044 悪鬼

文字数 1,859文字

「手を貸せ、馬鹿、人の肌を縫いやがって、ほどけ。こんなものなくても、勝手に治る」

 カツラは喚いたあとに転ぶ。

「休んでいろ。君には安静が必要だ」
 ハシバミが命じる。

「いいや、休まない」
 カツラは槍を杖に立ちあがる。男たちを見おろす。

「撃ったのは俺じゃない。あいつはもう死んだ」一人が怯える。
「刺したいなら刺すがいい。あの世でお前とすぐに会える」腫れた顔の男が泣きながら喚く。

「ハシバミの声が聞こえた。お前たちは殺せない」
 カツラの形相は悪鬼そのものだった。「ツユクサの声も聞こえた。バオチュンファめ。ぶっ殺してやる」

「頼むからカツラは寝ていてくれ」
 シロガネが部屋へ戻そうとする。「だがバオチュンファの言動が許せぬのは私も同じだ」

「だったら追いだす?」ツヅミグサは銃を持ったままだ。

「たしかに殺す必要はないが――」
 シロガネは抱えるカツラをちらりと見たあとに「私たちは十日はここにいることになりそうだ」

「ならばやっぱり住みやすくしないとね」
 クロイミがハシバミを見る。

 ハシバミは思う。クロイミは僕からみんなに何を言わせたいのだ? すなわち村を奪えというのか? 戦おうと声を高めさせたいのか?

「ここにいる間は協力すべきだと思う」
 ハシバミはクロイミを見つめかえす。「でも、あくまで僕たちに従ってもら――」

「ハシバミ! このデンキ様の能無し息子め!」

 甲高い怒鳴り声にハシバミはすくんでしまった。すぐに声の主がゴセントだと気づく。弟は離れたところからみんなを見ていたが、いまは立ちあがっている。大きな瞳は血走っているようでもあった。

「霧の正体は彼らでもその仲間でもなかった」
 ゴセントは転がる男たちを一瞥だけする。「霧の隙間から僕には見えた。僕はツヅミグサみたいに歌うように語れない。でも物語をしてみよう。そうさ、アイオイ親方でも泣くような物語だ」

 ゴセントが憑りつかれたように語りだす。

 *

 シロガネやサジーと違う人々――、僕たちと同じ肌をした人々がこの国に逃げてきた。彼らはさ迷い、捨てられた村を見つけた。そこで必死に生きようとした。もともとこの国に居た人たちも村に加わりだした。村はゆっくりと大きくなった。村はまだ平和だった。

 悪鬼のような人間に報告が届いた。この村はその男に目をつけられた。この村にはライデンボク頭領がいなかった。自警団は形だけで、ユスリカほどに弱かった。戦わずに降伏した。彼らが願ったことはひとつ。
 一人も殺さないでください。

 たっぷりと奴隷として連れていかれた。若い男性、若い女性が選ばれた。残りは半奴隷として村に残された。拘束されずとも自分のために生きていないのだから半奴隷。そう呼ばれるのがふさわしい。

 腐った匂いの硫黄? それは遠くない山にあるのだろう。そこにいけば村の人たちにもっと会える。悪鬼が望むものを悪鬼に捧げるために、彼らはそこで過酷な労働を強いられている。
 半奴隷の者たちに村民の数を尋ねても答えられるはずない。ここにいる人だけが村人ではないのだから。

 三人は硫黄を受け取りに来た。村人を何人か奴隷として連れ去るためでもあった。もちろん、硫黄の山にいる仲間とも旧交を温めるだろう。そう、この村は離れた場所から支配されている。

 バオチュンファもヤイチゴも誰一人それを告げなかった。悪鬼がよその村を滅ぼす道具のために、僕たちを奴隷に選んでもらうためにだ。だが、弱い者たちの試みは偶然が重なり頓挫した。十一人はたまたま生き延びた……ちがうな、猶予を得た。



 そこでゴセントは一息ついた。カツラがシロガネから離れ、ゴセントのもとへとよろよろ歩む。数歩で座りこむ。ゴセントはそれを見ようともせず、また語りだす。



 人を害せず、人に害されず。
 彼らは滅びないために怯えながら生きている。僕たちの冒険譚など恥ずかしくて聞けない。村人のために必死なアイオイ親方の物語なんて、それこそおのれの耳を削ぎ落としたいほどだった。
 インカオの詩。あれは嘆きの詩だ。現世でなく来世に思いをはせる詩だ。そんなものに魅入った村に、お前たちはまだ居ようとする。カツラの怪我など口実だ。

 そりゃ、やがてはここを逃れるだろう。立ち去る前に山から降りてくる霧に包まれるかもしれない。包まれなかったとしても、お前たちは同じことを繰り返す。どこかの村に転がりこもうとする。銃で脅して、村を奪おうとするかもしれない。弱者が強者の真似をしようとする。

 そんなところはユートピアではない! お前たちこそ深く暗い霧になりかけている!
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