126 門番と精霊の物語
文字数 2,640文字
昔、一人の大男がいた。アイオイ親方と呼ばれていた。右腕がかすかに光るその男は、年老いた男とともにいた。ミブハヤトルだ。
冬が何年も続いたときがあった。誰もが寒さに震え、飢えていた。だけど食料はある場所にはたっぷりとあった。親方たちは、みんなに配るため奪うことにした。獰猛な門番がそこを守っていた。
そいつらはぼさぼさ頭の夫婦で、アイオイ親方よりもでかかった。名前はローズとウルフ。バラという花とオーカミと呼ばれる生き物から名付けられた。
さらには、そこの所有者は銃をたっぷり持っていた。門番であるローズとウルフにも渡されていた。二人はそれを大きくて硬いクルマに取りつけた。盗みにきた者を追いかけて殺すためにだ。所有者のクルマはまだ動いていた。
忍びこんだアイオイ親方とミブハヤトルはすぐに見つかった。
ブオオオオオン!
ダダダダダ!
ぶおおおんってのはクルマの音だ。たぶんミカヅキよりもうるさかったんじゃないかな。
「薄汚い輩め、蜂の巣にしてやるわ」
「やいやい、とっとと消えやがれ」
親方はクルマに尻をぶつけられて、ほうほうの体で逃げだした。
「卑しむべき連中だ!」
アイオイ親方は尻をさすりながら本気で怒った。「仕返ししてやる。太陽と月に賭けて、冬が終わるまえに、奴らが守る場所を空っぽにしてやる」
「親方、賭けすぎですよ。力を合わせてここまでやってきたのだから、無理無茶無謀はやめましょう」
「いいや。だけどひっそり機会をうかがってやる。悪だくみしてやる、はっはっは」
***
ハシバミはこの話をよく知っていた。
まずアイオイ親方が精霊のふりをする。『女神様に閲覧できる』と門番をだます。喜んだローズとウルフは村のはずれまでクルマをだして、精霊の女神を迎えにいく。その間にアイオイ親方とミブハヤトルは食料をたっぷりと盗みだす。門番の二人はたっぷりと叱られる。それで話はおしまい。
子どもに聞かせるにふさわしい明るくて空っぽな話だ。ゴセントは楽しそうに聞いているけど、ハシバミは席を立つ。ランプもないまま暗くなりかけた坂道を登る。
門番が持ち場を離れて遠くへ向かう。嘘でなく女神様がいたとしても、怒られるに決まっている。下手すりゃ縛り首だ。是が非でも謁見したかったのならば、留守番を誰かに頼めばよかった。でもこの夫婦には頼れる奴がいなかったのだろう。
親方たちだって、そりゃ食料こそ必要だ。だけど銃のついたクルマを奪うほうが賢い。それを使って独占する所有者を――子供に聞かせるお話じゃないな。
ハシバミは歩きながら思う。
エブラハラからセーナたちを連れだす試みは、キハルのおかげで成功した。彼女はちょっと危なかった。成功したのは純粋にミカヅキの――飛行機のおかげだ。でも僕らの手もとから去っていった。エブラハラにある大量の銃も弾も水車も田園も僕らにはない。
僕らにあるのは知恵と勇気と不屈。水舟丘陵にはそれだけあれば十分だ。いまのところは。
ハシバミは長の家に帰る。他と同じで一部屋だけの小さな家。でもここだけはハチの巣より高台の林に築かれてある。
門番などいないけど、食事ができたと誰かが教えに来てくれる。その後に、トモかニシキギかアオタケが遊びに来るだろう。夜の仕事が終われば、セーナがやってくる。
専用のランプを灯そうとしてやめる。また油が乏しくなってきている。村を維持する基本的なもので足りないものだらけ。
この人数だと、やっぱり勇気や不屈だけでは生きられない。交易したいけど、僕たちは大きな町を怒らせた。近所の家も怒らせた。知恵も足りていなかったかも。
***
「ローズとウルフよ、おおローズとウルフよ。親方は精霊の真似をしたまま叫ぶ。隠れたミブハヤトルは笑いを我慢した」
ツヅミグサのお話は佳境になってきた。
『ああ精霊様』
ローズとウルフも叫んだ。『私どもはあなたを待ちます。女神様に謁見できるのをひたすら待ちます』
『うむ。女神にクルマを見せるのだぞ。あそこにある銃もすべて積んでおくのだぞ。そして何でも話すがいい』
『ははあ。女神様へ正直に打ち明けます』
『それまでは我々は犬のように忠実に忍耐強く鼻を鳴らしながら待ちます』
ミブハヤトルはしめしめと思った。なにもないのだから、あそこにいくらでも侵入できる。所有者だって怖くなうわっ――、サジーかよ、びっくりさせるなよ。
語り部の声に他の者は振り向く。下流から、黒い肌の大男が犬たちを引き連れて現れた。
「ユドノは賢いからな、吠えていけないときは吠えない。そうすると、ハグロとガッサンも真似をする」
サジーは秋まで育った小鹿を二頭も背負っていた。「ユドノは賢いからな。こいつが戻れと言うからここまで来た。なので、まださばいてない。みんなでやろうぜ」
サジーが鹿を落とす。鉈をブルーミーに渡す。
「その雌犬はなんで帰れと訴えたんだ?」
ツヅミグサが尋ねる。サジーといえども一人で狩りを為せるのは、紀州犬の末裔の――水舟丘陵一番の狩りの名手のおかげだ。その犬が危険を察したとサジーが感じたならば、誰も信じないはずがない。
「さあな。でも明日探ってみるべきかもな。俺はそう思うぜ」
そう言うと、サジーが沢に身をつける。「うほ、冷てえ」
「いやな話。不吉な話」
ツユミがツヅミグサに言う。
「その通りかもね」
ゴセントが火打石をとりだす。「でもきっと大丈夫だよ。急いで血だけ抜こう」
木のうろにしまわれたロウソクに火を灯す。女たちはひと足先に村へと登っていく。
「ヨツバはブルーミーに決めちゃえば? 楽しい人だし」ホシクサが笑いかける。
「私は誰にも声かけられていない」先頭を歩くヨツバが答える。
「ここの人たちは奥手が多いからね。女から積極的に動いてあげないと」
ツユミが背後で言う。
そりゃ、あんたに比べりゃみんな消極的だろうね。あんたは、運動神経よくて話も上手な一番人気を真っ先に手にしたものね。私はあの色男には興味なかったけどね。
ヨツバは立ち止まりブナ林の向こうへ振り返る。すぐに歩きだす。
セーナたち食事当番が用意する夕食の匂いが漂う。今夜も侘しい料理だろう。でも、みんなで囲んで笑いながら食べる。以前よりはるかにマシだとヨツバは思う。もしこの冬にカブで死んだとしても後悔は少ない。
川原に残った男たちは、死臭が漂いだした小鹿に刃物をたてていた。闇のなかで犬たちが座って見守る。躾がよくて流れる血さえ舐めようとしない。
村はまだ平和だった。
冬が何年も続いたときがあった。誰もが寒さに震え、飢えていた。だけど食料はある場所にはたっぷりとあった。親方たちは、みんなに配るため奪うことにした。獰猛な門番がそこを守っていた。
そいつらはぼさぼさ頭の夫婦で、アイオイ親方よりもでかかった。名前はローズとウルフ。バラという花とオーカミと呼ばれる生き物から名付けられた。
さらには、そこの所有者は銃をたっぷり持っていた。門番であるローズとウルフにも渡されていた。二人はそれを大きくて硬いクルマに取りつけた。盗みにきた者を追いかけて殺すためにだ。所有者のクルマはまだ動いていた。
忍びこんだアイオイ親方とミブハヤトルはすぐに見つかった。
ブオオオオオン!
ダダダダダ!
ぶおおおんってのはクルマの音だ。たぶんミカヅキよりもうるさかったんじゃないかな。
「薄汚い輩め、蜂の巣にしてやるわ」
「やいやい、とっとと消えやがれ」
親方はクルマに尻をぶつけられて、ほうほうの体で逃げだした。
「卑しむべき連中だ!」
アイオイ親方は尻をさすりながら本気で怒った。「仕返ししてやる。太陽と月に賭けて、冬が終わるまえに、奴らが守る場所を空っぽにしてやる」
「親方、賭けすぎですよ。力を合わせてここまでやってきたのだから、無理無茶無謀はやめましょう」
「いいや。だけどひっそり機会をうかがってやる。悪だくみしてやる、はっはっは」
***
ハシバミはこの話をよく知っていた。
まずアイオイ親方が精霊のふりをする。『女神様に閲覧できる』と門番をだます。喜んだローズとウルフは村のはずれまでクルマをだして、精霊の女神を迎えにいく。その間にアイオイ親方とミブハヤトルは食料をたっぷりと盗みだす。門番の二人はたっぷりと叱られる。それで話はおしまい。
子どもに聞かせるにふさわしい明るくて空っぽな話だ。ゴセントは楽しそうに聞いているけど、ハシバミは席を立つ。ランプもないまま暗くなりかけた坂道を登る。
門番が持ち場を離れて遠くへ向かう。嘘でなく女神様がいたとしても、怒られるに決まっている。下手すりゃ縛り首だ。是が非でも謁見したかったのならば、留守番を誰かに頼めばよかった。でもこの夫婦には頼れる奴がいなかったのだろう。
親方たちだって、そりゃ食料こそ必要だ。だけど銃のついたクルマを奪うほうが賢い。それを使って独占する所有者を――子供に聞かせるお話じゃないな。
ハシバミは歩きながら思う。
エブラハラからセーナたちを連れだす試みは、キハルのおかげで成功した。彼女はちょっと危なかった。成功したのは純粋にミカヅキの――飛行機のおかげだ。でも僕らの手もとから去っていった。エブラハラにある大量の銃も弾も水車も田園も僕らにはない。
僕らにあるのは知恵と勇気と不屈。水舟丘陵にはそれだけあれば十分だ。いまのところは。
ハシバミは長の家に帰る。他と同じで一部屋だけの小さな家。でもここだけはハチの巣より高台の林に築かれてある。
門番などいないけど、食事ができたと誰かが教えに来てくれる。その後に、トモかニシキギかアオタケが遊びに来るだろう。夜の仕事が終われば、セーナがやってくる。
専用のランプを灯そうとしてやめる。また油が乏しくなってきている。村を維持する基本的なもので足りないものだらけ。
この人数だと、やっぱり勇気や不屈だけでは生きられない。交易したいけど、僕たちは大きな町を怒らせた。近所の家も怒らせた。知恵も足りていなかったかも。
***
「ローズとウルフよ、おおローズとウルフよ。親方は精霊の真似をしたまま叫ぶ。隠れたミブハヤトルは笑いを我慢した」
ツヅミグサのお話は佳境になってきた。
『ああ精霊様』
ローズとウルフも叫んだ。『私どもはあなたを待ちます。女神様に謁見できるのをひたすら待ちます』
『うむ。女神にクルマを見せるのだぞ。あそこにある銃もすべて積んでおくのだぞ。そして何でも話すがいい』
『ははあ。女神様へ正直に打ち明けます』
『それまでは我々は犬のように忠実に忍耐強く鼻を鳴らしながら待ちます』
ミブハヤトルはしめしめと思った。なにもないのだから、あそこにいくらでも侵入できる。所有者だって怖くなうわっ――、サジーかよ、びっくりさせるなよ。
語り部の声に他の者は振り向く。下流から、黒い肌の大男が犬たちを引き連れて現れた。
「ユドノは賢いからな、吠えていけないときは吠えない。そうすると、ハグロとガッサンも真似をする」
サジーは秋まで育った小鹿を二頭も背負っていた。「ユドノは賢いからな。こいつが戻れと言うからここまで来た。なので、まださばいてない。みんなでやろうぜ」
サジーが鹿を落とす。鉈をブルーミーに渡す。
「その雌犬はなんで帰れと訴えたんだ?」
ツヅミグサが尋ねる。サジーといえども一人で狩りを為せるのは、紀州犬の末裔の――水舟丘陵一番の狩りの名手のおかげだ。その犬が危険を察したとサジーが感じたならば、誰も信じないはずがない。
「さあな。でも明日探ってみるべきかもな。俺はそう思うぜ」
そう言うと、サジーが沢に身をつける。「うほ、冷てえ」
「いやな話。不吉な話」
ツユミがツヅミグサに言う。
「その通りかもね」
ゴセントが火打石をとりだす。「でもきっと大丈夫だよ。急いで血だけ抜こう」
木のうろにしまわれたロウソクに火を灯す。女たちはひと足先に村へと登っていく。
「ヨツバはブルーミーに決めちゃえば? 楽しい人だし」ホシクサが笑いかける。
「私は誰にも声かけられていない」先頭を歩くヨツバが答える。
「ここの人たちは奥手が多いからね。女から積極的に動いてあげないと」
ツユミが背後で言う。
そりゃ、あんたに比べりゃみんな消極的だろうね。あんたは、運動神経よくて話も上手な一番人気を真っ先に手にしたものね。私はあの色男には興味なかったけどね。
ヨツバは立ち止まりブナ林の向こうへ振り返る。すぐに歩きだす。
セーナたち食事当番が用意する夕食の匂いが漂う。今夜も侘しい料理だろう。でも、みんなで囲んで笑いながら食べる。以前よりはるかにマシだとヨツバは思う。もしこの冬にカブで死んだとしても後悔は少ない。
川原に残った男たちは、死臭が漂いだした小鹿に刃物をたてていた。闇のなかで犬たちが座って見守る。躾がよくて流れる血さえ舐めようとしない。
村はまだ平和だった。