第96話「行方不明」
文字数 2,579文字
「おう、ニーナ、ありがとう」
ダンはまだ、ヴィリヤ主従の席に座っていた。
今日、ふたりに生まれて初めての『昼飲み』をして貰う為だ。
『郷に入っては郷に従え』という諺を聞いたヴィリヤは早速実践してみる事にしたのである。
ニーナが持って来てくれた酒は、ダンがエール、ヴィリヤとゲルダは赤ワイン。
赤ワインは、例の『ふるまいワイン』である。
ヴィリヤは酒の飲み方に一家言あるが、酒自体は嫌いではない。
但しとても弱く、少し飲んだだけですぐ酔ってしまう。
家で飲むのは、それが主な理由でもある。
なみなみとマグにつがれた赤ワインを見て、ヴィリヤは「ごくり」と喉を鳴らす。
「美味しそう!」
「うふふ」
ニーナはダンに引き留められ、まだテーブルの傍らに立っていた。
「ああ、丁度良い。ニーナを紹介しておこう」
「先程、ご挨拶はしましたけど……改めまして、ダンの『妻』でニーナです」
先程の挨拶は、英雄亭の従業員として。
今の挨拶は、正式にダンの妻としてのものだ。
「…………妻」
「…………」
小さく呟いたヴィリヤを、ゲルダは無言且つ複雑な表情で見つめた。
主の心情が、手に取るように分かる。
『ダンの妻』という響き。
今、ヴィリヤが渇望する憧れ。
目を見開くヴィリヤへ、ダンの言葉が追い打ちをかける。
「俺の妻は、エリンとニーナのふたりだ」
「…………」
「…………」
ダンの口から、はっきり出た事実。
ヴィリヤ主従は、つい無言になってしまった。
しかし、ダンは淡々と告げる。
「と、いうわけで乾杯しよう。じゃあ、ニーナ、すぐ戻る」
「はいっ!」
ニーナは手を振って、厨房へ戻って行く。
その姿は、幸せに満ち溢れている。
ヴィリヤは、羨ましくて仕方なかった。
「じゃあ、ヴィリヤ、ゲルダ、乾杯するぞ」
「は、はい!」
「了解!」
3人は、陶製のマグを合わせた。
陶器と陶器の触れ合う、乾いた音がして乾杯は為された。
ダンは、「ぐいっ!」
ゲルダは、「ごくり!」
……ヴィリヤは恐る恐る口をつけ、ひと口だけ「こくり」と飲み込んだ。
「おお、美味いな!」
ダンの呼びかけに対して、すぐ答えたのはゲルダである。
「美味しいです」
そしてヴィリヤはというと、綺麗な目を丸くしている。
美味しいのだ、たまらなく。
「美味しい!」
嬉しそうなヴィリヤを見て、ダンも笑顔になる。
「ははは、酒が美味いのは労働の後だからさ。さっき彼等が言っていた通りだろう?」
「労働の後……うん! 分かったわ、ダン。働いた後のお酒って美味しいのね」
ヴィリヤは、嬉しかった。
先程の、ニーナに対する羨ましさも忘れるくらい。
この酒は、働く事の意義を再確認させてくれたからだ。
そして、ダンが教えてくれた事が尚更嬉しかったのだ。
「さてと」
ダンはエールを飲み干すと、立ち上がった。
「え? どこへ行くの?」
「ニーナから聞かなかったか? 俺は仕事さ、この格好を見ても分かるだろう?」
ダンは、自分の服を指さした。
調理人が着る、典型的な作業着である。
「それって……」
「ああ、これから片付けと皿洗いだよ」
「片付けと皿洗い!? 勇者が!」
ヴィリヤは、吃驚してしまった。
不可解だった。
『勇者』であるダンが、使用人がするような仕事をしているからだ。
莫大な報酬だって、きっちり受け取っているだろうに。
しかし、ダンは唇に指をあてる。
ヴィリヤの声が、つい大きくなったから。
「こらこら、俺は『違う』って言ったろ。それに自宅じゃ家事なんて普通にやっているんだ。じゃあな」
微笑んだダンは、先程のニーナのように手を振って、厨房へ引き上げて行ったのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
一方のエリン……
宿敵ヴィリヤの事は、気になる。
しかし自分は、れっきとしたダンの妻である。
厳然とした事実だ。
そう思えば、『もやもや感』がまぎれる。
「お待たせ~」
エリンは、ある冒険者クランの席にエールを運んだ。
先日、顔見知りになった若者達である。
この前、自分が『ダンの妻』だと伝えてあるので、二度口説かれはしない。
しかし、若者達はエリンに声をかける。
一応、お約束なのだ。
「おお、エリンちゃん、ありがとう!」
「いっつも可愛い~」
「癒される~」
「ありがとう!」
エリンも、もう慣れたもの。
若者達の誉め言葉に対し、手を振って応える。
そのうちのひとりが、いきなり尋ねて来る。
「エリンちゃんも冒険者だっけ?」
「そうだよ、ランクD」
エリンが「さらり」と言うと、若者達は感嘆する。
ランク=実力だからだ。
エリンを、見る目が違って来る。
「すっげぇなぁ! 俺達なんかランクEなのに」
「ホント、ホント」
「強いんだ」
「ん、ぼちぼち」
「謙遜だなぁ! そういえば今、冒険者の中で噂になっている迷宮があるんだよ」
噂?
迷宮?
エリンは何故か気になったので聞き直す。
「噂になっている迷宮?」
「そうそう! 人喰いの迷宮」
人喰いの迷宮?
若者が答えた迷宮の名前は、とんでもない名前だった。
エリンは僅かに顔をしかめる。
「うっわ! 怖そう……」
「そう、すっげぇ怖いんだ。まあ迷宮が人を食べるんじゃなくて、入った奴らが戻って来ないのさ。最近も、クラン
クラン
聞き覚えのある名前だ。
エリンは、つい声が大きくなる。
「え? クラン
「お! エリンちゃん、顔が広い! チャーリー達と知り合い?」
「そんな事良いから、教えて! 詳しく教えてくれない!」
エリンの目が、とても真剣になっていた。
必ず戻る!
答えるチャーリーの声が、エリンの頭の中で、大きく響いていたのであった。