第31話「仲直り③」
文字数 2,531文字
テーブルを挟んで、ダンとエリン、そしてアルバートとフィービーが向かい合って座っている。
これから、改めて『仲直り』朝食会の準備だ。
テーブルの上に茶色で、つやつやした物体がいくつか並べられていた。
形は色々、大きさも様々である。
エリンが、感嘆の声を発する。
「こ、これがパン? ふわっとしているわ! 不思議!」
「ははは、パンというのは小麦やライ麦という植物の実を挽いて粉にしたものを加工して作る」
「へぇ! ダン、凄いね。これ、元は植物なんだ!」
ダンがフォローしてやると、エリンが『パン』をじいいっと眺めている。
目がまん丸になっており、とても『感動』しているようだ。
彼女が来た時、ダンの家では丁度、パンを作る材料が切れていた。
そもそもパンという食べ物は、ダークエルフの住処であった地下世界には存在しなかったし、エリンは古文書で知っていたくらいで見るのは初めてであった。
目の前のパンは、焼いてから少々時間が経ってはいたが、独特の香ばしい匂いが漂って来る。
エリンは、もう我慢出来ない。
しっかり外見を見た!
しっかり香りを嗅いだ!
と、なると次は……
「ね、ねぇ、ダン! これって触っても良いの?」
縋るような目で、ダンを見るエリン。
しかしダンは、「それ、俺の管轄ではないよ」というように話を振る。
「というお願いが出ているけど……どうだ? フィービー」
ダンがフィービーへ話を振ったのは、これらのパンの作り手が彼女だからだ。
フィービーからは、今迄に何度か差し入れをして貰い、美味いパンに舌鼓を打っていた。
聞かれたフィービーも、笑顔で答える。
「そりゃ、全然オッケーよ」
「本当!? あ、ありがとう」
OKを貰って、満面の笑みを浮かべるエリン。
子供のようなエリンの笑顔を見て、フィービーも釣られて笑顔になる。
「うふふ! 私の事気持ち良く許して貰ったし、お邪魔しちゃ悪いから置いて帰ろうと思ったけど……目の前で喜んで貰うと凄く嬉しいわ」
どうやらフィービーは、先日のお詫びの意味もあって、パンを焼いて持って来たらしい。
エリンはフィービーに「ぺこり」と頭を下げると、再びダンを見た。
パンを食べられるように、ダンが執り成してくれたから。
大好きなダンへ、エリンの感謝の気持ちが眼差しに籠っていた。
一方、ダンはエリンの素直な気持ちが嬉しい。
「ありがとう」という、エリンの心が伝わって来る。
良くしてくれた相手に対して、素直に感謝して生きるというのは素敵な事だから。
なので、ダンも笑顔で許可を出す。
「エリン、フィービーお姉様のお許しが出たぞ。そおっと掴んでみろ。あまりぎゅっと握るとパンが潰れちゃうぞ」
「りょ、了解!」
ダンに言われた通り……
エリンは手を伸ばし、「そおっ」とパンを掴んだ。
見た目は「ふわっ」としているパンであったが、表面はほんの少し固い。
今迄に経験のない、不思議な感触である。
「本当は焼きたてを食べて貰いたいけど……」
フィービーは申し訳なさそうに言うが、エリンはぶんぶんと首を振る。
「ううん、エリン、凄く嬉しいよ。一生懸命作ってくれたんだよねっ! ありがとう! フィービー……姉さん」
「え? 姉さん?」
フィービーは、いきなり姉さんと呼ばれ戸惑った。
エリンは、驚くフィービーの反応を窺う。
「ええと……ダンがフィービーの事を『姉さん』って言っていたから、エリンもそう呼びたいの……駄目?」
「…………」
フィービーは、改めてエリンを見た。
さらさらなシルバープラチナの髪は、腰まで伸びた長いストレート。
髪の左右から、エルフ族特有の尖った小さな耳がちょこんと覗いている。
整った美しい顔立ちだが、とても寂し気だ。
菫色の綺麗な瞳が、何かを訴えている。
「やっぱり……駄目だよね……だってエリンはフィービーに会ったばかりだし……姉さんなんてずうずうしいよね」
フィービーは、ダンが異世界から召喚された
『勇者ダン』の監視をするよう王家から命じられ、騎士の職を辞して夫のアルバートと共に故郷の村へ帰って来たのだ。
異世界の住人と聞いて、最初はおっかなびっくりであったが……
ダンと触れ合ううちに、相手も同じ人間なのだと分かって来た。
世の中に拗ねている所もあるが、真面目で優しい青年だと知った。
しかし……
いくら仲良くなっても、ダンには常に孤独の影がさしていた。
命じられた仕事を淡々とこなし、静かにこの世界で生きていた。
だが、今のダンは本当に明るい。
全然違う。
良く笑うし、朗らかだ。
フィービーには、その理由が良く分かる。
それは……
この純朴な、ダークエルフ少女のお陰なのだ。
天涯孤独になりながらも、ダンを慕い懸命に生きようとするエリンを見て、同じ境遇のダンも遂に前向きになれたのである。
エリンが親しみを込めて『姉』と呼んでくれたのは、監視者である自分達夫婦を懸命に受け入れようとしているのに他ならない。
生まれて初めて地上に出て、不慣れな人間社会で生きようとする覚悟を決めたであろうエリン。
自分と夫は、この幸薄い少女へ、何て酷い事を言ったのだと思う。
そう思うと、フィービーは胸が後悔で一杯になった。
「そ、そんな事ないっ! そんな事ないよ!」
フィービーはいきなり立ち上がると、エリンに駆け寄って「ぎゅっ」と抱き締めた。
「あうっ!」
驚くエリンを尻目に、フィービーは抱く。
エリンを「ぎゅっ、ぎゅっ」と抱く。
「ごめんね、エリンちゃん! 酷い事言ってごめんね、そして姉さんって呼んでくれてありがとうっ!」
いつの間にかフィービーの目には涙が滲んでいる。
だが、悲しくて流す涙では決してない。
人間のフィービーが、心優しいダークエルフの少女と新たな絆を結べた事を、心から喜ぶ嬉し涙であったのだ。