第19話「眩い大地①」
文字数 3,549文字
コケコッコー、コケコッコー!
ニワトリの声に促され、エリンは気持ちよく起きる。
昨夜は……
ぐっすり眠る事が出来た。
ダンには絶対に言えないが、家の中にトイレが完備されたのも大きい。
傍らのダンも目を覚まして微笑んでいた。
「おはよう、エリン」
「おはよう、ダン」
今迄とは違う……
そんな気持ちがする。
何故ならば、ふたりは昨夜……結ばれた。
男と女の関係になった。
肉体的に結ばれてふたりは思う。
相手の隅々まで見て、触って感じて……
全てが分かったような気がして、心の結びつきまでが強くなったと。
ダンが慈愛を込めてエリンを見ると、彼女は俯いて人差し指と人差し指をつつき合っていた。
「エリン……上手く出来たかな? ダン……気持ち良かったかな? 一生懸命頑張ったけど……」
エリンの呟きを聞いたダンは、とても愛おしさを感じる。
「俺もだ……エリンに満足して貰えたか……心配だよ」
昨夜の行為は、お互いに生まれて初めての経験だった。
声といい、仕草といい、普段の自分でない自分を見せたような気がして、少し恥ずかしい。
「エリンは凄く気持ち良かったよ、ダンに抱かれて安心したよ」
「ああ、俺もそうさ」
見つめ合うふたり。
全てを許し合った、愛する人が居る。
もうこの世界に、ひとりきりじゃない。
今迄にない充足感が、ダンとエリンを満たしていた。
ダンは、窓を見た。
ガラス越しに見える外は暗いが、そろそろ起きて支度をする。
今日は、出掛けなくてはならないのだ。
「さあ、起きようか。今日はエリンに見せたい、とっておきのものがあるんだ」
「エリンに見せたいもの? わあ、楽しみだぁ! さあ頑張って仕事しよ!」
「ああ、頑張ろう」
ふたりは、手早く着替えて庭へ出た。
今朝も犬と猫、そしてニワトリは元気に迎えてくれた。
しかしエリンは少し違和感を覚えた。
何かが……違う。
「あれ?」
「どうした?」
「犬って……一匹じゃなかったっけ?」
エリンが指摘してもダンは驚かず屈託なく笑っている。
「ははは、今頃気付いたか」
「???」
不思議そうに首を傾げるエリン。
ダンは、笑顔のまま片手で拝むようなポーズをする。
「エリン、黙っていて悪かったな。先に謝っておくぞ」
「え? 何?」
「この犬達は、両方とも俺の従士だ」
「犬が……従士……え、まさか!?」
従士と言われ、エリンの記憶が甦る。
あの恐ろしい怪物の姿が……
「そう、お前も既に会ったケルベロスに、もう一匹はケルベロスの弟でオルトロスだ……今は普通の犬に擬態している」
「えええっ!?」
エリンの目の前に居る犬達は、魔族が擬態した姿だったのだ。
しかし敢えて言わなければ、誰にも分からない容姿である。
二匹とも狼のような野性的な風貌だが、一見して普通の犬だから。
ちなみにケルベロスが白毛、オルトロスが茶毛である。
「この姿ならもう怖くないだろう?」
「うんっ!」
「ケルベロスからは既に報告を受けている、スケベ魔王の手下どもの死骸は綺麗に片づけたってさ」
「スケベ魔王?」
エリンにはピンと来た。
スケベ魔王とは……
エリンを『てごめ』にしようとした悪魔アスモデウスであると。
「ああ、奴から助ける事が出来て良かったよ。エリンは俺のモノになってくれたしさ」
ダンにそう言われて、エリンも実感が湧いて来る。
怖ろしい悪魔に、身も心も穢される寸前で救われた。
助けてくれた、ダンの優しさに触れて大好きになった。
そして、気持ちだけでなく、身体もダンの妻になったのだと。
「うん! うん! エリンもだよ、ダンのお嫁さんになれて本当によかった!」
「はははは」
「あははは」
ふたりが笑い合った、その時である。
「にゃあご、にゃあご」
傍らで「話を聞いているぜ」と言うかのように猫が鳴く。
犬が白、茶と来てこちらは真っ黒な猫である。
「あら?」
「俺を忘れるな! と言っている」
猫の鳴き声を訳すように、ダンが言い苦笑した。
エリンが、目を丸くする。
「へぇ、ダンは猫の言葉も分かるの?」
しかし!
何と言う事か、いきなり黒猫が喋ったのである。
「こら、ダークエルフ! おいらはただの猫じゃねぇ、
「あ、ね、猫が喋った?」
「おい、ダークエルフ。ちゃんと認識しろって言ってるだろう! おいらは猫じゃねぇ、妖精猫のトムだって」
ダンはケルベロス達のみならず妖精猫までも抱えていたのである。
笑顔のダンが、エリンを改めて紹介する。
「ははは、トム。彼女はエリン、顔は知っているだろう? 今度俺の嫁になった」
「ちっ、知ってるよ。ったく、昨夜あんなに大きな声でエッチしやがって眠れやしねぇ」
何と!
昨夜の行為が筒抜けだった?
エリンは驚き、顔が真っ赤になる。
「えええっ!?」
「こら、トム」
ダンが叱ると、トムは舌をちろっと出す。
「えへへへへ、寂しいエルフのエリンちゃんよぉ、せいぜいダンと幸せになりなぁ~」
トムはそう言い捨てると、身を翻し家の裏へ駆けて行った。
エリンは、苦笑する。
しかしトムの口調には、温かさと優しさが籠もっていたから、エリンの表情は明るかった。
そしてエリンが感じた事を、ダンも感じていたらしい。
「エリン、あいつったら本当は照れ臭いんだ。とても口が悪いけど……ケルベロス達同様、すっごく良い奴なんだよ」
「うん、分かる! エリンもそう思う」
「でも……」
「でも?」
「トム、あいつ……朝飯、要らないのかな?」
暫くすると……
いかにも恥ずかしそうな表情で、トムは「すごすご」と戻って来た。
そしてケルベロス達と、朝食を食べ始めたのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ダンとエリンは朝食を摂った後、早速出掛けた。
ふたりとも革鎧を着込み、腰からショートソードを提げる。
誰も居ない家が一瞬気になったエリン。
しかし、留守番役はケルベロス達がしてくれると、ダンから聞いたので安心だ。
ダンの家の周囲は草原で、ところどころ雑木林が点在している。
朝日が漸く地平線に顔を出したくらいで、辺りはまだ薄暗い。
ふたりは、雑木林を避けて草原を歩く。
木々から小鳥のさえずる声がする。
草の間で、何か小動物が動いている。
茶色の体毛をした、エリンが見た事のない、耳の長い生き物であった。
「おお、ウサギが居るな」
「ええっ? あれがエリンが食べたウサギなんだ……美味しそう」
「可愛いじゃなくて、美味しそうなんて、エリンは肉食系女子だな」
「何、それ?」
エリンにとって、そこかしこが生まれて初めて見る景色である。
空から見るのとも、まるで違う。
深呼吸すると、相変わらず空気が美味しい。
上を見上げると、真っ青な空が大きく広がっており、どこまでも果てしがなかった。
今迄暮らして来た地下世界とは、全く雰囲気が違うのだ。
エリンは、目の前の木を指さした。
「ねぇ、ダン。庭にもあったけど……あちこちに生えているこれは? 緑色のひらひらが一杯付いているよ」
「木だ。ニンジンと種類は違うが同じ植物で、この木が一杯あると林、もっと多いと森になる。種類にもよるが切った木は色々と使えるんだ。昨日、トイレを造る時に使っただろう」
「ああ、あれかぁ……エリンにも見覚えがあるよ。そして木が一杯あって林、もっと多いと森……なんだ」
エリンは納得して頷いた。
ふと見ると、少し離れたくさむらから一羽のウサギがこちらを眺めている。
「あ、お肉ぅ!」
エリンはつい声をあげて捕まえようとした。
しかしウサギはあっという間に姿をくらましてしまった。
「あう~」
ウサギに逃げられて、悔しがるエリン。
思わずダンは、笑ってしまう。
「ははははは、ウサギは結構素早いぞ」
ダンに笑われたエリンは余計意地になったらしい。
「むむむ、こうなったらエリンの岩弾でやっつける……」
「わぁ、やめろ。それはやり過ぎ!」
魔族の群れをも粉砕した魔法を発動しようとしたエリンを、ダンは慌てて止めたのであった。