121 堰堤

文字数 2,514文字

第Ⅳ章 ハシバミ親方

 クロイミへと女子二人が必死にしがみついている。たしかにモテモテだ。

「でも大雨でなかったら失敗していたかも」
 棹を操るツヅミグサへ言う。想像より水量が少ない。

「これ以上水かさがあったらやばいよ」

 褐色の色男はそう言って、座りこむ女子たちをちらりと見る。びしょ濡れで黙ったまま震えている。男たちも似たようなもの……。俺たちもすごいけど、彼女たちこそすごい。いつか物語にしてやる。何代も伝わる物語だ。

「どこまで下るのかなあ……」
 もう一つの棹を漕ぐコウリンが不安げにつぶやく。



 先行するもう一艘では、カツラが精魂果てていた。じっとしていると肩の傷の痛みが増す。寝転がりたいのに狭すぎる。

「親方、俺は二度とやらない」
「もちろんさ。二度と頼まない」

 先頭で棹を操るハシバミは振り向けない。

「きわどかった。幸運だけが味方だった」
「それだけであるはずないさ」


「……一緒に歩いた人がいた。いい奴もいた」
 しばらくしてカツラが言う。「馬鹿な娘を一人置いてきた」

「カツラは最善を尽くしたよ」

 苦しみを大男が一人で背負っている。いまはまだ何もしてやれない。舟よ、エブラハラから離れるだけ離れろ。でも水舟丘陵からは遠ざかるな――。

「キハルはどこだ?」

 彼女の最後の仕事。舟から降りる場所を指示してもらわないとならない。

「あなたが長ですか?」
 女性の声がした。やはりハシバミは振り向けない。「私はツユミです。さきほど黒い鳥が飛んでいました。なにかを教えようとしていました。もういないですけど」

 ***

 上空から見るだけでは、川の危険など分かるはずなかった。それでもキハルは丘陵に戻るまえに、最後の任務を果たす。

「そろそろ降りないと危ないよ」

 伝われと念じながら、両翼を上下に振ろうとする。もう腕にも脚にも力は残っておらず、風を相手に機体を制御できない。しかも残り4パーセント。伝わったよねと判断して帰還する。そしたら三日は寝続けよう。
 空しか知らない娘は、高さ十五メートルの堰堤の怖さを過小評価していた。

 ***

「岸につけよう。いやな予感がしてきた」ゴセントが言う。

 ハシバミは弟に従うに決まっている。

「右岸にしよう。ツヅミグサに合図……」

 橋げたの名残りが目の前に現れた。かすめるように横を抜ける。流れが速まりだした。

「もう一艘も突破」ツユクサが報告する。

 男たちが舟と言い張る筏が、不安定になりだした。女たちの一部がまた悲鳴を上げだす。

「みんなでツヅミグサに伝えろ! 右岸だ! 右岸!」

 川の流れは引きずられるように速まっていく。男たちは、この感触を知っている。沢あそびで知っている。すぐそこで滝が待ちかまえている。

「手でこげ!」ハシバミが叫ぶ。「全員だ!」

 また雨足が強まる。岸辺は灌木と背高い青草の藪。上陸地点……などない。でも藪は水をかぶっている。兄弟はそこへと舟を突っこむ。
 ハシバミは船首から振り返る。みんなを見おろす。

「飛びこめ! 泳げ! 草にしがみつけ!」
 全員に命じる。「男は女を守れ!」

「行こう!」

 誰よりも早くツユミが濁流へ身を投じる。続いてセーナも。

「クロイミさんのたいした作戦。金輪際ごめんだ」
 傷を負ったカツラも飛びこむ。

 他の者たちも必死に灌木をつかみ流れに抗う。
 全員が降りたのを見届けて、ハシバミも舟から飛び降りる。無人の筏が流れていく。もう一艘も――。女性が一人残っていた。泣き喚こうが飛びこもうとしない。もはやどうにもならない。流れは勢いを増して、舟はすぐに見えなくなる。

 アコンが流れてきた。ハシバミが手を差し伸べる。二人は水に浸かった灌木伝いに陸へとあがる。

「親方、僕は鍛錬が足りなかった。しばらくエブラハラで修行させてもらうかな」
 アコンがむせたあとに言う。

「溺れても槍も塩も手放さない君は重宝されると思うよ。……あの女の子を助けようがなかった。ここまで来たのに」

「長の責任ではない」アコンがきっぱりと即座に告げる。

「だったら誰の所為でもなくなる。……合流しよう。何人生き延びたかな」

 もっとも下流にいる二人は、藪を抜けて川岸の林へと入る。上流へと歩く。まずツユクサと合流した。続いて女性二人と合流する。一人は衣服が破れていて、アコンがびしょびしょでぼろぼろの上着を差しだす。女の子は半裸のアコンに「ありがとう」と礼を言う。その子は以降アコンの後ろか隣を歩く。

 泥だらけのバクラバが怨霊のように現れて、ハシバミたちはぎょっとする。仲間だと女たちに教えられる。

「あなたは長ですね」
 バクラバがしゃがみこむ。「残念ですが私は疲れ果てた。置いていってもいい」

 彼がエブラハラから傷つき弱っていたことは見てとれた。

「そんなことはしないよ。でも歩いてもらわないとならない。アコン、肩を貸してやって」

「平等な長よ。ならば私こそエブラハラの男だ」

 老いた黒人は地面に手をついて立ちあがる。水が(したた)る銃を握っていた。

「果てるまで手助けは不要です。土手に登りましょう。そこで合図します」

 この人は僕を試したなと感づく。僕が若すぎるのだから仕方ない。はやく年をとりたい。貫禄をつけたい。有無を言わさず導きたい。


 土手に上がるころには雨は小降りになっていた。

「濡れていると暴発の恐れが高まるので離れてください」

 バクラバが無事に空へ放った銃声は雷のように周囲へ伝わる。それでも全員が合流するのに一時間以上かかった。
 せっかくのペットボトルを五本も紛失してしまった。テントもだ。でも伐採道具と武器を流さなかった仲間たちを誇りに思う。

 ずっと待っても女が二人現れなかった。一人は舟から降りられなかった。もう一人は誰も知らない。

「流されるのを見た」

 クロイミが、最後尾だったアコンともう一人の子にそう言わせる。生き延びた女たちがあきらめる。待つだけの時間を終わらせる。

「もう少し下ろう」

 足を引きずるハシバミを先頭に二十一人が歩きはじめる。川沿いの集落跡の藪を歩む。堰堤の轟音が聞こえる。覗いたところで、その下でバラバラになったであろう筏が見つかるはずない。
 雨はやんだけど踏み跡なき藪は濡れたまま。空はまだ灰色だ。
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