114 黎明のディストピア
文字数 2,231文字
明け方前にカツラは起き上がる。固い板に寝転ぶだけで、まどろみも一瞬だった。怪しまれたくなければ、替えの草鞋と褌が入った布袋は置いていくしかない。これから履く草鞋とランプだけを持ち、長刀を背負う。足音を忍ばせて廊下にでる。玄関で、灯ったままのランプへペットボトルから油を足す。
その外で男二人が立っていた。クロジソ将軍の護衛だろう。空は重苦しくなっている。湿って生暖かい風がかがり火を揺らす。
「台風ですかね。偉大なるエブラハラもあの魔物には勝てません」
護衛の一人がカツラに聞く。
「じきに降りだしそうだな。将軍と御一緒なだけで熟睡できない。俺は用を済ましたら、ちょっと巡視 してくる。このままランプを借りるぞ」
カツラは護衛の肩を叩く。
「たしかに。ごゆっくりと」
護衛がにやり笑う。「将軍じきじきにいただいた煙草です。お分けしますよ」
「ありがとな」吸う気はないけど一本受け取る。
夜明け前だ。鳥は鳴いていない。風に潮の香りがした。
ここにいるのは悪い奴ばかりじゃない。でも戦わないとならない。
「このまま一人逃げたら絶対に見つからないな」
カツラはぼそり言う。
ランプを消して森に入ればいいだけだ。ジライヤがいないと、オオネグサかパセル群長が朝飯の頃にようやく気づくだろう。そもそもそんな奴いたかと、不思議がって終わるかもしれない。ツユミたちは残念だ。ハシバミたちにあわす顔がないから、今後は一人で過ごそう。どこかにあるずっと離れた村を目指そう……。
重い雲。嵐。逃げる者にこそ有利だ。もうじき俺は十数人の女を引き連れる。
「ああ、光る腕を持つ、俺たち生き残りの守り神よ。俺には勇気も力もあります。あなた様の悪知恵と悪運をお分けください!」
空がうっすら白みだすころ、人影がみっつ横に並んで現れた。
「やけに早いな」
カツラは三人へとランプを向ける。真ん中でバクラバが引きずられていた。
「上官殿。私は今年若年組をでたパシャです。南地区への配属が決まりました」
片方の護衛が直立不動する。「本来だと、こいつは日の出から日没まで晒さないといけないのです」
「そういうこと。今日ぐらいは真面目にやるべきだろ」
もう一人が営舎をちらりと見る。こちらはカツラより年上だ。
バクラバはすえた匂いがした。生気のない眼差しだった。
カツラは煙草をくわえる。ランプで火をつける。
「元気をだせ」とバクラバの口もとに持っていく。「味見をしてくれ」
「規則に反します」パシャが即座に言う。
「一口ぐらい吸わせてやれよ」
もう一人が言う。「こんな朝は誰だってきついさ。ましてや囚人にはな」
「……すまぬ」
老いた黒人がカツラの手を借りて煙草をくわえる。煙を吐き出す。「うまいな」
「よい一日を過ごせよ」
カツラは護衛の一人に煙草を渡して別れる。
空は鈍重なまま明るくなっていく。厨房から煙が上がった。エブラハラが動き出した。
「今日は何なんだよ」
カツラが毒づく。
蓑を着こんだパセル群長が早々にやってきた。
「将軍がいると朝が早いようですね」
カツラは嫌味に笑う。
「ジライヤも同じではないのか」
パセルが笠をあげてカツラを睨む。その目線は斜め後ろにずれる。「……娘たちもか」
カツラは振り返る。ツユミやセーナたちが荷物を抱えていた。塩か? それとも置いていけない思い出か?
彼女たちはカツラとパセルに気づき、うつむいて会釈する。足早に立ち去る。
でも一人だけわざわざ立ちどまる。イラクサだ。
「群長はよほど雨が怖いようですね」
彼女はただ一人蓑を着たパセルを笑う。「嵐なんか恐れていたら、将軍になおさら 怒られるでしょうね」
「……どういう意味だ?」
「さあ? でも、もしかしたら、女たちに羽根が生えるかもしれないですよ。それではごきげんよう」
イラクサが挑むような笑みを向けたあとに、ツユミたちを追いかける。
「あの荷物はなんだ? おい――」
パセルが彼女を呼びとめようとする。
「そうそう、誰かに頼みたかった。群長、申し訳ないが背中を見てくれないか?」
カツラが長刀をおろし上着を脱ぐ。「昨夜から痛む。古傷が膿みだしたかもしれない」
「夜からだと? 薄めようがとても飲めない焼酎が営舎にある」
パセルは背中をざっと見る。「衛生担当に見てもらったほうが……」
群長の気がそぞろなのは間違いなかった。イラクサの言動を気にしている。
でも、かすかなエンジン音がすべてをかき消した。
「まただ。また来たぞ」
パセルが忌々しげに空を見上げる。「あれは陰麓から来ているのではないか?」
夜明けとともに漆黒の機体が低く飛ぶ。金属でできた鳥を傷つけられる者がいるはずない。怯えて当然だ。
「たしかに過去の怨霊かもな」
カツラは話を合わせる。キハルが乗っていると知らなかったら、一緒に震えていたに違いない。「だったら俺が追い払ってやる」
カツラが上半身裸のままで長刀を拾う。黎明の田園へと駆けていく。
「ジライヤやめろ」
パセル群長が追ってくる。途中で立ちどまる。
「この野郎!」とカツラはあぜ道で手を振る。
決行するぞと両手で丸を作る。
すぐにだと右手を突き上げる。
漆黒の機体がひときわ低く飛んでくる。起こした風を感じるほどに。
空と地ですれ違う。
ミカヅキは山へと去っていく。コクピットでキハルが親指を立てたのに気づけるはずないけど、カツラは意思が伝わったと確信する。
さあ、こうなったら、あとは風よ吹け吹け、波よ立てだ。嵐よやってこい。
その外で男二人が立っていた。クロジソ将軍の護衛だろう。空は重苦しくなっている。湿って生暖かい風がかがり火を揺らす。
「台風ですかね。偉大なるエブラハラもあの魔物には勝てません」
護衛の一人がカツラに聞く。
「じきに降りだしそうだな。将軍と御一緒なだけで熟睡できない。俺は用を済ましたら、ちょっと
カツラは護衛の肩を叩く。
「たしかに。ごゆっくりと」
護衛がにやり笑う。「将軍じきじきにいただいた煙草です。お分けしますよ」
「ありがとな」吸う気はないけど一本受け取る。
夜明け前だ。鳥は鳴いていない。風に潮の香りがした。
ここにいるのは悪い奴ばかりじゃない。でも戦わないとならない。
「このまま一人逃げたら絶対に見つからないな」
カツラはぼそり言う。
ランプを消して森に入ればいいだけだ。ジライヤがいないと、オオネグサかパセル群長が朝飯の頃にようやく気づくだろう。そもそもそんな奴いたかと、不思議がって終わるかもしれない。ツユミたちは残念だ。ハシバミたちにあわす顔がないから、今後は一人で過ごそう。どこかにあるずっと離れた村を目指そう……。
重い雲。嵐。逃げる者にこそ有利だ。もうじき俺は十数人の女を引き連れる。
「ああ、光る腕を持つ、俺たち生き残りの守り神よ。俺には勇気も力もあります。あなた様の悪知恵と悪運をお分けください!」
空がうっすら白みだすころ、人影がみっつ横に並んで現れた。
「やけに早いな」
カツラは三人へとランプを向ける。真ん中でバクラバが引きずられていた。
「上官殿。私は今年若年組をでたパシャです。南地区への配属が決まりました」
片方の護衛が直立不動する。「本来だと、こいつは日の出から日没まで晒さないといけないのです」
「そういうこと。今日ぐらいは真面目にやるべきだろ」
もう一人が営舎をちらりと見る。こちらはカツラより年上だ。
バクラバはすえた匂いがした。生気のない眼差しだった。
カツラは煙草をくわえる。ランプで火をつける。
「元気をだせ」とバクラバの口もとに持っていく。「味見をしてくれ」
「規則に反します」パシャが即座に言う。
「一口ぐらい吸わせてやれよ」
もう一人が言う。「こんな朝は誰だってきついさ。ましてや囚人にはな」
「……すまぬ」
老いた黒人がカツラの手を借りて煙草をくわえる。煙を吐き出す。「うまいな」
「よい一日を過ごせよ」
カツラは護衛の一人に煙草を渡して別れる。
空は鈍重なまま明るくなっていく。厨房から煙が上がった。エブラハラが動き出した。
「今日は何なんだよ」
カツラが毒づく。
蓑を着こんだパセル群長が早々にやってきた。
「将軍がいると朝が早いようですね」
カツラは嫌味に笑う。
「ジライヤも同じではないのか」
パセルが笠をあげてカツラを睨む。その目線は斜め後ろにずれる。「……娘たちもか」
カツラは振り返る。ツユミやセーナたちが荷物を抱えていた。塩か? それとも置いていけない思い出か?
彼女たちはカツラとパセルに気づき、うつむいて会釈する。足早に立ち去る。
でも一人だけわざわざ立ちどまる。イラクサだ。
「群長はよほど雨が怖いようですね」
彼女はただ一人蓑を着たパセルを笑う。「嵐なんか恐れていたら、将軍に
「……どういう意味だ?」
「さあ? でも、もしかしたら、女たちに羽根が生えるかもしれないですよ。それではごきげんよう」
イラクサが挑むような笑みを向けたあとに、ツユミたちを追いかける。
「あの荷物はなんだ? おい――」
パセルが彼女を呼びとめようとする。
「そうそう、誰かに頼みたかった。群長、申し訳ないが背中を見てくれないか?」
カツラが長刀をおろし上着を脱ぐ。「昨夜から痛む。古傷が膿みだしたかもしれない」
「夜からだと? 薄めようがとても飲めない焼酎が営舎にある」
パセルは背中をざっと見る。「衛生担当に見てもらったほうが……」
群長の気がそぞろなのは間違いなかった。イラクサの言動を気にしている。
でも、かすかなエンジン音がすべてをかき消した。
「まただ。また来たぞ」
パセルが忌々しげに空を見上げる。「あれは陰麓から来ているのではないか?」
夜明けとともに漆黒の機体が低く飛ぶ。金属でできた鳥を傷つけられる者がいるはずない。怯えて当然だ。
「たしかに過去の怨霊かもな」
カツラは話を合わせる。キハルが乗っていると知らなかったら、一緒に震えていたに違いない。「だったら俺が追い払ってやる」
カツラが上半身裸のままで長刀を拾う。黎明の田園へと駆けていく。
「ジライヤやめろ」
パセル群長が追ってくる。途中で立ちどまる。
「この野郎!」とカツラはあぜ道で手を振る。
決行するぞと両手で丸を作る。
すぐにだと右手を突き上げる。
漆黒の機体がひときわ低く飛んでくる。起こした風を感じるほどに。
空と地ですれ違う。
ミカヅキは山へと去っていく。コクピットでキハルが親指を立てたのに気づけるはずないけど、カツラは意思が伝わったと確信する。
さあ、こうなったら、あとは風よ吹け吹け、波よ立てだ。嵐よやってこい。