132 籠城
文字数 2,346文字
サジーとユドノのおかげで敵襲を事前に知れてから二日後。
エブラハラの軍勢は合流し、丘陵のすぐ傍らで攻撃の準備を整えた。その二日間に、水舟丘陵は迎え撃つ精一杯の準備をおこなった。クラブハウスであるハチの巣には、ありったけの水と保存食が入った。
「がんばれば五日は耐えられる」
ツユミが言う。
「そのうち三日は腹に何も入らない」
ブルーミーが笑う。
「言わなくていい」とヨツバが叱る。セーナの存在感は薄い。
二十数人が腹を減らさない分量の備蓄は実質二日。つまり冬への蓄えも現時点で二日だけだった。生き延びたならば、せっせと貯め込もう。
ヤイチゴが築きはじめた水路を、男も女も突貫で掘り進めた。場所によってはコンクリートごと地面をはがす。それはハチの巣を囲む堀となった。深さは最大で1.5メートル、幅も最長1.5メートル。出口なきそこに沢の水はゆっくり辛うじて溜まっていく。……ヤイチゴだけに任せすぎていたな、悪いことをした。生き延びられたなら、みんなで力を合わせて灌漑しよう。
「爆弾は怖いです。でもそれによる恐慌のが恐ろしい。たしかに生身に直撃すれば死ぬ。鉄板もへこませる。だが穴はまず開けられない。火攻めも然りだ」
バクラバがいてよかった。木材などでひたすらハチの巣を覆う。駐車場跡地の隅にあったクルマ――昔の名称で大型四駆車を解体して砦の鎧にするために、十二人がかりで運ぶ。運ぶだけ運んでからクロイミの気が変わる。ドアもボンネットもないクルマを森へ隠すために木を倒す。
倒した木をさらに積む。堀の中に尖った竹製の罠を仕込む……。これに引っかかった奴は、僕らを皆殺しにしたいだろうな。
「先端が見えるようにしておこう。脅しだけ」
ハシバミが指示する。
「効果はあると思います。爆弾も充分に妨げる」
バクラバが言う。
「銃弾もだな。それでいて、近づく者を槍と弓で撃退できる」
ヒイラギも言う。
「でも数日で僕たちは空腹で倒れる。それまでに攻めてもらわないとね」
クロイミの指図に従い、裏口だけ堀を狭めた。利便性を考慮した致命的な弱点。への擬態。力押しするならば、誰でもそこを選ぶだろう。そこから侵入すれば待ちかまえた蜂たちに刺されまくる。
「数日以内に力押ししてくる気はする」と参謀は推測する。ころころ考えが変わる。
「やっぱりミカヅキが現れるまでに終わらせたいと思うかも。そのときは銃弾を恐れて鉄板を先頭に亀のように侵入してくる。僕たちは槍を短くして機動力をもって戦う。様子見を兼ねた第一陣 は撃退できる算段が高い」
無様な敗北だけはないと、ハシバミは思う。……クロジソ将軍はでかくて怖かった。でも理知的な目をしていた。僕の言葉を真摯に聞いてくれた。なのに受け入れなかった。
それを多少は後悔させられそうだけど、誰もそんな結末を望んでいない。
かわいくて真面目なセーナ。彼女と二人きりで会いたい。もう望めないかも。ハチの巣の中は、二十七人の人と二頭の牛、三匹の犬で過密状態だ。いずれ彼女も竹槍を手に持ち場で立て籠もる。
女の子たちから自責の念は伝わらない。直前まで後悔しないのだろう。そして、この丘の母になるために、彼女たちは最後まで戦うつもりだ。
もちろん男たちだって戦う。この丘の父になるために。
エブラハラの軍勢を追い返すこと。二度と攻める気を起こさせないこと。
そのために策を練れ。だけどクロイミもゴセントも思いつかない。当たり前だ。
だったら僕が考えろ。なぜならば、ぼろぼろの服を着た十八歳の僕が、この村の長なのだから。すなわち水舟丘陵は僕なのだから。僕がここの親方なのだから。
「彼らは近づいてこない」
物見やぐらから降りてきたベロニカが報告する。
「引き続き見張りを頼む。あの距離でも届く銃があるだろうから気をつけて。……僕も行こう」
ハチの巣の中は空気が籠っている。屋上にでてハシバミは深呼吸する。
エブラハラの者たちはハチの巣を遠巻きにしている。
起死回生を考えないとならない。ハシバミはそれだけを思う。悪だくみを思いつかないといけない。
***
いざ敵地に到着したとき、クロジソ将軍は自軍の士気の低さに困惑を覚えるほどだった。
「飛行機はすでにいない。あの亡霊は陰麓に去った」
将軍は告げるのに、多くの者は空を気にしていた。天上から蚊が千万匹集まったような重たげな高音が聞こえてくるのを恐れていた。
「いままでは奴らが略奪者だったから、黒い魔物は人を襲わなかった」
「今度は違う。簒奪者の俺たちを端から蒸発させて、黒屍のもとに連れていく」
そんな言葉が交わされている。もちろん将軍だって不安だ。いつ飛行機が現れるか……。存在するならばすでに飛んでいる。飛ばないのはいないからだ。だけど、やはり空を見てしまう。そんな将軍を配下がちらりと見る。
「兵糧攻めにしましょう。長くて十日で降伏します。ここには清潔な水があります。私たちにはそれだけで充分です」
セキチクが提案したが、クロジソは長居に利はないと判断する。この士気だと空腹に耐えられない。逃亡者が現れる。それは春近き深山のような雪崩になる。
「エブラハラが心配だ。早急に蹴りをつけよう」
将軍は宣言する。「私が先頭で戦うが補佐が欲しい。志願者はおるか?」
「ただ一人生き延びた者に、かたきを取らせてください」
ノボロが真っ先に手を上げる。
***
ハシバミは物見やぐらで、運び上げた大型テレビを盾にして村を見わたす。将軍と直接交渉した日が暮れていく。……調理の煙も匂いも漂わない。奴らは静かだ。でも林に潜んでいる。クロジソ将軍もすぐそこにいるはずだ。
夕焼けなき晴れた空を、カラスたちがねぐらへ飛ぶ。ここからが夜襲の時間。さらに緊張を強いられる刻が始まる。
エブラハラの軍勢は合流し、丘陵のすぐ傍らで攻撃の準備を整えた。その二日間に、水舟丘陵は迎え撃つ精一杯の準備をおこなった。クラブハウスであるハチの巣には、ありったけの水と保存食が入った。
「がんばれば五日は耐えられる」
ツユミが言う。
「そのうち三日は腹に何も入らない」
ブルーミーが笑う。
「言わなくていい」とヨツバが叱る。セーナの存在感は薄い。
二十数人が腹を減らさない分量の備蓄は実質二日。つまり冬への蓄えも現時点で二日だけだった。生き延びたならば、せっせと貯め込もう。
ヤイチゴが築きはじめた水路を、男も女も突貫で掘り進めた。場所によってはコンクリートごと地面をはがす。それはハチの巣を囲む堀となった。深さは最大で1.5メートル、幅も最長1.5メートル。出口なきそこに沢の水はゆっくり辛うじて溜まっていく。……ヤイチゴだけに任せすぎていたな、悪いことをした。生き延びられたなら、みんなで力を合わせて灌漑しよう。
「爆弾は怖いです。でもそれによる恐慌のが恐ろしい。たしかに生身に直撃すれば死ぬ。鉄板もへこませる。だが穴はまず開けられない。火攻めも然りだ」
バクラバがいてよかった。木材などでひたすらハチの巣を覆う。駐車場跡地の隅にあったクルマ――昔の名称で大型四駆車を解体して砦の鎧にするために、十二人がかりで運ぶ。運ぶだけ運んでからクロイミの気が変わる。ドアもボンネットもないクルマを森へ隠すために木を倒す。
倒した木をさらに積む。堀の中に尖った竹製の罠を仕込む……。これに引っかかった奴は、僕らを皆殺しにしたいだろうな。
「先端が見えるようにしておこう。脅しだけ」
ハシバミが指示する。
「効果はあると思います。爆弾も充分に妨げる」
バクラバが言う。
「銃弾もだな。それでいて、近づく者を槍と弓で撃退できる」
ヒイラギも言う。
「でも数日で僕たちは空腹で倒れる。それまでに攻めてもらわないとね」
クロイミの指図に従い、裏口だけ堀を狭めた。利便性を考慮した致命的な弱点。への擬態。力押しするならば、誰でもそこを選ぶだろう。そこから侵入すれば待ちかまえた蜂たちに刺されまくる。
「数日以内に力押ししてくる気はする」と参謀は推測する。ころころ考えが変わる。
「やっぱりミカヅキが現れるまでに終わらせたいと思うかも。そのときは銃弾を恐れて鉄板を先頭に亀のように侵入してくる。僕たちは槍を短くして機動力をもって戦う。様子見を兼ねた
無様な敗北だけはないと、ハシバミは思う。……クロジソ将軍はでかくて怖かった。でも理知的な目をしていた。僕の言葉を真摯に聞いてくれた。なのに受け入れなかった。
それを多少は後悔させられそうだけど、誰もそんな結末を望んでいない。
かわいくて真面目なセーナ。彼女と二人きりで会いたい。もう望めないかも。ハチの巣の中は、二十七人の人と二頭の牛、三匹の犬で過密状態だ。いずれ彼女も竹槍を手に持ち場で立て籠もる。
女の子たちから自責の念は伝わらない。直前まで後悔しないのだろう。そして、この丘の母になるために、彼女たちは最後まで戦うつもりだ。
もちろん男たちだって戦う。この丘の父になるために。
エブラハラの軍勢を追い返すこと。二度と攻める気を起こさせないこと。
そのために策を練れ。だけどクロイミもゴセントも思いつかない。当たり前だ。
だったら僕が考えろ。なぜならば、ぼろぼろの服を着た十八歳の僕が、この村の長なのだから。すなわち水舟丘陵は僕なのだから。僕がここの親方なのだから。
「彼らは近づいてこない」
物見やぐらから降りてきたベロニカが報告する。
「引き続き見張りを頼む。あの距離でも届く銃があるだろうから気をつけて。……僕も行こう」
ハチの巣の中は空気が籠っている。屋上にでてハシバミは深呼吸する。
エブラハラの者たちはハチの巣を遠巻きにしている。
起死回生を考えないとならない。ハシバミはそれだけを思う。悪だくみを思いつかないといけない。
***
いざ敵地に到着したとき、クロジソ将軍は自軍の士気の低さに困惑を覚えるほどだった。
「飛行機はすでにいない。あの亡霊は陰麓に去った」
将軍は告げるのに、多くの者は空を気にしていた。天上から蚊が千万匹集まったような重たげな高音が聞こえてくるのを恐れていた。
「いままでは奴らが略奪者だったから、黒い魔物は人を襲わなかった」
「今度は違う。簒奪者の俺たちを端から蒸発させて、黒屍のもとに連れていく」
そんな言葉が交わされている。もちろん将軍だって不安だ。いつ飛行機が現れるか……。存在するならばすでに飛んでいる。飛ばないのはいないからだ。だけど、やはり空を見てしまう。そんな将軍を配下がちらりと見る。
「兵糧攻めにしましょう。長くて十日で降伏します。ここには清潔な水があります。私たちにはそれだけで充分です」
セキチクが提案したが、クロジソは長居に利はないと判断する。この士気だと空腹に耐えられない。逃亡者が現れる。それは春近き深山のような雪崩になる。
「エブラハラが心配だ。早急に蹴りをつけよう」
将軍は宣言する。「私が先頭で戦うが補佐が欲しい。志願者はおるか?」
「ただ一人生き延びた者に、かたきを取らせてください」
ノボロが真っ先に手を上げる。
***
ハシバミは物見やぐらで、運び上げた大型テレビを盾にして村を見わたす。将軍と直接交渉した日が暮れていく。……調理の煙も匂いも漂わない。奴らは静かだ。でも林に潜んでいる。クロジソ将軍もすぐそこにいるはずだ。
夕焼けなき晴れた空を、カラスたちがねぐらへ飛ぶ。ここからが夜襲の時間。さらに緊張を強いられる刻が始まる。