023 空約束
文字数 1,600文字
ハシバミとゴセントが鞍部に戻る途中、二人を迎えにきたクロイミと出くわした。
「たいへんな騒ぎになったよ」
クロイミが辟易とした態度で告げる。「カツラがコウリンたちに『歯向かうな』と怒鳴った。そしたらコウリンが『誰がリーダーだか知りたいね』などと言い返した。コウリンは殴られて鼻血をだした。
……いやな事件だ。でも、コウリンが言うとおり誰がリーダーなのかな。君かな? カツラかな?」
「誰がリーダーであろうと、殴って従えるのは良くないよ」
ハシバミもうんざりとした顔になる。「僕だっていろいろ言われた。戻りたければお前らだけで戻れって言ってやりたかった。けど我慢した。進むしかないことを分かってもらいたかった。でも、これであの三人はカツラに無理やり行かされると思うだろうな。はああ」
盛大にため息をついてしまう。
*
鞍部では、カツラとシロガネとサジーが、言葉を交わしながらテントを畳んでいた。ツヅミグサはツユクサの怪我の回復具合を見ている振りをしていた。
ベロニカはカツラを睨んでいた。槍はもっていない。アコンはコウリンの顔を汚れた布で拭いていた。鼻血はとまったようだが、片側の目に早くも青あざができていた。
アコンがハシバミが戻ってきたことに気づく。座ったままで見上げてくる。
「僕たちはここで別れる」
アコンが告げる。「ハシバミも、どうせ僕らは付き従うだけだと思っているのだろ。何もできない奴らは意見するなと思っているのだろ。でも、それは間違っている」
アコンの宣言に、コウリンがぎょっとした顔をする。
「いやあ、アコン、殴られたのは僕が悪いのでもあって……、僕たちというのは、僕も含まれているのかな?」
誰もがしどろもどろなコウリンを無視してハシバミを見ていた。
ハシバミは笑顔をこしらえる。
「アコン、誰も思っていないよ。みんな疲れているからトラブルが起きる。疲れているのは、この森のせいだ。ここを早く抜け出そう。――ツヅミグサ、ツユクサの怪我はどうだい?」
「この薬は何でできているのかな? 村のより効き目があるっぽい。それより、ここから先の進路は?」
「コウリンたちが正しいかもしれない」
シロガネが間に入った。「十人以上が歩いたから、しばらく踏み跡ははっきり残る。ハイウェイを通過した後に、橋の痕跡があった。あそこまで戻り、渡れるか試すのはどうだ?」
ハシバミはゴセントを見る。弟は首を小さく横に振った。
「俺は進むべきだと思うけどな。……水を吸って重いな」
カツラがテントを背負子に乗せる。
「なぜ?」とシロガネが尋ねる。
「知るかよ。俺はそういう性分なんだ。だがここから先頭はご免だね。蔓を鉈で断ちながら進むのがどれだけ大変か、経験してみろ」
サジーは、テントの骨組みを竹籠に縦に縛りつけている。彼はこういう場面で意見しない。年長者たちに一任する。
ハシバミも自分のリュックサックを拾う。張りついていたムカデを手で払い落とす。
決断の時だ。
「この尾根を降りると大きい盆地にでる。その向こうにも山は連なるけど、手前に丘がある。水に浮かんだ舟のようにおとなしそうな地形だった。僕たちはそこを目指す。この尾根を下ろう」
そう言って父の形見のリュックを背負う。ゴセントを見る。小首を傾げた……。
「道はあるのかよ。麓が崩れていたら行き止まりだぜ。下手すれば滑落する」
ツヅミグサが座ったまま言う。
知るはずないだろ。分かるはずないだろ。
「大丈夫。靄が晴れた時に、はっきり見えた。すぐにアスファルトの道にでる。――僕についてきな。アコンもベロニカも、コウリンもだよ」
大嘘を並べて、鉈を手にする。
この尾根が崖なり沢なりで途切れたら、僕を笑って許しはしないだろう。登りかえす気力もなくなるだろう。だとしても進む。
ハシバミは鉈で蔓を断つ。みんなはついてきている。数時間であろうときつくて疲れるギャンブルが始まった。
「たいへんな騒ぎになったよ」
クロイミが辟易とした態度で告げる。「カツラがコウリンたちに『歯向かうな』と怒鳴った。そしたらコウリンが『誰がリーダーだか知りたいね』などと言い返した。コウリンは殴られて鼻血をだした。
……いやな事件だ。でも、コウリンが言うとおり誰がリーダーなのかな。君かな? カツラかな?」
「誰がリーダーであろうと、殴って従えるのは良くないよ」
ハシバミもうんざりとした顔になる。「僕だっていろいろ言われた。戻りたければお前らだけで戻れって言ってやりたかった。けど我慢した。進むしかないことを分かってもらいたかった。でも、これであの三人はカツラに無理やり行かされると思うだろうな。はああ」
盛大にため息をついてしまう。
*
鞍部では、カツラとシロガネとサジーが、言葉を交わしながらテントを畳んでいた。ツヅミグサはツユクサの怪我の回復具合を見ている振りをしていた。
ベロニカはカツラを睨んでいた。槍はもっていない。アコンはコウリンの顔を汚れた布で拭いていた。鼻血はとまったようだが、片側の目に早くも青あざができていた。
アコンがハシバミが戻ってきたことに気づく。座ったままで見上げてくる。
「僕たちはここで別れる」
アコンが告げる。「ハシバミも、どうせ僕らは付き従うだけだと思っているのだろ。何もできない奴らは意見するなと思っているのだろ。でも、それは間違っている」
アコンの宣言に、コウリンがぎょっとした顔をする。
「いやあ、アコン、殴られたのは僕が悪いのでもあって……、僕たちというのは、僕も含まれているのかな?」
誰もがしどろもどろなコウリンを無視してハシバミを見ていた。
ハシバミは笑顔をこしらえる。
「アコン、誰も思っていないよ。みんな疲れているからトラブルが起きる。疲れているのは、この森のせいだ。ここを早く抜け出そう。――ツヅミグサ、ツユクサの怪我はどうだい?」
「この薬は何でできているのかな? 村のより効き目があるっぽい。それより、ここから先の進路は?」
「コウリンたちが正しいかもしれない」
シロガネが間に入った。「十人以上が歩いたから、しばらく踏み跡ははっきり残る。ハイウェイを通過した後に、橋の痕跡があった。あそこまで戻り、渡れるか試すのはどうだ?」
ハシバミはゴセントを見る。弟は首を小さく横に振った。
「俺は進むべきだと思うけどな。……水を吸って重いな」
カツラがテントを背負子に乗せる。
「なぜ?」とシロガネが尋ねる。
「知るかよ。俺はそういう性分なんだ。だがここから先頭はご免だね。蔓を鉈で断ちながら進むのがどれだけ大変か、経験してみろ」
サジーは、テントの骨組みを竹籠に縦に縛りつけている。彼はこういう場面で意見しない。年長者たちに一任する。
ハシバミも自分のリュックサックを拾う。張りついていたムカデを手で払い落とす。
決断の時だ。
「この尾根を降りると大きい盆地にでる。その向こうにも山は連なるけど、手前に丘がある。水に浮かんだ舟のようにおとなしそうな地形だった。僕たちはそこを目指す。この尾根を下ろう」
そう言って父の形見のリュックを背負う。ゴセントを見る。小首を傾げた……。
「道はあるのかよ。麓が崩れていたら行き止まりだぜ。下手すれば滑落する」
ツヅミグサが座ったまま言う。
知るはずないだろ。分かるはずないだろ。
「大丈夫。靄が晴れた時に、はっきり見えた。すぐにアスファルトの道にでる。――僕についてきな。アコンもベロニカも、コウリンもだよ」
大嘘を並べて、鉈を手にする。
この尾根が崖なり沢なりで途切れたら、僕を笑って許しはしないだろう。登りかえす気力もなくなるだろう。だとしても進む。
ハシバミは鉈で蔓を断つ。みんなはついてきている。数時間であろうときつくて疲れるギャンブルが始まった。