113 試練のごとき闇

文字数 2,723文字

 峠の砦は、ライデンボクの村の宿舎より一回り小さい建物を、狭い尾根に無理やり乗せた感じだった。白色黒色赤色……、それはクルマでできていた。木造の小屋に錆びたボンネットやドアを装甲みたいにまとわせていた。整備された道を挟んで反対側には昔の鉄条網(・・・)が尾根沿いに続く。これも運ばされたのだろう。
 道は鉄製の門で二重に封鎖できるようだが、この数日閉ざされたのを見かけていない。そもそも監視中に人は通らなかった。路上に現れた鹿が、それこそ姿を見せると同時に、銃で撃たれただけだった。銃声は十回ぐらいしただろうか。道を湖方面へと逃げた鹿は死骸となって、男たちに引きずられて峠へ戻ってきた。

『僕だったら常時封鎖しておく』クロイミが言っていた。『それをしないのは怠慢じゃない。将軍の方針だ。守るでなく攻めるための中継点だからだ』

 その砦へと、かがり火が灯った。

 見張りの兵士が五人だけなのは観察済だ。予想外に少ないのは、ここにいた者たちをカツラが湖に落としたからか? でも明日の朝には増員されるのか? ……それとも、外の空気を吸わずにひたすら砦に籠る兵が何十人もいるのだろうか。
 負の思考に陥るな。エブラハラに一人いる友だけを思え。

 ハシバミは藪に潜んでいる。遠くから鹿の鳴き声と野犬の遠吠えがする。近くからは虫の合唱と蚊の羽音。夜が近づき、彼の目でも状況把握が困難になってきた。

「決行は夕方と、キハルはたしかに言ったのだよね?」
 ハシバミは隣にいるゴセントに尋ねる。

「それか明朝。ここまで日が落ちたら登ってこないと思う。それこそミカヅキも飛べないし」
 弟が答える。

「ずっと待つよ。暗闇のなかを逃げてきて、僕たちまでいなかったら悲惨すぎる」
 ハシバミは苛立ちをこらえて答える。

「だったら僕だけ残るよ。長は安全を確保してくれ」

 ゴセントは愚策だと伝えようとしている。そりゃそうだ。雲が分厚い。じきに月なき夜より暗い闇となる。そうなれば明るくなるまでまともに動けない。拠点にしている山中の神社跡地にすら戻れない。
 ミカヅキは飛ぶのをやめた。羽根を畳んだ。だから今日はない。そう判断しろ。でも、だったら……。

「カツラが捕まったのかもしれない」
 ハシバミは独り言みたいに言う。「すでに殺されているかもしれない。拷問されて洗いざらい喋ったかもしれない」

「おいおいハシバミ親方」
 ゴセントがおどけて言う。「夜が近づき心配ごとを膨らませるのはよくないよ。悪いことなんて何も起きていないさ。さあ戻ろう。明け方をここで迎える僕たちこそ危険だ」

「ゴセントの言うとおりだと思う。でも僕は将軍を見くびっていたかもしれない。川の澱みのような感覚に捕らわれている……。これこそが夜の不安ごとだな。撤収しよう」

 ハシバミ兄弟は砦の見張り場所から離れる。闇のなかをにじるように進み、見られる恐れがない地点まで移動してからランプを灯す。そこから一時間ほど尾根上を進む。シロガネとツユクサと合流する。

「ツヅミグサが伝言に来て戻った。ミカヅキはもう山頂だって」

 前線への最後の伝令であるツユクサの影が言う。ここにいない六人は山中を一人で過ごす。キハルは頂き直下の緩やかな稜線を猫とともに過ごす。

「つまり明日ってことだ。……キハルとカツラにすべて委ねる作戦。いまさら不安になってきた」
 シロガネの影が告げる。

「それこそいまさらだよ」

 ハシバミがランプの灯りを消す。油はあと数時間分しかない。とりあえずはゴセントが正しかった。

「親方、うまくいくよね」
 真っ暗闇でツユクサの声だけがする。

「もちろんだよ。でも朝になってカツラが現れなかったら、僕はエブラハラに降りる」



「僕も行くよ」
 しばらくしてツユクサが言う。

 ***

 夕食を済ましたあとにカツラは部屋で寝転がる。ランプを持っていくべきか考える。不要だな、荷物は女子たちとバクラバだけと結論付ける。それと塩。ほんとうは油も欲しいけど、言いだせば種だってニワトリだって欲しい――。
 人がやってくる気配がして立ちあがる。

「こんばんは」ツユミが一人で現れた。

「将軍が一階にいるのだぞ」

 カツラは舌を巻いてしまう。強い女は大胆だ。

「どうせ今夜で終わりですよね」
 ツユミがランプの前に座る。彼女は髪をほどいていた。「塩はたっぷりと用意しました。一緒に来てくれるビズリーは幼いときに辛い目に遭い、夜の暗闇を怖がります。なので油も大きいペットボトルに四本入れました。いずれも宿舎からもちだして隠してあります」

「一日遅れて正解だったかな」
 カツラも座りなおす。

 会話が途絶える。揺れる灯りに照らされるツユミは妖艶だけど、カツラの思考はすぐ下にいる将軍へと流れてしまう。

 あの男は愚かではない。だが俺を買っている。だから俺はここにいられるわけだが……。将軍はすべてを知っていた。俺がバクラバのもとへ顔をだしたことさえもだ。飛行機と俺を関連付けようとしている。いずれ本格的に尋問されるだろう。もちろんそれまでいるはずはないけど。
 もはやキハルと連絡とれるはずない。というか、ハシバミにちゃんと伝言が届いているのか? 頼れる仲間たちは俺を待っていてくれるのか?

「正解ではないかも……。ひと晩の遅れは致命的かもしれません」
 ずいぶん経ってから、ツユミがささやくように言う。「私とセーナとジライヤ。この三人だけでいまから逃げだしませんか?」

 飛びつきたくなるほどに魅惑的な話。

「なぜだ?」それに耐えて尋ねる。

「私とセーナは、拒んだ者も含めて二十人ほどに逃走を教えました。秘密は早々に洩れます。密告者は必ず現れます」

 俺はデンキ様に試されているとカツラは思う。しっかりした二人とならば逃げきれるかも。見張りを倒して山に潜む。朝になればミカヅキが飛んでくれる……。
 女子二人だけを連れ戻った俺を見て、シロガネはどんな顔をするだろう。こんな場所に二度もやってきたあいつは。

「そんなことしたら、俺たち三人はデンキ様に見捨てられる」
 カツラはなるべく明るく言う。「明日の今ごろは、君たちはエブラハラにいない。自由という言葉を思いだしているさ。さあ宿舎に戻りな。君がいないと不安になる子が多いと思う」

「……私は明日を待ち望み、恐れています」

 彼女は立ち上がる。

 *

 ツユミが去りカツラは一人になる。
 ここにまた人が現れるとしたら、今度こそ武装した男たちだろう。だが俺をバクラバにはできない。拷問さえできない。

「ボロボロに引き裂かれるまで戦ってやるさ。……俺はすでに四人も殺したらしいから、その数をさらに増やしてやる。どうせ俺の行き先は陰麓だから道連れにするだけだ」

 カツラは暗闇の中で獰猛に笑う。
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