099 霊峰
文字数 2,207文字
経験していようが道なき道を登るのは、やはりきつかった。
ハシバミたちは新しい陰湿な森を抜けてブナ林の残骸に入る。たまに漂う清浄な過去の香り。そうは言っても尾根上は朽ちた倒木だらけ。ゆっくりとした歩み。でも確実に標高を稼いでいく。
「もう少しで楽になると思う。曇っていて助かった」
困難な地点が過ぎたのを確信しているクロイミが休憩で言う。
「それでも暑いな。水の補給が必要だ」
シロガネが答える。
「ミカヅキは見かけたか?」
カツラが誰にとでもなく尋ねる。
「今日はまだっぽい」ゴセントが答える。
「よし。出発だ。先頭は代わらずブルーミー」
ハシバミが立ち上がる。
「はいはい。百年前の痕跡を追ってやるよ。さらに歩きやすい道を探してやるさ」
賑やかな追跡者も立ち上がる。
十一人はやがて主稜線にでる。ミカヅキは現れないけど、ただただ北を目指す。
「山頂まで登るだけ。先頭は代わらずブルーミー」
みなと同じく汗まみれのハシバミが言う。
針葉樹林帯は残存していなかった。そのまま森林限界の笹原に飲み込まれ展望が広がる。
彼らの姿が見れるのを待っていたように、漆黒の小型飛行機が空に現れる。どっしりと構えた霊峰へと翼を傾けて案内する。
***
「建物だ」
生き延びた山小屋を見てアコンがつぶやく。十一人は少し休憩する。小屋はちょっとだけ荒らされていた。薪に使えそうな板をはがす。夏の空。夏の雲。若者たちはすぐに歩きだす。
*
「雪だ」
ベロニカが雪渓を見てつぶやく。夏の太陽が反射している。濁った雪解け水で喉を潤す。進むべき方向は決まっている。ライデンボクの村の山頂で遠くに見えた霊峰が近づいている。
「ここに食料ないだろうな」
コウリンが現実的不安を小声でつぶやく。
「一日ぐらい我慢我慢」
ツヅミグサが聞いていた。「でもカモシカがいるかもな。鹿より美味しいよな、喰いたいな」
「こんな暑いと岩の影で寝ているよお」
逃げ場がない稜線上で、太陽が十一人を容赦なく照り付ける。残雪だって耐えている。百年前と同様に。
「あれだね」
ツユクサが行き先を指さして微笑む。主峰がどっかりと座っていた。
四時から歩きだした十一人は十六時に山頂にたどり着く。
吹きさらしに建てられた社殿も山小屋も、すでに存在しない。土台だけが残っている。点在する池塘にいる生物は虫ぐらいだ。飲み水にするには不衛生。
ハシバミはゴセント、クロイミと並んで西を見る。
「あれがキハルが言っていた海か。でかすぎるな」
ハシバミがつぶやく。日本海は延々と続く。
「そして、その前の緑色の土地がエブラハラだろうね」
クロイミもつぶやく。三方を山に囲まれた、大河が流れる平野。「これもでかすぎる」
「でも僕たちに気づいていない」
ゴセントがうなずく。「将軍さえもだ」
「ハシバミ。ミカヅキが降りたがっているのではないか?」
シロガネがやってきた。
「ここに?」
たしかに緩やかで広大な山頂だ。でも、荒れている。ぼこぼこだ。
「雪の上だろ。あそこじゃ簡単に平たくできる」
カツラが雪渓へと向かう。
「違うよ。危険すぎる」
クロイミが悲鳴じみた声を上げる。「土を平らにしよう。安全でなければ降ろさせない」
空腹に耐えて標高差千五百メートルを踏破した十一人は、姫に降臨してもらうためさらに黙々と働きだす。
***
コクピットから降りてくるまでは誰もミカヅキへと近づかない。そんな不文律ができていた。
「雪に降りるのを試したかったのに。たぶん 大丈夫だった」
キハルが吐瀉の匂いをかすかに漂わせながら言う。布でできた覆面をはずす。黒髪が流れ落ちる。
「着地できても、タイヤが滑って飛べないかも」
「地味顔さんは話しかけないで」
キハルはクロイミに尻を向けて「この山を北に行くとアスファルトの痕跡にでる。それもエブラハラにつながる。そっちこそ街道よ」
「ここまで来たって訳だな」
カツラが答える。「しかしキハルはかなりの有名人だ。昨夜も湖に連中が会いにきた」
「その人たちとどうなったの? ……まっいいか。残念だけど、この子の見納めは近いかも」
キハルはミカヅキの車輪をちらりと見て「ここは低い雲の上。じきに寒くなる。雨が降れば凍える。いまは暑いけどね」
そう言ってフライトスーツをずけずけと脱ぎだす。かすんだ藤色の木綿の上下になり、髪をひとつにまとめる。
きれいだなと誰もが見惚れかけるけど。
「食料を調達したい。どっちに行くべきかな」
ハシバミは大事なことを尋ねる。
「西はエブラハラだよ。来た道を戻るか……、北か東に行くと池がいっぱいあって空から見てきれい。森もあるし魚もいるかもしれないよ」
「ありがとう。ゴセントはどう思う?」
「池に行ってみよう」
「私はここにトモと残るから、弟ちゃんはこれを洗っておいて。裏返しで干して、明日の朝一番に持ってきて。風に飛ばされないようにね」
フライトスーツをゴセントに押しつけて、キハルがコクピットへと戻る。ゴセントは服を指先でつまんで体から遠ざける。
「クロイミも姫と一緒に残るか?」
ハシバミが友である参謀へとにやり笑う。
「いいの?」
クロイミは真に受けるけど「やめておく。どうせ追いだされる」
しばらくして、十一人は池塘が点在する天井の楽園へと下っていく。源頭近くの清潔な沢で魚やサンショウウオを捕らえた。ベロニカはこの地でも蛇を捕まえた。夕立は来なかった。
じきに始まりが始まる。
ハシバミたちは新しい陰湿な森を抜けてブナ林の残骸に入る。たまに漂う清浄な過去の香り。そうは言っても尾根上は朽ちた倒木だらけ。ゆっくりとした歩み。でも確実に標高を稼いでいく。
「もう少しで楽になると思う。曇っていて助かった」
困難な地点が過ぎたのを確信しているクロイミが休憩で言う。
「それでも暑いな。水の補給が必要だ」
シロガネが答える。
「ミカヅキは見かけたか?」
カツラが誰にとでもなく尋ねる。
「今日はまだっぽい」ゴセントが答える。
「よし。出発だ。先頭は代わらずブルーミー」
ハシバミが立ち上がる。
「はいはい。百年前の痕跡を追ってやるよ。さらに歩きやすい道を探してやるさ」
賑やかな追跡者も立ち上がる。
十一人はやがて主稜線にでる。ミカヅキは現れないけど、ただただ北を目指す。
「山頂まで登るだけ。先頭は代わらずブルーミー」
みなと同じく汗まみれのハシバミが言う。
針葉樹林帯は残存していなかった。そのまま森林限界の笹原に飲み込まれ展望が広がる。
彼らの姿が見れるのを待っていたように、漆黒の小型飛行機が空に現れる。どっしりと構えた霊峰へと翼を傾けて案内する。
***
「建物だ」
生き延びた山小屋を見てアコンがつぶやく。十一人は少し休憩する。小屋はちょっとだけ荒らされていた。薪に使えそうな板をはがす。夏の空。夏の雲。若者たちはすぐに歩きだす。
*
「雪だ」
ベロニカが雪渓を見てつぶやく。夏の太陽が反射している。濁った雪解け水で喉を潤す。進むべき方向は決まっている。ライデンボクの村の山頂で遠くに見えた霊峰が近づいている。
「ここに食料ないだろうな」
コウリンが現実的不安を小声でつぶやく。
「一日ぐらい我慢我慢」
ツヅミグサが聞いていた。「でもカモシカがいるかもな。鹿より美味しいよな、喰いたいな」
「こんな暑いと岩の影で寝ているよお」
逃げ場がない稜線上で、太陽が十一人を容赦なく照り付ける。残雪だって耐えている。百年前と同様に。
「あれだね」
ツユクサが行き先を指さして微笑む。主峰がどっかりと座っていた。
四時から歩きだした十一人は十六時に山頂にたどり着く。
吹きさらしに建てられた社殿も山小屋も、すでに存在しない。土台だけが残っている。点在する池塘にいる生物は虫ぐらいだ。飲み水にするには不衛生。
ハシバミはゴセント、クロイミと並んで西を見る。
「あれがキハルが言っていた海か。でかすぎるな」
ハシバミがつぶやく。日本海は延々と続く。
「そして、その前の緑色の土地がエブラハラだろうね」
クロイミもつぶやく。三方を山に囲まれた、大河が流れる平野。「これもでかすぎる」
「でも僕たちに気づいていない」
ゴセントがうなずく。「将軍さえもだ」
「ハシバミ。ミカヅキが降りたがっているのではないか?」
シロガネがやってきた。
「ここに?」
たしかに緩やかで広大な山頂だ。でも、荒れている。ぼこぼこだ。
「雪の上だろ。あそこじゃ簡単に平たくできる」
カツラが雪渓へと向かう。
「違うよ。危険すぎる」
クロイミが悲鳴じみた声を上げる。「土を平らにしよう。安全でなければ降ろさせない」
空腹に耐えて標高差千五百メートルを踏破した十一人は、姫に降臨してもらうためさらに黙々と働きだす。
***
コクピットから降りてくるまでは誰もミカヅキへと近づかない。そんな不文律ができていた。
「雪に降りるのを試したかったのに。
キハルが吐瀉の匂いをかすかに漂わせながら言う。布でできた覆面をはずす。黒髪が流れ落ちる。
「着地できても、タイヤが滑って飛べないかも」
「地味顔さんは話しかけないで」
キハルはクロイミに尻を向けて「この山を北に行くとアスファルトの痕跡にでる。それもエブラハラにつながる。そっちこそ街道よ」
「ここまで来たって訳だな」
カツラが答える。「しかしキハルはかなりの有名人だ。昨夜も湖に連中が会いにきた」
「その人たちとどうなったの? ……まっいいか。残念だけど、この子の見納めは近いかも」
キハルはミカヅキの車輪をちらりと見て「ここは低い雲の上。じきに寒くなる。雨が降れば凍える。いまは暑いけどね」
そう言ってフライトスーツをずけずけと脱ぎだす。かすんだ藤色の木綿の上下になり、髪をひとつにまとめる。
きれいだなと誰もが見惚れかけるけど。
「食料を調達したい。どっちに行くべきかな」
ハシバミは大事なことを尋ねる。
「西はエブラハラだよ。来た道を戻るか……、北か東に行くと池がいっぱいあって空から見てきれい。森もあるし魚もいるかもしれないよ」
「ありがとう。ゴセントはどう思う?」
「池に行ってみよう」
「私はここにトモと残るから、弟ちゃんはこれを洗っておいて。裏返しで干して、明日の朝一番に持ってきて。風に飛ばされないようにね」
フライトスーツをゴセントに押しつけて、キハルがコクピットへと戻る。ゴセントは服を指先でつまんで体から遠ざける。
「クロイミも姫と一緒に残るか?」
ハシバミが友である参謀へとにやり笑う。
「いいの?」
クロイミは真に受けるけど「やめておく。どうせ追いだされる」
しばらくして、十一人は池塘が点在する天井の楽園へと下っていく。源頭近くの清潔な沢で魚やサンショウウオを捕らえた。ベロニカはこの地でも蛇を捕まえた。夕立は来なかった。
じきに始まりが始まる。