105 水車小屋の詩
文字数 3,142文字
ハシバミが見抜いたように、カツラは勇猛なくせに狡く立ち回る。そのバランス感覚こそが、持って生まれた戦士の資質だ。だから老兵への仕打ちに煮えたぎった腸 を引きちぎりたいほどの激情に駆られようと、上辺 はエブラハラの奴らとにやにや笑えた。
***
「ここがジライヤの寝床だ」
「これはこれは、ぐっすり眠れそうだな」
「だが南京虫がひそんでいる。こればかりは仕方ない。さて、食事を済まそう」
カツラは営舎二階の狭い板張りの部屋を当てがわれたあとに、一階の食堂へと連れていかれた。そこには四人掛けの木製の机と椅子が八組あった。机ごとにランプが置かれている。
先客で四人が別々の机に座っていた。三名の若年組の娘が配膳係として厨房と行き来している。
「家がある私もいただける。基本おかわりはできないが、ジライヤは今夜ぐらいはたっぷり喰うがいい」
パセルが笑いながら椅子に腰かける。
本来は、食事は各自で済ますそうだ。カツラは、パセル群長とオオネグサ副長ともう一人とともに机を囲む。すぐに食事が運ばれてきた。魚と山菜と麦と干した果物。いずれも味付けされていた。ひさしぶりにまともな飯だ。ひさしぶりに箸をつかった。また任務を忘れてがつがつ食べる。
食事しながら質問する。営舎に住む男は三十人ほどとのこと。減っているらしい。
「これでも一時より増えた。だが秋が終われば北地区から、また男はいなくなる」
オオネグサが言う。
「どこぞの村を滅ぼしにいくのか?」
カツラが聞く。
「ちょっと違う」パセルが箸をとめる。「服従させにいく。文明のために」
カツラはそれ以上質問を挟まない。おかわりは我慢しようとしたが、一杯だけお願いしてしまう。
「山盛りにしました」
まだ幼さがある配膳係が微笑みながら運んできてくれた。媚びることを覚えてきていやがる。
*
「昔の家は便所が屋内だったのは知っているか? 将軍がおっしゃるには、それこそが文明らしい。ここは残念だが外にある。水道もだ」
食事のあとにオオネグサが教えてくれる。
「水道?」
「上流から水を引いている。飲めるし顔も洗えるし口もゆすげる」
裏庭では、竹で作られた筒から水が勢いよく流れていた。それが三つもある。……地中を通しているのか? これも文明って奴か。ユートピアって奴か。
「気にいったぞ」
カツラは全裸になって褌まで洗おうとする。
「おい冷えるだろ。風呂は別にあるし、そもそもここは……」
さきほどの配膳係の少女が食器を洗いに来て悲鳴を上げた。
***
生まれ育った村では、男は真冬でも川で体をきれいにした。温めた風呂に入るのは子を授かったことがある女性と特権階級だけだった。
カツラは、幼い女の子が薪をくべる五右衛門風呂につかりながら思う。これこそ楽園だ。もちろん任務を忘れるはずない。
*
風呂上がりの四人はオオネグサの部屋に移る。布団以外の何もない部屋だが油臭い。
「銃の手入れと刃先を研ぐのはここでする。ランプは個別に支給されていない。入口の警備担当から貸りてくれ。朝には必ず返す。防火のためだから厳罰だ」
鉱山とかに左遷させられるらしい。そこでの警備さえ懲罰ならば、そこでの奴隷生活は如何ほどだろう。
「さっそく始めよう」
カツラは腕に刺青を入れられる。針を火であぶりながら、もう一人の男が黙って作業する。
「耐えられるか?」
「なにを?」
カツラがうそぶく。作業は四十分ほどで、ぶっとい腕に藍色の輪がふたつ描かれた。
「これで歓迎の宴をできる」
パセル群長が言う。
四人はランプを囲んで胡坐をかき、麦焼酎を飲む。つまみはない。
「服は工場で作られるが、この地区にはない。将軍かムシナシ殿のお古を頂戴しない限り、ジライヤの背丈に合うのはないな」
「二着もらえたら自分で縫うよ」
カツラがオオネグサに答える。
「娘たちにやらせるべきだな」
パセル群長が言う。「夕暮れに会ったイラクサを覚えているか? 彼女たち最年長のグループに頼んでみろ」
「十八歳ってことか。嫁に選べるな」
アルコールがまわったカツラが笑う。ひさしぶりだからか酔うのが早い。……あんなきれいな人を妻にできたら最高だ。でも、ほんとうに、一緒に逃げてくれるのだろうか。
「彼女たちの動向も探ってほしい。私たちを警戒しているが、ジライヤには心を許すかもしれない。……彼女たちは脱走を企てるかもしれない」
「脱走?」
パセルの言葉に、カツラは瞬時に酔いがさめる。
「あの世代は特異なんだよ。強い娘がそろっている」
パセルが続ける。「事前に発覚すれば、見せしめも最低限……。さてと私は家に帰るよ。また明日会おう」
パセルがいきなり立ち上がる。カツラも腰を上げる。男たちと仲良くなる必要はない。
「俺も小便して休ませてもらう。ひさしぶりに屋内で眠れて嬉しいよ。じゃあな」
カツラは入口で提灯を借りて自室へ戻る。布団などないので、そのまま板の上に転がる。
「明日からだな」
カツラはひとりごつ。
「危険へ誘う男と誘われる女……。だけど誰を信用すればいいのだ? ここの連中は新参者である俺をスパイに仕立てた。ということはスパイだらけだろうな。
ふわあ~あ。明日から考えればいいや。でも、ここを抜けだすときが来たならば、俺はバクラバを連れていくぜ。女への見せしめだと? クロジソ将軍め。よくも残忍なことを思いつけるものだ。俺は絶対に許さねえぜ」
***
翌朝、カツラは明るくなると同時に起きた。長刀だけを持ち便所で用を足す。水道へ顔を洗いにいくと、すでに別の者がいた。
「朝飯も食堂か?」
名も知らぬそいつへと尋ねる。
「新参者だね。噂通りにでっかいな。食事は一時間後だ。『時の鐘』係が半鐘を鳴らして教えてくれる。……君はまだ早朝勤務を割り当てられてないのかな」
「薪でも割るさ。その前に用事がある」
食堂から厨房を覗くと女子が三人働いていた。……この匂いは味噌だ。そんなのに惹かれてはいけない。
「おい。イラクサはどこか知っているか?」
かまどの火にふいごを当てる十四五歳の少女に尋ねる。
「お、お姉さまたちは水車小屋だと思います」
額の汗を袖で拭きながら答える。
「ほんとうの姉妹か?」
「いえ。私たちは年長者をそう呼びます」
「ふうん。オオネグサ副長が探していたら、ジライヤは田園に行ったと教えてくれ」
カツラは長刀を背負って営舎をでる。
***
雀がにぎやかだ。朝の空気がすがすがしい。なのに村から生気を感じられない。田畑の稲のほうが、イナゴのほうが、生き生きとしている。カツラはあぜ道を一人歩く。牛をひいた老女二人とすれ違い挨拶されただけで、十分ほどで水車小屋にたどり着く。
せせらぎの音色。一定のリズムを刻む水車。それに合わせるように女性の歌声も聞こえた。それは物語のようでもあり、バオチュンファの村のインカオの吟詠のようでもあった。でも退屈なだけのあの詩と違って、これにはカツラの胸を打つものがあった。
鳥たちはつがいで飛ぶ。雄鳥は雌鳥へとさえずる。
母親は樹上のそれを聞きながら、子どもたちへと微笑んだ。
子どもたちはたわむれた。
でも鳥たちはもういない。
ウサギたちの雌は子どものために穴を掘る。雄はそれを見守る。
それから草原を駆けまわり、丘は二匹のためだけにあった。
でも冬が来た。
ウサギたちはもういない。
凍える冬。訪れない春。見たことない真実の夏。
お前たちは働けと彼らは言う。
お前たちは子を産めと彼らは言う。
お前たちを愛する者などいないと言う。
私たちが愛する者は、夢の中にも現れない。
「素晴らしい歌声だ」
カツラが手を叩く。「でも朝から聞くには陰気すぎる」
闖入者に気づき、イラクサたち四人の女がカツラへと警戒の眼差しを向けた。
***
「ここがジライヤの寝床だ」
「これはこれは、ぐっすり眠れそうだな」
「だが南京虫がひそんでいる。こればかりは仕方ない。さて、食事を済まそう」
カツラは営舎二階の狭い板張りの部屋を当てがわれたあとに、一階の食堂へと連れていかれた。そこには四人掛けの木製の机と椅子が八組あった。机ごとにランプが置かれている。
先客で四人が別々の机に座っていた。三名の若年組の娘が配膳係として厨房と行き来している。
「家がある私もいただける。基本おかわりはできないが、ジライヤは今夜ぐらいはたっぷり喰うがいい」
パセルが笑いながら椅子に腰かける。
本来は、食事は各自で済ますそうだ。カツラは、パセル群長とオオネグサ副長ともう一人とともに机を囲む。すぐに食事が運ばれてきた。魚と山菜と麦と干した果物。いずれも味付けされていた。ひさしぶりにまともな飯だ。ひさしぶりに箸をつかった。また任務を忘れてがつがつ食べる。
食事しながら質問する。営舎に住む男は三十人ほどとのこと。減っているらしい。
「これでも一時より増えた。だが秋が終われば北地区から、また男はいなくなる」
オオネグサが言う。
「どこぞの村を滅ぼしにいくのか?」
カツラが聞く。
「ちょっと違う」パセルが箸をとめる。「服従させにいく。文明のために」
カツラはそれ以上質問を挟まない。おかわりは我慢しようとしたが、一杯だけお願いしてしまう。
「山盛りにしました」
まだ幼さがある配膳係が微笑みながら運んできてくれた。媚びることを覚えてきていやがる。
*
「昔の家は便所が屋内だったのは知っているか? 将軍がおっしゃるには、それこそが文明らしい。ここは残念だが外にある。水道もだ」
食事のあとにオオネグサが教えてくれる。
「水道?」
「上流から水を引いている。飲めるし顔も洗えるし口もゆすげる」
裏庭では、竹で作られた筒から水が勢いよく流れていた。それが三つもある。……地中を通しているのか? これも文明って奴か。ユートピアって奴か。
「気にいったぞ」
カツラは全裸になって褌まで洗おうとする。
「おい冷えるだろ。風呂は別にあるし、そもそもここは……」
さきほどの配膳係の少女が食器を洗いに来て悲鳴を上げた。
***
生まれ育った村では、男は真冬でも川で体をきれいにした。温めた風呂に入るのは子を授かったことがある女性と特権階級だけだった。
カツラは、幼い女の子が薪をくべる五右衛門風呂につかりながら思う。これこそ楽園だ。もちろん任務を忘れるはずない。
*
風呂上がりの四人はオオネグサの部屋に移る。布団以外の何もない部屋だが油臭い。
「銃の手入れと刃先を研ぐのはここでする。ランプは個別に支給されていない。入口の警備担当から貸りてくれ。朝には必ず返す。防火のためだから厳罰だ」
鉱山とかに左遷させられるらしい。そこでの警備さえ懲罰ならば、そこでの奴隷生活は如何ほどだろう。
「さっそく始めよう」
カツラは腕に刺青を入れられる。針を火であぶりながら、もう一人の男が黙って作業する。
「耐えられるか?」
「なにを?」
カツラがうそぶく。作業は四十分ほどで、ぶっとい腕に藍色の輪がふたつ描かれた。
「これで歓迎の宴をできる」
パセル群長が言う。
四人はランプを囲んで胡坐をかき、麦焼酎を飲む。つまみはない。
「服は工場で作られるが、この地区にはない。将軍かムシナシ殿のお古を頂戴しない限り、ジライヤの背丈に合うのはないな」
「二着もらえたら自分で縫うよ」
カツラがオオネグサに答える。
「娘たちにやらせるべきだな」
パセル群長が言う。「夕暮れに会ったイラクサを覚えているか? 彼女たち最年長のグループに頼んでみろ」
「十八歳ってことか。嫁に選べるな」
アルコールがまわったカツラが笑う。ひさしぶりだからか酔うのが早い。……あんなきれいな人を妻にできたら最高だ。でも、ほんとうに、一緒に逃げてくれるのだろうか。
「彼女たちの動向も探ってほしい。私たちを警戒しているが、ジライヤには心を許すかもしれない。……彼女たちは脱走を企てるかもしれない」
「脱走?」
パセルの言葉に、カツラは瞬時に酔いがさめる。
「あの世代は特異なんだよ。強い娘がそろっている」
パセルが続ける。「事前に発覚すれば、見せしめも最低限……。さてと私は家に帰るよ。また明日会おう」
パセルがいきなり立ち上がる。カツラも腰を上げる。男たちと仲良くなる必要はない。
「俺も小便して休ませてもらう。ひさしぶりに屋内で眠れて嬉しいよ。じゃあな」
カツラは入口で提灯を借りて自室へ戻る。布団などないので、そのまま板の上に転がる。
「明日からだな」
カツラはひとりごつ。
「危険へ誘う男と誘われる女……。だけど誰を信用すればいいのだ? ここの連中は新参者である俺をスパイに仕立てた。ということはスパイだらけだろうな。
ふわあ~あ。明日から考えればいいや。でも、ここを抜けだすときが来たならば、俺はバクラバを連れていくぜ。女への見せしめだと? クロジソ将軍め。よくも残忍なことを思いつけるものだ。俺は絶対に許さねえぜ」
***
翌朝、カツラは明るくなると同時に起きた。長刀だけを持ち便所で用を足す。水道へ顔を洗いにいくと、すでに別の者がいた。
「朝飯も食堂か?」
名も知らぬそいつへと尋ねる。
「新参者だね。噂通りにでっかいな。食事は一時間後だ。『時の鐘』係が半鐘を鳴らして教えてくれる。……君はまだ早朝勤務を割り当てられてないのかな」
「薪でも割るさ。その前に用事がある」
食堂から厨房を覗くと女子が三人働いていた。……この匂いは味噌だ。そんなのに惹かれてはいけない。
「おい。イラクサはどこか知っているか?」
かまどの火にふいごを当てる十四五歳の少女に尋ねる。
「お、お姉さまたちは水車小屋だと思います」
額の汗を袖で拭きながら答える。
「ほんとうの姉妹か?」
「いえ。私たちは年長者をそう呼びます」
「ふうん。オオネグサ副長が探していたら、ジライヤは田園に行ったと教えてくれ」
カツラは長刀を背負って営舎をでる。
***
雀がにぎやかだ。朝の空気がすがすがしい。なのに村から生気を感じられない。田畑の稲のほうが、イナゴのほうが、生き生きとしている。カツラはあぜ道を一人歩く。牛をひいた老女二人とすれ違い挨拶されただけで、十分ほどで水車小屋にたどり着く。
せせらぎの音色。一定のリズムを刻む水車。それに合わせるように女性の歌声も聞こえた。それは物語のようでもあり、バオチュンファの村のインカオの吟詠のようでもあった。でも退屈なだけのあの詩と違って、これにはカツラの胸を打つものがあった。
鳥たちはつがいで飛ぶ。雄鳥は雌鳥へとさえずる。
母親は樹上のそれを聞きながら、子どもたちへと微笑んだ。
子どもたちはたわむれた。
でも鳥たちはもういない。
ウサギたちの雌は子どものために穴を掘る。雄はそれを見守る。
それから草原を駆けまわり、丘は二匹のためだけにあった。
でも冬が来た。
ウサギたちはもういない。
凍える冬。訪れない春。見たことない真実の夏。
お前たちは働けと彼らは言う。
お前たちは子を産めと彼らは言う。
お前たちを愛する者などいないと言う。
私たちが愛する者は、夢の中にも現れない。
「素晴らしい歌声だ」
カツラが手を叩く。「でも朝から聞くには陰気すぎる」
闖入者に気づき、イラクサたち四人の女がカツラへと警戒の眼差しを向けた。