れに飛びこむ。
……一人が言っていた。
『俺たちの丘は沢と川に挟まれていて』
さらには。
『あの沢への道を――』
リーダーらしき若者の何気ない一言。その丘は遠くない。それを知れただけで充分だ。セキチクの胸中は負け惜しみだけではない。
残りの三人もセキチクの後を追い濁流に身を任せる。
ハシバミとバクラバは土手へと戻る。
***
知らぬ間に空は晴れていた。でも夕闇に翳りだしそうだ。
灌木の藪。乾燥した道。西の太陽。濡れた衣服は着たままで乾いていく。二十人はアスファルトの痕跡を行く。コンテナトラックを伝わってたどり着いた懐かしき場所まで戻ってきた。女子はへとへとだけど、もう少しだけ歩いてもらう。
高台に登るとサジーとヤイチゴがいた。捕らえた鹿を引きずっていた。
「ああハシバミ親方。私たちは狩りの途中でした。ここで会えたのは、導き以外の何物でもない」
涙でくしゃくしゃのヤイチゴは感極まっている。「おお、エブラハラからやってきた乙女の方々。この人数に行き届きます、ぜひ獲れたての鹿をお食べください。……水舟丘陵はすぐそこだが夜が来ます。明日の朝、私たちは歓迎します」
「そういうことだ。見たところ、知っている顔を誰一人置き忘れてこなかったな」
バクラバより真っ黒な顔のサジーがハシバミの肩を叩く。「俺は村に報告へ走る。さばくのはそこの大男に任せるぜ」
サジーは白い歯を浮かべながら、カツラの右肩も叩く。
「これとこれも持っていてくれよお」
カツラの絶叫と悶絶が収まったあとに、コウリンがサジーへとお宝の詰まったペットボトルを背負い籠ごと渡す。
「塩がぎっしり。油もたっぷり。どちらも水と混ざったけどお、それぞれ三本あるよ」
「彼女たちからのお土産」
ハシバミはそう言って、ようやく岩へと腰をおろす。夜が近い。焚き火を起こして、捌きながら焼いていくか。テントは筏と一緒に流されたから、今夜は女の子たちも地面で寝てもらう。
強い人ばかりだから大丈夫だよね。雨はあがったし。