040 人を害せず、人に害されず
文字数 2,141文字
二頭が畑の雑草を食べている。あれは牛の餌だったのか。駐車場跡地でおたおたしていたツユクサが、ハシバミに気づいて転がるようにおりてくる。
「カツラがやられたんだね。ゴセントから聞いたけどもう死んじゃった? バオチュンファさんが青い顔をしていた」
本人も青ざめている。でも人の死に慣れた顔。
「仲間だから死なせない。それに、この村の人に言っては駄目だろ」
「あの音だよ。僕より先に気づいていたけど……お前たちは丘でもどこへでも行くがいい。だから口をつぐめって、バオチュンファが僕に言った。でも、なんで銃があるの?」
「知らない。僕は温泉の状況を確認する。君はみんなを集めろ。武器を持たせてな」
ここからはハシバミも注意深く歩く。丘をトラバースする道の向こうから腐った匂いが漂いだす。
温泉のある沢への分岐に、バオチュンファがいた。若い男も二人。そいつらは槍をハシバミへ構える。バオチュンファは引き絞った弓矢を向けている。まだ遠いよ。コウリンでも避けられる。
ハシバミは自分の距離まで歩を進める。
「僕は銃を持った奴を倒した。お前たちはどけ」
立ちどまり背筋を伸ばす。バオチュンファへと弓を構える。「これにはトリカブトを塗ってある。かすめただけで終わらせる」
脅しではない。でも背後から駆けてくる気配。この村の者ならば僕は死ぬ。
「ハシバミ。状況が分からない」ベロニカの声がした。
「戦うのか?」アコンの声もして安堵する。
槍で人を刺した経験がある二人がハシバミの左隣に並ぶ。舌なめずりしたアコンの向こうを、バオチュンファが見る。青ざめていた顔がさらに蒼白になる。
「睨みあっている場合なのか?」
白い肌の偉丈夫の声がした。シロガネが弓を構えながら右隣に来る。
「僕も戦うよ」
ゴセントも来た。武器はあの金属でできた棍棒だとしても。
「バオチュンファ。お前も敵ならば僕らは矢を放つ。違うのならば、武器を捨てて村に戻れ」
ハシバミの決然とした言葉に、バオチュンファが弓を落とす。それを見て、若者二人も槍を放る。徒手の三人が歩いてくる。
「害人之心不可有 。防人之心不可无 」
バオチュンファが言う。「人を害せず、人に害されず。村人は苦渋でそれを胸に刻みました。なので村は滅びなかった。……あの二人は我々を信じています。必ず息の根をとめてください。さもないと村もあなたも滅びる」
「村の人間ではないのか」
すれ違う際にハシバミが聞く。
「彼らはクロジソ将軍の配下です」
それだけ言い、バオチュンファは村へと去っていく。これ以上詰問する時間はない。
「僕とゴセントで偵察する。連中が無防備だったらすぐに君たちを呼ぶ」
ハシバミは残りの三人に言う。
「カツラですら倒れたのだろ? 危険すぎる」
シロガネは言うけど。
「服を着たまま湯につかる人は少ないよ」
ハシバミはにやり笑う。
ハシバミ兄弟は手ぶらで温泉へと降りる。銃を向けられたら馬鹿の振りをして、笑って済ましてもらうために。
腐った匂い。男たちの笑い声がした。さらに降りる。監視用らしき小屋の陰から覗く。湯煙が風に流される。男二人と女三人が湯に入っていた。いずれも裸で上半身だけ晒している。……男たちはいまも銃を持っているのだろうか? 少なくとも手の届くところにあるだろう。
「ゴセントはここで見張っていて。見つかったら逃げていい」
弟に言い残し、ハシバミはまた丘へと駆ける。
「襲おう」
膝に手を置き息が切れたままで四人に言う。コウリンも加わっていた。
襲撃の一言に、いずれも戸惑うことなくうなずく。バオチュンファたちが落とした武具を抱えてツユクサもやってきた。
「ひっ」
温泉から女が一人登ってきた。武装した七人を見て悲鳴をあげる。
「静かにしろ」アコンが槍を向ける。
女はへたり込む。薄着がはだける。
「もう一人の男を迎えに行くのか」
ハシバミが尋ねる。女は口に手を当ててうなずく。
「銃は温泉の中で撃てるのか?」
女は首を横に振る。分からないと泣く。
クロイミならば考えるかも。そんな時間はない。
「邪魔しないならば命は取らない」
震える女へと告げる。
獲物へにじり寄る狩りのように、若者たちは沢へひっそり下る。
「女の人とすれ違ったよね? 衣類はこの小屋にひとまとめにしてあるみたい」
地面に腹ばいで潜んでいたゴセントが小声で教えてくれた。
「ゴセントとコウリンは小屋をおさえろ。ツユクサはここで村から来るものを見張る。呼子笛を誰か持っていたらツユクサに渡して」
ハシバミは心地よい緊張を感じる。奴らは油断している。村人は襲わない。そう信じている。だけど僕らは村民でない。奇襲は間違いなく成功する。
「シロガネ、ベロニカ、アコンは僕と行く。いきなりは倒さない。抵抗の素振りがあったら僕が最初に矢を射る。それが戦いの合図だ」
四人は岩でできた温泉に降りる。腐った匂いの湯煙。風がまた沢から吹く。
*
「これは毒矢だ」
ハシバミが弓を構えながら告げる。
女たちが悲鳴をあげる。その一人はヤイチゴの妻であるファウメイ=ツィングだった。
男たちが全裸で立ちあがる。一人が滑って転ぶ。もう一人は小屋を見る。そこにも武装した若者たちがいるのを見て、両手を上げる。
ちょろかった。でもまだこれからだ。
「カツラがやられたんだね。ゴセントから聞いたけどもう死んじゃった? バオチュンファさんが青い顔をしていた」
本人も青ざめている。でも人の死に慣れた顔。
「仲間だから死なせない。それに、この村の人に言っては駄目だろ」
「あの音だよ。僕より先に気づいていたけど……お前たちは丘でもどこへでも行くがいい。だから口をつぐめって、バオチュンファが僕に言った。でも、なんで銃があるの?」
「知らない。僕は温泉の状況を確認する。君はみんなを集めろ。武器を持たせてな」
ここからはハシバミも注意深く歩く。丘をトラバースする道の向こうから腐った匂いが漂いだす。
温泉のある沢への分岐に、バオチュンファがいた。若い男も二人。そいつらは槍をハシバミへ構える。バオチュンファは引き絞った弓矢を向けている。まだ遠いよ。コウリンでも避けられる。
ハシバミは自分の距離まで歩を進める。
「僕は銃を持った奴を倒した。お前たちはどけ」
立ちどまり背筋を伸ばす。バオチュンファへと弓を構える。「これにはトリカブトを塗ってある。かすめただけで終わらせる」
脅しではない。でも背後から駆けてくる気配。この村の者ならば僕は死ぬ。
「ハシバミ。状況が分からない」ベロニカの声がした。
「戦うのか?」アコンの声もして安堵する。
槍で人を刺した経験がある二人がハシバミの左隣に並ぶ。舌なめずりしたアコンの向こうを、バオチュンファが見る。青ざめていた顔がさらに蒼白になる。
「睨みあっている場合なのか?」
白い肌の偉丈夫の声がした。シロガネが弓を構えながら右隣に来る。
「僕も戦うよ」
ゴセントも来た。武器はあの金属でできた棍棒だとしても。
「バオチュンファ。お前も敵ならば僕らは矢を放つ。違うのならば、武器を捨てて村に戻れ」
ハシバミの決然とした言葉に、バオチュンファが弓を落とす。それを見て、若者二人も槍を放る。徒手の三人が歩いてくる。
「
バオチュンファが言う。「人を害せず、人に害されず。村人は苦渋でそれを胸に刻みました。なので村は滅びなかった。……あの二人は我々を信じています。必ず息の根をとめてください。さもないと村もあなたも滅びる」
「村の人間ではないのか」
すれ違う際にハシバミが聞く。
「彼らはクロジソ将軍の配下です」
それだけ言い、バオチュンファは村へと去っていく。これ以上詰問する時間はない。
「僕とゴセントで偵察する。連中が無防備だったらすぐに君たちを呼ぶ」
ハシバミは残りの三人に言う。
「カツラですら倒れたのだろ? 危険すぎる」
シロガネは言うけど。
「服を着たまま湯につかる人は少ないよ」
ハシバミはにやり笑う。
ハシバミ兄弟は手ぶらで温泉へと降りる。銃を向けられたら馬鹿の振りをして、笑って済ましてもらうために。
腐った匂い。男たちの笑い声がした。さらに降りる。監視用らしき小屋の陰から覗く。湯煙が風に流される。男二人と女三人が湯に入っていた。いずれも裸で上半身だけ晒している。……男たちはいまも銃を持っているのだろうか? 少なくとも手の届くところにあるだろう。
「ゴセントはここで見張っていて。見つかったら逃げていい」
弟に言い残し、ハシバミはまた丘へと駆ける。
「襲おう」
膝に手を置き息が切れたままで四人に言う。コウリンも加わっていた。
襲撃の一言に、いずれも戸惑うことなくうなずく。バオチュンファたちが落とした武具を抱えてツユクサもやってきた。
「ひっ」
温泉から女が一人登ってきた。武装した七人を見て悲鳴をあげる。
「静かにしろ」アコンが槍を向ける。
女はへたり込む。薄着がはだける。
「もう一人の男を迎えに行くのか」
ハシバミが尋ねる。女は口に手を当ててうなずく。
「銃は温泉の中で撃てるのか?」
女は首を横に振る。分からないと泣く。
クロイミならば考えるかも。そんな時間はない。
「邪魔しないならば命は取らない」
震える女へと告げる。
獲物へにじり寄る狩りのように、若者たちは沢へひっそり下る。
「女の人とすれ違ったよね? 衣類はこの小屋にひとまとめにしてあるみたい」
地面に腹ばいで潜んでいたゴセントが小声で教えてくれた。
「ゴセントとコウリンは小屋をおさえろ。ツユクサはここで村から来るものを見張る。呼子笛を誰か持っていたらツユクサに渡して」
ハシバミは心地よい緊張を感じる。奴らは油断している。村人は襲わない。そう信じている。だけど僕らは村民でない。奇襲は間違いなく成功する。
「シロガネ、ベロニカ、アコンは僕と行く。いきなりは倒さない。抵抗の素振りがあったら僕が最初に矢を射る。それが戦いの合図だ」
四人は岩でできた温泉に降りる。腐った匂いの湯煙。風がまた沢から吹く。
*
「これは毒矢だ」
ハシバミが弓を構えながら告げる。
女たちが悲鳴をあげる。その一人はヤイチゴの妻であるファウメイ=ツィングだった。
男たちが全裸で立ちあがる。一人が滑って転ぶ。もう一人は小屋を見る。そこにも武装した若者たちがいるのを見て、両手を上げる。
ちょろかった。でもまだこれからだ。