第79話「妖精猫の友情」
文字数 3,381文字
家族3人で暮らす念願の『自宅』へ帰って来て、エリンの様子が微妙に変わったのに気が付いた。
話してみると相変わらず明るいエリンなのだが、時折僅かに陰がさした表情を見せる。
ニーナは確信した。
エリンには、何か悩み事があるらしいと。
しかし根掘り葉掘り、ニーナの方から聞くのは
今夜にでも何か詳しい話があるのだろうと、ニーナは気持ちを切り換える事にする。
気を取り直したニーナが、上を向いて広い大空を見ると、天気は雲ひとつない快晴。
吹く風も爽やかで、空気が美味しく、とても気持ちが良い。
好奇心旺盛なニーナは、家の周囲の青々とした草原へも行ってみたかった。
駄目元で、ダンとエリンへ希望は出してみた。
だが、あっさり却下されてしまう。
「ニーナの気持ちは分かるけど、まずは自宅の案内と整理だろう?」
「そうだね。家具とか、新しいのと取り換えなきゃね」
まあ、ふたりの言う事は尤もだ。
草原に行くどころか、ニーナはまだ自宅の中にも入ってはいないのだ。
そこで早速、自分の家となる建物の中へ足を踏み入れてみた。
家屋は古ぼけているのに、何故か魔力で灯る魔導ランプで室内を明るくするのは不思議だ。
「ふわぅ! これがダンさんの家なんですね」
自分の、家でもあるダンの家。
外から見ても分かったが、良く言えば質素……悪く言えば少々粗末であった。
広さは、3人で住むにはまずまず……
室内は居間、寝室、物置、風呂、トイレに分かれており、ニーナは興味津々で探索した。
アンバランスと言って良いくらい、風呂と洗い場が大きいのには吃驚する。
大きな湯舟を指さして、エリンが言う
「この広さなら全員で入れるよ、それにダン、約束したよね、今度こそ流しっこするんだよ」
エリンが、悪戯っぽく笑った。
問いかけられたダンは、何故かどぎまぎしている。
「ななな、流しっこか! お、おう!」
噛みながら返事をするダンへ、エリンがとどめを刺す。
「ダン、今度こそ前を洗うからね」
「う! ま、前?」
ニーナは、ダンとエリンの会話がいまいち分からない。
「前を洗う?」
首を傾げるニーナに、エリンは直球を投げ込む。
「ニーナもだよ、ダンにおっぱい洗って貰わなきゃ」
おっぱいを洗う?
ダンが!?
「え、ええ~っ」
ニーナが絶句するのを見て、エリンはまた面白そうに笑ったのである。
そんなこんなで、3人は新しい家具と古いものを差し替えて行く。
ダンの付呪魔法がかかった、魔法のバッグは便利であった。
指を鳴らすと、新旧の家具が一発で入れ替わってしまうから。
しかし、買った家具は大きすぎたものが目立った。
特にトリプルベッドは、寝室を一杯に占領する趣きとなってしまう。
「何か、部屋全体がベッドって感じで……凄くエッチですね」
「うふふ、今夜ニーナは、ダンのお嫁さんデビューだぁ」
「え? 今夜お嫁さんデビューって一体何ですか?」
お嫁さんデビュー?
意味が分からないニーナは、首を傾げた。
エリンは『先輩嫁』として、ここぞとばかりに知識を教授する。
「裸になってダンにい~っぱい可愛がって貰うんだよぉ」
「…………」
「最初は、ちょっとだけ痛いからね、我慢だよぉ」
エリンの言う夫婦の秘め事は、とても『具体的』である。
具体的過ぎるのだが、言い方が可愛いので、あまりいやらしさを感じない。
「ふふふ、寝室はとてもエッチいですけど、エリン姉が言うとやけに明るいですね」
「そう? リラックス出来た?」
「はい! 怖くなくなりました」
とても微妙な会話であったが……
エリンのお陰で、ニーナは初めて男性に抱かれる怖さが、だいぶ緩和されたようだ。
そんな他愛もない会話をしながら、室内の片づけは進んで行く。
物置に据え付けた大きなタンスは場所を取ったが、やはりニーナの服は全部入らなかった。
なので、季節的に当面着るものを普通に入れ、残りの服はダンの収納魔法で異次元にしまって貰う。
ニーナが呆気に取られたのは、言うまでもなかった。
こうして……
ざっくりとだが、家の中の片づけは終了した。
「家具を入れ替えたら結構狭くなったな、まあいずれ建て増ししよう」
「そうだね」
「家が広くなるの、楽しみです」
元々、ダンがひとりで住む筈の一軒家だ。
エリンとニーナが加わって、3人暮らしなら手狭になって当然だろう。
「さあて、じゃあまた庭に行くか」
ダンが促して、エリンとニーナは再び外へ出たのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
庭に出たら、大きな犬が2匹居た。
「うわぁ! ワンちゃん可愛い! おいで!」
ばうばうばう!
ニーナの呼びかけに、ダンに飼われている?黒と白の大型犬が応える。
嬉しそうに駆け寄って来た犬達を抱えて、ニーナはふさふさ&モフモフを楽しんでいた。
しかし、エリンは何故か『モフモフ』しない。
「あれ? エリン姉、モフモフしないんですか? とっても気持ち良いですよ」
「……うん、ちょっとね」
エリンは、犬達の正体を知っている。
擬態しているとはいえ、本当の正体は……
頭を複数持ち、尾が蛇である怖ろしい冥界の魔獣達だ。
そんなケルベロスとオルトロスの兄弟へ、とてもじゃないが『モフモフ』する気にはならないのだろう。
一方、モフモフを充分に堪能したニーナは、屋根で寝ている黒猫へと近づく。
至近距離まで近づいたが、黒猫——
ニーナの気配には気が付いている筈だから、分かっていてガン無視しているのだ。
犬も好きだが……
ニーナは、それ以上に猫が大好きだった。
王都で、良く野良猫に話しかけたように、黒猫へ声をかけてみる。
「ね~こちゃん? 寝てるのぉ?」
「…………」
「無視かぁ……ワンちゃんと違って、やっぱり猫ちゃんはマイペースなんですねぇ」
全く反応がない黒猫に、諦めかけたニーナであったが、その時とんでもない事が起こった。
「うるせ~ぞ、耳元でわぁわぁ騒ぐな、人間の巨乳っ子め。エリンと同じくらい大きい乳しやがって」
ニーナは、目が点になった。
何と目を開けた黒猫が、自分の方へ顔を向けて、男の声で人語を操ったのだ。
「え?」
「うるせ~んだよ」
「ええええっ!? ね、ね、猫が喋った?」
「あ~もう! 仕方ねぇなぁ! 俺はトム! ただの猫じゃねぇ、
やっと現実を受け入れたニーナであったが、当然パニックへ陥ってしまう。
「あう、猫が! あうあうあう!」
慌てるニーナを見ながら、トムはゆっくりと起き上がる。
そして、大きくのびをした。
「おい、巨乳っ子。念の為、言っておくぞ」
「へ?」
「へ? じゃねぇ。そうやって驚くのは構わねぇけど、エリンを嫌いになるなよ」
エリンを嫌いになるな!
トムはこれからニーナに対して、ダンとエリンがどのような話をするか、しっかり見抜いていた。
そしてニーナへ、遠回しに予防線を張ってくれたのである。
「ト、トム!」
傍で、ニーナとトムの会話を聞いていたエリンは凄く嬉しかった。
普段は憎まれ口を叩いても、ダンの言う通り、妖精猫のトムはとても優しい心を持っていたのだ。
「エリンは良い奴だぜ。例えばよぉ、人間は俺みたいな黒猫が不吉だとか、闇の魔女の使い魔とか、すぐにくだらない迷信を信じたがるからな。お前は絶対に変な誤解をするんじゃねぇぞ」
「え?」
「良いか、もう一回言う。エリンを嫌いになるなよ」
「どういう意味ですか、それ? どうして私がエリン姉を? 嫌いになんか、なるわけないですよ」
漸く落ち着いたニーナであったが、トムの言う意味が理解出来ない。
「意味なんて分からなくても良い。約束したからな、巨乳っ子」
トムはそう言い捨てると、また屋根の上で丸くなったのであった。