073 手土産
文字数 2,045文字
冗談抜きで空の民だった。
ハシバミは開墾作業をしながら、小さくなるミカヅキをあんぐり見送った。それが一昨日の話。キハルは戻ってこなかった。
連日の土砂降りで飛べないのか。また落ちたのか。空の民を見つけて、行きずりの若者との約束を投げ捨てたのか。ひとつだけはっきりしているのは、村づくりの進捗が鈍りだした。女子が一人いるだけで、誰もが働き者になっていた。
「帰ってくるかな」
ハシバミは、雨に濡れながら一緒に根っこを抜くゴセントに聞く。
「ここしか居場所がないからね」
弟はためらいもなく答える。ゴセントは蘇った遺物を利用することに懐疑している。でも口にはださない。
「村を見つけられるかな」
総出で野良仕事を手伝っていいから、とにかく塩と油が欲しい。できれば、それを作る技法も教えてもらいたい。
「僕に分かるはずないだろ。この農具と同じで、僕には見えない世界かも」
ゴセントは素気ない。キハルが潜んでいた村で見つけた鍬で地面をほじくるけど「……アイオイ親方からのプレゼントを持ち帰る。策略と危険と村への恵み」
手を休めて独り言のようにつぶやく。
「プレゼント?」
ハシバミは声かけるが、弟は口にしたことさえ覚えていなかった。
二人は再び作業に専念する。……プレゼントってなんだ?
*
カツラは不機嫌になっていた。
「カツラのごわごわ髪の毛はキハルを探して空まで伸びそうだ」
ブルーミーの他愛ない冗談に激怒してぶん殴り、ヒイラギが間に入ったこともあった。
***
三日目の朝。太陽はまだ雲にうっすらだった。エンジン音は近づくまで気づけなかった。小雨のなかを漆黒の巨大な鳥は上空を三回旋回して、覚悟を決めたように滑走路へと降りた。
ひときわ凄まじい轟音。つんのめるみたいにミカヅキは急停止する。
牛番のヤイチゴとコウリン以外全員が駐車場跡地へ向かう。犬は近寄らない。
「ミカヅキに格納庫を作ってあげて。それと、村では裸足で歩けるようにランウェイから家まで木の枝ひとつ落ちてなかった。……婆やが布を持ってきてくれた」
猫を抱えて地面に立ったキハルが言う。手の甲で口もとをぬぐい「お土産話がちょっとあるけど、私は昼まで休む。ご飯はその時もらう」
赤いフライトスーツで木靴を履いたまま自分の家へ向かう。
「戻ってくれてありがとう。僕とカツラとクロイ……ゴセントが向かう」
ハシバミはキハルの背中へ声かけたあとに「さあ、みんなは働こう」
これで村に活気が戻る。……キハルを誰ともくっつけず、みんなの偶像になってもらうなんて有りかな。ハシバミが悪だくみする。
*
濡れた髪をひとまとめにして、キハルが沢から戻ってきた。それまではハシバミがトモの警護を仰せつかった。犬たちは、表面上は猫に興味を示さなくなった。
キハルはさらに日焼けしたけど、目が大きくて顔を洗えばかわいいな。ちょっと上を向いた鼻もかわいい。木綿の上下の服も、ペットボトルで沢の水を飲む仕草もかわいい。サングラスのせいで目の周りだけ白いのも愛嬌ある。
でも僕が彼女に好意を持つわけにはいかない。独占する長にはならない。
「この盆地は西と東に大きな山に挟まれている。どちらも山頂にはまだ雪が残っている。――あなたたちは東から来たけど、さらに東は死霊だけの忌むべき地が海沿いにひろがる。大きい山がここを守ってくれたと思う。そして私は盆地の縁を飛んでみた」
キハルがハシバミへと言う。
「見つけられた村は五個。ただし降りて確認したわけではない」
「いいねキハル。徹底的に調べてくれたんだ。でも鳥のように速いから、その日に帰ってくると思った。遠くまで探してくれたとしても、僕たちは森を歩くしかない。たどり着けない」
ハシバミは機嫌を損ねさせぬ言葉を選ぶ。トモは手から降りようとしない。
「昔の村かもしれないしな」
カツラが言う。
「それは空から区別できる。新しい村は人を感じる。それで面白いことに、村はほぼ等間隔で点在している。近すぎず遠すぎず」
「どうしてかな」ハシバミが尋ねる。
「それはクロイミ に聞いて。……一番近い村で歩いて二日ぐらい、シンカンセンの道を利用すれば、遠い村も五日かからないと思う。そうそう、小さい村ならば一日ぐらいの場所にある。煙が見えた」
それからキハルが身を乗りだす。小声になる。「西の山を越えると海にでるのは知っているよね?」
ハシバミもカツラも黙る。この子のがはるかに物知りだ。
やはりキハルは小馬鹿にした顔をする。
「小さいお頭さんは黙ったままだけど、そこで私が見つけたものが分かる?」
「いいやまったく」
ゴセントが心を込めずに答える。「海が塩水なのは知っている」
「海沿いに人が住むのは難しい。大きい船を作るテクノロジーも絶えた。だから内陸部。……ハイウェイの北側から畑が始まった。すごく広い畑。高台には町がある。村じゃない。すごくでかい町。あれこそが」
キハルが企んだ目をハシバミに向ける。
「クロジソ将軍の土地であるエブラハラ。ユートピアだ」
ハシバミは開墾作業をしながら、小さくなるミカヅキをあんぐり見送った。それが一昨日の話。キハルは戻ってこなかった。
連日の土砂降りで飛べないのか。また落ちたのか。空の民を見つけて、行きずりの若者との約束を投げ捨てたのか。ひとつだけはっきりしているのは、村づくりの進捗が鈍りだした。女子が一人いるだけで、誰もが働き者になっていた。
「帰ってくるかな」
ハシバミは、雨に濡れながら一緒に根っこを抜くゴセントに聞く。
「ここしか居場所がないからね」
弟はためらいもなく答える。ゴセントは蘇った遺物を利用することに懐疑している。でも口にはださない。
「村を見つけられるかな」
総出で野良仕事を手伝っていいから、とにかく塩と油が欲しい。できれば、それを作る技法も教えてもらいたい。
「僕に分かるはずないだろ。この農具と同じで、僕には見えない世界かも」
ゴセントは素気ない。キハルが潜んでいた村で見つけた鍬で地面をほじくるけど「……アイオイ親方からのプレゼントを持ち帰る。策略と危険と村への恵み」
手を休めて独り言のようにつぶやく。
「プレゼント?」
ハシバミは声かけるが、弟は口にしたことさえ覚えていなかった。
二人は再び作業に専念する。……プレゼントってなんだ?
*
カツラは不機嫌になっていた。
「カツラのごわごわ髪の毛はキハルを探して空まで伸びそうだ」
ブルーミーの他愛ない冗談に激怒してぶん殴り、ヒイラギが間に入ったこともあった。
***
三日目の朝。太陽はまだ雲にうっすらだった。エンジン音は近づくまで気づけなかった。小雨のなかを漆黒の巨大な鳥は上空を三回旋回して、覚悟を決めたように滑走路へと降りた。
ひときわ凄まじい轟音。つんのめるみたいにミカヅキは急停止する。
牛番のヤイチゴとコウリン以外全員が駐車場跡地へ向かう。犬は近寄らない。
「ミカヅキに格納庫を作ってあげて。それと、村では裸足で歩けるようにランウェイから家まで木の枝ひとつ落ちてなかった。……婆やが布を持ってきてくれた」
猫を抱えて地面に立ったキハルが言う。手の甲で口もとをぬぐい「お土産話がちょっとあるけど、私は昼まで休む。ご飯はその時もらう」
赤いフライトスーツで木靴を履いたまま自分の家へ向かう。
「戻ってくれてありがとう。僕とカツラとクロイ……ゴセントが向かう」
ハシバミはキハルの背中へ声かけたあとに「さあ、みんなは働こう」
これで村に活気が戻る。……キハルを誰ともくっつけず、みんなの偶像になってもらうなんて有りかな。ハシバミが悪だくみする。
*
濡れた髪をひとまとめにして、キハルが沢から戻ってきた。それまではハシバミがトモの警護を仰せつかった。犬たちは、表面上は猫に興味を示さなくなった。
キハルはさらに日焼けしたけど、目が大きくて顔を洗えばかわいいな。ちょっと上を向いた鼻もかわいい。木綿の上下の服も、ペットボトルで沢の水を飲む仕草もかわいい。サングラスのせいで目の周りだけ白いのも愛嬌ある。
でも僕が彼女に好意を持つわけにはいかない。独占する長にはならない。
「この盆地は西と東に大きな山に挟まれている。どちらも山頂にはまだ雪が残っている。――あなたたちは東から来たけど、さらに東は死霊だけの忌むべき地が海沿いにひろがる。大きい山がここを守ってくれたと思う。そして私は盆地の縁を飛んでみた」
キハルがハシバミへと言う。
「見つけられた村は五個。ただし降りて確認したわけではない」
「いいねキハル。徹底的に調べてくれたんだ。でも鳥のように速いから、その日に帰ってくると思った。遠くまで探してくれたとしても、僕たちは森を歩くしかない。たどり着けない」
ハシバミは機嫌を損ねさせぬ言葉を選ぶ。トモは手から降りようとしない。
「昔の村かもしれないしな」
カツラが言う。
「それは空から区別できる。新しい村は人を感じる。それで面白いことに、村はほぼ等間隔で点在している。近すぎず遠すぎず」
「どうしてかな」ハシバミが尋ねる。
「それは
それからキハルが身を乗りだす。小声になる。「西の山を越えると海にでるのは知っているよね?」
ハシバミもカツラも黙る。この子のがはるかに物知りだ。
やはりキハルは小馬鹿にした顔をする。
「小さいお頭さんは黙ったままだけど、そこで私が見つけたものが分かる?」
「いいやまったく」
ゴセントが心を込めずに答える。「海が塩水なのは知っている」
「海沿いに人が住むのは難しい。大きい船を作るテクノロジーも絶えた。だから内陸部。……ハイウェイの北側から畑が始まった。すごく広い畑。高台には町がある。村じゃない。すごくでかい町。あれこそが」
キハルが企んだ目をハシバミに向ける。
「クロジソ将軍の土地であるエブラハラ。ユートピアだ」