117 持ち帰れ!
文字数 2,734文字
カツラはあらためて左肩を触れる。弾にえぐられたようだ。激痛だけど、もっと強い痛みを経験している。
風が強まる。雨が叩きつける。十三人はツユミを先頭に走る。カツラとバクラバは最後尾を行く。
田園の縁を走り、林の道に入る。丸見えだった逃亡者たちは、幸運にも警備の男と遭遇しなかった。混乱に乗じて逃げだせた。林のアスファルトの痕跡はすぐに坂道となる。数人が横になれる整備された道。
計画と違ったのはミカヅキが現れるまえに始めたこと。奴らは俺たちが黒い鳥に守られることを知らない。だったら平気で追いかけてくる。……ミカヅキはもう飛べないのかもしれない。キハルが何度か匂わせていたように。ならば自力で逃げないとならない。
無理だろ。
なんて思うな。
目の前でずぶ濡れの娘が一人転ぶ。泥だらけになりうずくまる。
「立て! 置いていくぞ!」
ただでさえのろいペースに苛立っていたカツラが怒鳴る。尻を軽く蹴る。女は悲鳴を上げて立ちあがるけど……いまので俺はモテモテになれないかもな。
道は過去の痕跡を離れたり合流したりしながら標高を上げていく。女たちの喘ぎが風雨と混じる。
「この道をいつまでも行くのは危険です。砦がある」
バクラバが立ち止まらずに告げる。女性のペースに合わせているとしても、暴雨暴風を味方にしたかのような逞しさ。ぼろ布だった男には見えない。
「知っている。俺の親方たちが何とかしてくれる」
「……連絡があったのですか」
「空からちょっとあった。心配するな」
不確実だけどハシバミはいる。長に何かあったとしても、シロガネが間違いなくいてくれる。あいつは一人だけだろうが必ずいる。
坂道はきつくなる。半鐘がエブラハラから聞こえた幻聴がした。そりゃ鳴らされるだろうけど、雨音に負けてここまで聞こえるはずない。俺だって怯えている……。雷が聞こえた。違う、これはでかすぎる銃声だ。
「警報が打ち上げられました。晴れていれば中央区にも砦にも届きました」
女子の殿 であるセーナが立ち止まり振り返る。
「晴れてない。走れ! 急げ!」
背後に気を病もうがどうにもならない。俺の任務は汗だらけ泥まみれの女子を一人でも多く連れていくだけだ。
***
制御さえままならない。それでもキハルはエブラハラ上空の雲ぎりぎりを飛ぶ。
カツラはどこ? 女たちはどこ?
空から見ればちっぽけな平野のはずれを周回する。低く飛んで乱気流に30メートルは煽 られる。空で横倒しになりトモが爪をたてる。わざと一回転させて機体を制御する。
低い雲に向けて煙が飛んだ。音は聞こえないけど――これは合図だ。つまりあの大男は逃亡に成功した。ただしバレている。
だったらどこにいる? もう山に入ったの? 私の登場を待たずに? あり得ない。
いまはどこかに潜んでいる? ミカヅキが現れると同時に飛びだす?
キハルは目を凝らしエブラハラを探る……。命知らずな空の民でも集中力を維持できないよ。低空を延々と飛べないんだよ。見つけられないよ。
カツラたちはどこ? クロイミ教えてよ。
***
「私はホオズキの娘です」
おのれの身を抱えたイラクサが泣きながら訴える。
側近のクマツヅラがにやにや見おろしている。
「知っているよ。亡くなった正妻の長女。イラクサちゃんは父のお気に入りの四番目の妻と折り合い悪く、南地区に逃げたのだよね。もっと遠くに行きたかったの? ――将軍もご存知と思いますが念のためお伝えします。ホオズキ殿は銃弾製造工場の長です。いまはなき村の副頭だった者で、彼の裏切り でその村を無抵抗で手に入れました」
クロジソ将軍はその顔立ちを思いだす。なにより武器に携わるならば、しかも火すなわち文明の工場を任されるならば大物だ。娘が父の名をあげるのも当然だろう。
だが代わりはいくらでもいる。
「ホオズキを引きずってこい」
クロジソが配下に命じる。「言葉とおりにするのだぞ。ここまで引きずれ 。妻たちもだ。この娘の(異母)兄弟もだ」
イラクサは泣くだけだ。
やれやれ。この娘は私が命じた仕打ちに気付いてくれない。想像力の足りない子だ。
クマツヅラがじっと私を見ている。なので将軍はうなずく。
「イラクサちゃん、これは君だけの問題じゃないよね」
肥えたクマツヅラがねっとりとした顔で娘の前にしゃがむ。「何があるのか、誰が関わっているのか。おじさんに教えてくれるかな」
イラクサの甲高い悲鳴が響いた。さらにもう一度。
顔にむごい傷を負うのは年ごろの娘には辛いだろうと将軍は思う。これでなんでも喋る。自分の屍が家族と一緒に捨てられるなど想像することなく。
「仕切っていたのはツユミとセーナです。私もみんなもあの二人にそそのかされました。ゆるしてください。すべて彼女たちの仕業です。……あの二人は詳細を教えなかったけど、鳥が手助けしてくれるらしい、らしいです」
飛行機のことだと、クロジソ将軍は気づく。しかしつながらない。
心張り棒を上げて窓の外の雨を見ていた将軍が、屋内へと振り返る。
「まだ足りない」
そう言ってイラクサを見おろす。「なんでも話すがいい。さもないと、クマツヅラは喜んでもっとひどいことをする」
「わ、私は教えてもらってないです。だからパセルさんの前で知ったかぶりをした……。パセルさんの配下の新しい大男。ツユミはあの人と親しい」
将軍は入口で直立したままのパセル群長に目を向ける。
「私は報告しています。彼女がジライヤと二晩会っていることも報告しています。でも……」
「もういい。私の落ち度でもある」
つながった。飛行機とジライヤ。娘たち。目的は分からないけど、この三つがつながった。ならば呼びだすのはあの新参者だ。……あれが内通者だと? 娘たちをそそのかすなと命じたのは昨夕だよな。ジライヤはどうしたものかと笑った。すでに私から奪う算段を済ませていたのにだ。私を無様な笑いものにした。
冷徹なはずの将軍の感情が十年ぶりに燃えだした。
かすかに銃声が聞こえた。さらにもう一回。
「私が向かいます」パセルが駆けだす。
「空に気をつけろ」
将軍が告げる。見せしめが足りなかったみたいだな。
宿舎は大混乱だった。オオネグサの死骸。瀕死の二人も見つかる。
バクラバが娘たちと山を目指しているとの報告を受ける。最後尾はジライヤらしい。
「狩りの始まりだ」
将軍が怒りを抑えて宣言する。「私が先頭を行こう」
「すでにセキチク群長が追っています」
一人が報告する。
失態をかぶることになるパセルには笠も銃もなく、青ざめたまま髪から滴を垂らす。取り返すためには、何より腹心の復讐のためには、裏切り者と差し違えてもいいと覚悟する。
床に転がるイラクサはまだ嗚咽している。
風が強まる。雨が叩きつける。十三人はツユミを先頭に走る。カツラとバクラバは最後尾を行く。
田園の縁を走り、林の道に入る。丸見えだった逃亡者たちは、幸運にも警備の男と遭遇しなかった。混乱に乗じて逃げだせた。林のアスファルトの痕跡はすぐに坂道となる。数人が横になれる整備された道。
計画と違ったのはミカヅキが現れるまえに始めたこと。奴らは俺たちが黒い鳥に守られることを知らない。だったら平気で追いかけてくる。……ミカヅキはもう飛べないのかもしれない。キハルが何度か匂わせていたように。ならば自力で逃げないとならない。
無理だろ。
なんて思うな。
目の前でずぶ濡れの娘が一人転ぶ。泥だらけになりうずくまる。
「立て! 置いていくぞ!」
ただでさえのろいペースに苛立っていたカツラが怒鳴る。尻を軽く蹴る。女は悲鳴を上げて立ちあがるけど……いまので俺はモテモテになれないかもな。
道は過去の痕跡を離れたり合流したりしながら標高を上げていく。女たちの喘ぎが風雨と混じる。
「この道をいつまでも行くのは危険です。砦がある」
バクラバが立ち止まらずに告げる。女性のペースに合わせているとしても、暴雨暴風を味方にしたかのような逞しさ。ぼろ布だった男には見えない。
「知っている。俺の親方たちが何とかしてくれる」
「……連絡があったのですか」
「空からちょっとあった。心配するな」
不確実だけどハシバミはいる。長に何かあったとしても、シロガネが間違いなくいてくれる。あいつは一人だけだろうが必ずいる。
坂道はきつくなる。半鐘がエブラハラから聞こえた幻聴がした。そりゃ鳴らされるだろうけど、雨音に負けてここまで聞こえるはずない。俺だって怯えている……。雷が聞こえた。違う、これはでかすぎる銃声だ。
「警報が打ち上げられました。晴れていれば中央区にも砦にも届きました」
女子の
「晴れてない。走れ! 急げ!」
背後に気を病もうがどうにもならない。俺の任務は汗だらけ泥まみれの女子を一人でも多く連れていくだけだ。
***
制御さえままならない。それでもキハルはエブラハラ上空の雲ぎりぎりを飛ぶ。
カツラはどこ? 女たちはどこ?
空から見ればちっぽけな平野のはずれを周回する。低く飛んで乱気流に30メートルは
低い雲に向けて煙が飛んだ。音は聞こえないけど――これは合図だ。つまりあの大男は逃亡に成功した。ただしバレている。
だったらどこにいる? もう山に入ったの? 私の登場を待たずに? あり得ない。
いまはどこかに潜んでいる? ミカヅキが現れると同時に飛びだす?
キハルは目を凝らしエブラハラを探る……。命知らずな空の民でも集中力を維持できないよ。低空を延々と飛べないんだよ。見つけられないよ。
カツラたちはどこ? クロイミ教えてよ。
***
「私はホオズキの娘です」
おのれの身を抱えたイラクサが泣きながら訴える。
側近のクマツヅラがにやにや見おろしている。
「知っているよ。亡くなった正妻の長女。イラクサちゃんは父のお気に入りの四番目の妻と折り合い悪く、南地区に逃げたのだよね。もっと遠くに行きたかったの? ――将軍もご存知と思いますが念のためお伝えします。ホオズキ殿は銃弾製造工場の長です。いまはなき村の副頭だった者で、彼の
クロジソ将軍はその顔立ちを思いだす。なにより武器に携わるならば、しかも火すなわち文明の工場を任されるならば大物だ。娘が父の名をあげるのも当然だろう。
だが代わりはいくらでもいる。
「ホオズキを引きずってこい」
クロジソが配下に命じる。「言葉とおりにするのだぞ。ここまで
イラクサは泣くだけだ。
やれやれ。この娘は私が命じた仕打ちに気付いてくれない。想像力の足りない子だ。
クマツヅラがじっと私を見ている。なので将軍はうなずく。
「イラクサちゃん、これは君だけの問題じゃないよね」
肥えたクマツヅラがねっとりとした顔で娘の前にしゃがむ。「何があるのか、誰が関わっているのか。おじさんに教えてくれるかな」
イラクサの甲高い悲鳴が響いた。さらにもう一度。
顔にむごい傷を負うのは年ごろの娘には辛いだろうと将軍は思う。これでなんでも喋る。自分の屍が家族と一緒に捨てられるなど想像することなく。
「仕切っていたのはツユミとセーナです。私もみんなもあの二人にそそのかされました。ゆるしてください。すべて彼女たちの仕業です。……あの二人は詳細を教えなかったけど、鳥が手助けしてくれるらしい、らしいです」
飛行機のことだと、クロジソ将軍は気づく。しかしつながらない。
心張り棒を上げて窓の外の雨を見ていた将軍が、屋内へと振り返る。
「まだ足りない」
そう言ってイラクサを見おろす。「なんでも話すがいい。さもないと、クマツヅラは喜んでもっとひどいことをする」
「わ、私は教えてもらってないです。だからパセルさんの前で知ったかぶりをした……。パセルさんの配下の新しい大男。ツユミはあの人と親しい」
将軍は入口で直立したままのパセル群長に目を向ける。
「私は報告しています。彼女がジライヤと二晩会っていることも報告しています。でも……」
「もういい。私の落ち度でもある」
つながった。飛行機とジライヤ。娘たち。目的は分からないけど、この三つがつながった。ならば呼びだすのはあの新参者だ。……あれが内通者だと? 娘たちをそそのかすなと命じたのは昨夕だよな。ジライヤはどうしたものかと笑った。すでに私から奪う算段を済ませていたのにだ。私を無様な笑いものにした。
冷徹なはずの将軍の感情が十年ぶりに燃えだした。
かすかに銃声が聞こえた。さらにもう一回。
「私が向かいます」パセルが駆けだす。
「空に気をつけろ」
将軍が告げる。見せしめが足りなかったみたいだな。
宿舎は大混乱だった。オオネグサの死骸。瀕死の二人も見つかる。
バクラバが娘たちと山を目指しているとの報告を受ける。最後尾はジライヤらしい。
「狩りの始まりだ」
将軍が怒りを抑えて宣言する。「私が先頭を行こう」
「すでにセキチク群長が追っています」
一人が報告する。
失態をかぶることになるパセルには笠も銃もなく、青ざめたまま髪から滴を垂らす。取り返すためには、何より腹心の復讐のためには、裏切り者と差し違えてもいいと覚悟する。
床に転がるイラクサはまだ嗚咽している。