072 地上のお姫様

文字数 2,717文字

 機種名SAー011。通称ヤタガラス。太陽光だけを動力にする。それを可能にした技術も維持する技術も化石になれず星から消えた。
 まだ未来に希望があった頃、いつの日か再生産を夢見た空の民により、その数機は使用されずに保管された。それらはいつしか空の民である証となった。数代に渡り引き継がれたメンテナンスは、まさにまつりごと(・・・・・)だった。世代を重ねれば長一族は神格化されただろう。

 最後の一台の愛称がミカヅキ。長は村の宝を孫娘に託した。戦うためではない。ミカヅキが爪と嘴をむき出しにすれば、いずれ羽根をたたんだとき、操った孫娘は楽に死なせてもらえない。仲間である村人からさえ石を投げられ地面を引きずられるかもしれない。それほどまでに異質の存在。
 他と同じくこのヤタガラスも、どうせタイヤ()をくじいて飛べなくなる。それまでは羽ばたいてくれと、キハルの祖父は願う。

 十メートルの未舗装路でテイクオフできるヤタガラス。明け方前に、キハルは猫とともに村へ別れを告げる。
 根拠なき神話のために一人で空に旅立った。空にいる人は彼女だけ。雨雲の上は鳥さえいない。

“叶わなければ、信頼できる人たちと生きなさい”

 十五メートルの直線でランディングできるヤタガラス。でも慣れたころの居眠り運転。トモが引っ掻いてぎりぎり教えてくれたけど、キハルのあてのない旅は五日で終わった。そして若者たちと出逢った。

 ***

 まずミカヅキは古い村の空き地に運ばれる。雨の中を伐採しながらだから三日かかった。

「これで飛べなければ、ハシバミの責任だ」

 サジーが毒づく。
 ツユクサが不思議がる。

「なんで? キハルのせいじゃないの?」
「ツユクサよりちっちゃくてかわいい子を責められるかよ。話を鵜呑みにした長の責任だ」



「石や草がない、まっすぐな道が必要。それを作って」
 村でちやほや扱われてきたキハルは、十四人に指図する。「あんたはコクピットを覗かないで。そこは私のプライベート」

「コクピット? プライベート? 空の民は言葉も洒落ているな」
 クロイミが目を白黒させる。

「キハルちゃんに水浴びさせろよ。服も洗わせろよ」
 ツヅミグサがハシバミに告げる。「あの子は……熊肉よりくさい」

「村には長一族専用の風呂があったらしい。泳げないから川だと嫌だってさ。だから僕たちの村にも来れない。しかし文明ってのも面倒だな。雨がやまないとエネルギーだかが溜まらないし、大きい道を作らないとならない」
「ハシバミ。忘れ物だよ」

 村からゴセントがやってきた。ハシバミの弓と矢筒を持っていた。

「そうだった。でもここは安全だ」
「ハシバミは一人で動いてはいけない。武器なく歩いてもいけない。……川の水量が増えている。いまのうちに丸太橋を架けておくべきかも」

 手渡すとゴセントは村へと戻っていく。長だからって過保護し過ぎだと、ハシバミは肩をすくめる。

「ゴセントは言うけど、橋はまだ不要だよ。川は天然の砦だ」
 クロイミが即座に進言する。

「もっとキツい労働が待っているしね。そろそろ帰ろうか。道を作るのは明日からにする」
 ハシバミは七人に声かける。キハルに顔を向けて「君も村に来るべきだ。泳げないならばおんぶしてあげる。上流に(比較的)安全な渡渉地点を見つけてある」

 その時に水に落とせば少しはきれいになるかな。

「ハシバミが? サジーがいい。あの人が一番力持ちだから川に落ちる心配ない」

 アコンがサジーを呼びに村へ戻る。途中で水中に降ろすように言付けしておく。

「やっぱりカツラを呼んで。あの人は自分の身に代えても私を落とさなそう」
「それは初耳だ、やれやれ」

 今度はクロイミがカツラを連れてくるため川を渡る。

 ***

 梅雨のさなかで太陽は一週間も見えなかった。その間にミカヅキは村へと運ばれた。
 木を倒す。羽根の当たらぬ広大な道を作る。そして担ぐ。
 その過酷な作業は労働というより祭りだった。エアプレーンは神輿だ。最後の村への入場は、キハルを乗せて掛け声に合わせて揺らしながらだった。

 彼女の指示のもと、駐車場跡地に滑走路が築かれる。ほぼ同時に家が一つ仕上がった。キハルの仮住まいになる。



「メンテナンス完了。壊れていない。でもエネルギーは38%。この電池は蓄えやすいけど放電しやすいんだって」
 プラスチックの紙を手に、コクピットからキハルが顔をだす。「あとは太陽を待つだけ」

 流れの緩い渓流で村を出てから初めて身体を洗った彼女は、長い黒髪を後ろに結んでいた。黒目がちで大きな瞳。
 カツラは雨に濡れたミカヅキを見る。

「これがほんとに飛ぶのか。……俺は乗りたくないな」
 
「技術が必要だから無理。祖父の村でも母と私しか乗らなかった。私は幼い頃から母に抱っこされて叩きこまれた」
 キハルがすとんと降りる。瞬く間にびしょ濡れになる。「新しい家だけど、木材にささくれが多すぎる。雨漏りも三カ所ある。もう一回メンテナンスして」

「はいはい。お姫様」
「ツヅミグサとツユクサにやらせて。あの二人は仕事が丁寧。……カツラだけ特別にコクピットに入れてあげる」
「いいのかよ。クロイミに自慢できる……匂うな」
「離着陸で吐くか漏らすからね。でも気は失わない。子どものときから叩きこまれている」

 キハルはカツラに一番なついていた。尋問したクロイミは邪険にされた。

 *

 燕がせわしく飛んでいる。雨雲が遠ざかり、その日は朝から太陽が水舟丘陵を照らした。滑走路ではミカヅキの漆黒の胴体も照らされていた。その羽根も。
 彼女の背丈に合わせて裁縫されなおされているフライトスーツは、猫が潜り込めるようにファスナーを胸の前までしか上げていない。そのスタイルで、キハルは何度かコクピットにもぐる。カツラが猫を抱えて見守る。エンジン音が響く。牛たちが萎縮する。犬たちが吠える。

「満タンになった。……絶対に壊れてない。だから絶対に落ちない」

 コクピットのアナログ計器を見たあとに、キハルが降りる。緊張しすぎて青ざめた顔でカツラから猫を受け取る。

「空は寒いんだ」とキハルは笑みを作る。ミカヅキをよじ登る。「見送りが多いのは不吉らしいから誰も呼ばないで。トモと一緒に二度と墜落しない」

「無理しなくていいぜ」カツラが心底から言う。

 キハルがコクピットで微笑みながら首を振る。ナイロン製の手袋をはめる。サングラスをかける。

「いま、あなたたちのために飛ぶ」

 風防が手動で閉ざされる。エンジンがさらにうなり、風がカツラのくせ毛をなびかせる。その風が乗り移ったかのような加速でミカヅキは滑走路を駆ける。次の瞬間には空へと浮かぶ。
 上空を二度旋回する。東の空へと飛んでいき、あっという間に黒点となる。
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