エピローグ 数十年後

文字数 1,875文字

 水舟丘陵の物語。ひと区切りまでを駆け足でお伝えしたら、私からは終わりとなります。


 ***

 喜びも苦しみもある日々が始まった。でも若かりし長の予言は外れて、喜びのが多い日々だった。ハシバミはそう回顧する。

 もちろん嫌なこともあった。これでもかとあった。たとえばバクラバが何者かに殺された。
 温情と非情は紙一重。僕は誰よりも強くあれ。
 僕たちとエブラハラ。双方の殺傷の報いを、老兵がすべて引き受けてくれた。ハシバミはそう思い込む。その屍に手を合わせるだけ、犯人捜しは形だけだった。

 村を滅ぼされた者と仲間を殺された者。復讐の連鎖は起きなかった。

 水舟丘陵とエブラハラの境――セキチクを長とした新しい村は発展した。ヤイチゴとサジーが手助けした。この村の存在が、晩冬の午後に差し込む日差しのように、それぞれのわだかまりを解消させていく。


 将軍が亡くなっても、クロイミが危惧した混乱は訪れなかった。一帯の実質的支配者は代替わりしていたからだ。

 そう思っていたのに。
 辛く悲しく思いだしたくない時間が始まる。

 ハシバミは奴隷の解放でエブラハラ北部と揉めた。けっこう激しく揉めてしまった。でもハシバミのがはるかに、力になってくれる人が多かった。そうでなければ勝負にならなかった。
 生き延びた者。その末裔たちの殺し合い。幾人か、苦楽をともにした人の命が尽きた。その果てに、小柄で青い目をした群長であった男が水舟丘陵に降伏した。彼の家族と部下は赦された。
 硫黄鉱山などの奴隷たちは村に戻った。対価ある労働として続ける人もいた。

 今だから言える。解放なんて口実だった。生まれた村の復讐なんて大嘘だった。統べる者は二人いらない。目指す方向が違うのだから、どちらかが退場する。そのためだけの戦いだった。僕があの男を大嫌いなだけだった。
 僕が仕掛けた戦争。僕こそ陰麓に引きずられるだろう。そんなの幾らでも受け入れるけど、殺し合いはもう沢山だ。僕が生きているあいだは二度と起こさせない。



 将軍が望み求めた銃火器の生産。それが文明だとしたら、力に対抗できるのは力――それこそ嫌というほど叩きこまれたけど、その復活は足踏みした。代わりに天候はじわじわ人にやさしくなっていく。病は年ごとに減っていく。おおきな戦争はなくなった。
 田園では水車がゆっくり回っている。水舟丘陵に築かれた水路でも。







 それからずいぶんと時は過ぎた。


 ハシバミはすっかり年をとってしまった。丘の大長老と呼ばれ、誰よりも崇拝された。エブラハラからもだ。

 昨日はクルマを溶かして量産される農工具の第一号を持って、エブラハラの者が拝謁に来た。ハシバミはその鍬を手に持ち、その若者たちを褒めてやった。そしてまた横になった。

 もう若いころを思いだせなくなった。愛するセーナ、愛するカツラ、愛するゴセント……名前だけは思いだす。寛大なるエブラハラの女王様はいまだ健在と聞くのに。北部の荒くれ男たちさえ服従した、空からやってきた女王様――あの子の名前はなんだったけな? 頼りになった旦那の名前はなんだった……どちらもとっくにいなかったかな。

 まあいいや。無理して思いだすことない。知恵を授かりにきた若者に知ったかぶりするのもやめよう。はるか昔に痛めた足の傷が今日は痛まない。こんな日は昼寝に限る。

 初めてこの丘で収穫を済ませた日のような安堵。それからハシバミは夢うつつになる。春のおもてを歩いた。夏の沢岸を歩いた。秋の田畑を歩いた。冬の陽だまりでうたた寝た。……どっちが夢でどっちが現実だろう。どうでもいいよな、セーナ。

「もう充分だ。よく頑張った。あとは任せてやれ」

 まどろみでハシバミ老人は男の声を聞く。

「息子よ。みんな待っているぞ。それこそ全員だ」

 この声を知っている。初めて聞く声だけど知っている。

「ええ、そうですね。私もあなたの物語のひとつにならせてもらいます」

 ハシバミは立ちあがる。魂だけ立ちあがる。
 子どもの頃から聞いたお話。その主人公とともにハシバミは空へと登っていく。夜でもないのに、星の光に照らされる。

「私は誰も心配しません」

 ハシバミは宣言する。それでも下をちょっとだけ覗いてしまう。楽園なんて呼べるはずなくても、この星の片隅の島のさらに片隅で、桜が満開を迎えていた。






 ***

 書き始めたのが2021年の夏。それから世情は、なおのこと変化しました。

 若者たちの冒険を結べたことに、正直ほっとしています。
 最後までお読みいただきありがとうございました。あらためて深くお礼を申し上げます。


    黒機鶴太
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